島津忠卿

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島津忠卿
時代 江戸時代
生誕 寛保2年(1742年
死没 宝暦4年11月13日1754年12月26日
別名 三次郎、因幡
主君 島津継豊
薩摩藩
氏族 島津氏
父母 父:島津吉貴
兄弟 島津継豊島津貴儔、島津忠紀、島津久亮、島津貴澄、島津忠卿島津忠温
養子:忠温

島津 忠卿(しまづ たださと)は、島津氏今和泉家第6代当主。薩摩藩島津吉貴の七男。

生涯[編集]

寛保2年(1742年)、薩摩藩4代藩主島津吉貴の六男として生まれる。当時、吉貴は既に藩主を退き隠居の立場であった。延享元年(1744年)兄の5代藩主島津継豊の命で、一門和泉家の名跡を相続して、今和泉家を創設する。和泉家は、島津家第4代忠宗の次男・忠氏に始まる家で、応永24年(1417年)川辺城の戦いで5代当主直久が戦死して以来長らく絶えていた。

宝暦4年(1754年)11月13日、死去。享年13。家督は、実弟・安之助(忠温)が、養子入りしていた小松家との養子縁組を解消して相続した。後に今和泉家からは、13代将軍家定正室の天璋院を出すこととなる。