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沼田義明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沼田 義明
基本情報
本名 沼田 義明
通称 精密機械
階級 ジュニアライト級
(現スーパーフェザー級
身長 171cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1945-04-19) 1945年4月19日(80歳)
出身地 北海道沙流郡門別町
(現日高町
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 55
勝ち 44
KO勝ち 12
敗け 8
引き分け 3
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沼田 義明(ぬまた よしあき、男性、1945年4月19日 - )は、日本の元プロボクサー北海道沙流郡門別町(現日高町)出身。実家は日高町の沼田旅館。元WBAWBC世界ジュニアライト級(現スーパーフェザー級統一王者。WBC同級王座は分立後に返り咲きを果たし、1970年にJBCが承認した分立WBCの世界王者第1号でもある。元東洋ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)、ライト級王者。元 リングマガジン世界スーパーフェザー級王座。

日本プロボクシング史上初の日本人同士による世界タイトル戦を王者として戦った。

極東ジム会長の小高伊和夫から、足の置き所を1センチ単位で指導されるほどの厳密な英才教育を受け、その指導方針は「小高理論」と呼ばれた。沼田は「精密機械」と称される正確な技術を武器に世界王者となった[1][2]

テレビ朝日エキサイトボクシング」の解説者として知られ、清瀬市ボクシングジム開設後も引き続き解説者として活躍。55戦44勝(12KO)8敗3分。

来歴

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TBSテレビと極東ジムが企画した「ボクシング教室」に応募し、約7,000人の応募者の中から合格した30人に選ばれてボクシングを始めた[3]

  • 1962年、プロデビュー。
  • 1965年4月、東洋ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)王座獲得。以後2度防衛。
  • 1965年5月、ノンタイトル12回戦に判定で勝利、デビュー以来25連勝を達成。
  • 1966年6月、東洋ライト級王座に挑戦。当時世界ジュニアライト級王座も保持していた強豪フラッシュ・エロルデフィリピン)に12回判定勝ち。ジュニアライト級を含め東洋2冠。
  • 1967年6月15日、WBA・WBC世界ジュニアライト級王座に初挑戦。前年東洋王座を奪ったエロルデを15回判定で破り王座獲得。
  • 1967年12月14日、蔵前国技館で行われたプロボクシング史上初の日本人同士による世界タイトル戦。沼田は初防衛戦で、ランキング1位・小林弘の挑戦を受けた。小林が激闘の末に12回KO(15回制)で勝利し新チャンピオンとなった。経歴やスタイルの異なる両雄の対決は「精密機械」対「雑草」と煽られて大きな話題となった。
  • 1969年10月、WBA・WBC世界ライト級王座挑戦。マンド・ラモスに6回KOで敗れる。
  • 1970年4月5日、WBC世界ジュニアライト級王座挑戦。レネ・バリエントス(フィリピン)を15回判定に降し2度目の王座獲得。以後3度防衛。
  • 1970年9月27日、ラウル・ロハス米国)とのWBC王座初防衛戦で劇的な逆転勝ちを果たしている。ギャングとして少年時代を過ごしたというロハスは、西城正三にWBA世界フェザー級王座を明け渡した後は降り坂のボクサーだったが、豪快な強打は健在で、2階級制覇を賭けて沼田に挑んだ一戦でもあった。試合のゴングが打ち鳴らされた後、序盤からロハスがペースを握り、4回、沼田はロープ際でロハスの強烈なボディブローを浴びて痛烈にダウン。何とか立ち上がって再戦に応じたが、その後も連打にさらされ続けた。かろうじてゴングに逃げ込んだが、もはやKOは時間の問題と思われた。続く5回も、沼田はロープ際でロハスの連打を浴び続ける。しかし、ここから大逆転が始まる。一方的に打ち続けたロハスが打ち疲れて連打を止めると、その隙をついて沼田がパンチを浴びせ始めた。今度はロハスが沼田をコーナーに釘付けにして滅多打ちにしたが、沼田は倒れない。また打ち疲れてしまったロハスが手を止めると、沼田が反撃に転じ始めた。打ち疲れたロハスは反撃ができず、リング中央で逆に沼田の強烈な右アッパーをアゴにまともに受けて顔面から前のめりにキャンバスに崩れ落ちた。一度は体を起こしたロハスだったが、そのまま後ろに倒れこみ10カウントを聞いた[4]。大逆転KO勝ちで防衛に成功した沼田は後に、打たれながらロハスのガードが空くのを見ていたと語った。当時の映像からは、沼田がロープに釘付けにされながらも、クリーンヒットは一度ももらっておらず、冷静にロハスの動きをじっと見ているのが確認できる。危機的状況に追い込まれながらも冷静さを失わないこの試合巧者ぶりは、まさしく「精密機械」だった。

引退後の活動

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1986年から後進の指導にあたり、東京都内で「沼田ボクシングジム」を運営し、長年にわたりプロボクサーの育成に携わった。

1995年11月28日、同ジムから初の日本王者として、第11代ミニマム級王者・横山啓介を輩出した。[5]

2020年12月、沼田が会長を務める沼田ジムは、東日本ボクシング協会を退会した。これは沼田自身の高齢を理由とするもので、同ジムでは今後プロボクサーの育成は行わず、一般向けのボクシングジムとして存続する方針であることが報じられた[6]。ジムの閉鎖は行わず、健康維持やフィットネスを目的とした一般利用者を対象とする形で活動を継続するとされている[6]

戦績

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日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1962年7月26日 3R TKO 会田 利夫 日本の旗 日本 デビュー戦
2 1962年8月23日 4R 判定3-0 盛田 薫 日本の旗 日本
3 1962年10月18日 1R KO 唐司 和治 日本の旗 日本
4 1962年11月08日 2R KO 氷崎 条喜 日本の旗 日本
5 1962年11月24日 4R 判定3-0 阿部 忠夫 日本の旗 日本
6 1963年1月04日 1R TKO 金子 宏 日本の旗 日本
7 1963年2月05日 4R 判定3-0 秋本 進 日本の旗 日本
8 1963年3月07日 4R 判定3-0 松添 靖 日本の旗 日本
9 1963年4月11日 4R 判定3-0 北海 竜生 日本の旗 日本
10 1963年5月09日 2R KO 桝田 邦明 日本の旗 日本
11 1963年5月30日 6R 判定 菅原 勝博 日本の旗 日本
12 1963年7月11日 6R 判定 豊島 紀芳 日本の旗 日本
13 1963年9月12日 4R KO 島村 謙三 日本の旗 日本
14 1963年11月07日 3R TKO 中村 勝三 日本の旗 日本
15 1963年12月19日 10R 判定 織戸 泰行 日本の旗 日本
16 1964年3月12日 10R 判定3-0 ペドロ・アデグ フィリピンの旗 フィリピン
17 1964年4月23日 10R 判定 ヤン・ジェグン 大韓民国の旗 韓国
18 1964年5月28日 10R 判定3-0 レミー・カンポス フィリピンの旗 フィリピン
19 1964年7月30日 10R 判定2-0 ラリー・フェルナンド フィリピンの旗 フィリピン
20 1964年9月03日 10R 判定 矢部 勝美 日本の旗 日本
21 1964年11月05日 5R KO アトム 畑井 日本の旗 日本
22 1964年12月03日 10R 判定3-0 杉森 武夫 日本の旗 日本
23 1965年1月28日 10R 判定3-0 イ・ヨンパル 大韓民国の旗 韓国
24 1965年4月01日 12R 判定3-0 ラリー・フラビアノ フィリピンの旗 フィリピン OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座獲得
25 1965年5月20日 10R 判定3-0 辻本 英守 日本の旗 日本
26 1965年7月29日 4R KO 奄島 勇児 日本の旗 日本
27 1965年11月11日 10R 判定2-0 アントニオ・パイーパ ブラジルの旗 ブラジル
28 1965年12月23日 4R KO ラブ・アロッティ ガーナの旗 ガーナ
29 1966年2月10日 10R 判定0-3 徐強一 大韓民国の旗 韓国
30 1966年3月24日 2R KO イム・ジョンテ 大韓民国の旗 韓国 OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級防衛1
31 1966年6月09日 12R 判定3-0 フラッシュ・エロルデ フィリピンの旗 フィリピン OPBF東洋太平洋ライト級王座獲得
32 1966年8月11日 10R 判定0-3 デル・キッド・ロザリオ フィリピンの旗 フィリピン
33 1966年10月27日 12R 判定2-1 デル・キッド・ロザリオ フィリピンの旗 フィリピン OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級防衛2
34 1967年1月12日 10R 判定3-0 イ・グァンチュ 大韓民国の旗 韓国
35 1967年3月23日 10R 判定3-0 チョクチャイ・キリスチャイ タイ王国の旗 タイ
36 1967年6月15日 15R 判定2-0 フラッシュ・エロルデ フィリピンの旗 フィリピン WBA・WBC世界スーパーフェザー級王座獲得
37 1967年10月05日 10R 判定3-0 イ・セチュン 大韓民国の旗 韓国
38 1967年12月14日 12R KO 小林弘 日本の旗 日本 WBA・WBC世界スーパーフェザー級王座陥落
39 1968年3月21日 10R 判定3-0 岩田 肇 日本の旗 日本
40 1968年6月13日 7R KO 徐強一 大韓民国の旗 韓国 OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級防衛3
41 1968年9月12日 10R 判定3-0 ロサラベ・キッド フィリピンの旗 フィリピン
42 1968年12月05日 10R 判定 ルーベン・ナバロ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
43 1969年4月24日 10R 判定 虎岩 純 日本の旗 日本
44 1969年7月17日 10R 判定3-0 リカルド・バーミサ ブラジルの旗 ブラジル
45 1969年10月04日 6R KO マンド・ラモス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBA・WBC世界ライト級挑戦
46 1969年11月27日 2R KO 虎岩 純 日本の旗 日本
47 1970年1月01日 10R 判定 野畑 澄雄 日本の旗 日本
48 1970年4月05日 15R 判定2-1 レネ・バリエントス フィリピンの旗 フィリピン WBC世界スーパーフェザー級王座獲得
49 1970年6月13日 10R 判定3-0 イ・ジョンボク 大韓民国の旗 韓国
50 1970年8月16日 10R 判定3-0 レイモンド・リベラ フィリピンの旗 フィリピン
51 1970年9月27日 5R KO ラウル・ロハス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC世界防衛1
52 1971年1月03日 15R 判定2-1 レネ・バリエントス フィリピンの旗 フィリピン WBC世界防衛2
53 1971年5月30日 15R 判定3-0 ライオネル・ローズ オーストラリアの旗 オーストラリア WBC世界防衛3
54 1971年10月10日 10R KO リカルド・アルレドンド メキシコの旗 メキシコ WBC世界王座陥落
55 1972年3月02日 3R KO 岩田 健二 日本の旗 日本 ラストファイト
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獲得タイトル

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脚注

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  1. ^ 小高伊和夫会長 意外に面倒見のいい“偽悪者””. Boxing.jp. 2025年12月20日閲覧。
  2. ^ 世界王者を育てた名伯楽 小高伊和夫”. デイリー新潮. 2025年12月20日閲覧。
  3. ^ “元世界王者沼田義明会長のジム休会 高齢で病気がち”, 日刊スポーツ, 2020年12月16日, https://www.nikkansports.com/battle/news/202012160000624.html (参照日:2025-12-19)
  4. ^ 「ボクシング名勝負100」p.71。日刊スポーツ出版社
  5. ^ 横山啓介|ボクシング名鑑”. BoxingLib ボクシング名鑑. 2025年12月19日閲覧。
  6. ^ a b スポニチアネックス「沼田ジム、東日本ボクシング協会を退会 会長の高齢が理由」、2020年12月17日、https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2020/12/17/kiji/20201217s00021000132000c.html(参照日:2025-12-19)

関連項目

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外部リンク

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前王者
フラッシュ・エロルデ
WBCWBA統一世界ジュニアライト級王者

1967年6月15日 - 1967年12月14日

次王者
小林弘
前王者
レネ・バリエントス
WBC世界ジュニアライト級王者

1970年4月5日 - 1971年10月6日

次王者
リカルド・アルレドンド