警察庁長官狙撃事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

警察庁長官狙撃事件の現場

警察庁長官狙撃事件(けいさつちょう-ちょうかん-そげき-じけん)は、1995年3月に日本國松孝次警察庁長官が何者かに狙撃された事件

目次

経緯

オウム真理教関連施設への一斉強制捜査が行われてから8日後の1995年3月30日午前8時30分頃、國松孝次警察庁長官が出勤のため東京都荒川区南千住の自宅マンションを出たところ、付近で待ち伏せていた男が拳銃[† 1]を4回発砲。國松はそのうち3発[† 2]を腹部などに受け、全治1年6ヵ月の瀕死の重傷を負った。男は自転車で逃走し、現場からは、朝鮮人民軍のバッジ[† 3]大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。

狙撃から1時間後にテレビ朝日に電話がかかる。電話の声は國松孝次警察庁長官に続く次のターゲットとして井上幸彦警視総監大森義夫内閣情報調査室長らの名前を挙げて教団への捜査を止めるように脅迫した。

國松は手術中に心臓が3度も止まり危篤状態にまで陥ったが、2ヵ月半後には公務へ復帰した。

銃を発砲した犯人は黒っぽいレインコートに白いマスクをし、黒っぽい帽子を被っていたとされている。

捜査

オウム真理教の信者だった小杉敏行警視庁巡査長(事件当時31歳)は取り調べに対し、犯行の具体的な状況や、銃を神田川に捨てたことを1996年5月には詳細に供述していた。しかし証拠品捜索の為にダイバーを投入しても銃が発見されないなど、供述に矛盾点が多いとして立件は1997年6月に見送られた。小杉巡査長は教団幹部に情報を漏洩したとして1996年11月に懲戒免職され、1997年1月には地方公務員法違反容疑で書類送検されるものの起訴猶予処分となった。この供述は匿名の告発が報道機関に届き1996年10月に報道されるまで警察庁にも報告されず、警視庁は公安部長更迭と警視総監辞職で責任を取る事態に到った。

またテレビ朝日に脅迫電話をかけたとして砂押光朗・教団建設省幹部が1995年9月に職務強要罪で逮捕された。最新の声紋鑑定機器での鑑定や電話の録音音声を複数の信者に聞かせた結果では90%の確率で同一人物とされたが「現段階での起訴は困難」として不起訴処分となった。

捜査本部は1999年に捜査のやり直しを決定し、捜査員が小杉元巡査長との接触を繰り返すと新たな供述が捜査結果と合致するようになったことから、事件発生から9年余りを経た2004年7月7日、元巡査長の会社員・小杉敏行、岐部哲也・教団防衛庁長官(当時)、砂押光朗・教団建設省幹部の計3人が殺人未遂容疑で警視庁に逮捕された。 さらに、教祖・麻原彰晃の最側近だった当時の石川公一・教団法皇官房次官(事実上の長官)も島田裕巳宅爆弾事件爆発物取締罰則違反容疑で別件逮捕された。しかし、小杉容疑者の供述が二転三転し、他の3人も当初から「自分は関係ない」と事件との関わりを否認するなど、証拠固めが困難になってきたこと・容疑者らと実行犯との関係と役割が解明出来ないことから、東京地検は勾留期限を前に全員を処分保留とし7月28日に釈放され、9月17日に不起訴となった。

警視庁の特別捜査本部は、坂本堤弁護士一家殺害事件などで死刑判決を受けた教団幹部2人を実行犯と現場指揮役と疑っているが、教団幹部2人は犯行を否定している。

2008年3月、オウム真理教とは関係ない別の強盗殺人未遂事件で逮捕された男が犯行を示唆する供述をしていると報道された[1]

関連文献

  • 谷川葉 『警察が狙撃された日―国松長官狙撃事件の闇』 講談社〈講談社プラスアルファ文庫〉、2002年、ISBN 978-4062566650

関連項目

脚注

  1. ^ http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080320/crm0803200217005-n1.htm 警察庁長官銃撃で77歳男が犯行示唆の供述 「秘密の暴露」

注釈

  1. ^ パイソンまたはトルーパーの長銃身モデルと見られる
  2. ^ 38口径のナイクラッド弾とされる
  3. ^ 「三大革命赤旗勲章」、通称「赤旗前衛中隊バッジ」

外部リンク

他の言語