フェラーリ

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フェラーリ
Ferrari S.p.A.
ファイル:Ferrari F40 01.jpg
種類 子会社
本社所在地 イタリアの旗 イタリア
Via Abetone Inferiore, 441053, マラネロ
設立 1947年
業種 自動車製造
事業内容 自動車の製造、販売
代表者 ルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ会長社長
ピエロ・ラルディ・フェラーリ:副社長
アメデオ・フェリーサCEO
ジャンカルロ・コッパ:CFO
売上高 17億7800万ユーロ(2009年時点)
従業員数 2926人(2007年)
主要株主 フィアット
ピエロ・ラルディ・フェラーリ
ムバダラ・ディベロプメント・カンパニー
関係する人物 エンツォ・フェラーリ(創業者)
外部リンク フェラーリ公式ウェブサイト
(日本語)
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フェラーリ(Ferrari S.p.A)は、イタリアモデナ県マラネッロに本社を置く自動車メーカーである。フィアットグループの傘下で、高級グランツーリスモ及び高級スポーツカーのみを製造している。

沿革

写真左がエンツォ
125S(1947年)
340(1953年)
250GTカリフォルニア・スパイダー(1958年-1961年)
250GTベルリネッタ(1959年-1962年)
275GTB/4(1964年-1968年)
ディーノ246(1969年-1974年)
308(1975年-1985年)
テスタロッサ(1984年-1991年)
F355(1994年-1999年)
550バルケッタ(2000年-2002年)
カリフォルニア (2008年-)

創立

1929年に、アルファ・ロメオのセミワークスレーシングチームとして、エンツォ・フェラーリとその友人により設立された「スクーデリア・フェラーリ」が前身である。フェラーリは1932年まで自身もスクーデリア・フェラーリのレーシングドライバーとしても活躍していた。

その後1939年にイタリアが第二次世界大戦に参戦し、レース活動が禁止されるとフェラーリは工作機械製造の経営者となった。その後1943年8月にイタリアが連合国に降伏するとマラネッロに自前の自動車工場を設立し、自前のレーシングカーを開発するようになった。

市販車製造

フェラーリの市販車第1号は1947年に製造された「125S」であった。その後「340アメリカ」 (1951年)や「340メキシコ」(1952年)など、海外レースへの参戦に合わせて海外市場も考慮したモデルを投入したが、いずれもレースに参戦する費用の捻出のために旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして仕立て上げ、貴族や富豪などを中心に販売していたものであった。

その後「250」シリーズで初めてレーシングカーを基にしない市販車の製造を開始した。しかしながら、初代「250」は「暑い」、「うるさい」、「乗り心地が悪い」、「故障が多い」など不評も多かった。しかしその後、シリーズを重ねるごとに改良は進み操作性や快適性は増して行き、当時「世界最速の2+2」と称された「250GTE」などいくつかのモデルは純粋なレーシングカーからは離れて行った。

しかし、「250MM」や「250GTO」をはじめとしてその多くがレース参戦のためのホモロゲーション取得を目的としたもの、もしくは多少のモディファイをすることで各種レースへの参戦も可能としたもので、実際にエンツォは自社の市販車に「スポーツカー」という言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでさえいた[1]

高い評価

その後フェラーリの市販車は、品質や機能性を高めて行き生産台数を順調に増やして行ったものの、その価格は依然として高価なものであった。しかし、これらのフェラーリの市販車は、F1をはじめとするレースにおける活躍によるブランドイメージの向上や性能の高さ、デザインの美しさが高い評価を受けて、ヨーロッパやアメリカを中心に高性能市販車としての地位を確固たるものとして行った。

また、欧米においては王族や貴族などの上流階級や、スポーツ選手や映画俳優などの著名人といったセレブリティが愛用し、その姿が世界各国のニュース映画や雑誌の紙面を飾ったこともそのブランドイメージを押し上げる結果となった。なおフェラーリは、現在に至るまで自社製品の広告を全く行わないことでも知られている[2]

エンツォは「12気筒エンジン以外のストラダーレ(市販車)はフェラーリと呼ばない」と公言していたという逸話が残っており[3]、この逸話通りこの頃生産されていたすべての市販車はV型12気筒エンジンを搭載していた。なお、「250GTルッソ」(1964年)や「275GTB/4」(1966年)をはじめとして、1973年にデビューした「365GT4BB」から1995年に生産を中止した「512TR」までの期間を除き、現在のトップモデルの「599」に至るまで、限定生産車を除く市販車のトップレンジを担っているのは常にフロントエンジン(FR)、V型12気筒のモデルである。

フィアット傘下へ

このように市販車は高い名声を勝ち取ったものの、過剰なレースへの投資や価格が高い12気筒エンジン車へのこだわりなどが響いて、1960年代にはフェラーリの経営が苦境に陥り、1963年にフォードから買収を持ちかけられるが[4]買収金額をめぐって交渉は決裂し、1969年にイタリア最大の自動車メーカーであるフィアットの援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。なお、この買収の決裂を受けてフォードは後に独自のスポーツカー「フォード・GT40」を開発し、その資本力に物を言わせてル・マン24時間レースでフェラーリを打ち破り、一矢報いることになる。

フィアットの傘下に入った後、F2へのエンジン供給のためのホモロゲーション獲得のためもあり、市販車向けの6気筒エンジンが開発されることとなり、「ディーノ・206/246」と、2+2モデルである「208GT4/308GT4」に搭載された。なおこれらの6気筒エンジン搭載車は、前述の「12気筒エンジン以外のストラダーレ(市販車)はフェラーリと呼ばない」というエンツォの言葉通り、フェラーリの名が冠されることは無かった(「208GT4/308GT4」のみ後にフェラーリの名が冠されることとなった)。

なおその後、フィアットグループ内でこの6気筒エンジンがやりとりされることとなり、フィアットからは「ディーノ・クーペ/スパイダー」、ランチアでは「ストラトス」が生まれた。マーケティング的配慮からなのか、このエンジンはキャブ、カム、ピストンに至るまでフェラーリ、フィアットともにまったく同じ仕様で、排気レイアウトの関係上フィアットの方が有利なのにもかかわらず馬力が少ない表示となっていた。

また、フィアットの傘下に入ったことでスクーデリア・フェラーリ部門、市販車部門ともにフィアットからの人員を受け入れることになる。その1人であり、1970年代中盤にエンツォの指揮下でスクーデリア・フェラーリのF1部門を立て直したのが、2011年現在会長を務めるルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロである。その後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いてレースのみに専念することとなる。

V型8気筒エンジンの登場

そして市販車部門を親会社のフィアットの意向が支配するようになった結果、6気筒エンジンを搭載した「206/246」に代わるフェラーリの最廉価モデルかつMRの量産2シーターとして、新たに開発されたV型8気筒エンジンを、ピニンファリーナレオナルド・フィオラヴァンティがデザインしたFRPボディに搭載したスモールフェラーリ「208/308」シリーズが1975年に生まれた。

V型8気筒エンジン搭載モデルは、「208/308」の後継モデルの「228/328」や、「208GT4/308GT4」の後継モデルの「モンディアル」と併せて2万台以上が生産されるフェラーリ史上最大のヒット作となった。

さらに「208/308」と「モンディアル」のV型8気筒エンジンは、ランチアのレーシングマシンや「テーマ8.32」に使用された[5]。このV型8気筒エンジンはやがて「328」、「348」へと発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、「F355」、「360」、そして現在の「458イタリア」にも連なるV型8気筒フェラーリの系譜となった。

なお、「208/308」のデビューとほぼ同時期の1973年には、名車と称された「365GTB/4」を引き継いでフェラーリのトップレインジを担うV型12気筒モデルとして「365GT4BB」が登場した。なお、同車はフェラーリの市販車として初めて最高時速300キロを超えるモデルとなった(公称時速302キロ)。「365GT4BB」は1976年に改良版である「512BB」に引き継がれ、さらに1984年には新設計の「テスタロッサ」とその後継の「512TR」へ引き継がれた。

エンツォ没後

1988年8月にエンツォが腎不全により没した後、1991年には、フィアットの創業者一族につながる家柄の出身で、1970年代にエンツォのもとでスクーデリア・フェラーリのチーム監督としてレース部門を立て直しワールドチャンピオン獲得に貢献したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロがフェラーリ社長に就任した。

エンツォ亡き後、『エンツォの居ないフェラーリはフェラーリ足り得るか』とも言われ、その行き先が危惧されたが、モンテゼーモロは就任後直ちに市販車部門の品質と生産効率の向上に着手し、「348」の改良版である「F355」や新たに開発した2+2モデルの「456GT」、 「550マラネッロ」や「360モデナ」などの新型車を開発、市場に投入した。

これらの新型車は、劇的な品質の改善による故障の低減や質感の向上、そして安全性の向上のみならず、セミAT「F1」やパワーステアリング、アンチロックブレーキやフルオートエアコンなどの投入による新たなオーナー層の拡大に成功し、世界各国の市場においてこれまでにない好調な業績を上げた。

さらに、新体制を敷いたスクーデリア・フェラーリのF1部門も、1990年代後半から2000年代後半にかけて、コンストラクターズ部門で複数年連続でタイトルを奪取するなど絶頂期を迎えることとなった。新体制を率いて改革を成し遂げたモンテゼーモロはその手腕を買われ、2004年6月に親会社フィアットの会長に就任し、フェラーリの傘下にマセラティを加えて長年経営状況が安定しなかった同社を復活させ、さらには苦境に陥ったフィアットをも建てなおした。

現在

2007年には設立60周年を迎え、2008年には初のクーペカブリオレである「カリフォルニア」を発売したほか、同年にはアジアでは初の現地法人として日本法人を立ち上げるなど積極的な事業展開を進めた結果、世界経済が低迷する中でもヨーロッパ諸国や日本、アメリカなどの主要市場で好調な販売実績を維持した[6]

近年には環境対策に力を入れており、2009年にはフェラーリ初のV型8気筒直噴エンジンを搭載した「458イタリア」の販売を開始したほか、2010年にはフェラーリ初のハイブリッド機能「HY-KERS」を搭載した「599 HY-KERS」を公開した[7]

また同年には、フェラーリ初のアイドリングストップ機能「HELE」を搭載した「カリフォルニアHELE」を発表した[8]。「HELE」システムは「458イタリア」や、2011年に発表された、フェラーリ初の4輪駆動システムを持つV型12気筒直噴エンジン搭載のシューティングブレークFF」(フェラーリ・フォー)にも搭載されている。

車種一覧

現行車種

現在販売されている全車種が日本に正規輸入されている。なお現在、日本国内の正規販売代理店で販売されている458イタリア、カリフォルニアとFFには、7年間のフェラーリ純正メンテナンスが無償で付帯している。

全車種ともにフェラーリ純正パーツやアクセサリーを選択できるのみならず、「カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム」によって内装色や外装色、内装の素材などを好みの色や仕様に注文することができる(追加料金が必要)ほか、全車種ともにハンドル位置は左双方選ぶことが可能である。なお、「カロッツェリア・ スカリエッティ・プログラム」に対応した専用施設として、マラネッロの本社や東京都のロッソ・スクーデリアなどいくつかの正規販売代理店のショールーム内に「フェラーリ・アトリエ」が設置されている。

V8
外観 車名 排気量 エンジン 駆動方式 座席数 解説
カリフォルニア 4297cc V型8気筒直噴DOHC FR(フロントミドシップ) 2+2 フェラーリ初のクーペカブリオレである。V型8気筒のFRも初。直噴エンジンも初。
458イタリア 4499cc V型8気筒直噴DOHC MR 2座 MRとしてはフェラーリ初の直噴エンジン搭載。スパイダーも用意される
V12
外観 車名 排気量 エンジン 駆動方式 座席数 解説
F12ベルリネッタ 6262cc V型12気筒DOHC FR 2座 フラッグシップモデル。2012年2月29日に発表された。
FF 6262cc V型12気筒DOHC 4WD 4座 2011年2月に正式発表されたフェラーリ初の4輪駆動車種[9]。「FF」は「Ferrari Four」の略。

過去の主な車種

  • 年数は発表・発売・デビュー年


コンセプトモデル

カヴァッリーノ・ランパンテ

フェラーリ本社に飾られた「カヴァッリーノ・ランパンテ」の紋章

後足で立ち上がった馬の紋章を使用するため「跳ね馬」の愛称を持つ。この紋章はイタリア語で「カヴァッリーノ・ランパンテ」(Cavallino Rampante )といい、「Rampante」は紋章用語で「気負い立ち」を意味するため、直訳では「気負い立ち馬」であるが、英訳では「(後肢で前へと)跳ねる馬」(Prancing Horse )となっている。

本来この紋章は、イタリア空軍のエースのフランチェスコ・バラッカが、空軍に移る前に所属していたイタリア陸軍の第11山岳騎兵連隊の紋章であった[10]

その後バラッカは空軍に移り、第一次世界大戦時にはイタリア空軍第91飛行隊に所属、それに伴いこの紋章も第91飛行隊のエンブレムとなっていた。その第91飛行隊にエンツォ・フェラーリの兄のアルフレードが所属していた縁で、「エンツォがバラッカの母から使用の許可を得てフェラーリの紋章とした」と言われている。

しかしながら、英雄の母親とは言え息子の部隊章の使用許可を与える権限などあるはずもなく、この話はエンツォの創作とも言われている。なお実際にどのような経緯で紋章となったかについては諸説ある。

コーポレートカラー

「ジャッロ・モーデナ」塗装が施されたF430

フェラーリの「イメージカラー」としては赤が非常に有名であり、赤がコーポレートカラーであるというイメージが浸透しているが、この色はそれ以前にモータースポーツにおけるイタリアのナショナルカラーであり、アルファロメオやチシタリアスクーデリア・イタリアなど他のイタリアの自動車会社やレーシングチームでも使用されている。

本来のフェラーリのコーポレート・カラーは会社があるモデナ県のカラー「黄色」で、それを裏付けるかのようにフェラーリの黄色い外板色の名前は「ジャッロ・モーデナ」である[11]

現在では赤色も暗黙のうちにコーポレートカラーに含まれているので、量産車のカラーオーダーメイドプランでは、赤色と黄色は原則として取り扱いをしない。また、量産車の新車発表時には、赤色と黄色の車両を用意するように配慮されている。

オーナー向けサービス/イベント

フェラーリの本社(正門)
マラネッロの本社工場
個人所有のF1マシン
FXX
  • フェラーリ・コンシェルジュFerrari Concierge) - 日本国内においてフェラーリがオーナーに提供する下記の各種サービスの利用や問い合わせ、イベントへの参加や問い合わせを行う場合のサービス窓口。他にも、オーナー限定のマラネッロの本社工場見学ツアー「ファクトリー・ツアー」や、本社に隣接した博物館「ガレリア・フェラーリ」見学の手配も行っている。また、オーナー以外による各種問い合わせの窓口ともなっている。なお、日本以外の主要市場においても同様の名称で設置されている。
  • フェラーリ・ロードサイド・アシスタンスFerrari Roadside Assistance) - 24時間対応のフェラーリ専用のロードサイド・アシスタンス・サービス。路上や自宅などにおけるバッテリー上がりや故障などの対応を行う。正規販売代理店で販売されたフェラーリのみがこのサービスを受けることが出来る。
  • コルセ・クリエンティCorse Clienti ) - フェラーリで各種モータースポーツ活動に参加するオーナーをサポートする部門。ワンメイクレースであるフェラーリ・チャレンジへのサポートのみならず、F1マシンを所有するオーナーへのサポートや、サーキット専用車の599XXとFXXなどのプログラムのマネージメント及びオーナーへのサポートも行う。なお、正規販売代理店で販売されたフェラーリの市販車のオーナーに限り、数年落ちのF1マシンを購入することが可能である。
  • フェラーリ・チャレンジFerrari Challenge) - フェラーリ・458チャレンジによるワンメイクレース。コルセ・クリエンティの元で行われ、これまでにイタリアとヨーロッパ諸国、日本、アメリカで開催されてきており、2011年度は初のアジア・パシフィック選手権が日本をはじめとしたアジア各国で開催される。
  • ピロタ・フェラーリPilota Ferrari): - フェラーリのオーナー向けに、プロのレーシングドライバーを講師として招いて開催されるドライビングスクール。初級者向けからフェラーリ・チャレンジ経験者向けまで4つのクラスが用意されており、年数回イタリアやアメリカ、中華人民共和国のサーキットで開催される。
  • フェラーリ・レーシング・デイズFerrari Racing Days) - フェラーリ・ジャパンの主催により毎年1回行われるオーナー向けの祭典。2009年と2010年は「フェラーリ・フェスティバル」の名で富士スピードウェイで行われており、2010年度には600台を超えるフェラーリが参加した。参加はフェラーリ各車種とそのオーナーに限られるが、オーナー以外による観覧も可能である。
  • フェラーリ・クラシケFerrari Classiche) - マラネッロの本社内におかれた本部において、生産開始から20年以上経ったクラシック・フェラーリとF1マシンヤ限定車種のオーナーに対するレストアやメンテナンスサービス、技術的なアシストを行う。また、これらのフェラーリに対する鑑定を行い、パスした車体に対して真贋鑑定書も発行する[12]
  • フェラーリ純正パーツ/アクセサリーFerrari Genuine) - 正規販売代理店と正規サービスセンターのみを通じて供給する、フェラーリの社内品質基準と各国の車検基準に適合した純正パーツ及び純正アクセサリー[13][14]。「フェラーリ・クラシケ」の鑑定をパスするためには純正パーツ/アクセサリーのみが使用されていることが必要である。
  • フェラーリ・アプルーブドFerrari Approved) - 正規販売代理店で発売される中古のフェラーリに適用される認定中古車制度。対象車には、納車前の190項目に及ぶ点検や、車歴に応じてエンジンやトランスミッション、サスペンションなどへの12カ月間および走行距離無制限の補償と証明書が与えられる他、24時間/365日対応のロードサイドアシスタンスなどの「フェラーリ・パワー補償」が付帯される[15]
  • フェラーリ・マガジンFerrari Magazine) - フェラーリが発行しているオーナー向け雑誌。日本においては新車を正規販売代理店で購入した最初のオーナーに3年間無償で送付される。また、それ以降も有償で定期購読が可能な他、オーナー以外でも有償で定期購読が可能である。コンデナスト・パブリケーションズにより編集されており、英語版のみが用意されている。
  • フェラーリ・クラブ・オブ・ジャパンFerrari Club of Japan) - 日本最大かつ日本国内においてフェラーリ社が公認している唯一のオーナーズクラブ[16]。入会には現会員2名の推薦が必要である。

その他

「フェラーリ・ストア」ミラノ店
  • 古くから左側通行のイギリスを主要市場としていることから、右ハンドルがほぼ全部の車種に用意されている。なお、イギリスと並ぶ重要市場となった日本で販売されている全車種にも右ハンドル仕様が用意されている。しかし日本の正規代理店経由車の場合は左ハンドル車がほとんどである。(フェラーリジャパン経由の458ITALIAの場合、2010年12月から右ハンドル車の納車が始まった。)
  • ローマミラノ、アブダビやドバイにある「フェラーリ・ストア(Ferrari Store)」の店舗や公式ウェブサイト内で、フェラーリの公式グッズやミニチュアカー、衣類や純正パーツなどを利用した装飾品の販売を行っている。
  • トッズジラール・ペルゴダミアーニオフィチーネ・パネライなどの高級ブランドエイサープーマなどのスクーデリア・イタリアの公式スポンサーや公式サプライヤーとのコラボレーション商品が発売されている。
  • 知的財産権に関する取り組みとして、1999年にマテルがフェラーリと商品化権を独占的に使用する締結を結び、これ以降他社はフェラーリのミニカーを基本的に生産、販売できなくなり、世界中の自動車メーカーが商品化許諾の表記を掲載するようになった。
  • 2010年には、アラブ首長国連邦アブダビにフェラーリのテーマパーク「フェラーリ・ワールド」を開設した[17]。同パーク内には、世界最高速を誇るジェットコースターやドライビングシミュレーター、フェラーリ本社前にある著名なレストラン「カヴァリーノ」の初の支店などがある。
  • 2004年にデビューしたF430のエンジンは、傘下のマセラティのクーペクアトロポルテと共有であり[18]、フィアット、ランチア、マセラティとその心臓部分を共有した歴史があるが、アルファ・ロメオとは共有したことがなかった。しかしアルファロメオ・8Cコンペティツィオーネの市販決定により、ついに母(アルファ)と息子(エンツォ)のコラボレーションが成立したことになる。

日本におけるフェラーリ

1965年-2008年

創立から1965年までは日本法人および正規輸入・販売代理店は存在しておらず、日本への輸入台数もごく少量に留まっていた[19]。1965年から1968年までは新東洋企業、1968年から1972年までは西欧自動車、1971年から1974年までは西武自動車販売、1975年から1978年まではロイヤル・モータース、1979年から2008年6月まではコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドが輸入、販売を担当していた。これらの会社はいずれもフェラーリ本社とは資本関係のない独立系のインポーター(輸入販売代理店)であった[20]

2008年以降

フェラーリにとって、イタリアやアメリカドイツイギリスと並ぶ主要市場である日本市場における販売およびサポート体制をより強化することを目的に[21]、2008年2月には日本法人の設立を発表[22][23]し、同年7月1日から東京都に本拠を置く日本法人であるフェラーリ・ジャパンが輸入業務を開始した[24]。現在は同社が日本国内における輸入及びマーケティング業務を行っている。

販売及び整備

2011年2月現在は、フェラーリ・ジャパンと正規販売代理店契約を結んだコーンズ・モーター(東京都大阪府愛知県)とロッソ・スクーデリア(東京都)、エムオート広島県)、ヨーロピアン・バージョン福岡県)の4社が正規販売代理店となっており、全国6拠点で新車の販売や認定中古車の販売、整備や正規パーツの販売などを行なっている。なおロッソ・スクーデリアには、イタリア国外で初のフェラーリ・アトリエが設置されている。また、Modena Sports Cars(北海道)とイデアル (輸入車販売)宮城県)、グランテスタ(長野県石川県)の3社が正規サービスセンターの指定を受けている。

関連項目

  • 関連する販売物
    • コルナゴ - フェラーリと共同開発した自転車を生産している。
    • アウトラン2 - 登場する車は全て正式にライセンスを出している。
    • F355チャレンジ - セガが1999年に発売したアーケード用レースゲーム。


脚注

  1. ^ 『幻のスーパーカー』福野礼一郎著、双葉社、1998年、P20
  2. ^ 各輸入代理店やディーラーによる広告は許可されている
  3. ^ 『こだわりのネーミングこそ名車の条件』Goo-net
  4. ^ 一説にはエンツォからアプローチしたともいわれるが、いずれにしても「向こうがその気なら話を聞いてやらんでもない」という感じの終始尊大な態度だったという。
  5. ^ ランチア・テーマ8・32の「32」は3.2Lではなく、32バルブの意である。
  6. ^ 『フェラーリ北米販売、過去最高…2010年実績』レスポンス 2011年1月17日
  7. ^ Openers 2010年3月5日
  8. ^ 『フェラーリ カリフォルニア、アイドルストップ採用』2010年10月1日 Response
  9. ^ Ferrari Four
  10. ^ 「バラッカが撃墜したドイツ空軍のパイロットが付けていたシュトゥットガルトの市章をモチーフにした」とする俗説は誤り
  11. ^ 社旗のデザインは社章の延長線上で黄色の旗に黒色でカヴァッリーノ・ランパンテを描く(或いは、加えて「Ferrari」のロゴが入る)だけのシンプルなデザインであり、サーキットなどで見かける赤色をベースにした旗は非公式のデザインである。
  12. ^ フェラーリ・クラシケ
  13. ^ Ferrari Genuine
  14. ^ コーンズ・モーター
  15. ^ カーセンサーNET
  16. ^ Ferrari Club of Japan
  17. ^ 『フェラーリのテーマパーク、アブダビに10月オープン』AFPBB 2010年07月23日
  18. ^ マセラティの方が先行採用
  19. ^ 『クルマの女王・フェラーリが見たニッポン』清水草一著、講談社刊 2006年
  20. ^ ブランド別インポーター(日本自動車輸入組合)
  21. ^ 『フェラーリ、業績ハイライトを発表』カービュー 2008年10月14日
  22. ^ フェラーリ、日本法人を設立…コーンズは正規代理店に - レスポンス(2008年2月22日)
  23. ^ フェラーリ事業の新体制について - コーンズニュース(2008年2月22日)
  24. ^ フェラーリ・ジャパン、輸入業務を開始 - レスポンス(2008年7月1日)

外部リンク

公式

正規販売代理店

正規サービスセンター

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