清水智信

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清水 智信
基本情報
本名 清水 智信
通称 スピードスター
階級 スーパーフライ級
身長 167cm[1]
リーチ 171cm[1]
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1981-06-28) 1981年6月28日(36歳)
出身地 福井県福井市
スタイル ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 24
勝ち 19
KO勝ち 9
敗け 4
引き分け 1
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清水 智信(しみず とものぶ、1981年(昭和56年)6月28日 - )は、日本の元プロボクサー政治家。東京・大崎の学習塾「ブルカン塾」講師、福井県議会議員(1期)。福井県福井市出身。

第20代WBA世界スーパーフライ級王者。第51代日本フライ級王者。金子ボクシングジム所属。北陸高校東京農業大学卒業。メディア対応などについてはエーケー・グローバル・エージェントとマネジメント契約を結んでいる。入場曲は「ロッキーのテーマ」。

来歴[編集]

ボクシング[編集]

アマチュア時代[編集]

ボクシングの名門・東京農大ボクシング部で主将を務めた。同部は 五十嵐俊幸WBC世界フライ級王者、アテネ五輪日本代表)、井岡一翔 (元WBC・WBA世界ミニマム級・WBA世界ライトフライ級王者)を輩出している。

国体全日本選手権で準優勝の成績を残し、アテネオリンピック強化指定選手にも選ばれた。

プロ時代[編集]

卒業後はプロ転向。東京農大と同じ世田谷にある金子ジムにてプロとなった。

なお、現実の就職は秋葉原のラーメン名店である九州じゃんがら(株式会社タス21)であり、現在も勤務している。(後述)

2004年(平成16年)3月12日、後楽園ホールで溝神実雄を相手にB級でプロデビュー。2回TKO勝ちを収めた。

2004年(平成16年)7月23日、後楽園ホールにてタイライトフライ級1位カエンナコーン・クロンパチョンとの試合。生涯初のダウンを喫し初回TKO負け。

2005年(平成17年)10月19日、その後4連勝で10連勝中の久高寛之との試合で8回3-0判定で勝利した。

2007年(平成19年)1月21日、後楽園ホールで前WBCユース王者のファーペッチノーイ・クラティンデーンジム(タイ)に10回判定勝ちし、世界ランク入り。

2007年(平成19年)4月6日、タイに乗り込みWBC世界フライ級王者ポンサクレック・ウォンジョンカムに挑戦。鼻梁に3針の裂傷を負い、7回終了時に棄権しTKO負けの完敗。王座獲得に失敗した[2]

2007年(平成19年)11月4日には、福井県敦賀市きらめきみなと館でポンサクレックから世界王座を奪った内藤大助と2ラウンドエキシビションを行った。

2008年(平成20年)4月14日、2連勝後後楽園ホールで行われた日本フライ級タイトルマッチで王者吉田健司に10回判定勝ちし、同王座を獲得した[3]。その後、ふくいブランド大使に任命された[4]

2008年(平成20年)7月30日、国立代々木第一体育館にて行われたWBC世界フライ級タイトルマッチで内藤大助に挑戦。変則スタイルの王者に対し基本通りのボクシングに徹し、8回終了時のポイントでは優勢であったが、10回にダウンを奪われ逆転のKO負け[5]

2008年(平成20年)12月23日、大学の後輩で日本フライ級暫定王者五十嵐俊幸との王座統一戦を両国国技館にて行う。同日にOPBF東洋太平洋フライ級タイトルマッチ(大久保雅史 vs. ジョジョ・バルドン)とWBCフライ級タイトルマッチ(内藤大助 vs. 山口真吾)の試合も行われ3大フライ級タイトルマッチと銘打たれた興行で10回3-0判定勝ちで王座統一とともに初防衛に成功した。

2009年(平成21年)4月19日、日本フライ級6位池原繁尊を迎えての2度目の防衛戦では、初回に偶然のバッティングで左目上をカットし、2回にドクターチェックを受けて、この回57秒に試合は止められ、負傷引き分けで王座を守った。

2009年(平成21年)6月21日、結婚披露宴を行った[6]

2010年(平成22年)2月8日、WBC世界フライ級6位の日本王者としてWBA世界フライ級12位・WBC世界フライ級13位の小林タカヤスと対戦。2Rにダウンを奪い、4Rには小林がバッティングで減点を受け、7回0分59秒TKO勝利を収めて3度目の防衛に成功した。試合後にはWBA・WBCの2団体で世界同級王座を独占する亀田興毅大毅兄弟への挑戦意欲をアピールした[7][8]

2010年(平成22年)8月9日、半年間の集中ウェイトトレーニングでインファイトを強化して日本フライ級7位のキューピー金沢と対戦し、タオル投入による6R0分36秒TKO勝利で4度目の防衛に成功した[9][10]

2010年(平成22年)11月8日、「照準を世界に絞り込む」という本人の意向により、約2年7ヶ月間保持(4度防衛)してきた日本王座を返上した。

2011年(平成23年)8月31日、本来の階級、フライ級から一階級あげWBA世界スーパーフライ級王者ウーゴ・カサレスに挑戦、2-1のスプリットデシジョンで王座獲得に成功。

2011年(平成23年)11月、WBAは上述のカサレス戦で右眼眼窩骨折をした清水を休養王座に、暫定王者テーパリット・ゴーキャットジムを正規王座に認定した[11]。休養王座認定に対し清水は「チャンピオンとして軽んじられたと感じた。」と不満を訴え、金子ジムもJBCの林有厚コミッショナー宛に公開質問状を提出し、「休養王者」の定義など、WBA規定上の根拠条文の提示を求めた[12]

2012年(平成24年)4月4日、横浜アリーナで正規王者テーパリット・ゴーキャットジムと王座統一戦を行い、9回2分15秒TKO負けを喫し王座統一に失敗、王座から陥落した[13]

2012年(平成24年)9月10日、都内ジムにて現役引退を表明した[14]

2012年(平成24年)10月12日、ジムメイトの大竹秀典を相手に引退スパー[15]

引退後[編集]

2015年(平成27年) 4月、第18回統一地方選挙福井県議会議員選挙(福井市選挙区)に無所属で出馬し当選[16][17]

青春講座講師[編集]

清水が大学を出て就職した九州じゃんがららぁめんは、学習塾「ブルカン塾」を母体としている。ブルカン塾自体が、大学を出てヤクルト営業マンとなった下川高士が、同社女性販売員の子弟に対しボランティアで勉強と人としての礼儀を教えたのがそもそもの発祥である。ブルカン塾が独立して正式発足した後に、同塾卒業生の働き場として作られたのが九州じゃんがららぁめんであった(ラーメン店で下川が塾長と呼ばれているのはこのため)。下川は、プロボクシングで活躍する清水を見逃さず、塾で「生き方」を子供たちに教えるよう依頼し、清水も快諾したのである。同塾の特別講座「青春講座」の講師を務める。

ラーメン店員[編集]

九州じゃんがららぁめんは、清水の世界王座獲得に合わせて、「チャンピオンラーメン」という新メニューを投入した[18][19]

戦績[編集]

  • アマチュアボクシング:78戦68勝 (25KO・RSC) 10敗
  • プロボクシング:24戦19勝 (9KO) 4敗1分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2004年3月12日 勝利 2R 1:41 TKO 溝神実雄 (五代) 日本の旗 日本 プロデビュー戦
2 2004年7月23日 敗北 1R 2:05 TKO カエナーコン・クロンパチョン タイ王国の旗 タイ
3 2004年12月1日 勝利 6R 判定3-0 中釜兵武 (白井・具志堅) 日本の旗 日本
4 2005年3月17日 勝利 6R 判定3-0 藤崎浩己 (鹿児島シティ) 日本の旗 日本
5 2005年6月15日 勝利 8R 判定3-0 河上哲也 (駿河) 日本の旗 日本
6 2005年8月29日 勝利 6R 2:57 TKO 増田稔 (平石) 日本の旗 日本
7 2005年10月19日 勝利 8R 判定3-0 久高寛之 (グリーンツダ) 日本の旗 日本
8 2006年3月15日 勝利 8R 判定3-0 吉田健司 (笹崎) 日本の旗 日本
9 2006年6月19日 勝利 7R 0:30 TKO プロプラーム・ポープリチャー タイ王国の旗 タイ
10 2006年9月12日 勝利 4R 0:51 TKO ピナイ・ウォースラポン タイ王国の旗 タイ
11 2007年1月21日 勝利 10R 判定3-0 ファーペッチノーイ・クラティンデーンジム タイ王国の旗 タイ
12 2007年4月6日 敗北 7R終了 TKO ポンサクレック・ウォンジョンカム タイ王国の旗 タイ WBC世界フライ級タイトルマッチ
13 2007年7月22日 勝利 5R 2:07 負傷判定3-0 松下泰士 (ヨシヤマ) 日本の旗 日本
14 2007年12月4日 勝利 5R 2:40 TKO サクニポン・シンマナサク タイ王国の旗 タイ
15 2008年4月14日 勝利 10R 判定3-0 吉田健司 (笹崎) 日本の旗 日本 日本フライ級タイトルマッチ
16 2008年7月30日 敗北 10R 0:57 KO 内藤大助 (宮田) 日本の旗 日本 WBC世界フライ級タイトルマッチ
17 2008年12月23日 勝利 10R 判定3-0 五十嵐俊幸 (帝拳) 日本の旗 日本 日本フライ級王座統一戦/日本王座防衛1
18 2009年4月19日 引分 2R 0:57 負傷 池原繁尊 (横浜光) 日本の旗 日本 日本王座防衛2
19 2009年9月10日 勝利 5R 2:19 TKO ウィサン・ソースチョンヤ タイ王国の旗 タイ
20 2010年2月8日 勝利 7R 0:59 TKO 小林タカヤス (川島) 日本の旗 日本 日本王座防衛3
21 2010年8月19日 勝利 6R 0:36 TKO キューピー金沢 (青木) 日本の旗 日本 日本王座防衛4
22 2011年4月2日 勝利 4R 0:26 TKO ペッチック・シットコーポーカンピン タイ王国の旗 タイ
23 2011年8月31日 勝利 12R 判定2-1 ウーゴ・カサレス メキシコの旗 メキシコ WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ
24 2012年4月4日 敗北 9R 2:15 TKO テーパリット・ゴーキャットジム タイ王国の旗 タイ WBA世界スーパーフライ級王座統一戦/WBA王座陥落
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獲得タイトル[編集]

人物[編集]

  • プロ入り後も、イケメンボクサーを集めた興行「DAVID(ダビデ)」で行われた人気投票では1位を獲得[20]
  • MEN'Sテイオーとプライベートで親睦がある。

脚注[編集]

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  1. ^ a b ダブル世界フライ級戦検診結果 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2008年7月25日
  2. ^ 清水7回TKO負け タイのWBCフライ級戦 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年4月6日
  3. ^ 清水が新王者 日本フライ級戦、吉田に3-0 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2008年4月14日
  4. ^ プロボクシング日本フライ級チャンピオン・清水智信選手への激励 福井県 Fukui Prefectural Government 2008年5月14日
  5. ^ 内藤ヒヤリのKO防衛 清水に苦戦 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2008年7月31日
  6. ^ 「美男美女」清水夫妻の披露宴 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月21日
  7. ^ 清水V3! 「亀田兄弟狙う」 サンケイスポーツ 2010年2月9日閲覧
  8. ^ 清水世界ランカー対決に完勝でv3 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月9日
  9. ^ 清水V4! 3度目の世界戦へ圧巻TKO…日本フライ級 スポーツ報知 2010年8月10日閲覧
  10. ^ 日本フライ級清水4度目防衛 6回TKO、ボクシング日本タイトルマッチ 福井新聞 2010年8月10日閲覧
  11. ^ 大毅-テーパリット戦発表 清水は休養王者扱い ボクシングニュース「Box-on!」 2011年11月12日
  12. ^ 「休養王者」納得せず 清水が会見 JBCに公開質問状 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年11月30日
  13. ^ 清水9回TKO負け 日刊スポーツ 2012年4月4日閲覧
  14. ^ 清水智信、引退表明!将来、政界進出も 日刊スポーツ 2012年9月10日閲覧
  15. ^ “元WBA世界Sフライ級王者の清水が引退”. 日刊スポーツ. (2013年10月12日). http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20131012-1203044.html 
  16. ^ 元世界王者・清水智信氏が県議選出馬「タイトル戦に挑むよう」”. スポニチ (2015年4月3日). 2015年4月12日閲覧。
  17. ^ “元世界王者の清水智信氏が県議当選 戦いの場、ボクシングから県政へ”. 福井新聞. (2015年4月14日). http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/localelections/68699.html 2015年4月29日閲覧。 
  18. ^ 初の世界挑戦時の報道
  19. ^ WBA世界王者星野敬太郎がレシピを作った「チャンピオン丼」はいまでも現存(とんかつさくらい上大岡店
  20. ^ イケメン・ボクサー大集合。ダビデII記者発表 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2006年7月20日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
吉田健司
第51代日本フライ級王者

2008年4月14日 - 2010年11月8日(返上)

空位
次タイトル獲得者
五十嵐俊幸
前王者
ウーゴ・カサレス
WBA世界スーパーフライ級王者

正規:2011年8月31日 - 2012年4月4日
休養:2011年11月31日[要検証 ] - 2012年4月4日

空位
次タイトル獲得者
テーパリット・ゴーキャットジム