八木智哉
中日ドラゴンズ #58 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市保土ケ谷区 |
生年月日 | 1983年11月7日(40歳) |
身長 体重 |
181 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 希望入団枠 |
初出場 | 2006年3月31日 |
年俸 | 2,000万円(2016年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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八木 智哉(やぎ ともや、1983年11月7日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身のプロ野球選手(投手)。現在は中日ドラゴンズに所属。
義理の弟は総合格闘家の徳留一樹。
経歴
プロ入り前
小学2年の時、地元横浜市の軟式野球チーム「くぬぎ台レッドパンサーズ」で野球を始めた。中学時代はヤングリーグ「横浜旭ベースボールクラブ」に所属し全国大会出場。山梨県の日本航空高等学校に進学し、3年夏に第83回全国高等学校野球選手権大会に出場する。初戦の鳴門工戦で11奪三振を記録して3回戦に進出した。
創価大学に進学後、1年時からベンチ入りし大学通算35勝。4年時の2005年の全日本大学野球選手権大会では49奪三振の大会新記録を樹立する。同年11月2日の横浜市長杯争奪関東地区大学野球選手権大会白鴎大学戦で完全試合を達成し、希望入団枠制度で日本ハムに入団(同年11月7日公示)する。
日本ハム時代
- 2006年
- 3月31日、対オリックス1回戦に先発し、5回0/3無失点でプロ初勝利。4月15日の対ソフトバンク4回戦では延長10回まで無安打無得点に抑えた(0-0のまま降板したため、勝利投手にはなっていない。その後、武田久→マイケル中村と継投。この両投手も安打を許さず、2リーグ制以後初となる継投でのノーヒットノーラン達成となった。また、「史上初めて延長まで安打も得点も許さないまま途中降板する」という珍記録も残ることとなった[2])。才能が開花し始めたダルビッシュ有とともに先発の柱として12勝を挙げ、リーグ優勝と日本一に貢献した。同年のパ・リーグ新人王に選出された。
- 11月18日に大学時代から交際していた一般人女性と入籍し、翌年の長男誕生後、12月9日に披露宴を行う[3]。
- 2007年
- 左肩痛など影響もあり4勝6敗と成績を落とした。
- 2008年
- 前年の左肩痛が長引いた影響などもあり2軍生活が続き、プロ入り最低の2試合の登板に終わった。
- 2009年
- 2軍で好投を続け1軍昇格。雨の千葉マリンスタジアム(対ロッテ戦)で5回コールド「完封」、翌週のクリネックススタジアム宮城で完投勝利、ルーキーイヤーには勝てなかった西武にも勝利した。同年は規定投球回には到達しなかったが、9勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した。日本シリーズでは東京ドームでの巨人戦で第4戦に先発し、5回1失点の好投で新人の2006年以来となる勝利投手となった。だがチームは第5.6戦と破れ日本一を逃した。
- 2010年
- 3月26日に先発するも5回9失点(自責点8)と乱調。翌週の登板も4回で失点2被安打7与四死球2と調子が上がらず、2軍降格となった。6月24日に再度1軍登録され、7月7日には7回2失点でシーズン初勝利を収めたが、その後は勝ち星に恵まれず、再度不調となり、自己最低防御率、1勝に終わった。
- 2012年
- 4月に3年ぶりの完封勝利を挙げるなど前半戦は好調を維持しローテーションを支えた。しかし8月に入ると打ち込まれるようになり、3試合でわずか4回1/3を投げたのみで2軍に降格し、その後は1軍での登板はなかった。
オリックス時代
- 2013年
- 1月25日に木佐貫洋、大引啓次、赤田将吾との交換トレードで糸井嘉男とともにオリックス・バファローズへ移籍[4]。
- シーズン開幕は2軍で迎えて6月27日に移籍後初先発を果たすも、2回を投げ5失点と結果を残せず[5]、翌日登録抹消された。9月に入って2度先発するも、いずれも結果を残せなかった。結局、この3試合の登板に終わり、プロ入り初のシーズン未勝利に終わった。
- シーズンオフの12月4日に契約更改が予定されていたが、八木本人は更改日を「9日」と勘違いしていたため、契約更改交渉を欠席した[6]。同月9日に改めて契約更改交渉を行うも、0勝2敗という結果もあり、減額制限いっぱいの25%ダウン提示で更改した[7]。
- 2014年
- 交流戦シーズンに入った5月24日に1軍昇格し、広島東洋カープ戦に先発するも、1回2/3を投げて被安打4、1失点という内容で、翌日に登録を抹消される。7月に再度昇格するが、中継ぎで2試合投げただけで21日に降格。ファームでは32試合に登板し、68回2/3を投げ6勝、防御率1.97という成績を残したが、1軍では振るわず、10月28日、戦力外通告を受ける[8]。12球団合同トライアウトを経て、11月18日に中日ドラゴンズへの入団が発表された[9]。
中日時代
- 2015年
- 開幕ローテーションを勝ち取ると、2試合目の先発となった4月4日の広島戦で黒田博樹と投げ合い、7回無失点、自身初の2桁奪三振で移籍後初勝利を挙げた。これは北海道日本ハムファイターズ時代以来、982日ぶりの勝利となった[10]。しかし、その後は打ち込まれることも多く、2軍落ちするなどした。
- しかし、広島打線に対し相性がよかったため(シーズン終了時、対広島 4勝2敗 防御率1.13)、後半戦は広島戦の度に1軍登録され先発した。
- 最終的に14試合の登板で4勝6敗、防御率3.92であった。
プレースタイル
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2006 | 日本ハム | 26 | 26 | 5 | 3 | 3 | 12 | 8 | 0 | 0 | .600 | 683 | 170.2 | 134 | 12 | 51 | 5 | 3 | 108 | 3 | 0 | 54 | 47 | 2.48 | 1.08 |
2007 | 15 | 15 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | 0 | .400 | 370 | 85.1 | 99 | 12 | 20 | 0 | 4 | 36 | 1 | 1 | 45 | 43 | 4.54 | 1.39 | |
2008 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 49 | 10.2 | 14 | 3 | 2 | 0 | 2 | 10 | 0 | 0 | 8 | 8 | 6.75 | 1.50 | |
2009 | 20 | 20 | 3 | 1 | 0 | 9 | 3 | 0 | 0 | .750 | 501 | 122.0 | 115 | 16 | 40 | 1 | 5 | 76 | 3 | 0 | 41 | 39 | 2.88 | 1.27 | |
2010 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 182 | 39.0 | 47 | 10 | 18 | 0 | 4 | 27 | 1 | 0 | 31 | 30 | 6.92 | 1.67 | |
2011 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 68 | 15.0 | 17 | 0 | 4 | 0 | 2 | 4 | 2 | 0 | 7 | 7 | 4.20 | 1.40 | |
2012 | 13 | 13 | 1 | 1 | 0 | 6 | 3 | 0 | 0 | .667 | 285 | 66.2 | 67 | 4 | 16 | 1 | 6 | 37 | 3 | 0 | 27 | 25 | 3.38 | 1.25 | |
2013 | オリックス | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 51 | 11.0 | 15 | 3 | 4 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 11 | 10 | 8.18 | 1.73 |
2014 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 18 | 3.2 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 3 | 7.36 | 1.91 | |
2015 | 中日 | 14 | 11 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | 0 | .400 | 257 | 59.2 | 63 | 10 | 22 | 0 | 2 | 45 | 4 | 0 | 30 | 26 | 3.92 | 1.42 |
通算:10年 | 108 | 103 | 9 | 5 | 3 | 38 | 34 | 0 | 0 | .528 | 2464 | 583.2 | 577 | 70 | 178 | 7 | 28 | 353 | 17 | 1 | 257 | 238 | 3.67 | 1.29 |
- 2015年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- 新人王 (2006年)
- 日本プロスポーツ大賞最高新人賞 (2006年)
- 月間MVP:1回 (2006年5月)
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2006年3月31日、対オリックス・バファローズ1回戦(スカイマークスタジアム)、5回0/3を無失点
- 初奪三振:同上、4回裏1死にクリフ・ブランボーから空振り三振
- 初完投勝利:2006年5月12日、対横浜ベイスターズ1回戦(札幌ドーム)、9回1失点
- 初完封勝利:2006年5月19日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)
- 打撃記録
- 初安打・初打点:2006年5月19日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、5回表無死に大竹寛から右翼線適時二塁打
- その他記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2006年)
- 12回延長継投ノーヒットノーラン:2006年4月15日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、八木(1〜10回裏)・武田久(11回裏)・マイケル中村(12回裏)で達成 ※史上初
- 3投手の継投によるノーヒットノーラン:同上 ※史上初
- 延長戦の継投によるノーヒットノーラン:同上 ※史上初
背番号
- 29 (2006年 - 2012年)
- 27 (2013年 - 2014年)
- 58 (2015年 - )
登場曲
- 「強者の詩」大我(あざな)タイプライター
- 「Riders High」湘南乃風
- 「ファイター」TEE
- 「Bushido」ZEEBRA
- 「FANTASTIC BABY」BIGBANG
- 「THE RED MAGIC」AK-69
脚注
- ^ “中日八木、800万円増の2000万円で契約更改”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2015年11月11日) 2015年12月31日閲覧。
- ^ ただしNPBでは継投によるノーヒットノーランは認めていない
- ^ “日本ハム八木が結婚披露宴”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2007年12月9日) 2014年10月29日閲覧。
- ^ “トレード(2012年度シーズン終了後 ~ )”. 日本野球機構 (2013年1月25日). 2013年1月30日閲覧。
- ^ “移籍初登板の八木が誤算 5失点KOにも「状態は悪くなかった」”. Sponichi Annex 野球 (2013年6月27日). 2013年12月11日閲覧。
- ^ “やっちまった…オリックス・八木 契約交渉すっぽかした”. Sponichi Annex 野球 (2013年12月5日). 2013年12月11日閲覧。
- ^ “謝るしかない」勘違い男・八木 0勝で25%ダウン”. Sponichi Annex 野球 (2013年12月10日). 2013年12月11日閲覧。
- ^ “新人王の八木、東野が戦力外 オリックスが発表”. 47news (共同通信). (2014年10月28日) 2014年10月29日閲覧。
- ^ 八木投手、亀澤選手獲得のお知らせ 中日ドラゴンズ公式サイト 2014年11月18日閲覧。
- ^ ““戦力外男”中日・八木 黒田に投げ勝った!「ドキドキ」982日ぶり白星”. Sponichi Annex 野球 (2015年4月5日). 2015年4月7日閲覧。
- ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2013年、191頁頁。ISBN 978-4-905411-11-6。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 八木智哉 - NPB.jp 日本野球機構
- 八木智哉オフィシャルブログ「絆」