ANTHEM

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ANTHEM
基本情報
出身地 日本 東京
ジャンル パワーメタル
ヘヴィメタル
活動期間 1981年 - 1992年
2001年 -
レーベル キングレコード
ビクターJVC
公式サイト ANTHEM
メンバー
柴田直人ベース
坂本英三ボーカル
清水昭男ギター
本間大嗣ドラムス
旧メンバー
森川之雄 (ボーカル)
福田洋也 (ギター)
大内貴雅 (ドラムス)
中間英明 (ギター)
前田敏仁 (ボーカル)
小柳彰史 (ギター)
  

ANTHEM(アンセム)は、80年代初期から活動している日本ヘヴィメタルバンド

1985年にデビュー。1992年に解散。2001年に再結成。

目次

[編集] メンバー

再結成前はリーダーである柴田直人以外は流動的にメンバーチェンジが行われている。

第一期(1982年~1983年)

第二期(1984年)

  • 前田“トニー”敏仁:ボーカル
  • 福田洋也:ギター、作曲
  • 柴田直人:ベース、作詞、作曲
  • 大内“MAD”貴雅、ドラム

第三期(1985年~1987年)

  • 坂本英三:ボーカル、作詞
  • 福田洋也:ギター、作曲
  • 柴田直人:ベース、作詞、作曲
  • 大内“MAD”貴雅、ドラム

第四期(1988年~1990年)

  • 森川之雄:ボーカル
  • 福田洋也:ギター、作曲
  • 柴田直人:ベース、作詞、作曲
  • 大内“MAD”貴雅、ドラム

第五期(1990年)

  • 森川之雄:ボーカル
  • 中間英明:ギター、作曲
  • 柴田直人:ベース、作詞、作曲
  • 大内“MAD”貴雅、ドラム

第六期(1991年~1992年)

  • 森川之雄:ボーカル
  • 清水昭男:ギター
  • 柴田直人:ベース、作詞、作曲
  • 大内“MAD”貴雅、ドラム

第七期(2000年)

  • グラハム・ボネット:ボーカル
  • 清水昭男:ギター
  • 柴田直人:ベース、作詞、作曲
  • 大内“MAD”貴雅、ドラム

第八期(2001年~)

  • 坂本英三:ボーカル、作詞
  • 清水昭男:ギター、作曲
  • 柴田直人:ベース、作詞、作曲
  • 本間大嗣:ドラム

[編集] サポート、ゲストメンバー

[編集] 来歴

[編集] 結成からデビューまで

元ブラック・ホールのベーシスト、柴田直人を中心に1981年に結成された。結成当時のメンバーは柴田、前田“トニー”敏仁(Vo)、小柳彰史(G)、当時18歳の大内“MAD”貴雅(Dr)の4人。結成当時のステージネームは柴田“マグナム”直人、前田“アンヴィル”敏仁、小柳“レイヴン”彰史、大内“ヴェノム”貴雅であり、主に渋谷のライブハウス「屋根裏」等で活動していた。

その後「もっと強力なギタリストが欲しい」と考えたバンドは小柳を解雇。

1983年、元アンサーの福田洋也(g)を迎える。同年、“関西ヘヴィ・メタル殴りこみギグ”に参加。このライブがきっかけで44マグナムやマリノのサポートを務めた。

1984年にはオムニバス・アルバム『HEAVY METAL FORCE』にSABBRABELLS、ヴェイルらと参加。バンドは「Warning Action!」を提供(現在この音源は「OFFICIAL BOOTLEG」に収録されている)。 レコード・デビューの話が舞い込みEARTHSHAKERの石原慎一郎をアドバイザーに迎え、メジャーデビューに向けてデモテープを作成し始めたが(こちらも「OFFICIAL BOOTLEG」に収録されている)、ヴォーカルの前田がツアーの疲労と音楽性の食い違いにより脱退。

ヴォーカル脱退により活動を半年近く休止。

1985年、オーディションの結果、元レゾナンスの坂本英三(Vo)が加入。

[編集] メジャー・デビュー

1985年、キング・レコードより「ANTHEM~パワーメタル戒厳令」でメジャーデビュー。

1986年4月、2ndアルバム「TIGHTROPE」をリリース。同年11月2日、学園祭でのライヴにて主催した学生のミスにより数十人の学生が酸欠で倒れる事故が起こった。

1987年3月、3rdアルバム「BOUND TO BREAK」をリリース。同年6月には海外公演も行い、その海外公演を収めたライヴアルバム「THE SHOW CARRIES ON!」を10月にリリース。その後、坂本英三がバンドへの責任感からくるプレッシャーとツアーによる疲労、プライベートでは子供ができた為に音楽で生活するには不安という理由から脱退。代替メンバーとして森川之雄が加入した。

1988年5月、森川加入後の第一作として4thアルバム「GYPSY WAYS」をリリース。

1989年5月、5thアルバム「HUNTING TIME」をリリース。この頃からリーダー柴田と福田洋也との間に軋轢が発生。

1990年2月、次回作のアルバムのレコーディング終了後、浜松でのライヴを最後に福田が脱退。「即戦力となるギタリストが必要」と判断したバンドは3月には元ハリー・スキュアリーのギタリスト中間英明を加入させ、6thアルバム「NO SMOKE WITHOUT FIRE」をリリース。4月には韓国公演を行った。

1991年初頭、中間がバイク事故を起こしたため活動停止。海外へのアプローチをするという約束で加入させた中間が、バンドの活動領域が日本に留まっていることに耐えかね、脱退を申し入れた。[1]

同年8月、森川の知り合いを通じてオーディションに参加した当時20歳の清水昭男が加入。数ヶ月後、レコーディングの為に渡英。

1992年3月、7thアルバム「DOMESTIC BOOTY」をリリース。同年5月、森川の脱退により解散を表明。同年7月の日清パワーステーションのライヴを最後に解散。[2]

[編集] 解散後

解散後、ライヴアルバム「LAST ANTHEM」と「BESTⅡ」がリリースされたが、これらのアルバム制作にはメンバーは一切関与していない。

坂本英三

1989年練馬マッチョマンなるバンドを結成し、1枚だけアルバムをリリースした後、活動を休止。1996年には「さかもとえいぞう」としてアニメタルのヴォーカリストとしてメジャーシーンに復帰。1stの「アニメタル・マラソン」は30万枚以上の売り上げを記録した。その後はJAM Projectに同じくさかもとえいぞうとしてとして参加するなど、アニメ界での活動も行う。(アンセムではこれまで通り坂本英三)

福田洋也

トニー前田とフィンガーというバンドを結成するも長くは続かず活動休止。1998年、「演歌メタル」をリリースする。現在は音楽を引退して写真家として活動している。

中間英明

エメラルド・フォレストを結成するも長く続かず、その後渡米し『ヘレン・バック』なるバンドを結成する。

森川之雄

清水とともにハリウッドを結成するも数回のライヴを経て活動休止。1995年にはロックンロールバンド「ザ・パワーヌード」を結成。2003年には元プレシャスの梶山章とゴールドブリックを結成した。

清水昭男

シャイ・ブルーというバンドを結成するがレコード会社とのトラブルにより2年で解散。その後は作曲家・スタジオミュージシャンとして活動。主にジャニーズ系を中心に楽曲提供をしており、2005年にはトラジ・ハイジに「ファンタスティポ」を提供した。

大内貴雅

1998年にバンビィノでデビューするも2年で解散。その後は元プリンセス・プリンセス中山加奈子LOOPUSの澄田健らとともにVooDoo Hawaiiansを結成。2004年には森川のザ・パワーヌードに参加したが、2005年末に脱退。他、2003年から2005年末まで元THE YELLOW MONKEY廣瀬洋一とのHEESEY WITH DUDESで活動していた。現在はジョージ吾妻率いる5Xに在籍している。

柴田直人

バンド解散後、バンド活動での精神的疲労によりヘヴィメタルの世界から距離を置き、ビーイングの作曲家として活動していたが、1994年12月、ヘヴィメタル・バンドラウドネスに加入。

[編集] 再結成

1999年グラハム・ボネットをゲストに迎え入れる。

2000年、アンセムの楽曲を全英語詞で再録したアルバム「HEAVY METAL ANTHEM」を発表。

2001年、柴田が、坂本英三、清水昭男、ラウドネス時代の盟友・本間大嗣を迎え入れ再結成。

2001年8月、ビクターより再結成第一弾「SEVEN HILLS」を発表。同年秋、ツアーを開始。

2002年10月には「OVERLOAD」をリリース。

2003年1月、ツアーを開始。同年5月にはこのツアーを収めたライブアルバム「LIVE MELT DOWN」を、同年8月にはクラブチッタ川崎公演を収めたDVD「LIVE MELT DOWN THE SHOW STILL CARRIES ON」をリリースするとともに「夏の陣」と題したツアーを開始。元々は坂本の2003年の冬のツアーでの発案による夏のツアーだったが、以後アンセムの夏のツアーは恒例となっている。

2004年7月、「ETERNAL WARRIOR」をリリース。

2005年、本間が膝の手術をするアクシデントもあったが、7月にはデビュー20周年を機に歴代メンバーを集結させてライヴツアーを行った。同年11月には20周年ツアーを収めたDVD「ANTHEM 20th Anniversary Tour 2005」をリリース。

2006年7月、アルバムリリース前にショートツアーを実施。その後8月に「IMMORTAL」をリリース。同年11月にツアー開始。

2007年7月、ベストアルバム「CORE~BEST OF ANTHEM」をリリースするとともにツアーを開始。9月にはかつての事務所の後輩であったOutrageのデビュー20周年ライブの前座に『ANTHEM 88』[3]として参加。同年10月、「LOUD PARK07」に出演。同年11月~12月、ツアーを開始。

CLUB CITTA'を聖地としており、ツアーを行う際に最終公演は毎回神奈川公演としてCLUB CITTA'で行っている。

[編集] ディスコグラフィ

[編集] オリジナルアルバム

キングレコード時代の品番は2005年のデジタル・リマスター盤

[編集] ライヴアルバム

87年のロサンゼルス、カントリークラブでの初の海外公演。
92年7月、日清パワーステーションでのラストライヴ(廃盤)
2003年のOVER LORDツアーから東京、大阪、名古屋でのベストテイクを収録したもの
LA公演の完全版。差し替え一切なしの上にDISC2には渋谷公会堂でのライヴ音源が追加された。
1st~3rdまでのアルバムを現メンバーで(1stの再現ライヴのみ元メンバーの大内による演奏)MC無しで演奏されたライヴアルバム。

[編集] ベスト盤、その他、企画アルバム等 

ファン投票により選曲されたベスト盤、中間英明在籍時の音源が1曲収録されている。
解散後に発売されたベストアルバム。森川時代が中心になっている。
ロッキンf編集部監修により選曲されたベストアルバム
グラハム・ボネットを迎えて制作された企画アルバム。
リーダー柴田直人による選曲、一部の曲をリテイクしたベスト盤。ドリーム・イーヴルフレドリック・ノードストロムによるリミックス盤。コンチェルト・ムーンダブル・ディーラーの島紀史(G)が一曲参加。
デビュー時から解散時までのブート音源を集めたDISC1、デビュー前のデモ音源や清水昭男のオーディション音源等を収録したDISC2、未発表映像とリーダー柴田のバンドの歴史を振り返る証言を収めたDVDの3枚を収めたボックスセット。
再結成後の楽曲を集めたベストアルバム。初回盤はDVD付属。

日本ファルコムで企画されたゲーム音楽CD4枚組ミニアルバム集でヘヴィメタルバージョンを担当、3曲ほどヴォーカルバージョンを収録

[編集] ビデオ・DVD

87年7月、渋谷公会堂でのライヴを収めたビデオ。DVD化の際に当時の事務所社長である伊藤政則と柴田と英三の3人による対談、家庭用ビデオで撮影された(撮影者はBURRN!の大野奈鷹美)L.A.でのライヴ&オフショット、森川時代のPVが追加された。
2003年1月のクラブチッタ川崎でのライヴを収めた作品。再結成後のPV2曲収録。
20周年ツアーを収めた2枚組のDVD。DISC1は2005年7月23日、クラブチッタ川崎で行われたライブ。現メンバーだけでなく、森川、洋也、大内、中間(中間は東京公演のみ)など歴代メンバーが集合し、当日のセットリストが全て収録された内容。DISC2はインタビューを含めたツアードキュメンタリー&ドッキリ企画
このベストアルバム初回盤に付属のDVDには、「LIVE IN STUDIO」と銘打ってANTHEM初のスタジオライブ(IMMORTALから4曲)が収録されている。

[編集] 出版物

[編集] 書籍

[編集] 参考文献

  • ANTHEM BIBLE(ドレミ楽譜出版社)
  • ロッキンf(立東者、現 ジャックアップ)
  • BURRN!(バーンコーポレーション)

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 中間の脱退に関しては、中間の意見と他のメンバーとの意見が食い違っており、柴田や森川の話によれば中間のステージにおける姿勢(原曲を無視したプレイ(主に速弾きに走りがちだった)や態度)がアンセムに合わなかったこともあり、解雇になったと言う説もある[要出典]。また、BURRN!のインタビューによれば森川は当初、中間の加入は反対していたそうだが、加入後は中立的な立場にいたそうである。
  2. ^ リーダーである柴田は森川や福田が脱退する以前から精神的な疲労によりANTHEMを辞めたがっていたが、大人の事情により辞めたくても辞められなかったとインタビューで語っていたことがある[要出典]
  3. ^ 当初の参加メンバーは88年当時のメンバー(森川之雄、福田洋也、柴田直人、大内貴雅)であったが、事情により福田の代わりに現メンバーの清水が参加することになり、実質92年のメンバーで参加することになった。

[編集] 外部リンク