ポルシェ

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ポルシェ
Dr. Ing. h.c. F. Porsche AG
種類 株式会社
市場情報 FWBP911
略称 ポルシェAG
本社所在地 ドイツの旗 ドイツ
70435
シュトゥットガルトバーデン=ヴュルテンベルク州
設立 1931年 (93年前) (1931)
業種 自動車製造
事業内容 自動車の製造・販売
代表者 オリヴァー・ブルーメ英語版(取締役会会長)
売上高 258億ユーロ(2019年)
従業員数 32,325人(2019年)
主要株主 フォルクスワーゲンAG(75%)
関係する人物
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ポルシェ(Dr.-Ing. h.c. F. Porsche AG[注釈 1] ドイツ語発音: [ˈpɔɐ̯ʃə] ( 音声ファイル))は、ドイツの高性能スポーツカーやSUV、セダンなどを専門とする自動車メーカーである。バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルトに本社を置く。フォルクスワーゲン AGの傘下である。

概要

シュトゥットガルトにあるポルシェ工場
エレファント重駆逐戦車
1953年、356アメリカンロードスター
1992年、911(964型)ターボ
2005年、911(997型)カレラS(前期型)

フォルクスワーゲン・タイプ1を設計した技術者フェルディナント・ポルシェにより、デザイン事務所として設立された(設立年については1930年[1]1931年[2]と諸説あり)。フェルディナントは、一般的な乗用車のみならずエレファント重駆逐戦車のような戦車のデザイン等も行った。

1948年9月には息子であるフェリー・ポルシェによって同社初の車356.001が製造・販売され自動車メーカーになった。

その後も設計・エンジニアリングの仕事も続けており、メルセデス・ベンツ・500Eの設計と生産、メルセデスベンツ・C11の最終セッティング[3]ボルボ・960[4]アウディ・RS2アバント[5]のエンジンチューンなどが知られている。

エルンスト・フールマンによると「ポルシェが他メーカーのために引き受けている設計開発の仕事は、総売り上げの10%に達している。どんなメーカーの仕事をしているのかとよく聞かれるが、関係のないメーカーを数えた方が早いくらいだ。それに、最近では政府に依頼された仕事もある[6]」という。またポルシェは設計料5000万ドルで月面車を設計した[7]

ポルシェ一族は依然として同社の大株主ではあるものの、1971年に経営から手を退き、同社は同族経営から脱却している。このときポルシェの技術者だったポルシェ博士の孫(娘ルイーザの子)フェルディナント・ピエヒ(元フォルクスワーゲングループ会長)、同じく孫(フェリーの子)でデザイナーだったブッツィ・ポルシェ(後にポルシェデザイン社長)も会社を去っている。

2005年、歴史的に関係の深い大手自動車会社フォルクスワーゲンの株式の20%を取得。2008年11月時点で持ち株比率は約43%となり、事実上同社を傘下に収めた。その後も、金融機関から必要に応じて株式を追加取得できる権利も含め、約75%まで買い増す方針であったが、資金繰りに行き詰まり、逆にフォルクスワーゲンがポルシェを買収するかたちで2011年半ばをメドに経営統合することが一旦決まった。しかし、ポルシェのフォルクスワーゲン株式取得をめぐる訴訟問題の解決が長引いたため、経営統合に遅れが生じた。2012年8月1日にフォルクスワーゲンが全てのポルシェ株式を取得し、ポルシェはフォルクスワーゲンの完全子会社となった。2022年9月29日、フォルクスワーゲンはポルシェ株式中議決権のない無期限株(優先株)の一部を上場し、ポルシェは株式公開企業となった(フォルクスワーゲンの保有比率は75%)[8]

「ポルシェエクスクルーシブ」というサービスを展開中。これは、正規店での新車オーダー時にインテリアやエクステリアの各パーツやカラーをカスタマイズしてくれるというもの。また、「ポルシェテクイップメント」では正規の販売店を通じてさまざまなアクセサリーを提供している。

ポルシェのエンブレム(紋章)は、本社のあるシュトゥットガルト市バーデン=ヴュルテンベルク州の紋章を組み合わせたものとなっている(中央の跳ね馬はシュトゥットガルト市の紋章から。その外側の左上と右下にある鋸の歯状をした模様はバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章に描かれた鹿(の角)を、右上と左下の赤い縞は知を、全体の金色の地色は豊穣を表す麦の色にちなんでいる。なお日本ではポルシェというとメルセデス・ベンツアウディのようにメーカー全体の車種を指すことが多い。[注釈 2]

経営状況

年間生産台数

1990年代前半、最大のマーケットでもある米国での販売不振により赤字が拡大し、経営難をささやかれた時期があったが、1996年に低価格のロードスター、「ボクスター」を投入、翌年にはデザインと設計を全面的に一新した996型「911」を投入した効果により販売が好転。2003年にはポルシェ初の5ドアSUVである「カイエン」も投入し、1999年-2000年の生産台数が約4万5千台であったのに対し、2008年には9万7千台に達している[9]

1980年代半ばにはアメリカ合衆国における販売が販売全体の6割を占めていたが、現在ではロシア中国インド中東といった新興市場での販売が順調であり、2019年におけるアメリカ合衆国での販売比率は21.9%にまで低下した。2019年の世界新車販売台数は280,800台で、地域別ではアジア太平洋、アフリカ、中東 116,458台、ヨーロッパ 88,975台、南北アメリカ大陸 75,367台。主要国別では中国 80,108台、米国 61,568台、ドイツ 31,618台などとなった[10]。日本での販売台数は7,192台であった[11]

スポーツカー専業からの脱却

ポルシェは創業以来2人乗りもしくは小さな後部座席を備えるスポーツクーペを専門にしていたが、クーペという限られた市場だけに依存した経営から脱却するために人気の高いSUV市場への参入を画策。これに賛同したフォルクスワーゲンと共同開発した5ドアSUV「カイエン」を2002年に発売した。カイエンはポルシェらしいスポーツカーの精神を宿したSUVとして世界的に人気を博し、ポルシェに大きな利益をもたらした。

カイエンの成功を受けて2009年には5ドア・ファストバックサルーンの「パナメーラ」を発売。価格的にメルセデス・ベンツ・SクラスBMW・7シリーズに相当する車格で、カイエンも競合相手と同様のラグジュアリィカーの味付けがなされ、スポーツカー専業メーカーではなくなっている。

さらにポルシェはカイエンよりも小型のSUV「マカン」を2014年に発売した。

ポルシェの2019年の決算では、販売した280,800台のうちマカンが99,944台で車種別販売台数1位、カイエンが92,055台で2位で、売上のおよそ7割をクロスオーバーSUVが占めている[10]

車種

現行モデル

外観 車名 排気量/バッテリー 原動機 駆動方式 座席 解説
718
  • 1,988 cc(ボクスター、ボクスターT)
  • 2,497 cc(ボクスターS)
  • 3,995 cc(ボクスターGTS4.0、スパイダー)
  • 水平対向4気筒ターボ
  • 水平対向6気筒
MR 2 ミドシップオープン
  • 1,988 cc(ケイマン、ケイマンT)
  • 2,497 cc(ケイマンS)
  • 3,995 cc(ケイマンGTS4.0、GT4)
  • 3,996 cc(ケイマンGT4 RS)
ミドシップクーペ
911
  • 2,981 cc(カレラ、カレラS、カレラGTS)
  • 3,745 cc(ターボ、ターボS)
  • 3,996 cc(GT3)
  • 水平対向6気筒ツインターボ
  • 水平対向6気筒
RR/4WD 2/4 フラッグシップモデル・リアエンジン
  • 2,995 cc(カイエン、Eハイブリッド)
  • 2,894 cc(カイエンS)
  • 3,996 cc(カイエンGTS、カイエンターボ)
  • V型6気筒ターボ
  • V型6気筒ツインターボ
  • V型8気筒ツインターボ
4WD 5 フルサイズクロスオーバーSUV・SUVクーペ
  • 2,995 cc(パナメーラ)
  • 2,894 cc(パナメーラS、Eハイブリッド)
  • 3,996 cc(パナメーラGTS、ターボ、ターボSEハイブリッド)
FR/4WD 4
  • 5ドアサルーン
  • 5ドアワゴン
マカン
  • 1,984 cc(マカン)
  • 2,894 cc(マカンS、マカンGTS)
  • 直列4気筒ターボ
  • V型6気筒ツインターボ
4WD 5 ミドルサイズクロスオーバーSUV
タイカン 800 Vリチウムイオン電池 永久磁石同期モーター RWD/4WD 4/5 電気自動車

過去のモデル

市販モデル

スペシャルモデル

軍用車両

※開発に関わったもの

トラクター

日本では、1962年から1966年にかけて井関農機が一部のポルシェトラクターを輸入販売し、その後ポルシェトラクターを参考に日本の気候や風土に合わせたヰセキオリジナルのトラクター「ヰセキトラクターTBシリーズ」を開発し、1964年に販売を開始した。

  • ポルシェ・タイプ110トラクタ
  • ポルシェ・APトラクタ
  • ポルシェ・ジュニアトラクタ
  • ポルシェ・スタンダードトラクタ
  • ポルシェ・スーパートラクタ
  • ポルシェ・マスター
  • ポルシェ・309トラクタ
  • ポルシェ・312トラクタ
  • ポルシェ・329トラクタ
  • ポルシェ・108Fトラクタ
  • ポルシェ・R22トラクタ
  • ポルシェ・AP16トラクタ

試作車・その他

生産拠点

グミュント工場
最初の工場は第二次世界大戦の疎開先であったオーストリアのグミュント工場であった。ここでポルシェはメーカーとしてスタートし、ポルシェ・356の試作2台と量産50台を生産した[2]
ツッフェンハウゼン工場
接収されていたシュトゥットガルト本社の返還交渉を進めながら、1949年、本社の隣にあったロイター(現レカロ)の敷地を一部借りることができた。そしてロイターにボディー生産を依頼、組み立てをポルシェで行なうという方法を採り、生産性が格段に向上した。1950年4月にこの工場からドイツ生産された最初のポルシェ・356が出荷された[12]。現在でもこのツッフェンハウゼン (Zuffenhausen) 工場がポルシェの主力工場である。工場は大小4つの建物からなり、販売拠点であるポルシェセンターやポルシェ博物館、修理・特注工場が併設されている。
ヴァイザッハ研究所
研究開発部門であり、設計開発とテストが行なわれており、またレース用車両を製造している。新型車だけでなく現行モデルの改良や社外からの依頼に伴う設計開発も行なう。1969年に建設が始まり、1972年に完成した。敷地は465000 m2に及び、その大部分を通称「カンナム」「マウンテン」「サファリ」という3つのテストコースが占める。「カンナム」は外周を回る2.531 kmの高速コースである。「マウンテン」はカンナムコースと一部を共用し登り降りやきついコーナーを組み合わせた2.879 kmのコースで、操縦性を検討するためのものである。「サファリ」は内側にあるダートコースで、ラリー車両検討の他に外国から注文を受けた戦車の性能チェックに使われる[13]
ライプツィヒ工場
生産能力増強のため、旧東ドイツ地区ライプツィヒ に新しい工場を建設し、2002年8月に稼動開始した。テストコースも備える広大な敷地に近代的な外観と設備を備えるライプツィヒ工場は年間3万台超の生産能力を持ち、現在最も販売好調なカイエンパナメーラマカンの生産を行なっている。2006年まではカレラGTの生産も行っていた。
アウディ
ポルシェ・924の生産はアウディに委託され、ネッカーズルム工場にて生産された。
フォルクスワーゲン
ポルシェ・カイエンは、姉妹車であるフォルクスワーゲン・トゥアレグアウディ・Q7とともに、スロバキアマルチンのフォルクスワーゲン工場で生産される。部品製造の一部も行なわれる。
ヴァルメト・オートモーティブ
ボクスターが販売好調のためフィンランドヴァルメト・オートモーティブにボクスターの生産を委託。その後ケイマンの生産も委託し、徐々にフィンランド製の割合が引き上げられ、2007年からボクスターとケイマンの生産はすべてフィンランドで行われている。この2車種については2011年までフィンランドで生産されている。
カルマン
2008年6月にボクスターとケイマンの生産を2012年からマグナ・シュタイアへ移すという発表があったが、この契約は2009年12月に破棄され、フォルクスワーゲン傘下のカルマンで生産されることになった[14]。カルマンはポルシェ・356の生産も一部担当したことがある。

主な子会社

モータースポーツ

耐久レース

ポルシェは積極的にモータースポーツ活動を行い、レーシングカー・コンストラクターとしても数多くのマシンを製造している。ロードカーにおいても「カレラ」や「パナメーラ」、「タルガ」といったレースにちなんだ名称を用いている。様々なレース活動の中でも耐久レースにおける成功は顕著であり、世界三大レースのひとつであるル・マン24時間レースで歴代最多の19勝を挙げるなどして、「耐久王ポルシェ」という名声を得てきた。

初期のポルシェは2リッター以下のクラスを主戦場とし、タルガ・フローリオなどのテクニカルコースでは上位クラスを喰う戦果を残した。911の強制空冷式水平対向6気筒エンジンを基にして、1966年の906より本格的にスポーツプロトタイプを開発。総合優勝を狙うため水平対向8気筒908水平対向12気筒917を投入し、1970年に念願のル・マン初制覇を果たした。1970年代は北米のCan-Amシリーズで917用ターボエンジンを開発し、市販車の911ターボ(930型)へ還元。ヨーロッパではグループ4に934、グループ5(特殊プロダクションカー、シルエットフォーミュラ)に935、グループ6に936とターボ車を投入し、いずれもほぼポルシェ一強となった。

初期の日本グランプリにも、プライベーターの手によってポルシェのレーシングカーが輸入され、日産/プリンストヨタのワークス勢を打ち破った。

1982年よりグループC規定が導入されると956962Cを送り出し、ワークスの他にもヨーストブルンクレマーといった有力チームによって一大勢力が築き上げられた。全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権へもノバ・エンジニアリングを介して多数のマシンが来襲し、日産トヨタなどの国産マシンにとっては越えなければならない壁となった。このJSPCにおいてポルシェで4度王者に輝いたのが高橋国光である。

1980年代末期にポルシェは一度マシン開発を止めてしまうが、1994年以降クレマー、ダウアー、ヨーストといったプライベーターたちが、ポルシェエンジンを積んだプロトタイプカーでル・マンを席巻。1994、1996、1997年を制覇し、ワークスも1998年のル・マンをGT1規定の911 GT1で制覇。これを区切りに再びワークスは撤退し、「新耐久王」アウディと入れ替わる形でプライベーターたちも姿を消していった。

しかし北米では00年代後半からプライベーター向けのLMP2の方が有利と見て、RSスパイダーを投入し、アウディを始めとするLMP1勢を破る下克上を果たした。

2013年よりFIA 世界耐久選手権 (WEC) のLM-GTE Proクラスに911RSR991型)で参戦[15]。2014年より最高峰のLMP1クラスに919ハイブリッドで参戦し[16] 、2015年、2016年、2017年のル・マン24時間レースにおいて3連覇をして19勝目を達成したが、2017年シーズンをもって撤退した。

2020年12月、2023年からLMDh (LeMans・Daytona・h) でWECとIMSA ウェザーテック・スポーツカー選手権の最高峰クラスに復帰することが発表された[17]。マシン名は963で参戦する[18]

F1

ポルシェ
参戦年度 1958 - 1964
出走回数 31
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 1
通算獲得ポイント 47
表彰台(3位以内)回数 5
ポールポジション 1
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1958年 オランダGP
初勝利 1962年 フランスGP
最終勝利 1962年 フランスGP
最終戦 1964年 オランダGP
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1957年、フォーミュラ2が1.5 LエンジンになるとRSKスパイダーをシングルシーターに改造した718で参戦し、1960年にはコンストラクターズ・チャンピオンを取得した。1961年からフォーミュラ1が1.5 Lエンジンになるとフォーミュラ1へステップアップ。当初は水平対向4気筒エンジンを搭載した7871962年は水平対向8気筒エンジンを搭載した804で戦い、ダン・ガーニーのドライブによりフランスグランプリにて1勝を挙げた。

マクラーレンMP4-2BTAGポルシェ (1985年)

マクラーレンからのオファーを受け、1983年から1987年まで1.5 L V6ターボエンジンを供給した(バッジネームは資金提供元のTAG)。特に1984年から1985年にはニキ・ラウダアラン・プロストによってドライバーズ・タイトル、コンストラクターズ・タイトルを獲得。翌1986年もプロストのドライバーズ・タイトル獲得に貢献した。

ターボ禁止後の1991年、フットワークへ3.5 L V12エンジンを独占供給した。917の水平対向12気筒と同じように6気筒を2つつなぎ合わせ、クランクシャフトの中央からスパーギヤでバンク中央のシャフトに出力するセンターテイクオフを採用したが、200 kgと重いうえに大きく、燃費も悪い上、更にパワーも出なかった[注釈 3]。また、実際のエンジンのサイズとポルシェからリークされたサイズが大幅に違い、フットワーク・アロウズはその対応に追われてしまった。 実はこのエンジンは、もともと1987年のシーズンオフにマクラーレンに提案されていたのだが、当時のデザイナーであったゴードン・マレーから大きすぎると却下をくらったいわくつきの代物で、フットワーク・アロウズは3,500万ドルを投じたものの、あまりの信頼性のなさにシーズン半ばでコスワースDFRに換装し、ポルシェは事実上の撤退を余儀なくされた。 ちなみに、このエンジンの供給を最後まで争ったのが、レイトンハウスであり、フットワーク・アロウズが貧乏くじを引く結果となった。

その他のレース

カレラカップ・スカンジナビア(2010年)
  • 911ワンメイクによる「ポルシェ・カレラカップ」の国際シリーズや地域シリーズを開催している。IMSAスーパー耐久などでは、このカップカーに小規模な改造を施すことで他のGTマシンと戦うことが認められていたことがあった。
  • ラリー・モンテカルロで911Tおよび911Sを擁して1968〜1970年に3年連続ワンツーフィニッシュを達成し、ミニ・クーパーの覇権を破った。またWRC(世界ラリー選手権)の前身となる、IMC(国際マニュファクチャラーズ選手権)では初代マニュファクチャラーズチャンピオンとなっている。現在はグループR-GT仕様の911のラリーカーのデリバリーが行われている。
  • ダカール・ラリーではグループB規定の959が投入され、1986年に1-2フィニッシュで総合優勝を果たしている。
  • 北米のCARTシリーズでは、1988年から1990年まで2.65 L V8ターボをマーチのシャーシに搭載して参戦した(ポルシェ・ノースアメリカ)。しかし、シボレーエンジン(イルモア)やフォードエンジン(コスワース)の牙城を崩せず、テオ・ファビが獲得したポールポジション2回、優勝1回のみに終わった。
  • SUPER GTでは2012年にエンドレスタイサンがGT300クラスのチャンピオンを獲得した。また前身のJGTCでも1994・1996年にGT2/GT300チャンピオンとなっている。

日本での販売

ポルシェセンターみなとみらい(インプロブ:SKYグループ)

1998年以降、日本ではポルシェが100%出資する日本法人であるポルシェ・ジャパンが正規輸入を行なっている。

1952年(昭和27年)から1997年(平成9年)末まで、ミツワ自動車(当初の社名は「三和自動車」)が、輸入総代理店として輸入・販売を行なっていた。

ミツワによる輸入販売体制のもと、1990年(平成2年)秋に発売された1991年モデルからは主要モデルにエアバッグがオプション設定されたほか、全シリーズに右ハンドル仕様が用意された[19]。また、1995年(平成7年)には、それまで1,000万円超であったポルシェ・911の新車価格を910万円に引き下げるなど、日本におけるポルシェのユーザー層拡大に努めた。

一方、ポルシェ本社が、「主要輸出市場では、販売・流通を直接管理する」との方針によりアメリカ合衆国イギリスイタリアスペインオーストラリアなどの現地法人を直営化しており[20]、日本でも1995年(平成7年)に100%出資の子会社「ポルシェ自動車ジャパン株式会社」を設立した。同社は1997年(平成9年)、「ポルシェジャパン株式会社」に改称、翌年1月からはそれまでのミツワ自動車から日本への輸入権が移管され、輸入業務を開始した[21]。この際、輸入権を失ったミツワ自動車は一正規ディーラーとして再出発することとなった[22] 。後年正規ディーラー事業から撤退し、ポルシェ中古車の販売および整備サービスを行なっていたが、2022年7月31日付けで自動車事業を終了した。

1998年には富士重工業(現:SUBARU)と販売協力で提携し、全国数箇所のスバル販売会社がポルシェの正規ディーラーも運営するようになった[23]。スバルがトヨタ自動車グループ入りしてからも関係は続いていたが、2018年に、メーカー資本ディーラーの「福岡スバル」「東京スバル」が相次いで他社にディーラー権を譲渡している(福岡スバル→ヤナセ[24]。東京スバル→コーンズ)。販売を続ける一部の独立資本系地方ディーラー(静岡・埼玉など)も、ディーラー運営をグループ会社に移管している。

なお、日本市場でもミツワ時代から長きにわたり、左ハンドル車中心の販売施策が取られてきたが、2014年(平成26年)のマカン発売以降は商品ラインナップを原則的に右ハンドル車に一本化し、左ハンドル車は一部の車種・グレードにおいて期間・台数限定で受注する方針にシフトしつつある。

ポルシェ・エクスペリエンスセンター東京

千葉県木更津市に所在する。2021年(令和3年)10月1日に正式オープン[25][26]

不祥事・事件

排出ガス規制不正問題

フォルクスワーゲン車の排出ガス規制不正問題(フォルクスワーゲン#排出ガス規制不正問題)はポルシェにも波及し、3リットルV6ディーゼルエンジンを搭載した2015年モデルのポルシェ・カイエンにも不正ソフトウェアが発見されたと米環境保護局が発表した[27]

エピソード

  • 1980年代には911のエンジンをベースにしたPFM3200軽飛行機エンジンの市場に参入したが、参入時期が市場低迷期間に重なり、80基あまりを製造したのみで1991年に撤退した。
  • 山口百恵の持ち歌である「プレイバックPart2」(1978年)の中に「真っ赤なポルシェ」という歌詞が登場するが、実在の企業名・商品名を極力報道しないNHKでは特別番組「第4回ヤング歌の祭典」(1978年5月2日放送)で「真っ赤な」と置き換えられた。しかし1978年末「第29回NHK紅白歌合戦」等、その番組以外では元の歌詞どおり「真っ赤なポルシェ」と歌われている。
  • ドイツの自動車メーカー間においては250 km/hのスピードリミッターが装着されるよう紳士協定が結ばれているが、ポルシェは加盟していない[28]
  • コンピュータゲームにおいてのポルシェの使用権は以前、エレクトロニック・アーツの『ニード・フォー・スピードシリーズ』に独占付与されていた。このため他社はポルシェをゲームに登場させることはできず、『グランツーリスモ』シリーズなど他のレーシングゲームではRUFによるカスタムカーを代わりに収録することが見られた。
    • マイクロソフトから発売されているレーシングゲーム『Forza Motorsport』シリーズにおいては、『3』においては最初から収録されていたが『4』では当初収録されず後に有料DLCとして配信された。これは『4』発売時点ではEAとの交渉がうまくいかず収録が見送られていたが[29]、その後妥結してDLCとして配信できるようになった模様である[30]
    • Forza Horizon 2』の時点では3社の共同契約という形となっている[31] が、これもあくまでEAからのサブライセンスという形である模様[32]。『Forza Horizon 2』では2015年6月9日よりXbox ONE版のDLCとして配信されており[31]、また『Forza Motorsport 6』でも2016年3月1日よりDLCとして配信されている。
  • 2016年12月、EA社とポルシェ社との17年間及んだライセンス契約を2016年をもって終了すると発表された。これにより今後はEA社以外のゲームでもポルシェの収録が可能になり、またマイクロソフトもEAからのサブライセンスではなくポルシェ自身から直接ライセンスを受けての収録が可能になる[33]
    • これを受け、2017年4月にはソニーがグランツーリスモシリーズの最新作『グランツーリスモSPORT』でのポルシェ911 GT3の映像を掲載した[34] 一方、マイクロソフトも『Forza Horizon 3』でのカーパック配信を始めとするForzaシリーズ向けのパートナーシップを発表した[35]
  • ポルシェが正式にデリバリーした最初のモデルは、ポルシェ356であるが、第二次世界大戦以前の1939年に製造に関与したレース用車両が1台現存しており「ポルシェ64」と呼ばれている。ポルシェ64は、2019年にサザビーズオークションにかけられたが最低価格に届かず不落となった[36]

ポルシェが好きだった著名人

注釈

  1. ^ 日本語に直訳すると、「F(フェルディナント)・ポルシェ名誉工学博士株式会社」となる。社名に含まれる "F. Porsche" は創業者、"Dr. Ing. h.c." は創業者の肩書である。
  2. ^ 日本の自動車検査証における車名も「ポルシェ」となっている。
  3. ^ 公称650馬力とポルシェは言い張ったが、実質的には500馬力も出ていなかった。

脚注

注釈

出典

  1. ^ ネコ・パブリッシング 1993, p. 27.
  2. ^ a b 松田コレクション 1981, p. 13.
  3. ^ ジャーマン・カーズ 2009b, p. 17.
  4. ^ 輸入車ガイドブック 1993, p. 192.
  5. ^ ジャーマン・カーズ 2009a, p. 60.
  6. ^ 講談社 1978, p. 122.
  7. ^ 講談社 1978, pp. 184–185.
  8. ^ 独VW傘下のポルシェ、フランクフルトに上場-株価上昇”. ブルームバーグ (2022年9月29日). 2022年9月30日閲覧。
  9. ^ WORLD MOTOR VEHICLE PRODUCTION 2008 GROUP : PORSCHE, OICA
  10. ^ a b 株式会社インプレス (2020年1月15日). “ポルシェ、2019年の世界新車販売台数は28万800台。「カイエン」「マカン」が大幅な伸びに貢献”. Car Watch. 2020年7月29日閲覧。
  11. ^ 株式会社インプレス (2020年1月9日). “ポルシェ、日本で販売好調。2019年も国内新規登録台数が過去最高”. Car Watch. 2020年7月29日閲覧。
  12. ^ ネコ・パブリッシング 1993, p. 49.
  13. ^ 講談社 1978, p. 173.
  14. ^ Autocar: Porsche cancels Magna contract
  15. ^ "ポルシェニュース 新型991RSRがWEC、ル・マンに挑む". 911 DAYS.(2013年3月29日)2013年7月20日閲覧。
  16. ^ "ポルシェ、14年から参戦の新LMP1車両を公開". オートスポーツweb.(2013年6月12日)2013年7月20日閲覧。
  17. ^ "[1]". オートスポーツweb.(2020年12月16日)2020年12月16日閲覧。
  18. ^ その名は『ポルシェ963』に決定! 2023年のWEC/IMSAに投入するLMDh車両の詳細発表”. autosport web. 2022年6月25日閲覧。
  19. ^ ミツワが91年モデル、ポルシェ全車種に右ハンドルを設定 『日経産業新聞』 平成2年9月3日 9面
  20. ^ [2]
  21. ^ [3]
  22. ^ ミツワ自動車、ポルシェ車輸入、独社と和解 -日本法人と販売契約へ 『日経産業新聞』 平成10年1月13日 13面
  23. ^ 富士重工業1998/1/19発行分プレスリリース
  24. ^ - 福岡県で子会社を設立、ポルシェ正規ディーラー拠点を運営 - - ヤナセ 2018年6月29日(2018年6月29日閲覧)
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  41. ^ あの「白洲次郎」が、愛車を手放した理由とは? livedoor NEWS
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参考文献

  • 『ポルシェ』 1巻、ネコ・パブリッシング〈ワールド・カー・ガイド〉、1993年。ISBN 4-87366-090-4 
  • 松田コレクション 編『ポルシェ博物館/松田コレクション』松田コレクション出版部、1981年。 
  • 『ジャーマン・カーズ 2009年8月号 夢のSUPERドイツ車ファイル』、ぶんか社 
  • 『ジャーマン・カーズ 2009年11月号 ポルシェとベンツのイイ関係』、ぶんか社。 
  • 輸入車ガイドブック 1993』、日刊自動車新聞社 
  • 講談社 編『われらがポルシェ ポルシェなんでも事典』講談社、1978年。 

関連項目

外部リンク