下地駅

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下地駅
駅舎(2024年3月)
しもじ
Shimoji
CD01 船町 (0.7 km)
(2.2 km) 小坂井 CD03
地図
所在地 愛知県豊橋市横須賀町後口
北緯34度46分51秒 東経137度22分14秒 / 北緯34.78083度 東経137.37056度 / 34.78083; 137.37056座標: 北緯34度46分51秒 東経137度22分14秒 / 北緯34.78083度 東経137.37056度 / 34.78083; 137.37056
駅番号 CD  02 
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 CD 飯田線
キロ程 2.2 km(豊橋起点)
電報略号 モチ
駅構造 地上駅(盛土上)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
223人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日 1925年大正14年)12月23日
備考 無人駅
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下地駅(しもじえき)は、愛知県豊橋市横須賀町後口にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線である。駅番号CD02

概要[編集]

1925年大正14年)、豊川鉄道の手によって開業した。1943年昭和18年)の国有化を経て、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR東海の経営に移って現在に至っている。IC乗車券サービスの対応駅の一つであり、「TOICA」や相互利用が可能なその他ICカードの利用が可能である。

豊橋駅と旧平井信号場(愛知県豊川市)までの区間は名古屋鉄道(名鉄)名古屋本線と線路を共有しているが、「名鉄の駅ではない」扱いのため名鉄の列車はすべて停車しない。そのため名鉄線を利用したい場合は、JRの列車で一旦豊橋駅へ移動する必要があり、実質的に当駅のある地点と豊橋駅の間2.2キロを一往復することになる。

歴史[編集]

下地駅を開設した豊川鉄道は、現在のJR飯田線南部にあたる豊橋・大海間を運営していた私鉄である。同鉄道線は1897年明治30年)に豊橋から豊川まで開通するが、その際、現下地駅が所在する当時の鹿菅村に駅は開設されなかった。下地駅が新設されたのはそれから20年以上を経た1925年12月である。開設当初の名称は「下地停留場[注釈 1]」であった。

1943年8月、豊川鉄道線は買収・国有化され国有鉄道飯田線が成立する。これに伴って下地停留場は国有鉄道の「下地駅」となった。開業時から貨物営業を行っておらず、国有化後も貨物・荷物の取り扱いが開始されることのないまま、1987年4月の国鉄分割民営化を迎えてJR東海に継承された。

年表[編集]

駅構造[編集]

盛土(築堤)上にあり、片側にのみ線路が接する単式ホームを2つの単式ホームが背中合わせで配置(いわゆるH型)されて島式ホームに類似する形状の2面2線の駅(同様の構造はバルーンさが駅でも見られる)となっている[10][11]。変則的な形状であるのは、東海道本線上下線と飯田線下り線が使用する豊川橋梁(駅の南側)の架け替え・移設に伴ってホームも改修されたためである(元は幅の狭い島式ホームであった)[11]。ホーム番線は西側が1番線、東側が2番線である。

2本のホームに挟まれた場所に駅舎が設置されている[11]無人駅(駅員無配置駅)であり、管理駅駅長配置駅)である豊川駅の管理下に置かれている[12]。かつては有人駅であったが、1969年の業務委託化を経て、1985年から無人駅となっている。

現在の駅舎は2024年(令和6年)3月16日より供用を開始した[9]東海道新幹線の廃車発生品由来のアルミニウム合金を活用した「東海道新幹線再生アルミ」による駅舎建設は当駅が初の事例となる[13]。このほか、既存駅舎の部材や木枕木の再活用、LED照明の使用するなど環境負荷の低減を目指した造りとなっている[9]。ガラス面の装飾はイチョウをモチーフとしたもので、沿線にある豊橋市立下地小学校のイチョウ(「とよはしの巨木・名木100選」選出)に由来する[9]

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1 CD 飯田線 下り 豊川飯田方面[注釈 2]
2 上り 豊橋方面[注釈 2]

停車列車[編集]

下地駅を挟む飯田線豊橋・豊川間では、日中普通列車は1時間あたり上下各3 - 4本設定されているが、下地駅と隣の船町駅に停車するのはそのうち上下各2本程度である。停車するのは豊橋・豊川間の区間運転列車が中心(例外もある)。快速列車(上りのみ設定)と特急伊那路」は通過。

利用状況[編集]

「愛知県統計年鑑」および「豊橋市統計書」によれば、1950年度から2019年度までの1日平均の乗車人員は下の表の通りに推移している(2000年度から2010年度までは資料無し)。

1950年度の乗車人員は1日平均305人で300人を超えていたが、1952年度以降は300人を割っていた。1962年度からは再び300人を超え、その後増加し続けて1970・71年度には1日平均718人を記録する。これを頂点に以降減少に転じ、1986年度には再び300人を割り込み1日平均231人となった。次年度から増加に転じて1990年度に300人を超えるがこれを最後に300人を超えることなく推移し、1999年度には1日平均262人となった。2011年度には100人台に落ち込んでいる。

1日平均の乗車人員の推移
年度 乗車人員 出典(※)
1950年度 305人 昭和27年度刊・327頁
1951年度 335人 28年度刊・311頁
1952年度 283人 29年度刊・330頁
1953年度 259人 30年度刊・306頁
1954年度 252人 31年度刊・304頁
1955年度 265人 32年度刊・320頁
1956年度 266人 33年度刊・336頁
1957年度 291人 34年度刊・380頁
1958年度 271人 35年度刊・293頁
1959年度 265人 36年度刊・261頁
1960年度 288人 37年度刊・325頁
1961年度 292人 38年度刊・297頁
1962年度 328人 39年度刊・299頁
1963年度 332人 40年度刊・263頁
1964年度 344人 41年度刊・239頁
1965年度 370人 42年度刊・263頁
1966年度 373人 43年度刊・193頁
1967年度 565人 44年度刊・197頁
1968年度 641人 45年度刊・205頁
1969年度 669人 46年度刊・229頁
1970年度 718人 47年度刊・237頁
1971年度 718人 48年度刊・217頁
1972年度 638人 49年度刊・215頁
1973年度 625人 50年度刊・221頁
1974年度 679人 51年度刊・225頁
1975年度 658人 52年度刊・217頁
1976年度 555人 53年度刊・231頁
1977年度 545人 54年度刊・233頁
1978年度 505人 55年度刊・221頁
1979年度 460人 56年度刊・227頁
1980年度 438人 57年度刊・239頁
1981年度 458人 58年度刊・223頁
1982年度 419人 59年度刊・223頁
1983年度 396人 60年度刊・241頁
1984年度 372人 61年度刊・235頁
1985年度 315人 62年度刊・223頁
1986年度 231人 63年度刊・223頁
1987年度 259人 平成元年度刊・225頁
1988年度 289人 2年度刊・223頁
1989年度 297人 3年度刊・225頁
1990年度 313人 4年度刊・229頁
1991年度 290人 5年度刊・221頁
1992年度 272人 6年度刊・221頁
1993年度 253人 7年度刊・239頁
1994年度 245人 8年度刊・241頁
1995年度 243人 9年度刊・243頁
1996年度 251人 10年度刊・241頁
1997年度 259人 11年度刊・241頁
1998年度 258人 12年度刊・239頁
1999年度 262人 13年度刊・240頁
・・・
2011年度 185人 26年度刊・114頁[14]
2012年度 168人
2013年度 167人
2014年度 165人 27年度刊・114頁[15]
2015年度 171人 28年度刊・114頁[16]
2016年度 184人 29年度刊・122頁[17]
2017年度 194人 令和2年度刊・118頁[18]
2018年度 207人
2019年度 223人
※出典欄には数値掲載の同書刊行年とページ数を記載
1999年度までは愛知県統計年鑑による資料。
2011年度からは豊橋市統計書による資料。

駅周辺[編集]

駅前通り

隣の駅[編集]

東海旅客鉄道(JR東海)
CD 飯田線
快速・普通(速達列車)
通過
普通(各駅停車)
船町駅 (CD01) - 下地駅 (CD02) - (平井信号場) - 小坂井駅 (CD03)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「停留場」とは、転轍機(分岐器・ポイント)が設置されていない駅を指す種別である。当時、私鉄のみに存在した。
  2. ^ a b 駅掲示用時刻表の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(2015年1月現在)。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 『停車場変遷大事典』2、97頁
  2. ^ 「運輸省告示第266号」『官報』1947年10月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『飯田線展』、100頁
  4. ^ 『飯田線展』、101頁
  5. ^ 『飯田線展』、102頁
  6. ^ 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)(編)「飯田線・身延線・小海線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第3号、朝日新聞出版、2009年7月26日、17頁。 
  7. ^ 平成22年3月 TOICAがますます便利になります!!』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2009年12月21日。 オリジナルの2020年12月19日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20201219161536/https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000006922.pdf2020年12月19日閲覧 
  8. ^ 【社長会見】在来線駅に駅ナンバリングを導入します (PDF) - 東海旅客鉄道、2017年12月13日
  9. ^ a b c d 東海道新幹線再生アルミを活用した飯田線下地駅駅舎の供用開始について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2024年2月29日。 オリジナルの2024年2月29日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20240229135352/https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000043190.pdf2024年2月29日閲覧 
  10. ^ 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻、6・7頁(配線図)および44頁
  11. ^ a b c 『タイムスリップ飯田線』、88頁
  12. ^ 『東海旅客鉄道20年史』、732頁
  13. ^ 東海道新幹線再生アルミの駅舎等への活用について』(PDF)(プレスリリース)東海旅客鉄道、2023年3月9日。 オリジナルの2024年2月29日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20240229135752/https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000042602.pdf2024年2月29日閲覧 
  14. ^ 平成26年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)
  15. ^ 平成27年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)
  16. ^ 平成28年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)
  17. ^ 平成29年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)
  18. ^ 令和2年 豊橋市統計書 10 運輸・通信 (PDF)

参考文献[編集]

  • 愛知県(編)『愛知県統計年鑑』 各年度版。 
  • 豊橋市(編)『豊橋市統計書』 平成25年度版。 
  • 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6 
  • 笠原香・塚本雅啓『タイムスリップ飯田線』大正出版、2007年。ISBN 978-4-8117-0657-3 
  • 川島令三『東海道ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 豊橋駅-名古屋エリア、講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270014-6 
  • 桜ヶ丘ミュージアム 編『飯田線展』桜ヶ丘ミュージアム、2003年。 
  • 東海旅客鉄道(編)『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年。 

関連項目[編集]