野口米次郎

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野口 米次郎
(のぐち よねじろう)
ペンネーム ヨネ・ノグチ
誕生 (1875-12-08) 1875年12月8日
日本の旗 日本愛知県海部郡津島町
(現・津島市
死没 (1947-07-13) 1947年7月13日(71歳没)
茨城県
墓地 日本の旗 日本常光寺
職業 詩人新聞記者随筆家文学評論家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 慶應義塾大学部文学科
(現・慶應義塾大学英文学科
活動期間 1897年 - 1947年
ジャンル 散文詩小説文芸評論
文学活動 イマジズム
代表作 『The American Diary of a Japanese Girl』(1901年)
『From the Eastern Sea』(1903年)
『芭蕉論』(1925年)
『芸術殿』(1943年)
主な受賞歴 帝国芸術院賞1943年
デビュー作 『Seen & Unseen』(1896年
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愛知県津島市天王川公園内にあるヨネ・ノグチ像

野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年明治8年)12月8日 - 1947年昭和22年)7月13日)は、明治大正・昭和前期の英詩人小説家評論家俳句研究者。内田魯庵からノーベル文学賞の受賞を待望され[1]大東亜戦争には協力的であった。

経歴

The American Diary of a Japanese Girl(1901年(明治34年)現地出版)

渡米

愛知県海部郡津島町(現・津島市)生まれ。父の名は伝兵衛で、先祖は源氏足利系の武士である。

名古屋英学を学び、ユニオン・リーダーを学ぶ。愛知県尋常中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)経て、四日市から海路で上京し、1891年(明治24年)慶應義塾大学部文学科に入学。ハーバート・スペンサーの「教育論」やトーマス・カーライルの「英雄崇拝論」の講義を聞き、ワシントン・アーヴィングの「スケッチ・ブック」、オリヴァー・ゴールドスミス及びトマス・グレイの詩集から大きな影響を受けた。その他、俳句にも興味を抱く。1893年(明治26年)に慶應義塾大学を中退し、志賀重昂の家に奇食する。志賀が北米の事情に精通している事を知り、渡米の決意を抱く。

11月3日に横浜から渡米し、12月にサンフランシスコに到着した。1894年(明治27年)に徒歩でサンフランシスコからパロアルトに到着し、スタンフォード大学で予備校の学僕をしながら授業を受け、現地の『日本字新聞社』で編集及び配達を行う。そのうち、オークランド山荘に住む詩人・Joaquin Miller(ホアキン・ミラー)を知り、ミラーの好意により、壮大な美しい自然環境の同地に留まり、原稿整理を手伝いながら大いに学び、山荘を訪れる詩人達とも交わり、ウォルト・ホイットマンの詩集を読む。

1896年(明治29年)に最初の自作詩がGelett Burgessの雑誌『ラーク』に掲載され、12月に同社から英文第一詩集の『Seen & Unseen』が刊行され好評を受ける。1897年(明治30年)にヨセミテ国立公園を訪れ、第二詩集『The Voice of the Valley』を刊行。1899年(明治32年)の夏にシカゴに入り、『イブニング・ポスト(現・ニューヨーク・ポスト)』夕刊新聞の寄稿者となる。やがてニューヨークに出てレオニー・ギルモアと出会い、ボーイとして働く。1901年(明治34年)に『The American Diary of a Japanese Girl(日本少女のアメリカ日記)』を匿名で書く。その続編『The American Letters of a Japanese Parlor-Maid』の出版資金でロンドンに渡る。

渡英から帰国後

1903年(明治36年)1月には自費により『From the Eastern Sea』をロンドンの出版社から刊行して非常な好評をよび、アーサー・シモンズWilliam Michael Rossetti等文壇人の知遇を得る。翌年に日露戦争の報道を目的として、ニューヨーク・イブニング・ペーパー『グローブ』社の日本通信員として9月に帰国する。12月に『帰朝の記』を春陽堂より刊行。

1905年(明治38年)11月に東京市小石川区に移り住み、英文の散文詩集『The Summer Cloud』を発表。1906年(明治39年)に作家教師のレオニー・ギルモア(Leonie Gilmour)との間に在米中に設けた息子である彫刻家イサム・ノグチと同居し、慶應義塾大学文学部英文科の主任教授となる。

1913年大正2年)10月にオックスフォード大学の招きにより、マルセイユパリを経てロンドンに赴き、オックスフォード大学の講師として松尾芭蕉の俳諧について、英語で講演を行う。講演集『日本詩歌論』をロンドンで出版し、ジョージ・バーナード・ショーハーバート・ジョージ・ウェルズエドワード・カーペンター等多くの文人と会談。また、開催中であったウィリアム・ブレイクの展覧会を見る。4月にパリで島崎藤村と会い、6月にベルリンからモスクワを経てシベリア鉄道で帰国。1919年(大正8年)6月に岩波書店より『六代浮世絵師』を刊行した後、アメリカ全土を講演旅行。

日本詩への傾倒

1921年(大正10年)に最初の日本語詩集『二重国籍者の詩』を刊行したのを皮切りに、詩集を次々と発表し、1924年(大正14年)には『芭蕉論』刊行し、日本の浮世絵についての評論執筆が多くなる。1935年昭和10年)からはアジア研究にも傾倒し始め、10月にインドの各州立大学で講演旅行を行い、上海では魯迅と会談。長くインドに滞在し、タゴールSarojini Naiduラース・ビハーリー・ボースらと深く交わり、この頃から東アジアにおける日本の立場に対する理解を国際社会に求めた。

1943年(昭和18年)『芸術殿』『詩歌殿』『文芸殿』『想思殿』の一連の刊行業績により、帝国芸術院より、第二部(文芸)における第1回帝国芸術院賞を授与された。1945年(昭和20年)4月に米軍機の空襲により中野の自宅が全焼し、疎開。1947年(昭和22年)に胃癌により永眠。茨城県豊岡で密葬されたのち、中野の自宅で告別式を行う。

法名は天籟院澄誉杢文無窮居士

著書

日本詩・評論

英文詩

  • Seen & Unseen, or, Monologues of a Homeless Snail (1897, 1920)
  • The Voice of the Valley (1897)
  • The American Diary of a Japanese Girl (1902, 1904, 1912, 2007 [1])
  • From the Eastern Sea (pamphlet) (1903)
  • From the Eastern Sea (1903, 1903, 1905, 1910)
  • The American Letters of a Japanese Parlor Maid (1905)
  • Japan of Sword and Love (1905)
  • The Summer Cloud (1906)
  • Ten Kiogen in English (1907)
  • The Pilgrimage (1909, 1912)
  • Kamakura (1910)
  • Lafcadio Hearn in Japan (1910, 1911)
  • The Spirit of Japanese Poetry (1914)
  • The Story of Yone Noguchi (1914, 1915)
  • Through the Torii (1914, 1922)
  • The Spirit of Japanese Art (1915)
  • Japan and America (1921)
  • Hiroshige (1921)
  • Selected Poems of Yone Noguchi (1921)
  • Korin (1922)
  • Utamaro (1924)
  • Hokusai (1925)
  • Harunobu (1927)
  • Sharaku (1932)
  • The Ukiyoye Primitives (1933)
  • Hiroshige (1934)
  • Hiroshige and Japanese Landscapes (1934)
  • The Ganges Calls Me (1938)
  • Harunobu (1940)
  • Hiroshige (1940)
  • Emperor Shomu and the Shosoin (1941).
  • Collected English Letters, ed. Ikuko Atsumi (1975).
  • Selected English Writings of Yone Noguchi: An East-West Literary Assimilation, ed. Yoshinobu Hakutani, 2 v. (1990–1992).
  • Collected English Works of Yone Noguchi: Poems, Novels and Literary Essays, ed. Shunsuke Kamei, 6 v. (2007)[2]

エピソード

  • エドモン・ド・ゴンクールの『ゴンクウルの歌麿』(第一書房、1929年)を訳・解説している。
  • 戦時中に戦争を讃美したこともあり、戦後しばらくは封印された「忘れられた作家」であったが、欧米でその業績や生涯が見直されて再評価されている。

交遊人物

関連項目

演じた俳優

映画

外部リンク

脚注

  1. ^ 「日本の文芸家からノーベル賞金の受領者を詮衡するとしたら、差向き第一に選に上るは野口ヨネ君であろう。」(内田魯庵)

参考文献

  • 日本詩人全集『野口米次郎, 第12巻』 新潮社 1969年
  • 堀まどか著『「二重国籍」詩人 野口米次郎』名古屋大学出版会 2012年