島津斉興

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島津斉興
Narioki shimadzu.jpg
島津斉興像(尚古集成館蔵)
時代 江戸時代後期 - 末期(幕末
生誕 寛政3年11月6日1791年12月1日
死没 安政6年9月12日1859年10月7日
改名 忠温(初名)→斉興
戒名 金剛院殿明覚亮忍大居士
墓所 鹿児島県鹿児島市池之上町島津家墓地
官位 従四位下、侍従豊後左近衛権少将、従四位上、左近衛権中将、大隅守、正四位下、参議正四位上、従三位
幕府 江戸幕府
薩摩鹿児島藩
氏族 島津氏
父母 父:島津斉宣
母:鈴木勝直の娘(佐竹義和養女)
兄弟 斉興本多康禎室、剛之進、忠公、職之助、随姫、武五郎、聡姫、泰之進、忠剛、謙次郎、繁之進、松平康濤室、清二郎、松平勝善種子島久珍、風之丞、信八郎、大久保忠愨
正室:弥姫(周子、賢章院)
側室:お由羅の方関根常忠女、西成駿
斉彬池田斉敏、順姫、候姫久光
養女:興子晴姫

島津 斉興(しまづ なりおき)は、江戸時代後期の外様大名島津氏第27代当主。薩摩藩の第10代藩主

生涯[編集]

家督相続[編集]

寛政3年(1791年)11月6日、第9代藩主島津斉宣の長男として江戸で生まれた。生母の実家鈴木氏は浪人であったため、斉興出生後に藩と鈴木氏との間で諍いが起きている[注釈 1]

文化元年(1804年)10月に元服、将軍・徳川家斉より偏諱を賜って、初名の忠温(ただよし/ただはる/ただあつ)から斉興に改名。従四位下、侍従兼豊後守に叙任。

文化6年(1809年)6月、近思録崩れの責任を取る形で父・斉宣が祖父・重豪によって強制隠居させられたため、家督を継いで第10代藩主となった。しかし藩主になったとはいえ、藩政改革などの実権は重豪に握られていた。

天保4年(1833年)、重豪が89歳で大往生を遂げるとようやく藩政の実権を握り、重豪の代からの藩政改革の重鎮・調所広郷を重用して、財政改革を主とした藩政改革に取り組んだ。藩政改革では調所主導の元、借金の250年分割支払いやとの密貿易、砂糖の専売などが大いに効果を現わし、薩摩藩の財政は一気に回復したが、嘉永元年(1848年)幕府から密貿易の件で咎められ、責任者の調所は12月に急死した。斉興に責任を及ばさないために1人で罪を被り、服毒自殺したとされる。

お由羅騒動[編集]

この頃になると、斉興の後継ぎをめぐって藩内では争いが起きていた。斉興の成人した男児に正室・弥姫(周子)(鳥取藩主・池田治道の娘)との間に嫡子・斉彬が、側室・お由羅の方との間には五男・久光がいた(次男・斉敏は岡山池田氏を継いでいた)。本来ならば嫡男の斉彬が継ぐはずであるが、斉興はお由羅とその間に生まれた久光を溺愛し、彼を後継者にしようと考えていた。しかし藩内では聡明な斉彬を後継者に薦める者も少なくなく、嘉永2年(1849年)12月にはお家騒動(お由羅騒動)が勃発した。これは、斉彬の擁立を望む山田清安高崎五郎右衛門近藤隆左衛門ら50余名が対立する久光とその生母・お由羅の暗殺計画を謀ったものであるが、事前に計画が露見して自害させられた事件である。その後も藩内では斉彬派と久光派に分かれて対立が絶えなかったが、嘉永4年(1851年)2月、老中阿部正弘の調停により、斉興は隠居し、斉彬が家督を継ぐ事となったのである。

晩年と最期[編集]

安政5年(1858年7月16日、斉彬が先立って50歳で急死すると、斉彬の遺言により藩主は久光の長男・忠徳が継いだが、忠徳が若年であることを理由に再び藩政を掌握し、西郷隆盛を始めとする斉彬派の家臣を大粛清し、集成館事業を一時廃止したため、一気に時代に逆行した復古的な政策に転換した藩政は混乱した。安政6年(1859年)9月12日に死去。享年69(満67歳没)

人物・逸話[編集]

  • 斉興時代に行なわれた改革で薩摩藩は経済発展を果たし、幕末期の財産となったといえる。
  • 斉彬を嫌ったのは、正室の弥姫(周子)と仲が悪かったためとも言われている。反対に、弥姫との仲はよかったとも言われている。斉興は周子との間に4男1女を儲けており、うち3人目の諸之助は久光と同じ年の生まれである。文政2年に諸之助は死去するが同年に4男の珍之助を生む。翌年珍之助は死去する。実は周子にはお由羅を含む側室たちよりも多くの子を産ませているが、これは薩摩藩では異例なことであった。
  • 斉彬の急死に関しては、江戸幕府と対立姿勢を強める斉彬の姿勢に対して不満を持つ斉興による毒殺ともいわれる。しかしながら、斉彬が幕府のいいなりになっていることに不満を感じていた資料が存在している。
  • 斉興がなかなか隠居しなかったのは従三位への官位昇進を狙っていた為という。このため、隠居しても官位昇進が可能だと知るとあっさり隠居したという。
  • 隠居後も斉彬を後見すること宣言しており、これをやめさせるのに半年かかったという。
  • 斉興は薩摩切子を代表とするガラス製造には関心があったらしい。
  • 若い頃から密教に対する関心が強く、文化7年(1810年)以前に大覚寺門跡亮深より「亮忍」の法諱を授けられ、文政5年(1822年)6月には在俗のまま大僧都法印の免状を受けている。また、文政4年(1821年)には寺社奉行を通じて、領内全域の寺社に『法華経』の「普門品」を与えている[2]
  • 今上天皇は斉興の来孫に当たる[注釈 2]

島津斉興と「直看秘法」[編集]

鹿児島県歴史資料センター黎明館には「玉里島津家資料」の1つとして『直看経作法伝書』と呼ばれる黒漆塗りの函に納められた文書群が存在する。金泥が施された函の蓋の表題および裏蓋に記された目録の文字は斉興本人の直筆であり、蒔絵が施された目録には文政11年2月25日の日付と斉興自身の花押があることから、斉興自身によって作成・保管された文書群であったことが分かる[3]

斉興は元々島津家に関して独自の歴史観を持っていたことは文政5年に自らの草稿を元に木場貞良に整理・作成した『系譜略』(東京大学史料編纂所所蔵)で知られていた。同書下巻の諸言によれば、瓊瓊杵尊から三種の神器とともに代々伝えられてきた歴代天皇の秘法が存在していたが、清和天皇が我が子経基王臣籍降下する際にこの秘法を授けて経基が「虎ノ巻」と呼び、「虎巻秘法」の名で代々嫡流に伝えられたとする。源頼朝は「虎巻秘法」を島津忠久(島津家には忠久を頼朝の落胤とする伝承がある)に授け島津家歴代当主によって守られてきたが、島津光久の時代に江戸幕府にそのことを追及されたため「虎巻秘法」は失われたと偽って秘かに「直看秘法」と改めて歴代当主のみが知る「最極甚深秘事」としたと記す。すなわち、斉興は「瓊瓊杵尊以来の歴代天皇の秘法が清和源氏の嫡流である島津家当主によって今日まで継承されている」という主張していたことになる。「直看秘法(虎巻秘法)」の実際の由来など不明な部分もあるが、少なくても斉興はこれを史実として信じて、その実践が島津家歴代当主の勤めと信じていた[4]

『直看経作法伝書』は斉興が存在を主張する「直看秘法(虎巻秘法)」に関する集大成であり、その中にある『虎巻根本諸作法最口伝規則』という斉興自筆の文書には文政10年(1827年)に硫黄島八咫鏡が発見され、斉興がこれを入手した時の感慨が記されている。斉興は京都御所(当時)にある八咫鏡は本物ではなく、本物は安徳天皇によって硫黄島に持ち出され、「直看秘法」の実践者である自分が得ることになったと確信し、上山城(現在の城山)に宮を造営して安置したという[5]。安徳天皇の末裔を名乗っていた硫黄島の長浜家(いわゆる「長浜天皇」)には島津家によって中身を持ち出されたとする「開かずの箱」事件が伝えられており[6]、この2つの出来事は対応しているとみられている。

なお、斉興が入手して本物であると主張した八咫鏡とそれを収めた宮の所在は現在では不明となっている[7]

官歴[編集]

※日付は旧暦

  • 文化元年(1804年)10月、元服。将軍・徳川家斉の1字を与えられ、斉興と名乗る。従四位下、侍従兼豊後守。
  • 文化6年(1809年)6月17日、家督相続。12月16日、左近衛権少将に転任。
  • 文政元年(1818年)12月16日、従四位上、左近衛権中将。
  • 文政年間年月不明、左近衛権中将如元。
  • 天保2年(1831年)、正四位下。
  • 天保3年(1832年)5月18日、大隅守と改称。
  • 天保9年(1838年)12月、参議。
  • 天保12年(1841年)12月、正四位上。
  • 嘉永4年(1851年)2月、隠居
  • 安政5年(1858年)、従三位。

家系[編集]

両親
兄弟姉妹
正室
  • 弥姫(周子、賢章院)
側室
子女
養女(…実は妹)

登場作品[編集]

NHK大河ドラマ

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 当初、鈴木氏が娘を旗本に養女に出してから側室にしたのがとがめられたとされる[1]。しかし、徳川将軍家の側室もこのような形で出身を底上げしていることは多く、何故このことが諍いとなったのかは今なお解明されていない。
  2. ^ 斉興-久光-忠義邦彦王妃俔子香淳皇后-今上天皇

出典[編集]

  1. ^ 薩藩旧記雑録』所収文書など。
  2. ^ 鈴木、井上編(2016年)、P98
  3. ^ 鈴木、井上編(2016年)、P101-102
  4. ^ 鈴木、井上編(2016年)、P99-100
  5. ^ 鈴木、井上編(2016年)、P103-106
  6. ^ 鈴木、井上編(2016年)、P86-89、94-97
  7. ^ 鈴木、井上編(2016年)、P106

参考文献[編集]

  • 鈴木彰「硫黄島の安徳天皇伝承と薩摩藩・島津斉興-文政十年の「宝鏡」召し上げをめぐって-」井上泰至『近世日本の歴史叙述と対外意識』勉誠出版、2016年7月 ISBN 978-4-585-22152-4