島津久豪

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島津久豪
時代 江戸時代中期
生誕 貞享元年(1684年
死没 延享2年10月6日1745年10月30日
改名 長熊丸(幼名)→久武(初名)→久豪
別名 通称:杢
戒名 瑞祥院殿昭麟一角大居士
墓所 鹿児島県南九州市知覧町郡の島津墓地
主君 島津吉貴継豊宗信
薩摩藩知覧私領主
氏族 知覧島津家
父母 父:島津久逵
兄弟 久基久豪
養子:久峰
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島津 久豪(しまづ ひさたけ)は、江戸時代中期の薩摩藩士。知覧島津家17代当主。

生涯[編集]

貞享元年(1684年)、島津久逵の次男として生まれる。兄・久基が早世したため、嫡男となる。元禄3年(1690年)、藩主・島津綱貴の久逵邸御成の際に、綱貴の加冠で元服した。

宝永2年(1705年)、藩主・島津吉貴の帰国許可の謝使として江戸城に登城し、将軍徳川綱吉に拝謁する。宝永5年(1708年)、大目付となり職田500石を賜る。正徳元年(1711年)、島津吉貴より、父・久逵の功績を賞されて島津姓を代々名乗ることを許される。享保3年(1718年)、父の隠居により家督相続、国老となり1300石の職田を賜る。高岡地頭職となる。

享保17年(1732年)、藩主・島津継豊の三男・久峰を極秘のうちに養子とし、直子とする。延享2年(1745年)10月6日没、享年62。

家督は養子の久峰が相続した。

参考文献[編集]

  • 『知覧郷土史』