島津貴敦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
島津貴敦
時代 幕末
生誕 天保3年5月14日1832年6月12日
死没 明治23年(1890年9月20日
改名 小源太(幼名)→貴敦
別名 又四郎、讃岐(通称)、亀遊(号)
墓所 鹿児島県垂水市田神の垂水島津家墓所(心翁寺跡)
主君 島津斉興斉彬忠義
薩摩藩
氏族 垂水島津家
父母 父:島津貴典、母:お絮(いと)(島津忠寛の娘)
兄弟 貴敦入来院公寛
正室:八百姫南部信順の娘)
貴徳

島津 貴敦(しまづ たかあつ)は、江戸時代後期の薩摩藩士。大隅郡垂水[1]領主。藩主一門垂水島津家14代当主。

経歴[編集]

天保3年(1832年)5月14日、一門垂水家島津貴典の長男として生まれる。幼名は小源太。安政3年(1856年)、貴典が隠居して家督を相続した。

文久3年(1863年)5月、藩主島津斉彬の命で領内洲崎に台場を建設する。同年8月、薩英戦争に出陣して戦功があった。明治元年(1868年)、戊辰戦争にも家老町田案山子率いる小銃隊を出陣させ、このときの功績により、孫の貴暢が明治30年(1897年)に男爵に叙されている。

明治2年(1869年)8月、版籍奉還により垂水領を返上して士族となる。明治9年(1876年)5月15日、家督を貴徳に譲る。明治23年(1890年)9月20日、死去。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 『垂水市史』第1巻 垂水市史編集委員会、1973年