仙台育英学園高等学校
仙台育英学園高等学校 | |
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(多賀城校舎) | |
過去の名称 |
育英塾 仙臺育英學校 私立仙臺育英中學校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人仙台育英学園 |
校訓 |
至誠 質実剛健 自治進取 |
設立年月日 | 1905年 |
創立者 | 加藤利吉 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 広域通信制課程 |
単位制・学年制 |
学年制(全日制 特別進学コース、外国語コース、英進進学コース、情報科学コース) 単位制(全日制 フレックスコース、技能開発コース) 単位制(通信制) |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 二期制 |
高校コード | 04501C |
所在地 |
〒983-0045(宮城野キャンパス) 〒985-0853 (多賀城キャンパス) |
宮城県仙台市宮城野区宮城野2丁目4番1号(宮城野キャンパス) 宮城県多賀城市高橋5丁目6番1号(多賀城キャンパス) | |
外部リンク | 生徒会執行部公式Facebook |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
仙台育英学園高等学校(せんだいいくえいがくえんこうとうがっこう)は、宮城県仙台市と多賀城市に立地する私立高等学校。略称は仙台育英(せんだいいくえい)。
設置者は学校法人仙台育英学園。同法人は、東北地方では初の中等教育学校である秀光中等教育学校を設置している。
概要
校舎は仙台市宮城野区の宮城野キャンパス及び多賀城市の多賀城キャンパスの2つで構成され、コース及び部活動によって、2つのキャンパスのうち、いずれかに所属することになる。宮城県の学校界では東北高等学校と列ぶ私立のスポーツ強豪高校であり、甲子園の常連校として特に知られている。大学進学指導にも力を入れており、毎年国公立大学や首都圏難関私立大学、地元私立大学への大学合格者を多数輩出している。
1989年と2015年には夏の甲子園で準優勝(優勝校は東京都の帝京高等学校及び神奈川県の東海大相模高等学校)、2001年には春の甲子園で準優勝(優勝校は茨城県の常総学院高等学校)を果たし、高校野球における「白河越え」の悲願成就に最も近い高校として地元の期待を集めていたが、2004年の夏大会で駒澤大学附属苫小牧高等学校(北海道)に先を越され、果たせなかった。なお、軟式野球部は第47回全国高等学校軟式野球選手権大会で優勝を果たしている。全国高等学校野球選手権宮城大会では、東北高校との二強の構図が30年以上続いている。
この他にも、陸上長距離や駅伝の強豪校として知られ、高校駅伝の優勝回数は7回(歴代2位タイ)を数える。ほかにはサッカー部やラグビー部も全国レベル。
制服は、男子はブレザー、2012年度以降の特別進学コースの生徒は紺の詰襟、女子は全国的にも珍しい濃緑のブレザー・スカートで、襟元に赤いリボンをあしらったものである。
2014年度より4つのコース名が改称され、英進進学コースI類は英進進学コース、英進進学コースII類は情報科学コース、フレックスコースI類はフレックスコース、フレックスコースII類は技能開発コースとして生まれ変わった。
なお、前橋育英高等学校、奈良育英高等学校、育英高等学校(兵庫育英)、鳥取県立鳥取中央育英高等学校との関連や交流は無い。同じく、設立者である加藤利吉は会津若松の出身であり、育英館(徳川時代の中村藩の藩校)との関連は無い。
沿革
- 1905年(明治38年) - 加藤利吉、育英塾を設立する。
- 1913年(大正2年) - 仙台育英学校へ移行。東北高等予備学校併設。
- 1922年(大正11年) - 私立仙台育英中学校開校。創立者加藤利吉が校長に就任する。外記丁校舎。
- 1930年(昭和5年) - 現在の校歌制定。
- 1945年(昭和20年) - 外記丁校舎が仙台空襲により焼失。
- 1948年(昭和23年) - 財団法人仙台育英学園設立認可。学制改革により私立仙台育英高等学校開校。私立仙台育英中学校を併設。
- 1949年(昭和]]24年) - 宮城野原に新築校舎第一期工事落成移転。外記丁校舎の跡地は戦災復興事業により錦町公園となる(一部は愛宕上杉通りなどの道路に転用)。
- 1951年(昭和26年) - 学校法人仙台育英学園設立認可。加藤利吉が理事長に就任。
- 1955年(昭和30年) - 仙台育英高等学校、仙台育英商業高等学校併設。
- 1956年(昭和31年) - 仙台育英中学校閉校。
- 1962年(昭和37年) - 仙台育英高等学校・仙台育英商業高等学校とを併合。仙台育英学園高等学校となる。普通部・商業部と改称。
- 1963年(昭和38年) - 6月23日。日本初の高校生による国際奉仕クラブ。インターアクトクラブ結成[1]。100余名で発足。当時世界第一の規模を誇った[要出典]。
- 1976年(昭和51年) - 普通部・商業部を普通科・商業科と改称。
- 1984年(昭和59年) - 仙台育英学園高等学校、普通科・商業科を廃止し、全日制普通科総合コース制(県下初)を導入。特別進学コース、教養コース{国大進学コース・私大進学文理コース・簿記進学コース・情報処理コース・外国語コース・体育コースの6コース}設置。
- 1986年(昭和61年) - 外国語コースで女子受け入れ開始により共学化(全面共学化は後年)。
- 1989年(平成元年) - 硬式野球部が夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
- 1996年(平成8年) - 仙台育英学園秀光中学校開校。40年ぶりの中学校復活。
- 1998年(平成10年) - 通信コース設置。
- 2001年(平成13年) - 硬式野球部が春の選抜甲子園大会(選抜高等学校野球大会)にて、準優勝。
- 2003年(平成15年) - 東北初の中等教育学校の秀光中等教育学校開校。
- 2005年(平成17年) - 学園創立100周年。
- 2011年(平成23年) - 東日本大震災により宮城野校舎が被災、第一北辰・第二北辰以外の校舎が使用不可能に。
- 2012年 (平成24年) - 硬式野球部が甲子園(全国高等学校野球大会)出場。また、国民体育大会にも出場。
- 2013年 (平成25年) - 仙台育英学園 宮城野新校舎が竣工。
- 2015年(平成27年) - 硬式野球部が夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
設置コース
全日制普通科総合コース制(事実上の総合学科)である。
- 特別進学コース(男女・宮城野キャンパス)
- 国公立大・難関私立大学への現役合格を目指す。東大、京大などの超難関大学をめざす東大選抜クラスをはじめ習熟度と進路に応じたクラス編成、朝及び放課後学習、夏・冬休み等の特別講習、自学自習の習慣を身につける宿泊研修など、さまざまな学習機会を設けて真の実力を養成する。東京大学・京都大学・慶應義塾大学・早稲田大学・同志社大学といった難関大学への合格者も多数輩出している[2]。
- 外国語コース(女子・多賀城キャンパス)
- 外国語、特に英語の学力を身に付け、主に外国語系・文系大学への進学を目指す。外国人講師による生きた英語の授業や、海外留学、海外語学研修もある。英検・TOEICにも挑戦。“日本伝統文化の理解と尊重”を目的とした茶道・華道の授業も行われている。2010年10月に開校した現地校I - Lion Hawaii Schoolでハワイ研修を2学年時に実施。
- 英進進学コース(男女・多賀城キャンパス)
- 大学進学を意識した数多くの選択可能な教育課程を設置し、受験指導と英語の学力向上に努めている。それぞれの適性・進路に応じて、文系・理系合わせて6つの系に分かれる。希望する進路を実現させるためのカリキュラム編成で、レクチャークラスなどを実施しながら一人ひとりの習熟度に応じ3年間で着実に実力を磨く。
- 情報科学コース(男女・宮城野キャンパス)
- 専門的な情報処理の国際認定資格(グローバル・ライセンス)を取得しIT関連の大学やその資格を活かせる大学や専門学校等への進学指導を行う。1人1台のノートパソコンを一般教科・LHR・総合的な学習の時間などに利用する。2年次からは進路希望に応じて文系と理系を設けて、生徒の適性や能力に応じた学習を行う。
- フレックス・技能開発コース(男女・多賀城キャンパス)
- 全日制課程単位制のコース。部活動と勉強を両立し、推薦入試を中心とした進路指導を行う『フレックスコース』と、アニメーション制作やグラフィックス技術が学べ、就職支援のための資格取得や個々のキャリアアップに向けた多くの講座を設定している『技能開発コース』がある。ともに大学、専門学校進学率は90%を超え、就職率は100%を達成している。
- 広域通信制課程(ILC宮城・LC青森・LC沖縄)
- 4月と10月、年2回の入学機会がある。学習の進め方は、面接指導(スクーリング)の授業と、定められた報告課題(レポート)を提出。年間2回実施する期末試験に合格すれば、単位が認定される。スクーリングは、宮城野キャンパス(ILC宮城)のほか、ILC青森(スクーリング会場は八戸市の八戸学院大学内)、2014年4月開校のILC沖縄(沖縄市上地のコザミュージックタウン内スクーリング会場)でも実施されている。
日本最初のインターアクトクラブ
インターアクトクラブ(Interact Club、IAC)とは、奉仕と国際理解に貢献する青少年のための、ロータリークラブ(RC)提唱の世界的団体である。高等学校に在学中の生徒、または年齢14~18歳までの青少年が入会できる。Interactという名は「国際的活動」International Actionを意味している。
日本最初のインターアクトクラブは、1963年6月27日に結成された、仙台育英学園高校インターアクトクラブである。提唱は、仙台東ロータリークラブで、100人を超える人数で誕生した。日本第1号のインターアクトクラブは、当時、世界最多の会員数を擁していた[要出典]。
仙台育英学園高校インターアクトクラブは、誕生してすぐ、清掃奉仕や小さな親切運動などの、さまざまな活動を展開し、1967-68年度、「インターアクト国際ロータリー賞」を受賞した。また、インターアクトクラブ設立後、海外留学が活発に行われるようになり、地区の青少年交換制度を、促進するという効果もあった[要出典]。
交通アクセス
宮城野キャンパス
2013年に新築改装工事が完了。
- 鉄道
- バス
多賀城キャンパス
- 鉄道
東日本大震災の影響
- 宮城野新校舎完成
- 2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城野校舎は、2012年1月から改修工事が進められ、2013年3月24日に竣工した。同年4月9日には開校式が挙行され、授業が開始した。宮城野新校舎として完成したのは新『栄光』、新『南冥』、新『北辰』の3つの建物。新『栄光』と新『南冥』との間には、学園創立者である加藤利吉を記念した『GP(Great Principal)ホール』も建設された。
- 多賀城校舎グラウンド整備
- 2013年3月多賀城キャンパスのグラウンド(野球場『真勝園』、多目的グラウンド(サッカー場)、テニスコート)が人工芝に整備された。
暴走RV車の危険運転による交通事故の追悼
同校には、毎年5月頃その年の新入生一同が多賀城校舎から松島研修センターまで踏破する、ウォークラリーという恒例行事があった。
ところが、2005年のウォークラリーの際、暴走した飲酒運転のRV車が生徒たちの列に突っ込み、生徒15人が重軽傷を負い、3名が死亡する事故が発生した。この死亡事故以後、多賀城校舎内に「夢の途中」という碑文が記されたメモリアルストーンを設置し、毎年5月22日をI-LION DAYとして、亡くなった生徒の追悼と飲酒運転撲滅運動を生徒会主催で行なっている。
関連人物
卒業生
スポーツ界
- ネイサン・アンダーソン(ラグビー選手、神戸製鋼コベルコスティーラーズ)
- 天野勇剛 (元プロ野球選手)
- 荒木達也(ラグビー選手、トヨタ自動車ヴェルブリッツ)
- 石川茂則 (元仙台育英学園高校野球部コーチ・元宮城県仙台西高等学校野球部監督・元KHB東日本放送高校野球解説者・現東北生活文化大学高等学校野球部監督)
- 石崎一夫 (元プロ野球選手)
- 井村久美子 (陸上競技・スズキ陸上部、女子走幅跳日本記録保持者)
- 岩田寛(プロゴルファー)
- 上林誠知(プロ野球・福岡ソフトバンクホークス所属)
- 氏家(金澤)規夫 (元仙台育英学園高校→東陵高等学校→青森山田高等学校野球部監督・現宮城県松山高等学校野球部監督 宮城県出身の高校野球監督で名将として知られる)
- エスタ・ワンジロ (陸上選手・日立製作所)
- 大岡博華(卓球選手)
- 大久保将人 (元Jリーグ・川崎フロンターレ)
- 大久保美智男 (元プロ野球選手)
- 大越基 (元プロ野球選手・元福岡ダイエーホークス、現早鞆高等学校野球部監督)
- 大友愛(女子バレーボール元日本代表)
- 加藤俊夫 (元プロ野球選手・ヤクルト、日本ハムなど)
- 金村曉 (元プロ野球選手、GAORA野球解説者)
- 釜石慶太 (東洋大学陸上部主将)
- 関東孝雄 (元プロ野球選手)
- 菊池俊夫(元プロ野球選手)
- 岸川聖也(卓球・スヴェンソン・ドイツブンデスリーガ2部ベルグノイシュタット)
- 絹川愛(陸上競技選手、女子10000mジュニア日本記録保持者。世界陸上2007出場)
- 木村謙吾(プロ野球選手・東北楽天ゴールデンイーグルス)
- 倉橋寛(元プロ野球選手)
- 熊谷駿(Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府)
- 佐藤世那 (プロ野球・オリックス・バファローズ)
- 佐藤仁徳(元ボクシング日本ウェルター級チャンピオン、現同校ボクシング部監督)
- 佐藤秀和(陸上競技選手(長距離種目)、5000m日本高校記録保持者、トヨタ紡織)
- 佐藤真海(走り幅跳び、アテネパラリンピック、北京パラリンピック代表)
- 佐藤由規(プロ野球・東京ヤクルトスワローズ所属。甲子園最速タイの投手。(155km/h))
- 佐藤貴規(BCリーグ・福島ホープス所属)
- サムエル・カビル(元陸上競技選手)
- サムエル・ワンジル(陸上競技選手(長距離種目)、トヨタ自動車九州所属、10000mジュニア世界記録保持者、ハーフマラソン世界記録保持者、北京オリンピック男子マラソン金メダリスト)
- ジェームス・ワイナイナ(元陸上競技選手)
- 志田宗大(元プロ野球・現東京ヤクルトスワローズスコアラー)
- ジュリアス・ギタヒ(陸上競技選手(長距離種目)・日清食品グループ)
- ジョン・マイタイ(陸上競技選手・茨城環境企業)
- 菅田誠(元仙台育英高校硬式野球部監督・1933年に地区予選で決勝に進出した時の一塁手。旧制仙台育英中学校を1935年3月卒業後、國學院大學進学。兵庫県の高校の野球部監督後、母校の硬式野球部監督就任。氏家規夫監督の恩師。)
- 菅原新(陸上競技・クレーマジャパン)※現在は当校の教諭。
- 菅原祐輝(ラグビー選手、釜石シーウェイブス)
- 鈴木郁洋(元プロ野球・現オリックス・バファローズコーチ)
- 須田康夫(ラグビー選手、釜石シーウェイブス)
- 清野純一(陸上競技選手、順天堂大学、本校陸上競技部・現監督)
- 高橋顕法(元プロ野球選手)
- 高橋正巳(元プロ野球選手)
- 高橋優太(陸上競技選手、城西大学)
- 平直行(格闘家)
- ダニエル・ジェンガ(陸上競技選手、ヤクルト本社)
- 冨沢智也(ラグビー選手、NTTコミュニケーションズシャイニングアークス)
- 中島浩司(元Jリーグ・サンフレッチェ広島)
- 長島哲郎(元プロ野球選手)
- 中谷翼(元プロ野球選手・広島東洋カープ)
- 中津雅寛(日本自動車連盟宮城支部・10年連続表彰受賞者)
- 中根佑二(プロ野球・東京ヤクルトスワローズ所属)
- 中濱裕之(元プロ野球選手)
- 新沼慎二(元プロ野球・現横浜DeNAベイスターズコーチ)
- ニールソン武蓮伝(元ラグビー選手、釜石シーウェイブス)
- 芳賀勝男(プロボクサー)
- 芳賀博信(Jリーグ・コンサドーレ札幌)
- 橋本到(プロ野球・読売ジャイアンツ)
- 畠山健介(ラグビー選手、サントリーサンゴリアス)
- 平沢大河 (プロ野球・千葉ロッテマリーンズ)
- 平野早矢香(卓球・ミキハウス・全日本選手権女子3回優勝 2004、2005、2007)
- 星孝典(プロ野球・埼玉西武ライオンズ)
- マキシモ・ブランコ(元レスリング選手・総合格闘家)
- 眞山龍(元プロ野球・西武ライオンズ)
- ミカ・ジェル(陸上競技選手(長距離種目)・トヨタ紡織)
- 武者大輔(ラグビー選手、リコーブラックラムズ)
- 武藤真一(元Jリーグ・ジェフユナイテッド千葉)
- 矢貫俊之(プロ野球選手・読売ジャイアンツ)
- 山本多聞(元プロ野球選手)
- 渡辺勉(元プロ野球選手)
芸能界
- 浅沼晋太郎 (脚本家、演出家、俳優、声優、コピーライター、デザイナー)
- 尾形貴弘 (お笑い芸人・パンサー)
- 小山羊右 (ローカルタレント)
- 佐藤太(映画監督)(学生時代に撮った数々の自主映画で注目されプロの世界に。装飾助手としてキャリアをスタートした後、助監督となり、金子修介、和田誠、椎名誠、辻仁成、秋元康らの監督作品につく。1995年に発表した短編映画 『デートトレイン』 で注目を集める。2003年~2004年に製作=2005年に公開された 『インディアン・サマー』 で、長編劇映画デビュー)
- TAKUYA(マジシャン、タレント)
- たこ八郎(コメディアン、俳優、プロボクサー)
- 林朝子 (TBC東北放送アナウンサー)
- HIRO(LGYankeesのMC)
- 水澤紳吾(俳優)
- 三又又三(お笑い芸人・元ジョーダンズ)
- 山谷祥生(声優)
- ワッキー貝山(ローカルタレント)
芸術界
その他
関係者
- 加藤榮吉(設立者・加藤利吉の弟)
- 竹田利秋 (國學院大學硬式野球部監督。元・本校野球部監督)
- 渡辺高夫(元・本校陸上競技部総監督)
- 佐々木順一朗 (現・本校野球部監督)
- 吉井秀邦 (元・本校サッカー部監督、現・仙台大学サッカー部監督 )
脚注
- ^ インターアクト(ロータリージャパン)
- ^ 仙台育英学園高等学校 合格大学、合格者数
関連項目
外部リンク
- SENDAI IKUEI DIGITAL EXPRESS(学校法人仙台育英学園Webサイト)