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2015年4月17日 (金) 03:41時点における版
ロマン・グロージャン | |
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ロマン・グロージャン (2012年) | |
基本情報 | |
略称表記 | GRO |
国籍 |
フランス スイス |
出身地 | スイス・ジュネーヴ |
生年月日 | 1986年4月17日(38歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 2009,2012- |
過去の所属チーム | '09 ルノー |
所属チーム | ロータス '12- |
車番 | 8 |
出走回数 | 67 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 9 |
通算獲得ポイント | 242 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 1 |
初戦 | 2009年ヨーロッパGP |
(記録は2015年第3戦中国GP終了時) |
ロマン・グロージャン(Romain Grosjean, 1986年4月17日 - )は、スイス・ジュネーヴ生まれのレーシングドライバー。フランスとスイスの二重国籍[1][2]を所有しているがモータースポーツにおいてはフランス国籍であることを明言している[3]。日本のマスメディアにおいては、ロメイン・グロージャンと表記する場合もある(英語の発音ではフランス人のアラン・プロスト (Alain) のようにロマンやロメンに近い)。
経歴
フォーミュラ・ルノー
2003年はスイス・フォーミュラ・ルノー1.6選手権に出場し全10戦に勝利し、全戦でファステストラップを獲得してチャンピオンとなり[2]、翌2004年にはフランス・フォーミュラ・ルノーとユーロカップ・フォーミュラ・ルノーに移った[2]。
2005年もフランス・フォーミュラ・ルノーとユーロカップ・フォーミュラ・ルノーに出場し、フランス・フォーミュラ・ルノーにおいてチャンピオンを獲得し[2]、ルノーの育成プログラムとなるルノー・ドライバー・デベロップメントに加わることとなった[4]。
F3
2005年にSignature-Plusチームでロイック・デュバルの代役としてマカオGPでF3デビューを果たし9位だった[2]。 2006年はユーロF3に参戦したが、ランキング13位に終わった。イギリスF3にも出場し、フランスのポーで行われたレースでは2レースともポールポジションでスタートし両レースに優勝し、ファステストラップを獲得した[2]。マスターズF3は5位。マカオGPは5位。
2007年はASM Formule 3に移籍しユーロF3に引き続き参戦しシリーズチャンピオンになった[2]。この年のマスターズF3においてポールポジションを獲得したが14位に終わった[5]。マカオグランプリは8位。
GP2
F1デビュー以前のGP2
2008年はこの年から始まったGP2アジアシリーズにARTグランプリから出場しGP2アジアシリーズの初代チャンピオンになった。引き続きARTグランプリからGP2メインシリーズに出場[6]し4位だった。
2009年はGP2メインシリーズに元カンポス・グランプリだったバルワ・アダックスで参戦していた[7]がシーズン途中でルノーF1に移った。
F1デビュー後のGP2
ルノーF1のシートを失った翌年の2010年、第6戦ホッケンハイムにDAMSからジェローム・ダンブロシオに代わって出走した。また、第7戦ブタペストで負傷したホーピン・タンに代わり、第8戦スパ・フランコルシャンから再びDAMSで出走している。
2011年のGP2アジアシリーズではDAMSから参戦。バーレーンでのレースが中止になるなどでわずか2戦のシリーズになったが、2戦ともポールポジションを獲得し1勝するなどの活躍を見せ2度目のチャンピオンになった。引き続きGP2メインシリーズにもDAMSから参戦、第8戦スパ・フランコルシャンの第1レースで最終戦を待たずにシリーズチャンピオンを獲得した。
F1における経歴
2009年
2008年にネルソン・ピケJr.がレースドライバーとなった為にグロージャンがルノーF1のテストドライバーとして起用され[8]、6月7日と8日にシルバーストーンで行われたワールド・シリーズ・バイ・ルノーにおいて前年度のマシンとなるルノー・R27でデモンストレーションを行った。2009年もルノーF1のテストドライバーを務め、シーズン途中でネルソン・ピケJr.と代わりレースドライバーとなるのではないかとの噂も立っていた中、8月18日にネルソン・ピケJr.に代わってヨーロッパGPからの出走が発表された[9]。
デビュー戦のヨーロッパGPでは、予選14位と目標にしていたQ2進出を達成した。レースでは1周目で他車と接触し15位に沈んだが、ベストラップでは9位・1'39.428とチームメイトのフェルナンド・アロンソ(10位・1'39.494)よりも上回った。 そのまま最終戦アブダビまで参戦したが、ルノーF1は2010年のドライバーにロバート・クビサとヴィタリー・ペトロフを起用したため、F1のシートを失うこととなった。
2010年 - 2011年
2010年はどのF1チームにも所属しなかったが、翌シーズンのF1に供給されるピレリタイヤのテストドライバーに、ニック・ハイドフェルドの後任として就任した[10]。
2011年はロータス・ルノーGPのテストドライバーに就任し、最終2戦のアブダビGPとブラジルGPでは金曜フリー走行1回目に出走した。
2012年
前年度のGP2においてチャンピオンを獲得した功績から、前年にテストドライバーを務めていたロータス・ルノーGPからレギュラードライバーとして再びF1に返り咲いた事が発表された[11]。チームメイトは2007年F1ワールドチャンピオンである、キミ・ライコネン。
初戦のオーストラリアGPではレッドブルやメルセデスを抑え予選で3番手グリッドを獲得したもののリタイヤ。続くマレーシアGPでも早々にリタイアを喫し、2グランプリの決勝で僅か5周しか走行できなかった。だが第3戦中国GPでは6位でF1初入賞を果たして流れを掴み、第4戦バーレーンGPではチームメイトのライコネンと共に力走し、3位表彰台を獲得した。さらに第5戦スペインGPでは優勝争いにこそ絡めなかったものの、安定した好走を見せ4位に入り、自身初のファステストラップを記録した。しかしその後のレースもスタート時にクラッシュを引き起こすなど問題行動を重ね、ついには第12戦ベルギーGPではスタート直後に起きた多重クラッシュの原因を作ったとして、1レースの出場停止と5万ユーロの罰金が科せられた[12]。2012年日本グランプリでも1周目にウェバーへ追突しペナルティを受けた[13]。
2013年
前年に引き続きライコネンとのタッグでロータスF1チームから参戦した。前年に数多くの批判を受けた他者との接触は明らかに減ったものの、新仕様のピレリタイヤを使いこなすことに苦労しライコネンに比べて成績は見劣りした。しかしピレリタイヤの仕様が前年のものに戻った後半戦は競争力を発揮し、予選・決勝で度々ライコネンを上回った。
前年1周目に接触事故を起こした2013年日本グランプリでは、抜群のスタートでフロントローのレッドブル2台をかわしトップへ。2回目のピットストップ後にベッテルに先行されるまで、安定した走りでリーダーの座を守り続けた。
シーズン後半に手のつけようの無い競争力を発揮したレッドブルに対する1番のチャレンジャーと呼ばれ、自身の評価を高めるシーズンとなった。来シーズンも同チームから参戦することが発表されている。
その他の経歴
- GT1
- 2010年はマテック・コンペティションのフォード・GTを駆って、FIA GT1世界選手権に参戦することになり、4月17日の開幕戦アブダビで、バースデイウインとなる初優勝を飾った(パートナーはトーマス・ムテシュ)。第3戦チェコでもトーマス・ムテシュとのコンビで優勝した。
- Auto GP
- 2010年の第3戦スパ・フランコルシャンよりDAMSからAuto GPに参戦。デビュー戦では予選でポールポジションを獲得すると、第1レースで優勝。続く第4戦マニクールでもポールポジションからスタートし第1レースを優勝、2戦連続でポール・トゥ・ウィンを決めた。第5戦ナバラの第2レースでも優勝し、最終戦となった第6戦モンツァの第1レースでは今季3度目となるポール・トゥ・ウィンで優勝した。この結果、グロージャンはシリーズ6戦中4戦の出場ながらシリーズチャンピオンに輝いた。
評価
F1参戦以降、2009年ヨーロッパGPでルカ・バドエル、イタリアGPでフロントウィング損傷、ベルギーGPでジェンソン・バトン、2012年オーストラリアGPで2周目にパストール・マルドナド、マレーシアGPでミハエル・シューマッハ、スペインGPでセルジオ・ペレス、モナコGPでは再びシューマッハ、イギリスGPでポール・ディ・レスタ、ドイツGPではコースアウトし自滅、上記のベルギーGP・日本GPも合わせればキャリア20戦中11戦でスタート1周目に接触・自滅事故を引き起こしている[12][13][14]。他のドライバーやチーム関係者からは「問題児」「オープニングラップの狂人」「サーキットの通り魔」と称された[12][13]。
2013年もモナコGPでダニエル・リチャルドに追突する事故を起こしたが、その後は問題を起こすこともなく、落ち着いたレース運びをみせて結果を残した。グロージャンのことを「オープニングラップの狂人」と呼んだウェバーも「今年彼はすごくいい仕事をしている」と評価した[15]。担当エンジニアの小松礼雄も「今年のグロージャンは大きく成長した」「今の彼は本当にミスをしない」と語った[16]。
レース戦績
GP2
年 | エントラント | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008年 | ARTグランプリ | ESP FEA 5 |
ESP SPR 13 |
TUR FEA 2 |
TUR SPR 1 |
MON FEA Ret |
MON SPR 10 |
FRA FEA Ret |
FRA SPR Ret |
GBR FEA 5 |
GBR SPR 8 |
GER FEA 2 |
GER SPR 4 |
HUN FEA 17 |
HUN SPR 12 |
EUR FEA 3 |
EUR SPR Ret |
BEL FEA 1 |
BEL SPR 9 |
ITA FEA 4 |
ITA SPR 3 |
4位 | 62 |
2009年 | バルワ・アダックス・カンポスチーム | ESP FEA 1 |
ESP SPR 2 |
MON FEA 1 |
MON SPR 17 |
TUR FEA Ret |
TUR SPR 12 |
GBR FEA 5 |
GBR SPR 4 |
GER FEA 18 |
GER SPR 5 |
HUN FEA 10 |
HUN SPR 4 |
EUR FEA |
EUR SPR |
BEL FEA |
BEL SPR |
ITA FEA |
ITA SPR |
POR FEA |
POR SPR |
4位 | 45 |
2010年 | DAMS | ESP FEA |
ESP SPR |
MON FEA |
MON SPR |
TUR FEA |
TUR SPR |
EUR FEA |
EUR SPR |
GBR FEA |
GBR SPR |
GER FEA 20 |
GER SPR 19 |
HUN FEA |
HUN SPR |
BEL FEA 3 |
BEL SPR 6 |
ITA FEA 13 |
ITA SPR 17 |
ABU FEA 6 |
ABU SPR 3 |
14位 | 14 |
2011年 | DAMS | TUR FEA 1 |
TUR SPR 10 |
ESP FEA DSQ |
ESP SPR 9 |
MON FEA 4 |
MON SPR 3 |
EUR FEA 1 |
EUR SPR Ret |
GBR FEA 4 |
GBR SPR 1 |
GER FEA 3 |
GER SPR 1 |
HUN FEA 1 |
HUN SPR 3 |
BEL FEA 3 |
BEL SPR 4 |
ITA FEA 3 |
ITA SPR 21 |
1位 | 89 |
F1
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009年 | ルノー | R29 | AUS | MAL | CHN | BHR | ESP | MON | TUR | GBR | GER | HUN | EUR 15 |
BEL Ret |
ITA 15 |
SIN Ret |
JPN 16 |
BRA 13 |
ABU 18 |
23位 | 0 | |||
2011年 | ロータス・ルノー | R31 | AUS | MAL | CHN | TUR | ESP | MON | CAN | EUR | GBR | GER | HUN |
BEL |
ITA |
SIN |
JPN |
KOR |
IND |
ABU TD |
BRA TD |
- | - | |
2012年 | ロータス | E20 | AUS Ret |
MAL Ret |
CHN 6 |
BHR 3 |
ESP 4 |
MON Ret |
CAN 2 |
EUR Ret |
GBR 6 |
GER 18 |
HUN 3 |
BEL Ret |
ITA EX |
SIN 7 |
JPN 19† |
KOR 7 |
IND 9 |
ABU Ret |
USA 7 |
BRA Ret |
8位 | 96 |
2013年 | E21 | AUS 10 |
MAL 6 |
CHN 9 |
BHR 3 |
ESP Ret |
MON Ret |
CAN 13 |
GBR 19† |
GER 3 |
HUN 6 |
BEL 8 |
ITA 8 |
SIN Ret |
KOR 3 |
JPN 3 |
IND 3 |
ABU 4 |
USA 2 |
BRA Ret |
7位 | 132 | ||
2014年 | E22 | AUS Ret |
MAL 11 |
BHR 12 |
CHN Ret |
ESP 8 |
MON 8 |
CAN Ret |
AUT 14 |
GBR 12 |
GER Ret |
HUN Ret |
BEL Ret |
ITA 16 |
SIN 13 |
JPN 15 |
RUS 17 |
USA 11 |
BRA 17† |
ABU 13 |
14位 | 8 | ||
2015年 | E23 Hybrid | AUS Ret |
MAL 11 |
CHN 7 |
BHR - |
ESP - |
MON - |
CAN - |
AUT - |
GBR - |
HUN - |
BEL - |
ITA - |
SIN - |
JPN - |
RUS - |
USA - |
MEX - |
BRA - |
ABU - |
9位 | 6 |
FIA GT1
年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010年 | マテック・コンペティション | フォード・GT1 | ABU QR 2 |
ABU CR 1 |
SIL QR 21 |
SIL CR Ret |
BRN QR 6 |
BRN CR 1 |
PRI QR 7 |
PRI CR 7 |
SPA QR 20 |
SPA CR 14 |
NÜR QR |
NÜR CR |
ALG QR |
ALG CR |
NAV QR |
NAV CR |
INT QR |
INT CR |
SAN QR |
SAN CR |
11位 | 62 |
脚注
- ^ Romain Grosjean en route vers la F1
- ^ a b c d e f g Romain Grosjean (Meet the rookies)
- ^ F1-live.com 2009年8月20日
- ^ romain-grosjean.com
- ^ Hülkenberg wins F3 Masters as Grosjean stalls
- ^ Grosjean to race for ART in 2008
- ^ Maldonado signs for ART
- ^ Alonso, Piquet, Grosjean with Renault...
- ^ Grosjean replaces Piquet at Renault
- ^ “ロマン・グロージャン、ピレリのテストドライバーに就任”. F1 Gate.com. (2010年9月17日) 2010年9月17日閲覧。
- ^ “ロータス・ルノーGP、2012年のロマン・グロージャンの起用を正式発表”. F1 Gate.com. (2011年12月9日) 2011年12月9日閲覧。
- ^ a b c “ロマン・グロージャン、1レースの出場停止処分”. F1 Gate.com. (2012年9月3日) 2012年9月3日閲覧。
- ^ a b c “"オープニングラップの狂人"に怒るウェバー”. ESPN F1. (2012年10月7日) 2012年10月7日閲覧。
- ^ オートスポーツ
- ^ "グロージャンは変わったとウェバー". ESPN F1.(2013年10月16日)2013年11月28日閲覧。
- ^ "【F1】王者ベッテルを唯一苦しめたグロージャンと小松礼雄 page2/4". Web Sprtiva.(2013年11月5日)2013年11月28日閲覧。
外部リンク
- ロマン・グロージャン公式サイト
- ロマン・グロージャン (@RGrosjean) - X(旧Twitter)
レッドブル | メルセデス | フェラーリ | マクラーレン | アストンマーティン | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | マックス・フェルスタッペン | 63 | ジョージ・ラッセル | 16 | シャルル・ルクレール | 81 | オスカー・ピアストリ | 18 | ランス・ストロール |
11 | セルジオ・ペレス | 44 | ルイス・ハミルトン | 55 | カルロス・サインツ | 4 | ランド・ノリス | 14 | フェルナンド・アロンソ |
アルピーヌ | ウィリアムズ | RB | キック・ザウバー | ハース | |||||
31 | エステバン・オコン | 23 | アレクサンダー・アルボン | 3 | ダニエル・リカルド | 77 | バルテリ・ボッタス | 20 | ケビン・マグヌッセン |
10 | ピエール・ガスリー | 2 | ローガン・サージェント | 22 | 角田裕毅 | 24 | 周冠宇 | 27 | ニコ・ヒュルケンベルグ |
その他参戦したドライバー | 38 | オリバー・ベアマン | |||||||