島津忠麿

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島津忠麿

島津 忠麿(しまづ ただまろ、1877年明治10年)5月4日[1] - 1926年大正15年)9月20日[1][2])は、明治・大正期の政治家華族貴族院伯爵議員

経歴[編集]

佐土原藩主家当主・島津忠亮の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1909年7月23日に伯爵を襲爵した[1][3][4][5]

学習院を修了[2][4]1911年7月、貴族院伯爵議員に選出され[2][6]1918年7月まで1期在任した[2]

親族[編集]

  • 妻 島津松子(真田幸民長女)[1]
  • 松子は3人の娘に恵まれ、3人とも嫁ぐが、全員に先立たれている。(長女は1921年に21歳没、次女は1942年に41歳没、三女は1928年に23歳没)
  • 養子 島津久範島津忠義七男、式部官)[1]
  • 長女 島津随子(久範先妻)[1][4]
  • 二女 九条文子(九条道秀夫人)[1][4]
  • 道秀とその後妻・成子(土山尊弘次女)の間で、文子の死没以前に1男2女が生まれているため、道秀と文子は離婚していると推測される。
  • 三女 島津秀子(久範後妻)[1][4]
  • 妹 島津徳子(島津久中夫人)[1]
  • 島津健之助(男爵)・阿部正寛阿部正功養子)[1][4]
  • 長女随子は島津久範に嫁ぐが、子を残さぬまま、21歳で早世。死後、次妹の秀子が嫁ぎ、雅子(勧山弘夫人)、敏子(萩原光雄夫人)、忠韶(次代当主)を産むが、こちらも1928年に23歳で早世。九条道秀夫人となった長妹の文子も1942年に早世。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『平成新修旧華族家系大成』上巻、736-737頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』26頁。
  3. ^ a b 『人事興信録』第7版、し59頁。
  4. ^ a b c d e f g 『華族畫報』上、289-290頁。
  5. ^ 『官報』第7824号、明治42年7月24日。
  6. ^ 『官報』第8423号、明治44年7月20日。

参考文献[編集]

  • 杉謙二編『華族畫報』上、吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』上巻、社団法人霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第7版、1925年。


日本の爵位
先代:
島津忠亮
伯爵
佐土原島津家第2代
1909年 - 1926年
次代:
島津久範