LOUDNESS

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。忍大全 (会話 | 投稿記録) による 2021年1月31日 (日) 14:51個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

LOUDNESS
2010年、ドイツにて
基本情報
出身地 日本の旗 日本大阪府
ジャンル ヘヴィメタル[1][2]
グラム・メタル
ハードロック[1]
プログレッシブ・メタル[2]
活動期間 第1期 (1981年 - 1988年
第2期 (1989年 - 1992年
第3期 (1992年 - 1993年
第4期 (1994年 - 2000年
第5期 (2000年 - 2008年
第6期 (2009年 - 現在)
レーベル 日本の旗 日本コロムビア
1981年 - 1985年
2000年 - 2001年
イギリスの旗 ミュージック・フォー・ネイションズ
(1984年 - 1986年)
日本の旗 ワーナーミュージック・ジャパン
1985年 - 1996年
アメリカ合衆国の旗 アトランティック・レコード
(1985年 - 1986年)
アメリカ合衆国の旗 アトコ・レコード
(1987年 - 1994年)
日本の旗 Rooms RECORDS
1997年 - 2000年
日本の旗 徳間ジャパンコミュニケーションズ
2002年 - 2013年
日本の旗 ユニバーサル・インターナショナル
(2014年 - 2017年)
日本の旗 ワードレコーズ
2018年 - )
ドイツの旗 earMUSIC
(2018年 -)
事務所 ビーイング
1981年 - 1983年
ラウドネス・ミュージック
1983年 - 1991年2001年
ジャングル
1992年 - 1993年
ジャップゴールド
1994年 - 2000年
ソルブレッド
2002年 - 2013年
カタナミュージック
2014年 - )
公式サイト loudnessjp.com
メンバー 二井原実ボーカル
第1期・第5期・第6期
高崎晃ギター
第1期 - 第6期
山下昌良ベース
第1期 - 第2期・第5期・第6期
鈴木政行ドラムス
第6期
旧メンバー 田中宏幸(ベース)
高崎プロジェクト期[3]
マイク・ヴェセーラ(ボーカル)
第2期
山田雅樹(ボーカル)
第3期 - 第4期
沢田泰司(ベース)
第3期
柴田直人(ベース)
第4期
本間大嗣(ドラムス)
第4期
樋口宗孝(ドラムス)
第1期 - 第3期・第5期

LOUDNESS(ラウドネス)は、1981年当時元レイジーのメンバーだった高崎晃樋口宗孝が中心になって結成された、日本のヘヴィメタルバンド[2][4]。現在のメンバーは、二井原実ボーカル)、高崎晃ギター)、山下昌良ベース)、鈴木政行ドラム)の4人である。レーベルはワードレコーズ、所属事務所はカタナミュージック

80年代中盤に海外進出し、ビルボードTOP100にアルバムを送り込んだ。さらにモトリー・クルーの前座ではあるものの、日本人アーティストとして初めて、「マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)」のステージに立つという快挙も成し遂げ、名実共に日本を代表するロックバンドとなった。

1989年以降、大幅なメンバーチェンジを繰り返し、一時期はオリジナルメンバーが高崎しかいないラインナップにもなったが、2000年に高崎がオリジナルメンバーでの再結成を宣言。2008年11月に中心人物の一人である樋口宗孝が他界したが、後任に鈴木を迎えて活動を継続。2018年現在までに27枚のオリジナルアルバムをリリースし、精力的に活動中である。

メンバー

LOUDNESSのロゴ。主に二井原実在籍時の第1期、第5期以降で使用されていた。

第1期(1981年 - 1988年

第2期(1989年 - 1992年

  • マイク・ヴェセーラ:ボーカル、作詞
  • 高崎晃:ギター、作詞、作曲
  • 山下昌良:ベースギター
  • 樋口宗孝:ドラムス、リーダー

第3期(1992年 - 1993年

第4期(1994年 - 2000年

  • MASAKI(山田雅樹):ボーカル、作詞
  • 高崎晃:ギター、作曲、リーダー、プロデュース
  • 柴田直人:ベースギター
  • 本間大嗣:ドラムス

第5期(2000年 - 2008年

  • 二井原実:ボーカル、作詞
  • 高崎晃:ギター、作曲、リーダー、ボーカル(一部)
  • 山下昌良:ベースギター、作曲
  • 樋口宗孝:ドラムス

第6期(2009年 - )

  • 二井原実:ボーカル、作詞
  • 高崎晃:ギター、作曲、リーダー、ボーカル(一部)
  • 山下昌良:ベースギター、作曲
  • 鈴木政行:ドラムス

タイムライン

概要

主に作曲はギターの高崎が手がけ、歌詞はその時々のボーカルがつけていた(レコーディング途中で二井原が脱退したアルバム『SOLDIER OF FORTUNE』ではメンバー全員が「LOUDNESS」名義で作詞をした)。第1期〜第2期・第5期では極稀に山下も作曲するが、近年ではメンバー全員(「LOUDNESS」名義)で作曲をすることが多くなった。第3期には脱退している山下が1曲提供している。歌詞は現在のボーカルである二井原と高崎がそれぞれ書いている。

LOUDNESSのサウンドは高崎の指向がとても強く、第1期-第3期までは、典型的なヘヴィメタル・ハードロックであった。

バンド名の由来はステレオのアンプに書いてあるLOUDNESSと言う文字を見てその響きやスペルを気に入り、意味を調べたところ音量をあらわすものであった為に自分たちのバンド名としてふさわしいと判断したもの[3]

当時の所属事務所であるビーイング側は「サンライズ」というバンド名を候補として推していたが、メンバー側が「ピンとこない」という事で最終的にメンバー側が候補としていた“LOUDNESS”に決まった。高崎曰く「(ビーイングの中で唯一の)言う事を聞かないアーティスト」だったと語っている[5]

第1期(1981〜1988)

結成からデビューまで

1980年、所属事務所(トライアングルプロダクション)の強い意向でアイドルバンドとしての活動を余儀なくされていたLAZY。そのLAZYのリーダーである樋口宗孝は他のメンバーより先に成人を迎えていた事から、多くの先輩ミュージシャンと呑みに行くうちに様々な情報を手に入れていた。そうした先輩ミュージシャンとの交流を深めていく内に所属事務所や業界の考えに違和感を持つ様になり、所属事務所側にいちリーダー、年長者として様々な口出しをする様になる[6]。そうした樋口の態度に対し社長の藤田浩一は樋口と衝突して解雇騒動にまで発展[7]、それを耳にした高崎晃は、樋口がいなくなるのなら自分も一緒に辞めると考える様になり[6]、その様な状況で12月にリリースされた『宇宙船地球号』はヘヴィメタル宣言をしたアルバムとして注目を集めたが、高崎によると当時の評価は「アイドルバンドがヘヴィメタルに挑戦しただけ」[8]というネガティブな受け止められ方が強かった事や、影山ヒロノブ井上俊次の2人がジューダス・プリーストアイアン・メイデンらを中心に当時イギリスで注目を集めていたNWOBHMの様な音楽性に付いていけなくなった事[9][10]も含め、上記の様な事情が重なり合った結果、LAZY解散の道へ向かう事となった[8]

1981年2月、所属事務所とバンドメンバーとの協議の結果、2月18日のコンサートでLAZYは解散宣言をする。3月には高崎と樋口、田中宏幸は高崎が“東京の兄貴”と慕うレイジー初期の現場マネージャーだった元テイチク・レコードの中下利行を従えて新バンド結成を決意[11][12]。2〜3人程の候補者を招いてボーカルオーディションを開く。候補者の一人には後に第4期LOUDNESSのベーシストとなる柴田直人が当時在籍していた「BLACK HOLE」のボーカリスト(定リオ)もいた[13]。最終的に選ばれたのは高崎の幼馴染である山下昌良が推薦した元EARTHSHAKERのボーカルの二井原実で、パーシー・スレッジの「男が女を愛する時」をピアノの弾き語りで歌った事が加入の決め手となりバンドに迎えられ[13][14]、高崎晃プロジェクトとして始動。所属事務所も中下が長戸大幸とビジネス上の付き合いがあった事からビーイングに籍を置く事となった[15]

5月31日にLAZYは正式に解散。しかし、程なくして田中は音楽性の違いや樋口との意見が合わなくなった事から離脱[16]。そこで高崎の幼馴染で、二井原をボーカルに推薦した山下昌良をベースに迎え、山下は6月に上京し高崎の自宅マンションに居候として住み込め始めた[17]。ここから高崎晃プロジェクトからバンドという体制に方向転換する。(当初はあくまでも高崎晃のソロアルバム制作を目的に動いていたプロジェクトであったがスタジオでのセッションが予想以上に良かったため樋口の提案により、このメンツでの新バンド結成に繋がった)[3][17]。山下は二井原を推薦した当時、「ゼファー」というバンド(山下以外には後にMARINOに加入する大谷令文、後にX-RAYに加入する高橋ロジャー和久が在籍)を結成しており、山下の自宅でゼファーのファーストライブの打ち合わせをしている時に、高崎から電話でLOUDNESSに誘われている[18]

同年8月、エンジニアに小野誠彦を迎え、三重県のチェスナットスタジオでレコーディングを行い、マスタリング作業を含めてたった5日間で終わらせた[17]。バンド名もこの頃に「LOUDNESS」に決まった[17]

デビュー〜海外進出

11月25日日本コロムビアより、アルバム『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜』でデビューした。この作品でのサウンドはヴァン・ヘイレンの『炎の導火線[19]NWOBHMを意識しており、1曲1曲に様々なリフを詰め込み、全体的に長い演奏時間や変拍子な曲調からプログレッシブ・ロックの傾向も見られる。12月17日浅草国際劇場にてデビューコンサートを実施。「日本のハードロックは売れない」と言う当時の邦楽界の見方に反し、3000枚近くあったチケットは即座に完売し、関係者を驚かせた[17]

1982年1月18日、中野サンプラザで行われた『JAPAN HEAVY METAL FESTIVAL』、22日には大阪毎日ホールで行われた『JAPAN HEAVY METAL FANTASY』といったイベントに出演。二井原はプロ経験が浅かった事もあり、多くのミスを犯してしまった事から初めてプロとして活動する厳しさを痛感する[20]。4月6日には本格的なツアーを開始するが、4月10日で行われた日比谷野外音楽堂公演で大音量で演奏した事から近隣住民からクレームが殺到したとの事で出入り禁止を下されたとの噂が広まったが[17]、高崎によると「出禁と言うよりは、その後しばらく出られなくなった」との事[21]。 5月1日にはデビューシングル『BURNING LOVE』をリリース、7月25日にリリースされた『DEVIL SOLDIER 〜戦慄の奇蹟〜』ではレコーディング・エンジニアにジョージ吾妻の紹介でダニー・マクレンドンを起用したが、サウンド的には前作の延長上であった(実際に前作からのアウトテイク曲もある)が『誕生前夜』以上の売上を記録した[22]

1983年、ビーイングを離脱し、中下が新たに設立した音楽事務所「LOUDNESS MUSIC」に移籍。1月21日にリリースされた『THE LAW OF DEVIL'S LAND 〜魔界典章〜』でもダニー・マクレンドンを起用。ダニーはアメリカの関係者との繋がりもある事から幾つかの現地のライブハウスにブッキングをし[23]、バンドは7月9日に渡米。現地のラジオ局が「IN THE MIRROR」や「SPEED」を流した事や、メタルマニア向けのレコード・ショップでLOUDNESSのアルバムを扱っていた事も含め、アンダーグラウンドなファンジンで情報を得ていたアメリカのメタルマニアが当時高額だった日本盤を購入するという現象が起きた[24]

7月26日、全米ツアーを成功させた後に帰国。8月にはヨーロッパ・ツアーと新作のレコーディングの為に初の渡欧。エンジニアにイエスの『ロンリー・ハート』を手がけたジュリアン・メンデルゾーンを迎え、1984年1月21日に発売された『DISILLUSION 〜撃剣霊化〜』でバンド初期のサウンドは完成した。それと前後する形で1983年11月に初の2枚組ライブアルバム『LIVE-LOUD-ALIVE LOUDNESS IN TOKYO』、翌12月には同名のライブビデオが発売された。この時期の作品はヨーロッパではロードランナーミュージック・フォー・ネイションズを通じてリリースされていた[25]

1984年4月20日から5月6日まで2度目のヨーロッパ・ツアーを行い、このツアーの模様は8月1日にライブビデオ『EUROBOUNDS』としてリリース、7月には歌詞を全て英語に翻訳した『DISILLUSION English Version』をリリースした。

本格的な海外進出

1983年のヨーロッパツアー及び『撃剣霊化』のレコーディング中の間にアメリカのRCAレコードゾンバ・ミュージック・グループからのオファーが事務所宛に届く[26]。この時点で中下は「RCAと契約した方が良いのではないか?」とメンバーと打ち合わせをしていたが、1984年5月のヨーロッパツアー中[27]ワーナー・パイオニアを通じでアトランティック・レコードより「LOUDNESSに興味がある」との一報が所属事務所に入った[26]。中下はこの時点でアトランティック・レコードの存在を知らなかったが、メンバーにとっては憧れのレッド・ツェッペリンらを輩出した大手レーベルであった事から協議の結果アトランティックと契約[26]。契約内容も7年間にアルバム7枚をリリースするという日本人アーティストとしても前例のない契約であった[28]

これと前後してデイヴ・ムステインを解雇したばかりのメタリカ側のマネージメントから高崎へ、まだメジャーレーベルと契約する前の無名バンドだったメタリカへの加入へのオファーの手紙とデモテープが届くが、高崎が「LOUDNESSに命を賭けている」事や「日本人チームで世界と闘いたい」という強い思いからオファーを断っている[29]

1984年5月、高崎はアトランティックとの打ち合わせの為に渡米、全米デビューアルバムのプロデューサーとしてエディ・クレイマーニール・カーノンマックス・ノーマン[30]の名が挙がる中、高崎はノーマンが手がけたオジー・オズボーンのアルバム、特にランディ・ローズの音を好んでいた事から協議の結果、アルバムのプロデューサーにノーマンを迎えた[31]。ノーマンはアメリカ進出するバンドが成功する事を強く意識し、当時アメリカのヘヴィメタルシーンでムーブメントを起こしていたグラム・メタルの様な明るいサウンドを目指す方向性に舵を取った。

1984年7月、中下に英語の発音の悪さを指摘された二井原が、英語やヴォーカルレッスンの為に先に渡米[32][33]。8月下旬、レコーディングの為残りのメンバー全員が渡米。ノーマンの一切の妥協を許さぬ厳しい指導に耐えながらの2ヶ月以上もの長期レコーディングを経て12月1日、先行シングルとして『CRAZY NIGHT』、翌1985年1月24日に『THUNDER IN THE EAST』がリリース。アルバムは日本のオリコンチャートでは最高第4位[34]、アメリカのビルボード総合チャートで最高74位を記録した[35]ビルボードでは24週に渡り、200位圏内にランクインされた[34]

12月2日の渋谷公会堂を皮切りに翌1985年2月1日まで日本ツアーを開始。4月から6月にかけて全米ツアーを行う。6月21日には劇場用アニメ『オーディーン_光子帆船スターライト』の主題歌や劇中BGMを収録した12インチシングル「GOTTA FIGHT」をリリース、6月30日から8月6日にサポートキーボーディストに元ノヴェラGERARD永川敏郎を迎えて日本ツアー[36]を行った後、8月8日よりモトリー・クルーの前座として全米ツアーに参加。8月14日には日本人アーティスト及び日本のバンドとして初めてマディソン・スクエア・ガーデンのステージに立った[37]

モトリー・クルーとのツアーは9月18日まで続き、ツアー終了後に帰国。12月には再びノーマンを迎えて六本木のセディック・スタジオでレコーディングを開始[38]。レコード会社も日本コロムビアからワーナー・パイオニアに移籍、1986年3月には『SHADOWS OF WAR』がリリースされる。同時に大阪城ホールを皮切りに日本ツアーを開始。4月3日、4日に行われた代々木オリンピックプール公演の模様は同年9月に映像作品『LIVE IN TOKYO〜LIGHTNING STRIKES』、11月には2枚組みライブアルバム『8186 LIVE』として発売された。

7月25日には前出の『SHADOWS OF WAR』のUSミックス盤『LIGHTNING STRIKES』が全米で発売。ビルボード総合チャート64位と前作『THUNDER IN THE EAST』を上回る記録を残した[39]。8月には全米ツアー、10月にはヨーロッパツアーを行う。このツアーの間にアメリカでは前半にポイズン[40]シンデレラ[40]を前座に、後半はAC/DC[41]の前座として、ヨーロッパではサクソン[42]と共に行っていた。全米ツアー終了後の9月25日にはシンセサイザーを多用したディスコ的な『RISKY WOMAN』をリリース。12月28日、29日にはバンド初の日本武道館公演を行っている。

アトコ・レコードへの移籍〜二井原実への解雇通告

1987年2月から3月にかけて新作のためのリハーサルや制作を開始。4月にはプロデューサーにエディ・クレイマーを迎え日本とアメリカでレコーディングを開始。7月31日にはストライパーを前座に迎えて全米ツアーを開始。8月25日には『HURRICANE EYES』がリリースされ、第1期LOUDNESSのバンドサウンドは完成の域に達した。日本のオリコンチャートでは4位を記録したものの[43]、ビルボードでは190位と前作よりも大きく下回った[44]。また、この時期より高崎の愛器がESPのランダムスターから荒木一三が設立したキラーギターズのプライムを使用するようになる[45]。1988年には日本のみで長期ツアーを行い、5月にはミニアルバム『JEALOUSY』をリリース。しかし、『SOLDIER OF FORTUNE』レコーディング中の1988年12月に二井原が脱退(事実上の解雇)し、第1期LOUDNESSは終了する。

二井原脱退の背景に高崎は「もっと先に進むためにはネイティブな英語を操るフロントマンが必要だった」というバンド側の意見があったとし、当時の二井原の歌唱力や英語の発音の問題を指摘[46]。一方二井原も自身の歌唱力の限界を認めた上での自主的な脱退である事を認めており、フロントマンを代える事でマンネリ化を打破し、バンドを劇的に変える特効薬がフロントマンの交代であったとも述べている[47]。また、『SOLDIER OF FORTUNE』のプリプロダクションが始まった時点でバンド内の空気が怪しくなっていたとし、海外メディアで取材を受ける際にライターから「LOUDNESSがボーカリストのオーディションをしているらしいとの噂を聞いた」という話を耳にし、インタビューから1週間後にバンド側から解雇通告をされたと述懐している[48]

この時期のサウンドは二井原の高音を生かしたボーカルが特徴である。日本語よりも英語を多用した抽象的なものが多い。歌詞のテーマとしては、恋愛、ファンタジー、戦争などがある。

第2期(1989〜1992)

オーディションを幾度となく行ったが、「日本には二井原以上のボーカリストはいない」として(この時期、後にボーカリストとして加入する事になる山田雅樹にも声をかけているが、当時はまだE・Z・Oで活動中だったため断られている。)、海外オーディションによりアメリカ人であるマイク・ヴェセーラを新たなボーカルに、プロデューサーにマックス・ノーマンの他にロジャー・プロバートを迎え、1989年に『SOLDIER OF FORTUNE』をリリースした。サウンドはアメリカ進出時の明るく硬質なアメリカン・ヘヴィメタルサウンドからメロディアスなものへと傾倒していった。当時この音楽的変化は、ギタリスト向けのYOUNG GUITAR誌では、テクニカルさとメロディアスさもあって高評価を受けた。高崎はこの作品がテクニカル路線最後のアルバムと語っている。1991年リリースの『ON THE PROWL』はデビュー10周年やボーカルのチェンジによる国内基盤時代の代表曲の紹介を狙った為か、過去の曲のリメイクが多い。バンドサウンド(特にギターとドラムの変化が著しい)が洗練され、曲本来のメロディアスさをさらに引き出した。中には製作後3年しか経過していない曲も含まれていたが、これらもリメイクされた。 しかし、同年リリースのミニアルバム『SLAP IN THE FACE』の表題曲では、今までのLOUDNESSには見られなかったスラッシュメタル的なリフ展開を繰り出し、ヘヴィなサウンドを前面に押し出したものの、5月の日本武道館公演後にマイクは脱退(事実上の解雇)。1992年には山下も脱退、第2期LOUDNESSは終了する。『SLAP IN THE FACE』のサウンドは第3期に受け継がれることになった。

マイクのボーカル力はデリケートであり、ライヴにおいてはムラが出はしたものの、スタジオ録音ではその力が遺憾無く発揮された。

山下の脱退は事実上解雇であった二井原やマイクと異なり、後述のように自ら後任を指名したり、また楽曲を提供するなど、比較的友好的なものであった。

第3期(1992〜1993)

1992年1月、ボーカルに元E・Z・OのMASAKIこと山田雅樹、ベースに元XのTAIJIこと沢田泰司を迎えた。沢田は元々LOUDNESSの大ファンであり、X在籍時から高崎晃と親交があった。そのベースの腕はメンバーにも認められていた。そこで脱退する山下が自分に替わる新たなベーシストとして推薦したため加入することになった。なお、沢田はX在籍時はソニーレコードに所属していたため、1月31日に事務所と契約が切れる(X正式脱退)までサポートメンバーとしてアルバムのレコーディングに参加した。

バンドのプロデュースは高崎が務め、ギターやベースが半音下げチューニングになり、山田の力強いボーカルと相まって、グルーヴ・メタルを髣髴とさせる攻撃的でヘヴィなサウンドになった。沢田はあまり目立とうとはせず、高崎のギターとのユニゾンプレイによる重厚なアンサンブルを作り出すことに徹底している。高崎との高速リフにおけるユニゾンはもちろん、「ジャック・オフ・ビブラート」と呼ばれるテクニックまで揃える。そして各所で盛り込まれる流麗なフレーズや、かつてのLOUDNESSにはあまり見られなかったスラップ奏法によるベースソロをフィーチャーしている。沢田のプレイスタイルについて樋口は、自身が即興で叩いたドラミングに合わせて沢田が弾いたベースフレーズを絶賛している。

Xという経歴を持つ沢田の加入は各方面で波紋を呼んだ。沢田加入によりライブには(沢田あるいはXの)女性ファンが来るようになり、それまでの男性ファンからはツアー初日に大ブーイングを浴びせられていたが、高崎によると「半信半疑のファンもいたんだろうけど、ツアーやってるうちにみんな泰司の事を認めだしていた」と当時の様子を語り、沢田もまた高崎、樋口のコンビネーションとどう合わせるか、毎日考えさせられていたと述懐していた。[49]CD売上・知名度・人気度において頂点を極めた時期だったが、当時の所属事務所が海外展開に全く興味を示さなかった事から海外での活動が止まってしまった[50]

事務所との契約の関係などの様々なトラブルにより実質解散寸前状態に陥り、1993年5月に山田が脱退の意を示すが、樋口の説得により撤回する。11月に樋口がLOUDNESS復活をメンバーに知らせるが、この直前に沢田はこの状況ではLOUDNESS復帰が絶望的だと判断し、自身のソロプロジェクト(後のD.T.R)を行うことを所属事務所レベルで決定していたため参加を断念せざるを得ず、脱退する。その後バンドのリーダーである樋口が脱退し、第3期LOUDNESSは1枚のアルバム(ライブアルバムを含めても2枚)を残して早々と終わってしまった。以降、復活後も高崎がリーダーを務めることになる。樋口は脱退した直後に沢田に対して「泰司とはフリーでもいいからすぐに音を出したい」と声を掛けたりしていたそうで、樋口にとって沢田はかなりお気に入りのベーシストであるらしく、1998年に樋口自身がプロデュースしたコージー・パウエルトリビュートアルバム『COZY POWELL FOREVER』に沢田を呼んでいる。

この第3期LOUDNESSの布陣はファンからも高い支持を得、メンバーである高崎、沢田、樋口の3名も近年「オリジナル・ラウドネスとは別に、第3期も企画モノでいいから再結成したい」というような事を語っていたが、2008年に樋口、2011年に沢田がそれぞれ他界している為実現不可能となった。

第4期(1994〜2000)

1994年、MASAKI(山田)の誘いによりドラムに元E・Z・OのHIROこと本間大嗣が加入。この当時、正式メンバーのベースがおらず、高崎がギターと兼任した『HEAVY METAL HIPPIES』発表後、12月のツアーのサポートを経て1995年にはベースに元ANTHEM柴田直人が加入し、第4期LOUDNESSが本格的に始動する。柴田は「余計な事を考えずベースプレイにだけ集中出来たので、LOUDNESSは楽しかった」と近年語っている。

ドゥームメタル寄りのスローテンポの曲が多くなり、Rooms RECORDS移籍後に製作されたブッダ・ロックと高崎が称する3枚のアルバム『GHETTO MACHINE』(1997年)『DRAGON』(1998年)『ENGINE』(1999年、以下通称「インド3部作」)をリリース。第1期から応援を続けているファンらにはこの音楽性、方向性はとても許容できる代物ではなく、バンドの人気は著しく低迷した。第4期では高崎のルックスにも極端な変化があり、それまでのトレードマークであったロングヘアーから坊主頭になり、衣装もインドの民族的なものとなる。MASAKIは第三期の加入当時は本名の山田雅樹で参加したが、FLATBACKER/E・Z・O時代の隈取りメイクを再び施す事も多くなり、芸名も当時と同じMASAKIに戻した。ライヴでも高崎が泥酔し粗いパフォーマンスを見せたり、第1~2期の楽曲をMASAKIがまともに歌わなかったりと、第1期からのファンを失望させるような内容がほとんどで、ファン離れを加速させた。

しかしこの頃、レイジーが再結成し高崎と樋口のコンビが復活。また樋口プロデュースによるレッド・ツェッペリンのカバーアルバム「SUPER ROCK SUMMIT 〜天国への階段〜」(1999年)では第1期LOUDNESSメンバーが全員参加するなど、後のオリジナルメンバー復活に繋がる活動が見られるようになる。

2000年に高崎がオリジナルメンバーによる復活を宣言し、第4期LOUDNESSは終了する。オリジナルメンバー再集結については、高崎本人の意向だけでなく現状のLOUDNESSに疑問を感じていたMASAKIから「オリジナルメンバーでやってみては」と助言された事も手伝っての決定だと高崎が語っている[51]

第5期(2000〜2008)

樋口、山下、二井原が復帰し、オリジナルメンバー構成に戻る。この再結成は当時の二井原の弁では当初は「期間限定」であり、長くは続かない予定であった。しかし、再結成後の活動がLOUDNESSとして最も長くメンバーチェンジのない同一メンバーで活動した時期となった。

オリジナルメンバーで復活してから初めてリリースされた『SPIRITUAL CANOE 〜輪廻転生〜』は、第4期の雰囲気を残しつつも第1期に通じるような聴きやすいサウンドになったが、第1期・第3期の曲に似たリフが多く、それ以降も第4期のようなスローテンポの曲が多く、ヘヴィメタルというよりはハードコアに近い音楽性である。『TERROR 〜剥離〜』はインド3部作の頃の陰鬱なヘヴィロックに戻った。しかしその後、『Racing/音速』ではスラッシュメタルの要素が入った速い曲が増えた。「The Battleship MUSASHI」のC/W曲、「More Than Machine」では打ち込みサウンドにも挑戦している。結成25周年の2006年に発売された『BREAKING THE TABOO』は第5期LOUDNESSの音楽性に、1970年代、1980年代ハードロックを意識した部分もあるアルバムとなり、LOUDNESS25年の集大成といえるアルバムとなった。2008年、アルバム『METAL MAD』をリリースするが、同年3月に樋口が肝細胞癌治療のため休養。4月のツアーの代役には“手数王”こと菅沼孝三が参加することになったが、同年11月30日、樋口が肝細胞癌により帰らぬ人となってしまう。樋口の死後、バンドは12月6日にSHIBUYA-AXで行われたイベント「SUPER PEACE FESTIVAL 2008」(競演は大槻ケンヂマキシマムザホルモンThe冠DETROX猫騙他)にて樋口の代役にSABER TIGERの鈴木“アンパン”政行をサポートに迎えてイベントに参加。二井原はこのライブでLOUDNESSとしての活動を継続することを宣言し、12月24日に行われた樋口のファン葬での高崎の悼辞においてもLOUDNESSが再び海外での活動を行うことを宣言した。

第6期(2009〜現在)

2009年2月C.C.Lemonホールにて樋口追悼ライブを行う。

2009年2月16日、鈴木“アンパン”政行が樋口の後任ドラマーとして正式に加入。[52]

同年4月より『THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜』〜『DISILLUSION 〜撃剣霊化〜』の頃の楽曲のみに絞った選曲でのライブツアー、『CLASSIC LOUDNESS LIVE 2009 The Birthday Eve〜Disillusion』をスタート。予定通り同月中に一旦終了するも追加公演を6〜7月まで行う。8〜9月には、続編として、24年前に本格的にアメリカ進出を果たした5thアルバム『THUNDER IN THE EAST』の楽曲を軸とする『CLASSIC LOUDNESS LIVE 2009 THUNDER IN THE EAST TOUR』を敢行。

上記ツアーの最中の5月には樋口追悼盤とも言える新作『THE EVERLASTING -魂宗久遠-』をリリース。ドラムトラックは一曲のみ鈴木政行による新録で、それ以外は樋口のレコーディングした過去の楽曲のプレイを編集し、使用している。内容としては『BREAKING THE TABOO』、『METAL MAD』の路線を踏襲したものとなっており、高崎は「樋口さんの好きそうなギターリフを意識して作った」と語っている。

今後のLOUDNESSについて高崎は「LOUDNESSはこれまでどんなメンバーチェンジがあっても解散することなく続いてきた。LOUDNESSは日本を代表するバンドとしてこれからもずっと続いていきます。例え、僕が抜けても。」と、メンバーチェンジがあろうとも永久に存続させたいビジョンを語っている。

2017年4月18日、ツアーのために訪れたアメリカの空港で入国拒否された[53]。同年8月にはワードレコーズに移籍する事が発表された[54]

2018年2月8日、鈴木が自身の体調の異変に気付き病院で診察を受けた結果、脳梗塞を発症している事が判明。幸い、症状は軽度のものであったがリハビリや検査のため、そのまま入院となる。鈴木は病状が無事快方に向かい、体調回復し復帰。鈴木が療養中の間はサポートドラマーに元NOVELAVIENNA等の活動で知られる西田竜一を迎え海外でも活動。鈴木復帰後も鈴木がフルで演奏出来る状態ではないことから西田がメインでドラムを演奏し、鈴木がアンコール等で数曲演奏するスタイルとなっている[55][56]

来歴

LOUDNESS以外でのメンバーの活動については各項目を参照。

1980年代

1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
  • 5月25日、1stミニ・アルバム『JEALOUSY』をリリース。
  • 12月、二井原が脱退。
1989年

1990年代

1990年
  • 1月、年末のカウントダウンライブのメンツで大阪と名古屋で同イベントに出演。
  • 9月、渡米し、マサチューセッツ州のスタジオにてレコーディング開始。
1991年
  • 2月25日、9thアルバム『ON THE PROWL』をリリース。
  • 4月25日、2ndミニ・アルバムLOUD'N'RAREをリリース。
  • 5月31日、バンド結成10周年を記念したライブ『THE 10TH ANNIVERSARY ON THE PROWL TOUR』を日本武道館にて行う。
  • 7月、北米ツアーを開始。同時にレコーディングも現地で行う。
  • 9月25日、3rdミニ・アルバム『SLAP IN THE FACE』をリリース。
  • 10月、マイクが脱退。
  • 10月25日、ベスト・アルバム『LOUDEST』をリリース。
  • 11月28日、ベスト・アルバム『LOUDEST Ballad Collection』をリリース。
1992年
  • 1月、山下が脱退。替わりに元X沢田泰司と、ボーカルに元E・Z・O山田雅樹が加入(第3期LOUDNESS)。沢田はX在籍時に所属していたソニーレコードとの契約上、1月31日までサポート・メンバーとしてアルバムのレコーディングに参加した。
  • 4月、沢田が正式に加入。
  • 5月28日、ライブツアー『ONCE AND FOR ALL』をスタート(6月6日まで、4都市5公演)。
  • 6月10日、10thアルバム『LOUDNESS』をリリース。オリコン初登場2位を記録。同時にライブツアー『Welcome to the SLAUGHTER HOUSE』をスタート(8月3日まで、10都市13公演)。
  • 9月21日、ライブツアー『SLAUGHTER HOUSE 2 〜POWER STORM〜』をスタート(9月28日まで、2都市3公演)。
  • 11月17日、ライブツアー『SLAUGHTER HOUSE 2 〜LOVE NEVER DIES〜』をスタート(1993年1月27日まで、18都市20公演)。
1993年
  • 5月、山田が脱退の意を示す(後に撤回)。
  • 11月、様々なトラブルにより沢田とリーダーの樋口が脱退。以降、復活後も高崎がリーダーになる。
  • 12月、ファンクラブ「LOUDICT」閉会。
1994年
1995年
  • ベースに柴田直人が正式に加入。(第4期LOUDNESS)。山田がMASAKIに改名。
  • 4月、全国ツアー『CLUB GIG '95 BAD TASTE tour』を開始。
  • 6月10日、第4期のライブを収録した4thライブアルバム『LOUD'N'RAW』をリリース。
1996年
  • 7月、ベストアルバム『MASTERS OF LOUDNESS』をリリース。
  • 12月27日、中野サンプラザにてロッキンfの20周年を記念したイベント『"KIDS WANNA ROCK" Rock'n Roll Crazy Night』に出演。元メンバーの二井原と樋口の所属するSLYと共演する。
1997年
  • Rooms RECORDSに移籍。
  • 2月、レコーディングの為に渡米
  • 3月、アメリカ滞在中に現地のライブハウスにてライブを行う。
  • 7月25日、俗に言う「インド3部作(ブッダ・ロック)」の1作目に当たる12thアルバム『GHETTO MACHINE』をリリース。
  • 12月24日、アジアの熱いファンの要望に応え、香港でライヴを行なう。
1998年
  • レコーディングの為再び渡米。滞在中に現地のライブハウスでライブを行う。
  • 8月5日、「インド3部作」の2作目に当たる13thアルバム『DRAGON』をリリース。
  • 9月28日、ライブツアー『LOUDNESS CLUB GIG'98 DRAGON』をスタート(10月2日まで、3都市3公演)。
1999年

2000年代

2000年
  • 4月、結果的に第4期最後のツアーとなる『寺ピカソ ネパール展2008「宇宙人とデザイン」』を東京・大阪の計2公演行う。
  • 5月、高崎がオリジナルラウドネスの復活を宣言(第5期LOUDNESS)。MASAKI(山田)/本間/柴田が脱退し、樋口/山下/二井原が復帰。
  • 再び日本コロムビアに移籍。
  • 12月21日、第1期のライブを収録した収めた5thライブアルバム『EUROBOUNDS 〜remastered〜』をリリース。
2001年
2002年
2003年
  • 9月、東京と大阪で主催イベント「LOUD FEST 2003」を開催。
  • 11月27日、自身のトリビュートアルバム『A Tribute To LOUDNESS』をリリース。
  • 12月21日、渋谷O-Crestでのイベントに出演。
2004年
2005年
2006年
  • 2月12日から4月5日までワールドツアー「LOUDNESS LIVESHOCKS world circuit 2006 chapter1」を行う(日本1公演・アメリカ13公演・カナダ1公演の計16公演)。オリジナル・メンバーとしては19年ぶりの北米公演となった。
  • 11月25日東京国際フォーラムにて結成25周年ライブ「Loudness 25th Anniversary "Loudness Live Rockshocks 2006"」を開催する。
  • 12月27日、アルバム『BREAKING THE TABOO』をリリース。
2007年
2008年
2009年

2010年代

2010年
  • 5月19日、アルバム『KING OF PAIN 因果応報』をリリース。
  • 6月5日、韓国にて『Time to Rock Festival』に出演。
  • 6月7日、韓国のEBS放送局にてスタジオ・ライブを行う。
  • 7月、ヨーロッパ・ツアーを行う。
  • 8月21日、幕張メッセにて『JACK IN THE BOX 2010 SUMMER』に出演。
  • 9月4日、韓国にて『Viva Korea Rock Festival』に出演。
  • 10月16日、日本のヘヴィメタルフェス『LOUDPARK 2010』大阪公演に出演。
  • 11月14日、樋口宗孝追悼ライブ 『EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI 2010』を開催。
  • 12月11日、SHIBUYA-AXにて『SUPER PEACE FESTIVAL』に出演。
2011年
  • 5月〜6月にかけて5年ぶりの全米ツアーを行う。
  • 7月15日、第3期ベーシストの沢田がサイパンに向かう航空機内で女性乗務員に対し暴行を起こし逮捕。拘束中にシーツを使って首吊り自殺を図り意識不明の重体となり、病院に運ばれたが、17日に死亡[59]
  • 9月14日、アルバム『Eve to Dawn 旭日昇天』をリリース。
2012年
  • アルバム『Eve to Dawn 旭日昇天』が元ジェントル・ジャイアントのデレク・シャルマンが運営するレーベル「FROSTBYTE」より8月14日に世界中でリリース。
  • 8月22日、アルバム『2・0・1・2』リリース。
  • 8月24日、尖閣諸島問題による日中関係悪化を理由に中国・貴陽での「YOGA MIDIフェスティバル」の出演を当日にキャンセルされた。LOUDNESSが政治問題を理由にライブを中止するのはこれが初めてとなる[60]。また、25日には上海公演も行われる予定であったが、公演先のライブハウスの建設上の問題により中止になっている[61]
2013年
  • 2月23日、LOUDNESSと樋口宗孝がん研究基金を中心に企画されたチャリティーライブ『Rock Beats Cancer FES 2013 Vol.1』開催。(出演、LOUDNESS、井上俊次、デーモン閣下斉藤和義GRANRODEO少年カミカゼDay of Acid Rain、一般のアマチュアギタリスト2名)
  • 3月17日〜18日、バハマで行われた「MONSTERS OF ROCK CRUISING ON BAHAMA」に出演。
  • 4月14日、ブラジルのヘヴィメタルフェス「LIVE N'LOUDER FESTIVAL in Sao Paulo,Brazil」に出演、スケジュールの都合で参加出来なくなった二井原の代役にヒブリアのユーリ・サンソンがボーカルを務めた。
  • 5月4日、アメリカのメリーランド州で行われたロックフェス「M3 Rock Festival on May 4th at Merriweather Post Pavilion」に出演。
  • 7月7日、日比谷野外音楽堂90周年事業によるチャリティーライブ『Rock Beats Cancer FES 2013 Vol.2』開催(出演、LOUDNESS、LAZY、JAM project奥田民生BABYMETALLinQ、Re:play)。LOUDNESSとしては31年振りの野音公演となる。
2014年
  • 1月、所属事務所をソルブレッドから個人事務所カタナミュージックへ移籍。
  • 3月29日〜4月2日、アメリカのロックフェス『Monsters of Rock Cruise 2014に出演。
  • 4月、日本のレコード会社を徳間ジャパンからユニバーサルミュージックへ移籍。
  • 6月4日、ユニバーサル移籍第1弾アルバム『THE SUN WILL RISE AGAIN 〜撃魂霊刀』リリース。
  • 8月8日、フィンランドのヘヴィメタルフェス『Jalometalli Metal Music Festival』に出演。
  • 10月18日、2009年以来、5年振りに日本のヘヴィメタルフェス『LOUDPARK 14』に出演。
2015年
  • 5月2日、新木場スタジオコーストにて『LOUD∞OUT FEST 2015』を開催。出演バンドはLOUDNESS、OutrageSADSHER NAME IN BLOOD
  • 6月27日、フィンランドのヘヴィメタルフェス『Tuska Open Air Metal Festival』に出演。
  • 7月17日、ドイツのヘヴィメタルフェス『Bang Your Head Festival 2015』に出演。
  • 10月7日、『The Sun Will Rise Again-US MIX-』がリリース。
  • 10月11日、LOUD PARK 2015にて「SOLDIER OF FORTUNE feat. Mike Vescera」名義として第2期LOUDNESSメンバー(サポートDrはGo)が出演。
  • 10月15日〜11月7日、USツアーを開始。
  • 11月14日、ギリシャのフェス『ROCK YOU TO HELL FESTIVAL III』に出演。
  • 11月25日、『THUNDER IN THE EAST』 30th Anniversary Editionとして初回限定盤として「Limited Edition」、3000枚限定BOXとして「Ultimate Edition」がリリース。
2016年
2017年
2018年
  • 1月26日、アルバム『RISE TO GLORY - 8118 -』リリース。
  • 2月8日、ドラムの鈴木が脳梗塞のため、緊急入院[62]
  • 6月24日、LUNA SEA主催のフェス『LUNATIC FEST.』に出演[63]
  • 9月24日、「METAL WEEKEND 第4弾 LOUDNESS & FRIENDS -AMPAN RETURNS-」にて鈴木が「LOUDNESS」でドラムを披露。
  • 12月26日、『JEALOUSY 30th ANNIVERSARY Limited Edition』リリース
2019年
  • 12月25日、『LOUDNESS JAPAN TOUR 19 HURRICANE EYES + JEALOUSY Live at Zepp Tokyo 31 May, 2019』リリース
2020年
  • 9月23日、『SOLDIER OF FORTUNE 30th ANNIVERSARY Limited Edition』リリース

影響

与えた影響

稲葉浩志[64]X JAPAN[65]NOV[66]SEX MACHINEGUNSLaputa[67]La'cryma Christiなどのハードロック系、ヴィジュアル系バンドだけでなく、スピッツ[68]サイキックラバー[69]斉藤和義[70][71]奥田民生[72]上杉昇など多くの音楽アーティストに影響を与えた。

作品

リリース年月日は全て日本盤のオリジナルの発売日を記載。

シングル

※12インチアナログ、マキシ含む

タイトル 発売日 規格 JP
第1期
1st BURNING LOVE 1982年5月1日 EP
2nd GERALDINE 1983年1月21日
3rd ROAD RACER 1983年9月21日
4th CRAZY NIGHT 1984年12月
5th Gotta Fight 1985年6月21日
6th LET IT GO 1986年3月10日
7th RISKY WOMAN 1986年9月27日 32
プロモ THIS LONELY HEART 1987年
8th SO LONELY 1987年11月28日 8cmCD
9th LONG DISTANCE LOVE 1988年5月25日 58
10th DREAMER AND SCREAMER 1989年5月25日
第2期
11th YOU SHOOK ME 1989年8月10日 8cmCD 79
12th DOWN'N'DIRTY 1991年2月10日 97
13th IN THE MIRROR 1991年4月25日
第3期
14th BLACK WIDOW 1992年5月25日 8cmCD 30
15th SLAUGHTER HOUSE 1992年8月25日 40
第4期
16th ELECTRIC KISSES 1994年12月10日 8cmCD
第5期
17th CRAZY SAMURAI 2004年7月7日 マキシシングル 72
18th The Battleship MUSASHI 2005年8月17日 89
第6期
19th The ETERNAL SOLDIERS 2010年12月15日 マキシシングル 143

アルバム

※英語版、日本語版、リミックス版含む

タイトル 発売日 JP
第1期
1st THE BIRTHDAY EVE 〜誕生前夜〜 1981年11月25日
2nd DEVIL SOLDIER 〜戦慄の奇蹟〜 1982年7月21日
3rd THE LAW OF DEVIL'S LAND 〜魔界典章〜 1983年1月25日
4th DISILLUSION 〜撃剣霊化〜 1984年1月21日
4th English ver. DISILLUSION English Version 1984年7月21日
5th THUNDER IN THE EAST 1985年1月21日 4
6th SHADOWS OF WAR 1986年3月24日
6th US Mix ver. LIGHTNING STRIKES 1986年7月25日
7th HURRICANE EYES 1987年8月25日
7th Japanese ver. HURRICANE EYES Japanese Version 1987年12月10日 34
Mini Album JEALOUSY 1988年5月25日
第2期
8th SOLDIER OF FORTUNE 1989年9月17日 18
9th ON THE PROWL 1991年2月25日 7
Mini Album SLAP IN THE FACE 1991年9月25日 65
第3期
10th LOUDNESS 1992年6月10日 2
第4期
11th HEAVY METAL HIPPIES 1994年12月21日 29
12th GHETTO MACHINE 1997年7月25日 65
13th DRAGON 1998年8月5日 49
14th ENGINE 1999年7月7日 48
第5期
15th SPIRITUAL CANOE 〜輪廻転生〜 2001年3月7日 20
16th PANDEMONIUM 〜降臨幻術〜 2001年11月21日 27
17th BIOSPHERE 〜新世界〜 2002年9月4日 45
18th TERROR 〜剥離〜 2004年1月7日 88
19th Racing/音速 2004年11月25日 60
19th English ver. Racing (English Version) 2005年4月6日 174
20th BREAKING THE TABOO 2006年12月27日 129
21st METAL MAD 2008年2月20日 51
第6期
22nd THE EVERLASTING -魂宗久遠- 2009年5月17日 42
23rd KING OF PAIN 因果応報 2010年5月19日 21
24th Eve to Dawn 旭日昇天 2011年9月14日 36
25th 2・0・1・2 2012年8月22日 33
26th THE SUN WILL RISE AGAIN 〜撃魂霊刀 2014年6月4日 29
27th RISE TO GLORY - 8118 - 2018年1月26日 13

セルフカヴァーアルバム

タイトル 発売日 JP
第5期
1st ROCK SHOCKS 2004年10月27日 37
第6期
2nd SAMSARA FLIGHT 〜輪廻飛翔〜 2016年7月6日 19

ライブアルバム

タイトル 発売日 備考 JP
1st LIVE-LOUD-ALIVE LOUDNESS IN TOKYO 1983年11月21日 第1期のライヴを収録
2nd 8186 LIVE 1986年11月10日 第1期のライヴを収録。
LP初回盤のみボーナストラックシングル付属
3rd ONCE AND FOR ALL 1994年4月25日 第3期のライヴを収録(CLUB CITTA'川崎、1992年6月1日) 48
4th LOUD'N'RAW 1995年6月10日 第4期のライヴを収録 55
5th EUROBOUNDS 〜remastered〜 2000年12月21日 第1期のライヴを収録
6th THE SODIER's just came back LIVE BEST 2001年7月20日 第5期のライヴを収録 76
7th LOUDNESS LIVE 2002 2003年5月21日 第5期のライヴを収録 259
8th LIVE LOUDEST AT THE BUDOKAN '91 2009年12月23日 第2期のライヴを収録
9th EARTHSHAKER×LOUDNESS” DISC:LOUDNESS 2016年1月20日 2015年12月に行われたライブを収録 amazon限定販売
10th LOUDNESS JAPAN TOUR 19 HURRICANE EYES + JEALOUSY Live at Zepp Tokyo 31 May, 2019 2019年12月25日 第6期のライヴを収録 55

ベストアルバム

タイトル 発売日 備考 JP
1st NEVER STAY HERE, NEVER FORGET YOU 〜LOUDNESS BEST TRACKS〜 1986年12月10日 コロムビア時代のベストアルバム
2nd EARLY SINGLES 1989年7月21日
mini LOUD'N'RARE 1991年4月25日
3rd LOUDEST 1991年10月25日 第1期と第2期のワーナー時代の曲を集めたベストアルバム
マイクの秘蔵ライブ音源収録
59
4th LOUDEST Ballad Collection 1991年11月28日 マイクの秘蔵ライブ音源収録
5th BEST SONG COLLECTION 1996年6月21日 コロムビア時代のベストアルバム
6th MASTERS OF LOUDNESS 1996年7月25日 主にワーナー時代の曲を集めたベストアルバム
新曲『MASTER OF THE HIGHWAY』を収録[73]
7th The Very Best of LOUDNESS 1997年5月21日
8th BEST OF LOUDNESS 8688 ATLANTIC YEARS 2001年5月23日 第1期のワーナー時代の曲を収録 71
9th RE-MASTERPIECES THE BEST OF LOUDNESS 2001年12月21日 主に第1期の曲を収録。第5期からも2曲入り
新曲として二井原ver.の『SOLDIER OF FORTUNE』を収録
94
10th THE BEST OF REUNION 2005年9月21日 第5期の楽曲によるベスト
新曲『JACK』を収録
139
11th GOLDEN☆BEST LOUDNESS〜EARLY YEARS COLLECTION〜 2009年2月18日
12th LOUDNESS BEST TRACKS -COLUMBIA YEARS- 2012年1月18日 3社合同企画の30周年記念盤
ワーナー盤にマイクver.の『CRAZY DOCTOR』を収録
初回生産分は3タイトル連動特典あり
156
13th LOUDNESS BEST TRACKS -WARNER YEARS- 130
14th LOUDNESS BEST TRACKS -TOKUMA JAPAN YEARS- 177
15th SINGLE COLLECTION 2012年10月31日
16th SUPER BEST 2013年8月23日 ワーナー時代の楽曲で構成されている。TSUTAYA限定発売であり、2015年1月28日に同内容で再発売されている

トリビュート・アルバム

  • TRIBUTE TO LOUDNESS〜Rock'n Roll Crazy Night (2001年11月21日)
    • 6曲目にメンバーの高崎本人が参加。
  • A Tribute To LOUDNESS (2003年11月27日)
  • GO! GO! NAGAI Tribute to the 永井豪(2005年9月7日)
    • マジンガーZ』の挿入歌「Z THEME」(Zのテーマ)のカヴァーで参加。

ボックス・セット

  • LOUDNESS BOX(1992年11月)
    • コロムビア時代のアルバムから選曲されたベストアルバム7枚組のボックス・セット。
  • LOUDNESS COMPLETE BOX (2007年4月4日)
    • コロムビア時代のアルバム(シングル集含む)8枚と高崎と樋口のソロアルバム2枚、ライブDVD2枚のボックス・セット。
  • THUNDER IN THE EAST 30th Anniversary Edition(LIMITED EDITION & ULTIMATE EDITION 2015年11月25日)
    • 『THUNDER IN THE EAST』発売30周年記念アルバム。
  • LOUDNESS COLUMBIA YEARS SELECTION (2016年3月30日)      
    • コロムビア時代のオリジナルアルバムと日本コロムビアより発売された高崎、樋口のソロアルバムを含む11枚組ボックス・セット。メンバー立ち合いの元で新たにリマスタリングされている。

映像作品

タイトル 発売日 備考
1st LIVE-LOUD-ALIVE LOUDNESS IN TOKYO 1983年12月21日 1983年に行われた『LIVE-LOUD-ALIVE』のライブ映像
2005年3月23日にDVDで再販
2nd EUROBOUNDS 1984年8月21日 1984年にヨーロッパで行った『EUROBOUNDS』のライブ映像
2005年3月23日にDVDで再販 DVD盤のタイトルは『EUROBOUNDS〜remastered〜』
3rd THUNDER IN THE EAST Vol.1, 2 1985年2月21日 THUNDER IN THE EASTのMV集
4th LIVE IN TOKYO LIGHTNING STRIKES 1986年9月10日 1986年4月の代々木オリンピック・プールのライブ映像
2001年11月21日にDVDで再販
5th VIDEO LOUDEST 1991年9月25日 第1期と第2期のワーナー時代の曲を集めた映像版ベスト。第2期の日本武道館でのライブ映像などを収録
2002年6月26日にDVDで再販
6th BLACK WIDOW ~ ONCE AND FOR ALL 1992年7月25日 第3期のONCE AND FOR ALLのライブ映像などを収録
2008年9月24日にDVDで再販
7th Welcome to the Slaughter House 1992年12月12日 第3期のライブ映像
2008年9月24日にDVDで再販
8th The SOLDIER's just came back 2001年8月22日 第5期の2001年3月28日に中野サンプラザで行ったライブ映像
9th 20th Anniversary PANDEMONIUM TOUR 2002年2月21日 第5期の20周年記念『PANDEMONIUM TOUR』からのライブ映像
10th LIVE BIOSPHERE 2003年2月26日 2002年10月25日に渋谷公会堂で行われた『LOUDNESS LIVE BIOSPHERE』のライブ映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
11th 20020324 LOUD'N FEST VOL.1 at CLUB CITTA' 2002年3月24日CLUB CITTA'でのライブのメンバー公認ブートビデオ
12th LOUDNESS LIVE TERROR 2004 2004年7月7日 2004年2月22日に渋谷公会堂で行われた『LOUDNESS TERROR 2004』のライブ映像と、2003年に行われた『SONICMANIA04』のオフショット映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
13th Rock-Shocking the nation 2005年3月16日 2004年11月から12月の『Rock Shocking The Nation』ツアーのライブ映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
14th LOUDNESS LIVE limited edit at Germany in 2005 2005年11月23日 2005年7月のドイツ『EARTHSHAKER FESTIVAL』出演時のライヴとドキュメント映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
15th LOUDNESS LIVE IN SEOUL20051203 OFFICIAL BOOTLEG DVD SERIES TWO 2006年9月23日 2005年12月に韓国ソウル市で行われたオリジナルメンバーとしては初のワンマンライブの映像
16th LOUDNESS In America 06 LIVE SHOCKS worid circuit 2006 chapter 1 2006年9月23日 17年ぶりとなるオリジナルメンバーでのアメリカツアーのニューヨークでのライブ映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
17th THANKS 25TH ANNIVERSARY LOUDNESS LIVE AT INTERNATIONAL FORUM 20061125 2007年2月21日 2006年11月25日国際フォーラムのライブ映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
18th LOUDNESS LIVESHOCKS 2008 METAL MAD QUATTRO CIRCUIT 2008年7月30日 2008年4月樋口宗孝が病気のため急きょ代役をたててのライブ
2015年3月4日にBlu-rayで再販
17th The Legend Of Loudness〜Live Complete Best 2008年8月27日 4枚組DVDライブベスト。未発表ライブ映像、TV番組出演時のスタジオライブなども収録
17th Munetaka Higuchi Forever Our Hero 2009年6月24日 2009年2月14日渋谷C.C.LEMON HALLで行われた樋口宗孝氏追悼ライブの映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
17th CLASSIC LOUDNESS LIVE 2009 JAPAN TOUR The Birthday Eve-THUNDER IN THE EAST 2010年4月14日 2009年のCLASSIC LOUDNESS LIVEシリーズのライブ映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
17th 樋口宗孝追悼ライブ2009DVD Munetaka Higuchi Forever Our Hero 2010年7月14日 樋口宗孝の一周忌追悼ライブの映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
17th LOUDNESS WORLD CIRCUIT 2010 COMPLETE LIVE 2011年5月25日 2010年のヨーロッパ、日本でのワールドサーキットのライブ映像
2014年10月8日にBlu-rayで再販
17th LIGHTNING STRIKES WORLD CIRCUIT 2010 ASIA TOUR 2011年 ファンクラブ会員に限定販売された2010年のアジアツアーのライブ映像
2015年3月4日にBlu-rayで一般販売(再販)
17th EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI2010 樋口宗孝追悼ライブ vol.2 2012年2月8日 2010年11月14日に渋谷C.C.Lemonホールにて行われた樋口宗孝氏の3回忌となる追悼ライブの映像
2015年3月4日にBlu-rayで再販
17th LOUDNESS 30th ANNIVERSARY WORLD TOUR IN USA 2011 LIVE&DOCUMENT 2012年6月27日 2011年5月~6月のLOUDNESS30周年記念ワールドツアー第一弾となるUSAツアーを収録
2015年3月4日にBlu-rayで再販
17th LOUDNESS 2011-2012 LIVE & DOCUMENT in JAPAN 2012年9月26日 2011年12月6日にZepp Tokyoで行われた30th Anniversary world tour in Japanのライブ映像とドキュメント映像
2015年3月4日にBlu-rayで再販
17th LOUDNESS 2012 Complete DVD ~Regular Edition Live&document~ 2013年4月17日 2012年に行った国内外のワールドライブを網羅した完全版
2015年3月4日にBlu-rayで再販
17th LOUDNESS 2012 Complete DVD ~Limited Edition Live Collection~ 2013年9月26日 通信販売限定商品。樋口宗孝追悼ライブvol.4のDVD付
2015年3月4日にBlu-rayで一般販売(再販)
17th LOUDNESS BEST MUSIC VIDEOS 85-12 2013年11月27日 1985年からのLOUDNESSのVIDEO CLIP集
17th LOUDNESS COMPLETE LIVE DVD WORLD CIRCUIT 2013 2014年 2013年に行った国内外のワールドライブを収録。樋口宗孝追悼ライブvol.5を収録
2015年3月4日にBlu-rayで一般販売(再販)
17th PRIME CUT MASTERPIECE SESSIONS~dedicated to Munetaka Higuchi 2014年12月24日 スタジオ・ライブとそのレコーディングの裏側に迫るドキュメンタリー作品
17th LOUD ∞ OUT FEST 2016 2016年9月28日 2016年5月1日新木場STUDIO COASTにて開催されたLOUD ∞ OUT FEST 2016のライブ映像
17th LOUDNESS JAPAN TOUR 2017 “LIGHTNING STRIKES" 30th Anniversary 8117 at Zepp Tokyo 13 April, 2017 2017年11月27日 2017年4月13日にZepp Tokyoで行われた「8186 LIVE」の再現ツアーのライブ映像
Amazon限定販売
31th LOUDNESS JAPAN TOUR 19 HURRICANE EYES + JEALOUSY Live at Zepp Tokyo 31 May, 2019 2019年12月25日 2019年5月31日に開催されたライブのDVD、CDの3枚組

関連書籍

デビュー20周年を記念して発行されたムック。各メンバーのインタビュー、歴代の使用機材、代表曲のギタースコアが掲載。「燃えよドラゴン」のカバーが収録されたCD「Enter The Dragon」&バンドスコア付き。

タイアップ

逸話

  • 1982年4月10日に日比谷野外音楽堂で行われたライブではあまりの音量のデカさに近所の住民から苦情が殺到し、長年出入り禁止になった。以後もLOUDNESSとしては日比谷公演は行われて無いものの、各メンバーが別のバンドやイベントで日比谷で演奏をすることはあった。出入り禁止されてから30年以上が経過した2013年7月7日のライブイベント「ROCK BEATS CANCER FES VOL.2」にLOUDNESSとして出演している。
  • 1986年4月3日、4日に代々木オリンピックプールで行われたライブ(後に「8186LIVE」として発売)では当時コレまでに無い大規模な音響設備と照明設備により原宿駅から苦情が来るほどの大音量であったと言う。
  • 1985年、モトリー・クルーと共にツアーに周った際、前座を担当したLOUDNESSの方が音が良く観客ウケも良かったことから、モトリー・クルー側のサウンドエンジニアがクビになりかけたり、LOUDNESS側の音量を小さくさせられたこともあった[74]
  • 1987年に共にツアーを周ったストライパーのマイケル・スウィートはLOUDNESSとツアーを周ったことについて「LOUDNESSはヘヴィ過ぎて僕らとしっくり行かないよ」と愚痴をこぼしたことがある。マイケル曰くこの組み合わせによるツアーはマネージャーが決めたとのことであり、マイケルはハリケーンTNTとツアーを周りたかったようである[75]
  • 樋口によれば、2001年7月28日に富士急ハイランドで行われたイベント「Hard Rock Summit in FUJI-Q」でLOUDNESSの演奏中、長野県にまで爆音が風に乗って流れたそうで、長野県側から苦情が来た事を2005年9月16日放送のポップジャムで明かしている。また、この番組では司会を担当していた西川貴教から「10年後のLOUDNESSはどうなっているか?」という質問に対し樋口は「TMバックでもするか」とジョークを飛ばしたが、西川は苦笑しつつも「僕の歌聞えなくなると思うんですけど…」と、丁寧に断っている。
  • 樋口宗孝の本葬儀に出席した高崎晃は「僕らは一番でかい音を出すバンドをやろうと思っていた。リゾートの遊園地で野外ライブ(上記の富士急ハイランドの事)を開いたとき、『隣の県から苦情がきたらしい』とうれしそうに話していたのを思い出す」と振り返った。

関連項目

  • SPLASH - THE ALFEE高見沢俊彦プロデュースによるロックバンド。高見沢の依頼により樋口がドラムで参加していた。
  • レイジー - LOUDNESSの前身。樋口、高崎、田中が在籍。
  • FLATBACKER(E・Z・O) - 本間とMASAKIがLOUDNESS加入以前に参加していた。
  • FiRE SiGN - MASAKIが第4期末期に結成し、現在も続く女性ボーカルバンド。MASAKIはベーシストとして参加。
  • ANTHEM - 柴田がLOUDNESS以前にリーダーを務めており、LOUDNESS脱退後に再結成。再結成時には本間が新規参加。
  • X JAPAN(X) - 沢田がLOUDNESS以前に参加。
  • D.T.R - 沢田がLOUDNESS脱退後に結成。
  • 紫 (バンド) - 高崎と親交が深く、山下とともにセッション参加
  • ビーイング - デビューから徳間ジャパンコミュニケーションズ移籍までのプロデュースを担当
  • 菅沼孝三 - 2008年、樋口の代理として
  • 大島こうすけ - 1991年、サポートキーボーディストとして参加
  • デッド・チャップリン - 二井原がLOUDNESS解雇後に菅沼らと結成したバンド
  • SLY - 二井原、樋口のバンド。LOUDNESSを脱退した樋口を二井原が誘う形で結成。
  • ネバーランド - 田中が離脱後結成したバンド
  • SABER TIGER - 鈴木政行が所属していたバンド
  • X.Y.Z.→A - 二井原がLOUDNESSと並行して所属、活動しているバンド

参考文献・出典

  • Ultimate LOUDNESS『Ultimate LOUDNESS』リットー・ミュージック、2002年。ISBN 4-8456-0751-4 
  • ギター・マガジン編集部『高崎晃自伝 雷神Rising』リットー・ミュージック、2015年。ISBN 978-4845627172 
  1. ^ a b Loudness|Biography”. オールミュージック. All Media Guide. 2016年8月11日閲覧。
  2. ^ a b c Loudness reviews, music, news - sputnikmusic・2015年9月1日閲覧。
  3. ^ a b c d 二井原実「二井原実Blog R&R GYPSY」 2008年6月15、16日。(参照:2008年8月25日。)
  4. ^ LOUDNESSのプロフィール - ナタリー(ナターシャ)・2014年6月8日閲覧。
  5. ^ ヘドバン Vol.4 (シンコーミュージック・エンタテイメント)28p
  6. ^ a b ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 54–56
  7. ^ 「君たち解散したら」 社長のひと言にあっさり承諾 バンダイナムコアーツ 副社長 井上俊次氏(9) 出世ナビ 仕事人秘録セレクション 2020年7月31日 2020年8月13日 閲覧
  8. ^ a b ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 57
  9. ^ 影山ヒロノブ『ゴールをぶっ壊せ』(2018年 中公新書ラクレ)pp37
  10. ^ BURRN! JAPAN Vol.10(2018年 シンコーミュージック・エンタテイメント)pp26
  11. ^ Ultimate LOUDNESS & 2002, pp. 17
  12. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 64–65
  13. ^ a b ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 63
  14. ^ オーディション2 “WHEN A MAN LOVES A WOMAN” 二井原実BLOG 「R&R GYPSY」2008年6月3日 2015年12月16日閲覧
  15. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 66
  16. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 61
  17. ^ a b c d e f Ultimate LOUDNESS & 2002, pp. 18
  18. ^ Ultimate LOUDNESS & 2002, pp. 55
  19. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 67
  20. ^ ズタズタになる・・・ 二井原実 BLOG R&R GYPSY 2008年7月29日 2015年12月20日閲覧
  21. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 70
  22. ^ Ultimate LOUDNESS & 2002, pp. 19
  23. ^ ロッキンf 2015年(サウンド・デザイナー)13p
  24. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 78–79
  25. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 74
  26. ^ a b c ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 76
  27. ^ Ultimate LOUDNESS & 2002, pp. 21
  28. ^ バンドスコア『MASTERS OF LOUDNESS』(1997年 ドレミ楽譜出版社)426p
  29. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 81
  30. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 83
  31. ^ ロッキンf 2015(サウンド・デザイナー) 10p
  32. ^ 絶望と救われる道 二井原実 BLOG 「R&R GYPSY」2009年9月25日 2015年12月24日閲覧
  33. ^ 一人ぼっちのアメリカ 二井原実 BLOG 「R&R GYPSY」2009年10月30日 2015年12月24日閲覧
  34. ^ a b ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 86
  35. ^ Thunder in the East > Charts(allmusic.com)
  36. ^ ロッキンf(立東社)1985年9月号 7p
  37. ^ ロッキンf誌 1985年10月号 139〜141p
  38. ^ Ultimate LOUDNESS & 2002, pp. 23
  39. ^ LIGHTNING STRIKES Charts(allmusic.com)
  40. ^ a b ロッキンf(立東社)1986年12月号 47p
  41. ^ Ultimate LOUDNESS & 2002, pp. 24
  42. ^ ロッキンf(立東社)1986年12月号 5p
  43. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 104
  44. ^ Hurricane Eyes Charts(allmusic.com)
  45. ^ 参考資料 ロッキンf(立東社) 1987年10月号 41p
  46. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 106
  47. ^ Ultimate LOUDNESS & 2002, pp. 50
  48. ^ BURRN!シンコーミュージック・エンタテイメント)2016年2月号 29p
  49. ^ We Rock Vol.1(2007年11月)11p
  50. ^ ギター・マガジン編集部 & 2015, pp. 143
  51. ^ 高崎晃(LOUDNESS) SPECIAL INTERVIEW !! Hard Rock / Heavy Metal Magazine LAZY!! 2007年10月22日 インターネットアーカイブより
  52. ^ 2009年11月29日(樋口の一周忌の前日)、公式HPにて正式なドラマーとして任命された。
  53. ^ ラウドネス、アメリカへの入国拒否される 「トランプ政権の方針厳格化のため」” (2016年4月20日). 2017年4月23日閲覧。
  54. ^ LOUDNESS 全世界戦略開始! 東洋からの雷鳴が、ふたたび世界に鳴り響く! ワードレコーズ・ダイレクト 2017年8月4日 同日閲覧
  55. ^ 二井原 実インタビュー――LOUDNESS JAPAN TOUR 19 HURRICANE EYES+JEALOUSY USENのオウンドメディア encore 2019年2月15日 2019年8月1日閲覧
  56. ^ 『LOUDNESS JAPAN TOUR 2019 “HURRICANE EYES + JEALOUSY”』ツアー最終日@Zepp Tokyo BURRN! ONLINE 2019年6月4日 2019年8月26日 閲覧
  57. ^ ラウドネス樋口宗孝さん 誕生日にお別れ会
  58. ^ [1]
  59. ^ 元Xの沢田容疑者が死亡 サイパンで逮捕後自殺図る 産経新聞 2011年7月17日
  60. ^ 中国での音楽フェス、LOUDNESSなど出演中止に 読売新聞 2012年8月26日
  61. ^ 多分最高数。 「MINORU NIIHARA "ROCK ME BABY!!!"」 2012年8月25日 2012年8月26日閲覧
  62. ^ LOUDNESS鈴木政行が脳梗塞のため入院、ツアーはサポート迎え実施”. 音楽ナタリー. 2018年9月20日閲覧。
  63. ^ LUNATIC FEST. 2018 Artists”. LUNATIC FEST. 2018公式ホームページ. 2018年9月20日閲覧。
  64. ^ 過去にLOUDNESSのコピーバンド『ICBM』のボーカルとして参加したこともある(稲葉の項目参照)
  65. ^ 後にLOUDNESSのメンバーとなったTAIJIのみならず、TOSHIもLOUDNESSのコピーをして腕を磨いたと二井原との対談で明かしている(ロッキンf 1995年3月号)
  66. ^ 番長 清原が生んだ?!カリスマメタルボーカリストNOVインタビュー Myuu 2016年1月9日 2020年1月3日 閲覧
  67. ^ 『Laputa―from the cradle to the grave 1999 (Fool’s Mate extrax)』、 FOOL’S MATE、1999年、p.54、ISBN 4938716186
  68. ^ リズム&ドラム・マガジン2009年3月号『追悼 樋口宗孝』より
  69. ^ ウェイバックマシン 東映ヒーローネット、サイキックラバーインタビューのアーカイブより
  70. ^ 「モテる40代」の代表格・斉藤和義を支えるルーツ、 そしてふたつの輪とは?”. OKmusic (2015年2月20日). 2018年9月8日閲覧。
  71. ^ 兼田達矢 (2018年7月5日). “渋谷公会堂物語 第7回 語り手:斉藤和義「学生時代から馴染みのある、空間的にもやりやすい、やっぱり特別な会場」”. 株式会社ディスクガレージ. 2018年9月8日閲覧。
  72. ^ 奥田民生感激 ラウドネスとコラボ”. デイリースポーツ (2013年7月8日). 2018年9月2日閲覧。
  73. ^ 初回盤のみ手違いで山田ver.の『CRAZY NIGHT』の予定がマイクver.の同曲が収録されている。
  74. ^ ロッキンf 2001年 5月号 18P
  75. ^ ロッキンf 1987年9月号 164P

外部リンク