亀田大毅
基本情報 | |
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本名 | 亀田 大毅 |
通称 | 浪速乃弁慶 |
階級 | スーパーフライ級 |
身長 | 167cm[1] |
リーチ | 164cm[1] |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1989年1月6日(35歳) |
出身地 | 大阪府大阪市 |
スタイル | 右ファイター |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 26 |
勝ち | 23 |
KO勝ち | 15 |
敗け | 3 |
亀田 大毅(かめだ だいき、男性、1989年1月6日 - )は、日本のプロボクサー。現WBA世界スーパーフライ級第1位。元WBA世界フライ級王者。大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。亀田三兄弟の次男で、亀田興毅の弟であり、亀田和毅の兄である。父の亀田史郎がトレーナーを務めていた。
人物
- 自称「浪速乃弁慶」(なにわのべんけい)。その由来は「倒れないタフなところ」に憧れたもの。
- デビュー戦用のポスターには自ら武蔵坊弁慶のイラストを描いた。
- イラストが得意で、イラストレーター志望、ピアノ演奏や歌唱により音楽志望という報道がなされたこともある。
- プロライセンスの実技試験には、50人を超える報道陣が集まり、同日にパシフィコ横浜でデビュー戦を行った。
- 主にKO勝ちした場合、試合後リング上で歌いあげるパフォーマンスを行なっていたが、内藤戦以降は歌のパフォーマンスを取りやめている。一番好きな歌はT-BOLANの離したくはない。リンク先も参照。
- 誕生日が1989年1月6日、つまり大変珍しい「昭和64年」生まれの著名人である。
- 2007年の内藤大助戦を前に、内藤をゴキブリ呼ばわりし物議をかもした揚句、試合中に反則を繰り返しマスコミから過度のバッシングを浴びた。
- 2008年1月27日、都内で車を運転中、追突事故を起こした。その後、この事故に関して大毅は報道陣に「車はぶつけるもんやろ」と発言していたことが分かり、不謹慎であるとして金平桂一郎会長が厳罰を示唆した[2]。
- 競馬ファンであり、自身の思い入れのある競走馬はダイワスカーレットと言う[3]。また、元プロ野球選手で同じく競馬ファンの大道典嘉や騎手の三浦皇成などと親交がある。
- 前記の通り物議をかもす発言や行動が多かったが、近年は落ち着いてきている。2010年4月25日放送のマルコポロリでは「俺あんまメンチ切りたくないねん。」、「(内藤戦の前は)調子のってたから。」等々の発言がある。また、かつては敬語を使わないと批判されていたが、現在バラエティ番組に出演した際には年上には敬語を使っている。
来歴
小学生からボクシングを始め、天下茶屋中学卒業後はアマチュアの試合に出場し13勝(4KO・RSC)2敗。
2004年5月に、史上最年少の15歳3か月で全日本実業団選手権バンタム級優勝。2005年11月、協栄ボクシングジムに入門。
2005年9月14日、当時WBA世界フライ級王者のロレンソ・パーラ(ベネズエラ)とスパーリングを行った。その際、大毅は体当たりや頭突きなどのラフファイトを展開。これに激怒したパーラは、大毅を一方的に打ちまくり、スパーリングでダウン寸前まで追い込んだ。
2006年1月11日、B級ライセンス(6回戦)のプロテストに合格。
2006年2月26日のプロデビュー戦から10連勝を果たした。
2007年10月11日にWBC世界フライ級王者の内藤大助(日本)に挑戦したが、大差の判定負けとなった。この試合での反則行為により1年間のボクサーライセンス停止処分を受けた。
2008年5月9日付けで亀田興毅と共に協栄ジムとの契約を解除された。2人は東日本ボクシング協会に協会預かり申請をしていたが、6月9日の理事会で要請を却下することを全会一致で決定。その後、亀田ジム設立に伴い兄弟たちと同様にその所属選手となった。
1年間のライセンス停止処分明けの2008年11月6日にノンタイトル10回戦を行い、アンヘル・レサゴ(メキシコ)を5回KOにより下して勝利し復帰戦を飾ると、次の2戦にもKO勝利を収めた。
2009年5月13日に復帰4戦目の相手として内藤以来の日本人対戦相手として予定されていた元OPBF東洋太平洋フライ級王者の小松則幸(グリーンツダ)が2009年4月13日に死去。
2009年10月6日、WBA世界フライ級王者デンカオセーン・カオウィチット(タイ)に挑戦するも、0-2の判定負けを喫した[4]。
2010年2月7日、WBA世界フライ級王者デンカオセーン・カオウィチットに再び挑戦し、3-0の判定勝ち。日本人初の兄弟王者となった[5]。
2010年9月25日、初防衛戦で元WBA世界フライ級王者坂田健史(日本)と対戦し、3-0の判定勝ちを収めて初防衛に成功した[6]。
2010年12月26日、さいたまスーパーアリーナにて同級14位のシルビオ・オルティアーヌ(ルーマニア)を迎えて2度目の防衛戦を行い、中盤以降に手数が少なくなったものの全体的にはパンチの的確性で上回り、12R判定(2-1)勝ちを収めて2度目の防衛に成功した[7]。
2011年1月6日、昨年12月に2度目の防衛に成功したWBA世界フライ級王座を、2011年1月1日付けで返上していたことが所属ジムより発表された[8]。
戦績
プロボクシング:26戦23勝(15KO)3敗
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
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1 | 2006年2月26日 | 勝利 | 1R 0:23 | KO | サマート・シットサイトン | タイ | プロデビュー戦 |
2 | 2006年4月17日 | 勝利 | 6R | 判定3-0 | サマート・ツインズジム | タイ | |
3 | 2006年5月5日 | 勝利 | 1R 1:30 | KO | キティポップ・サンディジム | タイ | |
4 | 2006年6月5日 | 勝利 | 5R 0:27 | TKO | ヨッピー・ベヌー | インドネシア | |
5 | 2006年8月20日 | 勝利 | 1R 1:45 | KO | ウィド・パエス | インドネシア | |
6 | 2006年9月27日 | 勝利 | 8R | 判定2-0 | バレリオ・サンチェス | メキシコ | |
7 | 2006年12月20日 | 勝利 | 1R 0:37 | KO | モハマド・サディック | インドネシア | |
8 | 2007年2月24日 | 勝利 | 3R 1:18 | KO | ビッキー・タフミル | インドネシア | |
9 | 2007年4月30日 | 勝利 | 2R 2:21 | KO | クリストファー・テポラ | フィリピン | |
10 | 2007年7月28日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | ファーペッチノーイ・クラティンデーンジム | タイ | |
11 | 2007年10月11日 | 敗北 | 12R | 判定0-3 | 内藤大助 (宮田) | 日本 | WBC世界フライ級タイトルマッチ |
12 | 2008年11月6日 | 勝利 | 5R 1:47 | KO | アンヘル・レサゴ | メキシコ | |
13 | 2008年12月8日 | 勝利 | 3R 1:32 | KO | イサック・ブストス | メキシコ | |
14 | 2009年3月4日 | 勝利 | 6R 0:27 | KO | ワンディー・シンワンチャー | タイ | |
15 | 2009年5月13日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | ブンブン東栄 (一力) | フィリピン、日本 | |
16 | 2009年8月30日 | 勝利 | 4R 0:30 | KO | ホセ・アルベルト・クアドロス | メキシコ | |
17 | 2009年10月6日 | 敗北 | 12R | 判定0-2 | デンカオセーン・カオウィチット | タイ | WBA世界フライ級タイトルマッチ |
18 | 2010年2月7日 | 勝利 | 12R | 判定3-0 | デンカオセーン・カオウィチット | タイ | WBA世界フライ級タイトルマッチ |
19 | 2010年7月25日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | ロセンド・ベガ | メキシコ | (ノンタイトル) |
20 | 2010年9月25日 | 勝利 | 12R | 判定3-0 | 坂田健史 (協栄) | 日本 | WBA防衛1 |
21 | 2010年12月26日 | 勝利 | 12R | 判定2-1 | シルビオ・オルティアーヌ | ルーマニア | WBA防衛2→王座返上 |
22 | 2011年4月2日 | 勝利 | 5R 0:37 | KO | ヘスス・マルチネス | メキシコ | |
23 | 2011年7月8日 | 勝利 | 2R 1:42 | KO | チャッチャイ・モンソジム | タイ | |
24 | 2011年9月24日 | 勝利 | 1R 2:20 | KO | ラウル・イダルゴ | メキシコ | WBAインターナショナルスーパーフライ級王座獲得 |
25 | 2011年12月7日 | 敗北 | 12R | 判定0-3 | テーパリット・ゴーキャットジム | タイ | WBA世界スーパー・フライ級タイトルマッチ |
26 | 2012年4月4日 | 勝利 | 2R 2:53 | KO | ポンペッチ・ツインズジム | タイ | |
テンプレート |
- 2006年2月26日、対サマート・シットサイトン(タイ)1R23秒KO勝利
- 試合開始10秒、左フックによるKO勝利。対戦前に宣言していた「兄の興毅が記録した“1ラウンド44秒のKO勝利”を抜く」を実行した。
- シットサイトンは日本ボクシングコミッションから2006年度の招聘禁止選手[9](来日成績が未勝利かつ、KO負けや無気力試合の末の大差判定負けが続いている選手──主にタイ人が指定される)であったが、指定された後の2005年12月にタイ国で1勝を挙げ、同国コミッションより「B級(6回戦)の試合の出場が適う」と推薦を得た上で日本での試合出場が認められていた(「ボクシング・マガジン」2006年4月号より)。
- 「ONLY LOVE」(HOUND DOG)を歌う。
- 2006年4月17日、対サマート・ツインズジム(タイ)6R判定勝利(3-0)
- 連続KO日本記録更新を狙うと豪語していたが、早くも記録はストップ。
- 2006年5月5日、対キティポップ・サンディジム(タイ)1R1分30秒KO勝利
- 「ff(フォルティシモ)」(HOUND DOG)を歌う。
- 2006年8月20日、対ウィド・パエス(インドネシア)1R1分45秒KO勝利
- パエスは当時インドネシアマイナー団体の現役王者。
- 「ロード」(THE 虎舞竜)、アンコールとして「Dear」(T-BOLAN)を歌う。
- 2006年9月27日、対バレリオ・サンチェス(メキシコ、当時WBC世界スーパーフライ級21位)8R判定勝利(2-0)
- サンチェスは当時36歳、34戦17勝。試合はWBAのメンドーサ会長・役員も観戦していた。
- 試合後、判定内容を批判した観客と、別の観客および亀田史郎らとの間で揉み合いが発生した。
- 試合後、メンドーサ会長は、大毅の印象について、潜在能力があるが、経験が不足していることを指摘するコメントをしている。
- 2006年12月20日、対モハマド・サディック(インドネシア、当時インドネシアライトフライ級4位)1R37秒KO勝利
- サディックは当時33歳、プロボクシング戦績データベースBoxRecで確認しうる公式試合記録は7戦0勝6敗1引き分け)[10]
- 「いつかのメリークリスマス」(B'z)を歌う。
- 2007年2月24日、対ビッキー・タフミル(インドネシア、当時WBAライトフライ級4位)3R1分18秒KO勝利
- タフミルは当時32歳、33戦31勝10KO2分。ただし、以前「ボクシング・マガジン」誌で、この戦績に懐疑的な見地からのレポートが掲載されたことがある。
- 2Rにはスリップダウンの際に大毅からエルボー・ドロップのような体当たりを喰らい、悶絶。これを戦意喪失と判断したレフェリーからダウンのコールを受けてから試合続行を拒否するような素振りを見せ始めた。果たして3R、大毅にボディブローでノックダウンされた際、タフミルは本人曰く「抗議のパフォーマンス」という満面の笑みを浮かべつつ10カウントコールを聞いた。試合VTRで観戦していた興毅がタフミルを見て「何やコイツ!?」と声を上げ驚いていた。
- この試合の後に発表されたWBAランキングでタフミルはランキング圏外に陥落(WBAの公式見解によると、陥落の理由は「ノーランカーの亀田大毅に敗れたため」)。大毅は事務処理の手違いでランキング入りしなかったが、所属の協栄ジムからの指摘・抗議を経て翌月発表のランキングで世界10位に認定された。
- 「love song」(森友嵐士によるオリジナル曲)を歌う。
- 2007年4月30日、対クリストファー・テポラ(フィリピン、当時フィリピンスーパーフライ級12位)2R2分21秒KO勝利
- テポラは当時23歳、22戦9勝4KO8敗5分。
- 「ファンからの要望が最も多かった」として「道」(EXILE)、続けて「love song」を歌う。
- 2007年7月28日、対ファーペッチノーイ・クラティンデーンジム(タイ、当時WBCフライ級17位)10R判定勝利(3-0)
- 「love song」を歌う。
- WBC世界フライ級タイトルマッチ。大毅は日本人最年少での世界タイトル挑戦となった。
- 内藤は当時33歳、35戦31勝20KO2敗2分。まず、対戦前の調印式において切腹発言[11]をしたことが話題になった。特に12Rの投げ技(数度クリンチしたまま縺れ合うように崩した他、内藤の下半身にクリンチした体勢から内藤の足が床から離れるように持ち上げ、レフェリーの静止を無視し投げた。)には非難が集まった。
- 10月15日、日本ボクシングコミッションより1年間のライセンス停止処分が下された。また、10月17日の夕方、大毅は亀田史郎トレーナー、金平桂一郎協栄ジム会長とともに日本ボクシングコミッションを訪れ、前述の反則行為について謝罪会見を開いた。大毅はトレードマークの金髪を剃り、坊主頭で記者会見に臨んだが、終始うつむいたまま何も語らず、わずか2分強で会見場を後にした。
- 2008年11月6日、対アンヘル・レサゴ(メキシコ)5R1分47秒KO勝利
- レサゴは25戦16勝(9KO)7敗2分。
- 約1年1か月ぶりの復帰戦をKO勝利で飾る。
- 2008年12月8日、対イサック・ブストス(メキシコ、元WBC世界ミニマム級王者)3R1分32秒KO勝利
- ブストスの対戦前の戦績は36戦25勝(13KO)8敗3分。
- 2009年3月4日、対ワンディー・シンワンチャー(タイ、元WBC世界ミニマム級王者、元WBC世界ライトフライ級暫定王者)6R27秒KO勝利
- ワンディーの対戦前の戦績は67戦56勝(12KO)10敗1分。
- 2009年5月13日、対ブンブン東栄(フィリピン・一力ジム、元WBCインターナショナルミニマム級王者)10R判定勝利(3-0)
- ブンブン東栄(ガブリエル・プマール)の対戦前の戦績は14戦11勝(6KO)2敗1分。
- 2009年8月30日、対ホセ・アルベルト・クアドロス(メキシコ)4R0分30秒KO勝利
- 世界前哨戦として53.0kg契約10回戦。
- 2009年10月6日、対デンカオセーン・カオウィチット(タイ) 12R判定負け(0-2)
- WBA世界フライ級タイトルマッチ。
- 試合は序盤にデンカオセーンの執拗なボディブローに苦しみ、中盤あたりから自ら打って出るものの決定打に欠き、0-2の判定負けで王座を奪うことは出来なかった。
- 2010年2月7日、対デンカオセーン・カオウィチット(タイ) 12R判定勝利(3-0)
- WBA世界フライ級タイトルマッチ。
- デンカオセーンが2度のホールディングによる反則を取られたこともあり、3-0の判定で勝利する。
- 2010年12月26日、対シルビオ・オルティアーヌ(ルーマニア) 12R判定勝利(2-1)
- WBA世界フライ級タイトルマッチ。
- 2-1の判定で勝利。2度目の防衛に成功。
- 2011年12月7日、対テーパリット・ゴーキャットジム(タイ) 12R判定負け(0-3)
- WBA世界スーパー・フライ級タイトルマッチ。
- 0-3の判定負けにより、2階級制覇は実現しなかった。
獲得タイトル
税金・申告漏れ
2009年10月、兄・興毅と揃って東京国税局の税務調査を受け、2007年までの3年間の個人所得について、1億円の申告漏れが発覚した。過少申告加算税なども含めた追徴税額は数千万円にのぼる。既に修正申告は済んでいる。
著書
- 亀田大毅 『亀田大毅のゼロから出直しやっ!』 講談社、2008年11月5日 ISBN 978-4062151368
メディア出演
この節の加筆が望まれています。 |
テレビ
- 関口宏の東京フレンドパークII(TBS、2010年2月4日) ※3兄弟で出演
- ウチくる!?(フジテレビ、2010年3月28日、4月4日)
- クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ、2010年4月14日)
- AKBINGO!(日本テレビ、2010年6月2日 - 16日)
- run for money 逃走中(フジテレビ、2010年8月28日)
- もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!(テレビ朝日系、2010年11月22日)
ラジオ
- アリス・イン・ワンダーランド公開記念 亀田兄弟のオールナイトニッポン(ニッポン放送、2010年4月2日)
脚注
- ^ a b 大毅と坂田、別々に検診 25日WBAフライ級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年9月21日
- ^ デイリースポーツ 2008年2月19日「亀田兄弟解雇も…金平会長が厳罰示唆
- ^ 宝島社「競馬名馬読本DX」2011年発行 亀田大毅インタビュー記事より
- ^ 亀田大毅0-2判定負け WBAフライ級挑戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年10月6日
- ^ 速報・日本初の兄弟世界王者誕生 亀田大毅が判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月7日
- ^ 大毅が坂田に判定勝ち WBAフライ級初防衛 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年9月26日
- ^ 弟大毅は苦闘の2-1判定で初防衛 WBAフライ級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年12月27日
- ^ 大毅22歳誕生日にベルト返上明かした nikkansports.com 2011年1月6日
- ^ JBC2006年度招聘禁止ボクサー
- ^ BoxRecによるモハマド・サディックの戦績(公式な記録ではなく、すべての試合を網羅されていないことが多い。)
- ^ デイリースポーツ 2007年10月11日「亀田家“総口撃”に内藤タジタジ」
関連項目
外部リンク
- 亀田大毅オフィシャルブログ「みんなへ」
- BoxRecによる戦績
- プロフィール(サラエンタテインメント)
前王者 デンカオセーン・カオウィチット |
第71代WBA世界フライ級王者 2010年2月7日 - 2011年1月1日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ルイス・コンセプシオン |