津田塾大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Uhgvsaf (会話 | 投稿記録) による 2022年10月29日 (土) 02:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎概要)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

津田塾大学
津田塾大学小平キャンパス 地図
大学設置 1948年
創立 1900年
学校種別 私立
設置者 学校法人津田塾大学
本部所在地 東京都小平市津田町2-1-1
学生数 3,249
キャンパス 小平キャンパス
千駄ヶ谷キャンパス
学部 学芸学部
総合政策学部
研究科 文学研究科
国際関係学研究科
理学研究科
ウェブサイト https://www.tsuda.ac.jp/
テンプレートを表示

津田塾大学(つだじゅくだいがく、英語: Tsuda University)は、東京都小平市津田町2-1-1に本部を置く日本私立大学1900年創立、1948年大学設置。

千駄ヶ谷キャンパス

概要

大学全体

津田梅子が設立した女子英学塾を前身とする[1]。津田塾という名称は、津田梅子に由来する。

2000年代初頭までは「早慶を蹴ってでも入るトップの名門私学 [2]」とされ、かつては女子大最難関校として「女の東大」と呼ばれる異名をとっていた [1][3][4]

男女雇用機会均等法成立にかかわった女性官僚に津田塾出身者が多かったことから「津田マフィア」と呼ばれていた時代もある [5][6]

現在でも「私立女子大の最高峰」とされるが、日本における女子大学全体の人気が低下している影響で本学も以前より低迷しており、現在は「入試難易度としては最難関大学とは言い難い」とされる。

2000年代初頭より受験生の共学志向が高まり、女子大に魅力を感じなくなったのが要因とされる[7]

英文学や国際関係学の分野で活躍する卒業生を多く輩出し、女性の社会進出に貢献した大学である[1][8]

学風および特色

津田梅子の教育方針に沿って、現在も少人数教育を重視している[1][9]
学生の主体性を重んじて校歌校章校旗を敢えて持たないのも津田梅子以来の津田塾の伝統である[1]

キリスト教主義

独立系キリスト教会洗礼を受けた津田の影響から学内にチャペルがある。 学則に「キリスト教精神に基づく教育」を行うことが記載されている。礼拝が毎週行われ、キリスト教関連の科目が開講されるなどの宗教色が強いキリスト教主義学校であるが、参加は学生の意思に任されている[10]

歴史

1900年(明治33年)、従来の「家」制度による家政学が中心だった官制の良妻賢母育成女子高等教育制度に疑問を抱いた津田梅子が、瓜生繁子大山捨松とともに、日本では先駆的な学問重視の女子高等教育機関[11]私学、女子英学塾として現在の東京都千代田区に設立[12]

1905年(明治38年)、女子の学校では初めての英語科教員無試験検定取り扱い許可を受ける。

1933年(昭和8年)に「津田英学塾」へ、1943年(昭和18年)に「津田塾専門学校」へ改称。戦後1948年(昭和23年)に「津田塾大学」となった[12]

1969年(昭和44年)には、当時はまだ草分け期にあった国際関係論という分野を、日本の大学として初めて国際関係学科として創設。

2010年(平成22年)に創立110周年を迎え、創立110周年事業として津田梅子賞を創設[1]。創立者津田梅子の「女性の自立と社会貢献を促す精神」を継承発展させるために、現代社会でその精神を具体化する活動を行っている団体や個人を顕彰する[1]

2017年 (平成29年) より女子大としては初の「総合政策学部」を設置[8]。また本学が複数学部体制になるのも創立以来、初である。大学の英語名称も、Tsuda CollegeからTsuda Universityとなった[13]。この学部は東京・千駄ヶ谷に設置され、長年、ワンキャンパス体制で教育を行ってきた津田塾大学は、この学部の開設により蛸足大学となる。

歴代学長

基礎データ

沿革

組織

学部・学科

研究科・専攻

全研究科・専攻に修士課程と博士後期課程を設置

附属施設

  • 言語文化研究所
  • 国際関係研究所
  • 数学・計算機科学研究所
  • 総合政策研究所
  • 図書館
  • 計算センター
  • ウェルネス・センター
  • 視聴覚センター
  • 国際センター
  • ツダ・イングリッシュ・コーディネーション・センター
  • 女性研究者支援センター
  • ライティングセンター
  • ソーシャル・メディア・センター
  • 津田梅子記念交流館
  • 津田梅子資料室

教育

文部科学省等に採択されたプロジェクト

対外関係

他大学との協定

著名な卒業生・教員

事件

脚注

  1. ^ a b c d e f g 〈42〉高めよ 深めよ 大学広報力 こうやって変革した39 卒業生が「広告塔」にリベラルアーツと少人数教育創立110年で広報強化 津田塾大学”. 『教育学術新聞』第2370号. 日本私立大学協会 (2009年). 2017年11月28日閲覧。
  2. ^ 女子大は生き残れるか津田塾都心から逆襲2022/03/08閲覧
  3. ^ かつては「女の東大」 少数精鋭の名門女子大「津田塾大学」とはどのような大学なのか”. アーバン ライフ メトロ. 2022年10月24日閲覧。
  4. ^ かつては「女の東大」 少数精鋭の名門女子大「津田塾大学」とはどのような大学なのか”. ECナビ. 2022年10月24日閲覧。
  5. ^ 女子大はなぜ凋落したのか、25年で偏差値最高74から65へ”. ダイヤモンド社 (2017年9月11日). 2017年11月28日閲覧。
  6. ^ 日本経済新聞社・日経BP社. “女子大は生き残れるか 津田塾、都心から逆襲|NIKKEIリスキリング”. NIKKEI STYLE. 2022年10月24日閲覧。
  7. ^ 受験生と親の世代間ギャップは不幸を招く30余年を遡り「大学序列」徹底解剖!2022/03/08閲覧
  8. ^ a b 代慶達也 (2017年11月5日). “女子大は生き残れるか 津田塾、都心から逆襲”. 出世ナビ. 日本経済新聞社. 2017年11月28日閲覧。
  9. ^ 小林哲夫 (2017年5月12日). “早慶MARCHも津田塾も。大学ブランド「格付け」に異変あり”. 文春オンライン. 2017年11月28日閲覧。
  10. ^ 本学ホームページ
  11. ^ ママトクロヴァ・ニルファル. “女子英学塾における教育実践の成果に関する一考察--津田梅子のねらいと初期卒業生の進路”. 『早稲田教育評論』25(1), 107-125, 2011. 早稲田大学教育総合研究所. 2017年11月28日閲覧。
  12. ^ a b 津田塾の歴史 沿革”. 津田塾大学. 2018年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月23日閲覧。
  13. ^ 2017年4月からの体制について”. 津田塾大学 (2017年4月5日). 2017年11月28日閲覧。
  14. ^ 高等教育界における男女共同参画の現状髙橋裕子、2018年度一般社団法人大学女性協会公開シンポジウム、 2018年10月27日
  15. ^ 2018年度(2018年6月~2020年6月)役員・委員一覧アメリカ学会
  16. ^ RICCA 2021, p. 89
  17. ^ RICCA 2021, p. 99
  18. ^ RICCA 2021, p. 102
  19. ^ 多文化・国際協力学科が誕生します津田塾大学(2018年3月15日)2019年1月29日閲覧。
  20. ^ 津田塾大学女装替え玉受験事件 試験日2日目に父の女装発覚 - 週刊ポスト、2014年1月19日

参考文献

  • RICCA(まんが)、蛭海隆志(シナリオ)、津田塾大学津田梅子資料室(監修)『津田梅子:女性が学ぶ道をきりひらいた明治時代の教育者』集英社〈集英社版 学習まんが 世界の伝記NEXT〉、2021年。ISBN 978-4-08-240078-1 

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度43分19秒 東経139度27分57秒 / 北緯35.72194度 東経139.46583度 / 35.72194; 139.46583