1964年のワールドシリーズ
1964年のワールドシリーズ | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月7日 - 10月15日 | ||||||
MVP | ボブ・ギブソン(STL) | ||||||
殿堂表彰者 | ルー・ブロック(STL) ボブ・ギブソン(STL) ヨギ・ベラ(NYY) ホワイティ・フォード(NYY) ミッキー・マントル(NYY) | ||||||
チーム情報 | |||||||
セントルイス・カージナルス(STL) | |||||||
監督 | ジョニー・キーン | ||||||
シーズン成績 | 93勝69敗 | ||||||
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ニューヨーク・ヤンキース(NYY) | |||||||
監督 | ヨギ・ベラ | ||||||
シーズン成績 | 99勝63敗 | ||||||
ワールドシリーズ
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1964年のワールドシリーズは、1964年10月7日から10月15日まで行われたメジャーリーグのワールドシリーズである。
概要
第61回ワールドシリーズ。アメリカンリーグが5年連続の出場となるニューヨーク・ヤンキース。ナショナルリーグは1946年以来18年ぶり出場のセントルイス・カージナルスとの対戦となった。結果は4勝3敗でセントルイス・カージナルスが18年ぶり7回目の優勝。
MVPは3試合に登板して2勝1敗、防御率3.00、31奪三振の成績をあげたボブ・ギブソンが受賞。
エピソード
- MVPを獲得した選手(選手兼任監督として獲得した例を除く)が、後年監督となってチームをリーグ優勝に導いたのは、この時のヨギ・ベラ(NYY)が最初で、その後もベラが1973年にニューヨーク・メッツをワールドシリーズに導いた後、1996年のジョー・トーリ(NYY)まで例がなかった。
- シリーズ終了後、カージナルスの監督ジョニー・キーンは辞任、ヤンキースの監督ベラは解任され、コーチ兼選手としてかつての恩師ケーシー・ステンゲルが監督を務めるメッツに移籍した。ヤンキースの後任監督には、なんと数日前にヤンキースを倒した監督キーンが就任した。一見不可解に見えるが、キーンはオーナー、オーガスト・ブッシュと対立しており、シーズン終盤から、結果を問わずその年限りでの辞任を決意していて、ナインがシャンパン・ファイトに夢中になっている間に、祝福と再契約交渉に訪れたオーナーに、9月末付で書かれていた辞表を提出した。一方のヤンキースは新人監督ながらリーグ優勝を果たしたベラの指揮能力に疑問を抱き、キーンのそういった経緯も知って早くから後任監督候補の最有力候補にリストアップしていた。キーンがカージナルス監督を辞任した以上、ヤンキースにしてみれば、モタモタしているとキーンを他球団にさらわれる危険性があったためベラをすぐに解任し、キーンを監督に据えた。
- このワールドシリーズ以後、ヤンキースは低迷期を迎え、ふたたびワールドチャンピオンに返り咲くのは1977年まで待つこととなった。実際に当時のヤンキースは主砲のミッキー・マントルらの衰えや、チームが黒人選手の登用や若手選手の育成にためらいがあったことなどで低迷の予兆があったが、この舞台裏は後年、デイヴィッド・ハルバースタムがノンフィクション『October 1964』(邦題:『さらばヤンキース ―運命のワールドシリーズ』)に記している。
試合結果
第1戦 10月7日
初回にカージナルスが先制するも、2回にヤンキースが5安打で3点を奪って逆転する。しかし、カージナルスは6回にマイク・シャノンの2ランで同点にし、更にティム・マッカーヴァーが2塁打を放ち、ヤンキース先発フォードをKO。その後もカージナルスは、リリーフしたアル・ダウニングを攻めてこの回2点を勝ち越した。カージナルス先発サデッキは6回4失点で勝利投手。 尚、ヤンキースの往年のエース・フォードはこの試合で肩痛を発症。以後のシリーズを全休することとなる。
第2戦 10月8日
シーズン終盤に多く登板し、第1戦を回避したカージナルスのエース・ギブソンだったが、この試合でも休養は不十分で、8回4失点という内容。一方、この年メジャーデビューしたヤンキース先発ストットルマイヤーは7安打3失点で完投勝利を挙げた。
第3戦 10月10日
ヤンキースの若手バウトンとカージナルスのベテランカート・シモンズの息詰まる投手戦となった。ヤンキースが2回にクリート・ボイヤーの2塁打で先制するも、カージナルスも5回にシモンズの適時打で同点とした。
9回の表、カージナルスは一死一、二塁でシモンズに代打を送ったが、無得点に終わる。そしてその裏、カージナルスのリリーフエースバーニー・シュルツがマウンドに上がった。しかし、先頭打者のマントルが初球のナックルボールを捉え、ワールドシリーズ新記録となる16本目の本塁打となるサヨナラホームランを放った。
第4戦 10月11日
第1戦にも先発したカージナルス・サデッキが4連打を食らい僅か1/3回でKO。代わったクレイグからもロジャー・マリスが適時打を放ち、初回でヤンキースは3点を奪う。
6回表、カージナルスは一死一、二塁からディック・グロートがゲッツー性の当たりをセカンドに放つも、一塁走者のカート・フラッドの併殺崩しでベースカバーに入ったフィル・リンズが落球しオールセーフに。一死満塁となり、続くボイヤーがダウニングのチェンジアップを左翼席へ運び、試合をひっくり返した。ヤンキースは2回以降、クレイグとテイラーから1安打しか打てず。
第5戦 10月12日
先発は第2戦と同じ顔合わせ。カージナルスは5回に2点を先制し、そのまま試合は終盤へ。
9回裏、ギブソンは一死一塁からジョー・ペピトーンに尻を直撃する強襲打を浴びたが、3塁線に転がった打球をすかさず処理、一塁に送球しペピトーンを刺すファインプレーを見せた。直後にトレシュが同点2ランを放ち(ペピトーンがセーフになっていたら、逆転サヨナラだった)、ヤンキースは試合を振り出しへ。
迎えた10回表、ヤンキースの投手は8回からリリーフのミケルセン。カージナルスが一死一、三塁のチャンスを作り、打席には左打者のマカーバー。ブルペンでは左投手のハミルトンが準備していたが、ミケルセンが続投。しかし、マカーバーが右翼席に本塁打を放ち、カージナルスは3点を勝ち越す。ギブソンは裏も抑えて、完投勝利を挙げた。
第6戦 10月14日
先発は第3戦と同じ顔合わせ。再び投手戦となったが、6回にヤンキースがマリス、マントルの連続本塁打で勝ち越す。さらに8回、ペピトーンにも満塁本塁打が飛び出し、クリンナップの本塁打揃い踏みとなった。バウトンは9回途中3失点で2勝目。
第7戦 10月15日
シリーズ3度目となるギブソン、ストットルマイヤーの両先発となった。4回にカージナルスが4つの悪送球(エラーは1つ)も絡んで3点を奪い、ストットルマイヤーをKO。さらに5回にも3点を奪い、カージナルスが中盤までに試合を決定づけた。ギブソンは9回に2本塁打を浴びたが、後続を断ち完投勝利。カージナルスがヤンキースを下し、チャンピオンに輝いた。
参考文献
- “1964 World Series STL vs. NYY”. Baseball-Reference. 2008年7月1日閲覧。
- “The 1964 Post-Season Games”. Retrosheet. 2008年7月1日閲覧。
- 『さらばヤンキース ―運命のワールドシリーズ』 デイヴィッド・ハルバースタム著、水上峰雄訳 新潮文庫(上巻:ISBN4-10-232703-7、下巻:ISBN4-10-232704-5)