南千住
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南千住(みなみせんじゅ)は東京都荒川区の地名。住居表示は南千住一丁目から南千住八丁目まで所在。郵便番号は〒116-0003。
世帯数は17,287、総人口は35,604名(平成19年6月1日現在)
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[編集] 地域
東西に長いひし形をした荒川区の頂角に当たる最東端に位置する。地域内は住宅街やマンション街となっており、地域の中央に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス・JR常磐線・東京メトロ日比谷線南千住駅がある。 また、荒川区東縁を流れる隅田川に北および東を接する。対岸の足立区とは千住大橋と千住汐入大橋、墨田区とは水神大橋と白鬚橋の4本の橋梁で連絡されている。
東は隅田川を挟んで墨田区堤通、西は荒川・東日暮里、南は台東区橋場・清川・日本堤・千束、北は足立区千住緑町・千住橋戸町・千住関屋町・千住曙町と接している。
[編集] 歴史
江戸時代から明治初期にかけ、南千住は小塚原刑場という処刑場であった。刑場跡は、現在の南千住駅のすぐ西側、常磐線と日比谷線の線路に挟まれる場所にある延命寺内に位置する。創設から廃止までの間に合計で20万人以上の罪人がここで刑を執行されたという(延命寺内掲示板による)。
また、同じ南千住二丁目には浄閑寺、別称「投げ込み寺」がある。2万人ほどの吉原の遊女の死体がここで投込まれていた。浄閑寺に投げ込まれた遊女の平均寿命は23歳くらいだったそうだ。
[編集] 山谷地区(南千住一・二・三・五・七丁目)
南千住地域は概して江戸時代にはじまる木賃宿が集まった宿場町が起源として発展し、常磐線の鉄道線路を挟んで南東側と北西側では町並みが若干異なるが、線路の北西側の南千住一・五・七丁目や、南東側の南千住二・三丁目はかつて山谷と呼ばれた地域の北部に当たり、下町的風景の中に現在も簡易宿泊施設(通称:ドヤ)が見られる地域となっている。なお、南千住二丁目には延命寺(首切地蔵)や浄閑寺(投げ込み寺)が、南千住五丁目には南千住回向院ある。また南千住の南端は泪橋交差点のある明治通りをはさんで、東から橋場・清川・日本堤の順で接している。
[編集] それ以外の地域(南千住四・六・八丁目)
現在は南千住駅の東に位置し南千住北東部にあたる南千住四・八丁目を中心として再開発が進められており、南千住地区の中央を南北に縦貫する鉄道路線以東には2007年に新たに隅田川沿いに広大な都立公園が開設された。またそれまでは陸の孤島状態であった北東側地域の状況を改善するために、隅田川を墨田区へと渡る水神大橋と、足立区へと渡る千住汐入大橋が建設された。これにより四方を隅田川と鉄道貨物基地に囲まれていた閉鎖的地形は大きく解放された。 南千住駅前には再開発事業の一環として開業したLaLaテラス南千住などの複合商業施設や高層マンションが多数立ち並び、新興住宅市街地として賑わいを見せる。
その他、南千住北西端にあたる鉄路以西地区かつ国道4号線以西に位置する南千住六丁目は歴史ある下町的風景が広がるが、近年は隅田川沿いを中心に高層マンションの開発が進んでいる。かつては東京スタジアムがこの地域にあった。現在では区が運営するスポーツセンター、南千住警察署及びマンションが建っている。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
- つくばエクスプレス : 南千住駅
- 日比谷線 : 南千住駅
[編集] 道路・橋梁
- 道路
- 橋梁
[編集] 施設
- 行政
- 保育・教育
- 物流・流通
- その他
- 東京スタジアム(1962年開設,1972年閉鎖)
[編集] 歴史
- 千住の項を参照されたい。
[編集] 出身有名人
- 志村正順 - アナウンサー
- 小松崎茂 - イラストレーター
- 三根山隆司 - 力士
- 白石安男 - 東京理科大学准教授
- 三遊亭歌る多 - 落語家
- 奥菜恵 - 女優(荒川区立第三瑞光小学校・荒川区立南千住第二中学校卒業)
- 志喜屋文 - 元女優
[編集] グルメ
[編集] 関連項目
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