島津忠喬

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島津 忠喬(しまづ ただたか、寛政11年(1799年) - 文久元年10月12日1861年11月14日))は、江戸時代後期の薩摩藩士。

経歴[編集]

今和泉島津家第9代当主。父は島津重豪の子で「近秘野艸」(『鹿児島県史料』「伊地知季安著作史料集六」所収)で重豪の仮養子にして従兄弟の島津久徴の子。(重年仮養子にして知覧島津家島津久峰の嫡孫)の島津忠厚。兄に加治木島津家当主久徳、弟に民之進(寛政13年没早世)。子に万千代(天保5年11月10日11歳で没)、卿静(万吉、安政4年11月10日26歳で没)。文政8年(1825年)、父の隠居により家督を相続。花岡島津家の島津久賢の養子になっていた島津忠剛を養子にし、のちに家督を継がせている。戒名は誠恭院殿芩翁儀道大居士。