東洋太平洋ボクシング連盟

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東洋太平洋ボクシング連盟
Oriental and Pacific Boxing Federation
略称 OPBF
設立年 1952年
設立者 真鍋八千代
種類 ボクシング組織
本部 フィリピンの旗 フィリピン
貢献地域 アジア・オセアニア地域
メンバー 16ヵ国・3地域
重要人物 マヌエル・ニエト
関連組織 世界ボクシング評議会(WBC)
ウェブサイト http://www.opbf.jp/
過去名 東洋ボクシング連盟(OBF)
1963年、WBC創設に参加。
1977年、組織名改称。

東洋太平洋ボクシング連盟: Oriental and Pacific Boxing Federation, OPBF)は、アジアオセアニア地域を統括するボクシング団体。世界ボクシング評議会(WBC)傘下の組織。本部は加盟国の持ち回りとなっており、2015年から本部はフィリピンにある。

歴史[編集]

1952年日本フィリピンタイ王国などが中心となって東洋ボクシング連盟OBF)として始まる。本部はフィリピンに置かれ、マヌエル・ニエトが初代会長に就任。なお、戦前に存在した東洋ボクシング連盟(OBF)との繋がりはない。

1963年にWBC創設に参加、1977年11月にオーストラリアおよびニュージーランドの加盟が承認され、東洋太平洋ボクシング連盟(OPBF)と改称される。

2008年11月3日に、中国の成都で開催された世界ボクシング評議会(WBC)の年次総会で、OPBFの本部をオーストラリアから日本に移動させることが決定された。これに伴い日本ボクシングコミッション(JBC)コミッショナー林有厚が会長に就任した。

2014年12月のWBC年次総会にて、OPBF本部をフィリピンに移動させることが決定[1]

女子の認定[編集]

2009年の日本への本部移動と同時に女子部門の設置も決定した。

2009年1月ランキングからは女子部門が創設され、アトム級からウェルター級まで(スーパーライト級を除く)11階級のランカーが発表された。それと同時に2008年11月29日に行われたスージー・ラマダン(オーストラリア)vsミッシェル・プレストン(ニュージーランド)の無敗対決をスーパーバンタム級王座決定戦と認定し、これに勝利したラマダンがOPBF初の女子王者となった。当初OPBFの女子タイトルマッチは10回戦と規定されていたが、10回戦を戦える女子プロボクサーがOPBF域内では絶対数が少ないため、2011年末のOPBF総会により 2012年からは8回戦に短縮することが決まった(以降も稀に10回戦となる場合もある)。現在、日本国内では日本女子ランキングはまだ創設されていないため、女子ボクサーはまず東洋太平洋でランキング入りを目指すことになる(2012年よりG Legendランキングが始動したが、公式なものではない)。

2016年6月ランキング時点で東洋太平洋女子王座には空位となっているスーパーフェザー級以上の階級を除きすべて日本の選手が就いている(ライト級もかつては風神ライカが就いていた)。

なお、それ以前の東洋女子王座(OPFBA)は別物である。

シルバー王座創設[編集]

2016年3月30日から3日間に渡りフィリピンで開かれた総会でシルバー王座創設を発表した[2]

当初、フィリピンGABよりOPBF戦活性化などを理由に正規王者の活動状況にかかわらず「暫定王座」として設立の意向を示し[2]、総会期間中に当たる4月1日に3階級の「暫定王座決定戦」という名目の試合が組まれていた(1試合は引き分け)が[3]

しかし、これに対してJBCより「権威がなくなる」等と意見を提出し、さらにWBC会長としてOPBF総会に初めて出席したマウリシオ・スライマンからの助言もあったため、暫定王座から「シルバー王座」に変わることになった[2]

なお、JBCはOPBFシルバー王座戦の国内開催は認めない方針を打ち出している[2]

加盟コミッション[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]