DAMS

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GP2に参戦するDAMS(2011年)、ドライバーはロマン・グロージャン

DAMSDriot-Arnoux Motor Sport、ダムス)は、ジャン=ポール・ドゥリオとルネ・アルヌーによって1988年に興された[1]フランスのレーシングチームである。

概要[編集]

設立されたチームは、1989年に国際F3000選手権にエントリーを開始した。この年はドライバーズランキングでチャンピオンと同点の2位と3位を獲得するなど、初年度から競争力の高さを見せた。2001年をもって撤退するまでの間に、エリック・コマス1990年)、オリビエ・パニス1993年)、ジャン=クリストフ・ブイヨン1994年)の3人のドライバーズチャンピオンを輩出した。

1995年にF1へ進出しようとするが断念。また、資金難に苦しんでいたラルースとの合併に向けて交渉を計るも、実現には至らなかった[2]。1996年には、レイナードと提携して再挑戦したが、資金不足で断念した。

1990年代後半、パノスローラキャディラックのマシンでル・マン24時間レースアメリカン・ル・マン・シリーズFIA GT選手権に参戦した。

2003年にはユーロカップ・フォーミュラ・ルノーV6(現フォーミュラ・ルノー3.5)でホセ・マリア・ロペスがチャンピオンを獲得した。

2005年にGP2が創設されると参戦。A1グランプリにフランスチームとして参戦し、2005 - 2006年シーズンには総合優勝した。フォーミュラ・BMWヨーロッパ選手権(2008 - 2010年)、フォーミュラ・ル・マン(2009年)にも参戦した。

2006年よりトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム (TDP) の受け入れ先となり、中嶋一貴小林可夢偉が所属。小林はGP2アジアシリーズの2008 - 2009年シーズンにチャンピオンを獲得した。

マネージング・ディレクターだったエリック・ブーリエルノーF1(現ロータスF1)の代表に就任し、2010年以降はDAMSもルノーのドライバー育成プログラムに提携している。

GP2メインシリーズではロマン・グロージャン2011年)、ダヴィデ・ヴァルセッチ2012年)がドライバーズチャンピオンを獲得し、2012年にはチームズタイトルも制覇した。Auto GPではグロージャン(2010年)、ケビン・チェッコン(2011年)がチャンピオンを獲得した。

2014年からフォーミュラE「チーム・e.dams・ルノー」として参戦。元F1ドライバーのアラン・プロストとジャン・ポール・ドゥリオが共同でチームを運営する[3]

2014-15年シーズンのドライバーは元F1ドライバーのセバスチャン・ブエミとアラン・プロストの息子のニコラ・プロスト。2位のドラゴン・レーシングと61ポイントの差をつけフォーミュラE初代チームチャンピオンとなった。ドライバーズランキングではブエミが2位、プロストが6位だった。

2015-16年シーズン「ルノー・e.dams」とチーム名を変更して引き続きブエミとプロストの2人のドライバーで参戦。全10戦中5戦で勝利し、2年連続のチームタイトルを獲得。ドライバーランキングでは、ブエミが最終戦ロンドン大会でタイトル争いで一騎討ちとなったアプト・シェフラー・アウディ・スポートルーカス・ディ・グラッシとスタート直後にクラッシュするも、2台目に乗り換えファステストラップを決めて初のドライバータイトルを獲得。またプロストがロンドン大会で2戦連続優勝(レース1はポールポジションも獲得)したことでチームチャンピオンも獲得し、結果ダブルタイトルとなった。プロストは年間3位だった。

2016-17年シーズンもブエミ、プロスト体制で引き続き参戦。ブエミが開幕戦の香港大会、第2戦のマラケシュ大会、第3戦のブエノスアイレス大会で連続優勝し、フォーミュラEでは史上初となる3連勝を飾っている。第4戦のメキシコシティ大会ではミスもあり14位と奮わなかったものの、続く第5戦のモナコ大会、第6戦のパリ大会で連続優勝し、6戦中5勝とシーズン中ではあるものの昨年を上回る活躍を既に見せている。プロストは表彰台こそないものの第6戦までの全てのレースで入賞している。しかしブエミは2度の失格処分や最終戦での接触もあり、コンスタントにポイントを重ねていたディ・グラッシに敗北し、年間2位でシーズンを終えた。プロストは年間6位。

2017-18シーズンも引き続きブエミ、プロスト体制で参戦。ブエミはマラケシュでの2位を皮切りにコンスタントにポイントを獲得し好走を続けたが、最終的にチャンピオンを獲得したジャン=エリック・ベルニュに73ポイント離されてしまい、年間4位でシーズンを終えた。一方のプロストは全12戦に参戦したドライバー中最低の8ポイントに留まり、この年限りでチームを離れることとなった。また、時を同じくしてサプライヤーのルノーもフォーミュラEから撤退することとなった。

2018-19シーズンニッサンをマニュファクチャラーに、プロストの後任ドライバーにオリバー・ローランドを迎え「ニッサン・e.dams」として始動した。

成績[編集]

GP2[編集]

GP2 Results[4]
マシン ドライバー レース 優勝回数 Poles Fast laps ポイント D.C. T.C.
2005年 ダラーラ-メカクローム アルゼンチンの旗 ホセ・マリア・ロペス 22 1 0 36 9th 7th
マレーシアの旗 ファイルーズ・ファウジー 22 0 0 0 24th
2006年 ダラーラ-メカクローム フランスの旗 Franck Perera 21 0 0 0 8 17th 12th
イタリアの旗 Ferdinando Monfardini 20 0 0 0 6 21st
2007年 ダラーラ-メカクローム 日本の旗 中嶋一貴 21 0 1 3 44 5th 5th
フランスの旗 ニコラ・ラピエール 20 2 1 2 23 12th
2008年 ダラーラ-メカクローム ベルギーの旗 ジェローム・ダンブロシオ 20 0 0 0 21 11th 8th
日本の旗 小林可夢偉 20 1 0 2 10 16th
2009年 ダラーラ-メカクローム ベルギーの旗 ジェローム・ダンブロシオ 20 0 0 0 29 9th 6th
日本の旗 小林可夢偉 20 0 0 0 13 16th
2010年 ダラーラ-メカクローム ベルギーの旗 ジェローム・ダンブロシオ 18 1 1 0 21 12th 6th
中華人民共和国の旗 ホーピン・タン 14 0 0 0 0 28th
フランスの旗 ロマン・グロージャン 8 0 0 0 14 14th
2011年 ダラーラ-メカクローム フランスの旗 ロマン・グロージャン 18 5 1 6 89 1st 2nd
ノルウェーの旗 ポール・バーハン 18 0 0 0 0 23rd
2012年 ダラーラ-メカクローム イタリアの旗 ダヴィデ・ヴァルセッチ 24 4 2 5 247 1st 1st
ブラジルの旗 フェリペ・ナスル 24 0 0 0 95 10th
2013年 ダラーラ-メカクローム スウェーデンの旗 マーカス・エリクソン 22 2 2 4 5 121 6th
モナコの旗 ステファン・リケルミ 22 0 1 0 1 103 8th
2014年 ダラーラ-メカクローム イギリスの旗 ジョリオン・パーマー 4 1 1 3 4 70 1st
モナコの旗 ステファン・リケルミ 4 0 1 0 0 13 10th
  • D.C. = ドライバーズ・ランキング、T.C. = チーム・ランキング

エピソード[編集]

  • フォーミュラEではドライバーだけでなくメカニックも含めてフランス人が多いため、チーム無線での会話はフランス語で行われている。

脚注[編集]

  1. ^ About Dams” (英語). 2010年4月16日閲覧。
  2. ^ 『F1速報』 1995年テスト情報号、ニューズ出版、24頁。
  3. ^ “フォーミュラE:e.dams、セバスチャン・ブエミとニコラ・プロストを起用”. F1-Gate.com. (2014年7月1日). http://f1-gate.com/formula_e/edams_24229.html 2014年9月14日閲覧。 
  4. ^ GP2 and Formula 3000 entry list and complete results speedsportmag.com

外部リンク[編集]