島津長丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

島津 長丸(しまづ ながまる、明治4年9月18日1871年10月31日)- 昭和2年(1927年2月1日[1][2])は、明治から大正にかけての華族男爵)。島津氏一門・宮之城家16代当主。島津久治の長男。貴族院議員を務めた。

生涯[編集]

明治4年(1871年)、宮之城家第15代当主島津久治(島津図書)の長男として誕生。生後間もない明治5年(1872年)1月に父を失う。

明治29年(1896年鹿児島市平ノ馬場町に私立鶴嶺女学校を創立した。明治30年(1897年)10月に男爵を授けられた[1]

武徳会鹿児島支部副長、鹿児島電気軌道監査役、都市計画鹿児島地方委員会委員などを歴任。また、貴族院男爵議員1901年9月から1904年7月まで務め、さらに1916年5月に再び選出され死去するまで在任した[3]

栄典[編集]

家族・親族[編集]

妻は、久治の弟島津珍彦の娘ハル(治子)で、島津久光・千百子を祖父母に持ついとこ婚。ハルは昭和に入って宮内省に出仕し、皇后宮女官長を務めた。

平成新修旧華族家系大成』によれば1男5女。家督は長男の島津忠丸(ただまる、1913年生まれ)が継いだ。長女の廣子(1897年生まれ)は三井高修三井小石川家)に、二女の泰子(1899年生まれ)は二条厚基公爵(二条基弘の子)にそれぞれ嫁している[1]。ほかに1902年生まれの娘・澄子があり、谷正之に嫁ぐ[8]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 平成新修旧華族家系大成』上、p.747
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』74頁は、没日を2月2日とする。
  3. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』74頁。
  4. ^ 『官報』第6135号「叙任及辞令」1903年12月12日。
  5. ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
  6. ^ 『官報』第1930号「叙任及辞令」1919年1月11日。
  7. ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。
  8. ^ 島津忠丸『人事興信録. 8版』1928

参考文献[編集]

  • 『角川日本姓氏歴史人物大辞典 鹿児島県姓氏家系大辞典』(鹿児島県姓氏家系大辞典編纂委員会、角川書店、1994年)
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』霞会館、1996年


日本の爵位
先代:
叙爵
男爵
(宮之城)島津家初代
1897年 - 1927年
次代:
島津忠丸