カリストゥス3世 (ローマ教皇)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| カリストゥス3世 | |
|---|---|
| 第209代ローマ教皇 | |
| 教皇就任 | 1455年4月8日 |
| 教皇離任 | 1458年8月6日 |
| 先代 | ニコラウス5世 |
| 次代 | ピウス2世 |
| 個人情報 | |
| 本名 | アルフォンソ・デ・ボルハ |
| 出生 | 1378年12月31日 |
| 死去 | 1458年8月6日 |
| その他のカリストゥス | |
カリストゥス3世(Calixtus III、1378年12月31日 - 1458年8月6日)は、ルネサンス期のローマ教皇(在位:1455年 - 1458年)。スペインのボルジア家出身で、本名はアルフォンソ・デ・ボルハ(Alfonso de Borja)。後の教皇アレクサンデル6世は甥に当たる。
レリダの大学で法学を学び、外交官としてアラゴン王アルフォンソ5世に仕えた。1429年、対立教皇クレメンス8世の退位に功があったとして教皇マルティヌス5世からバレンシア司教に任命、1444年にエウゲニウス4世に枢機卿に任命された。1455年、ニコラウス5世の没後のコンクラーヴェで選出、カリストゥス3世を名乗った。
治世ではスペイン出身者を周囲に集めたため、ローマ市民を憤慨させたという。また、ニコラウス5世は十字軍に充てるべき費用を教会の修復や芸術、文芸に費やしたとして非難したといい、十字軍結成に力を尽くしたが戦果を挙げられずに終わった。ジャンヌ・ダルクの裁判判決を覆す一方でネポティズムも行い、ロドリーゴ・ボルジア(後のアレクサンデル6世)を枢機卿に登用した。既に高齢、病気がちで即位後3年で逝去した。
参考文献 [編集]
- イヴァン・クルーラス著、大久保昭男訳『ボルジア家』、河出書房新社
|
|||||||||||||||||
| この項目「カリストゥス3世 (ローマ教皇)」は、キリスト教に関連した書きかけ項目です。加筆・訂正などをして下さる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 |