ボビー・ケッペル

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ボビー・ケッペル
Bobby Keppel
北海道日本ハムファイターズ #31
Bobkeppel.JPG
ツインズ時代(2009年4月14日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミズーリ州セントルイス
生年月日 1982年6月11日(31歳)
身長
体重
196 cm
97 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト1位(ニューヨーク・メッツ
初出場 MLB / 2006年5月25日
NPB / 2010年3月22日
年俸 1億2,000万円(2013年)
経歴(括弧内は在籍年)

ロバート・グリフィン・ケッペルRobert Griffin "Bobby" Keppel , 1982年6月11日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手投手)。アメリカ合衆国ミズーリ州出身。

目次

経歴[編集]

MLB時代[編集]

2000年MLBドラフト会議にて、ニューヨーク・メッツに1巡目(全体の36番目)で指名された。メッツのマイナーで6シーズンプレー後、2006年カンザスシティ・ロイヤルズと契約し、同年5月25日にメジャーデビュー。8試合に登板するが0勝4敗に終わる。

2007年コロラド・ロッキーズと契約するが4月に4試合メジャーで登板しただけで、その後3Aでプレー。2008年フロリダ・マーリンズの3Aでプレーし、メジャー登板なしに終わる。

2009年ミネソタ・ツインズと契約し、6月にメジャー昇格。リリーフで37試合に登板し、10月6日のシーズン最終戦(同率首位で並んだデトロイト・タイガースとのワンゲームプレーオフ)でメジャー初勝利を挙げた。この試合は延長11回表途中から8番手として登板し、12回表に1アウト満塁のピンチを招くが無失点で切り抜け、12回裏にチームがサヨナラ勝ちし地区優勝を決めた劇的な試合だった[1]

日本ハム時代[編集]

2010年1月7日北海道日本ハムファイターズと2年契約を結んだ[2]3月22日、開幕3戦目の福岡ソフトバンクホークス戦に先発したが左脇腹を痛め、僅か17球で1回終了後に降板。左内腹斜筋の軽度の挫傷と診断され、3月24日出場選手登録を抹消された。4月8日に再登録され、東北楽天ゴールデンイーグルス戦に先発。6回4失点で来日初勝利を挙げた。5月12日阪神タイガースとの1回戦で、9回2失点で来日初完投を決めた。前半戦は不調なチームを引っ張り、交流戦では4勝を挙げるなどダルビッシュ有武田勝とともに先発陣の柱としてローテーションに加わった。夏場以降は背中の痛み[3]などや、不運な負けも多く勝ち星こそのびなかったものの、12勝8敗防御率3.35と好成績を収めた。奪三振は少なかったが158.2イニングを投げ被本塁打は10本に抑えた。

2011年東北地方太平洋沖地震が発生した際に日本を勇気づけたい理由からアメリカに住む家族を呼びよせた[4]3月20日のインタビューで「一番大事なのは被災者の助けになるような投球をすること」とコメントを残した[5]

開幕第4戦に先発するも5回と0/3を投げ4失点であった。シーズン後半は打ち込まれるケースがあったものの、14勝、防御率3.22、投球回数162イニングと前年度を上回る成績を収めた。シーズン中はダルビッシュ有、武田勝に次ぐ3番手投手として活躍した。オフにブライアン・ウルフとともに球団最速で契約更新を行った。

2012年は開幕から2試合を投げたのみで右肩を痛め一軍登録を抹消された。6月には痛めた右肩の手術を行い、残りのシーズンはリハビリに専念した。

選手としての特徴[編集]

平均球速約144km/h[6]、最速153km/hの速球スライダーチェンジアップ、さらにカットボールツーシームシンカーなどの打者の手前で微妙に変化する球種を操り、打たせて取るピッチングを得意とする。

人物[編集]

11歳の時に少年野球のミズーリ州選抜の一員として来日したこともあって[7]日本に興味があり、日本でプレーすることを決意した。

親日家であり、東日本大震災復興支援試合で自分が日本に対して興味を持った理由や日本に対する愛情などを語った[8]。 

温厚で真面目な性格で、チームの中にすぐに溶け込んだ。

家族が帰国している際には、本人はあまり朝に強いわけではないが、家族とコミュニケーションを取るために、毎朝7時に起きてインターネットカメラで家族と会話しながら朝食(アメリカにいる家族は夕食)を摂っている[9]

夫人が第三子の長男を出産する際にシーズンを大切にしたい意向から夫人の出産には立ち会わず、国内に残った。

球団内の人望が厚く、外国人選手の中ではリーダー格であると言う[10]。2011年オフには外国人では異例の選手会役員に選ばれ、特別アドバイサーに就任した[11]

焼肉が好物である。日本人には抵抗のある人が多いとされる1人焼肉も平気であり、実際に独りで焼肉屋に行ったことがある。その話を聞いた同僚の武田勝は「僕でも1人では焼肉は無理で、したことがない。でもアイツはすごい」と語った。因みに内臓系の肉は苦手である[12]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2006 KC 8 6 0 0 0 0 4 0 0 .000 157 34.1 45 6 15 2 1 20 0 0 21 21 5.50 1.75
2007 COL 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 20 4.0 6 1 3 0 0 1 0 0 5 5 11.25 2.25
2009 MIN 37 0 0 0 0 1 1 0 4 .500 242 54.0 63 4 21 2 5 32 2 0 30 29 4.83 1.56
2010 日本ハム 25 25 2 1 0 12 8 0 0 .600 669 158.2 156 10 53 1 9 85 7 0 67 59 3.35 1.32
2011 26 26 0 0 0 14 6 0 0 .700 695 162.0 162 10 56 1 12 66 1 0 66 58 3.22 1.35
2012 2 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 31 6.0 12 0 2 0 0 2 0 0 6 6 9.00 2.33
MLB:3年 49 6 0 0 0 1 5 0 4 .167 419 92.1 114 11 39 4 6 53 2 0 56 55 5.36 1.66
NPB:3年 53 53 2 1 0 26 15 0 0 .634 1395 326.2 330 20 111 2 21 153 8 0 139 123 3.39 1.35
  • 2012年度シーズン終了時

記録[編集]

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号[編集]

  • 22 (2006年)
  • 25 (2007年)
  • 44 (2009年)
  • 31 (2010年 - )

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]