ロータス・78
カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | ロータス | ||||||||||
デザイナー |
ピーター・ライト コーリン・チャップマン マーティン・オグルヴィ トニー・ラッド ラルフ・ベラミー | ||||||||||
先代 | ロータス・77 | ||||||||||
後継 | ロータス・79 | ||||||||||
主要諸元 | |||||||||||
エンジン | フォード コスワース DFV | ||||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム |
ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス チーム・レバーク | ||||||||||
ドライバー |
マリオ・アンドレッティ グンナー・ニルソン ロニー・ピーターソン ヘクトール・レバーク | ||||||||||
出走時期 | 1977 - 1978年 | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 1 (1978年)[1] | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 1 (1978年)[1] | ||||||||||
通算獲得ポイント | 106 | ||||||||||
初戦 | 1977年アルゼンチンGP | ||||||||||
初勝利 | 1977年アメリカ西GP | ||||||||||
最終戦 | 1978年カナダGP | ||||||||||
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ロータス 78 (Lotus 78) は、チーム・ロータスが開発したフォーミュラ1カーで、1977年・1978年シーズンに使用された。チーム・ロータスにおける呼称はジョン・プレイヤー・スペシャル・マークIII (John Player Special Mk.III)。ピーター・ライト、コーリン・チャップマン、マーティン・オグルヴィ、トニー・ラッドによって設計され、F1界にグラウンド・エフェクト革命を捲き起こした。
コンセプト
1976年初め、前のシーズンの老朽化した72のスピード不足と、新型の77の平凡な性能に失望したチャップマンは、流入空気の低ドラッグ化についてのアイディアを詳述した27ページの文書を書き上げた。翼に据え付けられたラジエターと揚力をひき起こすよう設計された熱風の排気口に細心の注意を払ったデ・ハビランド モスキート戦闘爆撃機を研究した後、チャップマンはそのようなシステムを逆さにすれば、著しいダウンフォースを得られることに気付いた。流体力学におけるベルヌーイの定理の慎重な検討の後、上下逆向きの飛行翼断面を車両へ応用する効果について考えをまとめ、エンジニアリング・ヘッドのトニー・ラッドにこの文書を託した。
ラッドはこのプロジェクトに取り組むため、チーフ・デザイナーのラルフ・ベラミー、車両エンジニアのマーティン・オグルヴィ、空気力学のピーター・ライトらとチームを編成した。ラッドとライトは、1970年にロータスに加わる以前BRMで働いており、彼らのマシンの1台で逆さ翼断面搭載の可能性についてデザイン研究を行っていた。ラッドはいくつかのスケールモデルをテストしたが、正確なテスト方法の欠如とBRMの財政難で、開発は試験的な域を超えられなかった。しかしライトはこの仕事を思い出し、プロジェクトに持ち込んだ。
その後ライトは、風洞とローリングロード(ムービングベルト)を使ってF1マシンのボディシェイプで実験を始めた。ライトはモデルカーのボディ脇にボール紙片を取り付けたが、実験中に翼端板がずり落ちてローリングロードとの隙間を塞いだ際、ダウンフォース発生量が急増することを発見した。より詳細な検証で、ローリングロードの速度が増加するにつれ、ボディ底面が路面表面近くへ吸引されていることが確認された。結果はチャップマンに報告され、チームはシャーシ設計を行うための無制限な自由を与えられた。デザインスケッチと機械製図の1ラウンドとインペリアル・カレッジの風洞での更なる作業の後、マシンは生産に入った。5台が製造され、1976年7月、コードネーム"John Player Special Mk.III"、別名「ロータス 78」が誕生した。
マリオ・アンドレッティは早く、おそらくはその年のオランダGPでマシンをデビューさせたかったが、ロータスの成果を他チームに知られるのを望まないチャップマンに却下された。
開発
基本的に78は72と同じウェッジシェイプと内部レイアウトを共有したが、より詳細な空力的な改善、良好な重量配分、延長されたホイールベースを特徴としていた。そして77から発展したアルミニウムシートとハニカムから構成された、モノコック構造を持っていた[2]。車体はファイバーグラスのボディパネルと、部分的にシャーシを強化するため用いられたアルミニウムから形成されていた。マシンが初めて姿を現すと、先進的なその外観はかなりの話題となったが、その内部は飛躍的な前進を遂げていた。アンドレッティは、ヘセルのロータスのテストコースで何千マイルにも及ぶテストに熱心に取り組んだ。
ベルヌーイの法則の発見に基づき、サイドポッド下面は従来のウイングと同様の意匠がより大規模に逆翼型に形づくられた。ライトとチャップマンはマシンのフロアをこのように形成することにより、地面と下面の隙間の空気の流速を速めることができることを発見し、それにより車両の下側を減圧した。この部分的な負圧が車両を下へ効果的に吸引し、路面上により強くタイヤを押しつけた。タイヤへの下向きの大きな力は、より多くのグリップと、それによる高いコーナーリングスピードを実現した。吸引効果を強めるため、空気が地面と逆翼型カバーの間を通り抜ける車両下面の面積を可能な限り広げ、モノコックはより細くされた。このグラウンドエフェクトには、従来のウイングと違いドラッグ発生を解決する大きな長所があり、コーナーリング性能の増大が直線での速度減少で損なわれないことを意味していた。むしろ空気抵抗が減少したことにより、最高速度も増加した。
車両下面の低圧域を保つため、当初はブラシが各々のサイドポッド下部に取り付けられた。これが不十分なことが判明すると、ロータスはプラスチックのスカートを試みたが、路面と接触して非常に早く磨り減った。最終的には大きな効果が確認された可動式のゴムスカートが開発された。スライドするスカートは車両側面と地面との間のギャップに封をして、下面の低圧域に吸引されグラウンドエフェクトを打ち消す空気の流れを遮断した。こうして低圧域をサイドウォールとスカートで密封し、ベンチュリー効果によって強力なダウンフォースを発生させるしくみが完成した[3]。アンドレッティは78をドライブすることを、あたかも「路面に塗られる」(painted to the road)かのようだと表現した。
ラジエーターはモスキートにヒントを得た排気熱が車体上部に抜ける設置方法が採用され、ダウンフォースの向上に貢献した。燃料タンクはドライバーの後ろ側と各々のサイドポッド中間部に一つずつの三分割セルとなっていた[4]。サイドポッドタンクはドライバーによってコックピットから制御可能で、個々にあるいは同時にエンジンへ燃料を供給することができ、コーナーリング性能と重量の偏りを改善した。サスペンションはジオメトリーを素早く変化させるために設計されたロータス・77のサスペンションセットアップが流用された。これは必要な時に特定のサーキットにおけるマシンのセットアップに役立った。また77での成果として、リヤに比べ極端に広いフロントトレッドの設定が上げられる。77の開発過程で、フロントトレッドを広げると空気抵抗増加によりトップスピードは落ちるが、ハンドリングが劇的に改善されることが判明しており、78では基本レイアウトの時点で既にリヤよりも極端に広いフロントトレッドが採用されていた。これはグランウンドエフェクトの作用が低い中~低速コーナーでの優れたハンドリングに寄与し、また車体から離れたフロントタイヤはサイドのウインドウ・トンネルへの空気の流入を阻害せず、高速コーナリング時のグラウンドエフェクトの増加にもつながるという恩恵があった。`77年当時、フロントトレッド拡大によるハンドリング改善に注目していたチームは、ロータス以外ではマクラーレンだけであり、他チームは空気抵抗を考えリヤと同等かそれより狭いフロントトレッドを採用していた。一方、車体下面の空力と路面との相互作用に細心の注意が払われた結果、空力効果を維持するために車高変化の少ない固いサスペンション設計が採用された。これによりマシンのセットアップとモディファイは比較的容易となった。
だが、車両下面の低圧域が前方に寄りすぎており、前後の釣り合いを取るため非常に大きなリアウイングを装着した結果、高速域で大きなドラッグを生んでしまった。これは特にホッケンハイムリンクやエステルライヒリンクのような高速サーキットで顕著で、そこではフェラーリやマクラーレンは78より明らかに速かった。フォードはこれを補うためにDFVエンジンの改良バージョンを提供し、マシンの速度を上げたが、信頼性が犠牲となった。アンドレッティは1977年に5回ものエンジン故障に遭い、3勝のニキ・ラウダに対して4勝し7回ポールポジションを獲得しながら、ワールドチャンピオンシップを取り逃がした。ようやく、ドラッグ要因を大幅に低減する小型ウイングがイタリアGPに間に合い(上記写真参照)、アンドレッティが人気のある「ホームでの」勝利に貢献した。もう一つの問題はアウトボード式のリアサスペンションで、サイドポッド後部からの気流を整えるため若干のモディファイが加えられたものの、依然として空気の直接の通り道にあった。これはマシン後部の安定性に影響を及ぼし、オーバーステアをひき起こした。
戦歴
しかしながら、アンドレッティと、ベルギーGPで1勝したグンナー・ニルソンが証明したように、78が特別な存在であることは明らかだった。マシンがよく調整されたときには、ほとんど捕らえられることがなかった。1977年の開幕戦でデビューした78は5勝を挙げ、そのシーズン最高クラスのマシンであることを証明した。1978年には他のチームも自身のバージョンを設計しようと競い始めた。問題はチャップマンとロータスの他のメンバーが真の理由を隠すための数々の言い訳をでっち上げたので、このマシンの何がそれほど特別なのか正確にはわかっていないことだった。加えてマシン下面の外観はスカートに覆い隠されていた。アロウズは早くも1978年の第3戦南アフリカGPにアロウズ FA1をデビューさせたが、サイドスカートを持たないウイング構造のマシンだった。第7戦になるとウルフが78のベンチュリー構造を模したウルフ WR5を投入してきた。
78は1978年前半も十分な戦闘力があり、1977年に78が他をリードしていたのと同じくらい78より進化した79に置き換えられるまでに、アンドレッティとロニー・ピーターソンがそれぞれ1勝とポールポジション1回ずつを記録していた。
その後78はもう一度ワークスチームでスタートするのを目にされることとなった。イタリアGP決勝日午前のウォームアップ走行で79が損傷してしまい、ロニー・ピーターソンはスペアカー(78/3 (JPS-17))を使うことを余儀なくされた。チームは79に集中していたため、マシンはメンテナンスや改良はされておらず、急遽レースに向けて準備がなされた。チームメイトのアンドレッティが予想通りポールポジションを獲得していたが、ピーターソンはグリッドの5番手だった。しかし、ピーターソンは大規模なスタート事故に巻き込まれ、マシンがノーズからバリアに衝突し車両のフロントエンドは完全に破壊された。ピーターソンは事故後に受けた治療による合併症で翌日死去した。
オリジナルの発展プロトタイプ(78/1 (JPS-15))は、ヘクトール・レバークに売却された。彼は1978と1979年の世界選手権イベントと[5]、1980年代初めの非世界選手権レースでこのマシンをチーム・レバークで走らせた。
78は合計7勝し、9つのポールポジションと106ポイントを獲得した。
スペック
シャーシ
- シャーシ名 78 ( J.P.S. Mk.III )
- シャーシ構造 アルミニウムモノコック
- 全長 4,547 mm
- 全幅 2,146 mm
- 全高 914 mm
- ホイールベース 2,718 mm
- 前トレッド 1,702 mm
- 後トレッド 1,600 mm
- エンジンレイアウト・駆動方式 縦置きミッドシップ・リアドライブ
- フロントサスペンション アッパーロッキングアーム、ロワウィッシュボーン、インボード式コイルスプリング/ダンパー
- リアサスペンション アッパーパラレルリンク、ロワウィッシュボーン、ツインラジアスアーム、アウトボード式コイルスプリング/ダンパー
- ブレーキキャリパー ロータス/ロッキード ツイン
- ブレーキパッド・ディスク フェロード 前 27.9 cm 、後 29.2 cm ベンチレーテッド
- ギヤボックス ヒューランド FG400 5速マニュアル
- デファレンシャルギア ロータス
- ホイール スピードライン 前 13×10-11 in 、後 13×18-19 in
- タイヤ グッドイヤー
エンジン
記録
1977年
年 | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | ポイント | ランキング |
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ARG |
BRA |
RSA |
USW |
ESP |
MON |
BEL |
SWE |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
USE |
CAN |
JPN | |||||
1977 | 5 | アンドレッティ | 5 (8) |
Ret (3) |
Ret (6) |
1 (2) |
1 (PP) |
5 (10) |
Ret (PP) |
6 (PP) |
1 (PP) |
14 (6) |
Ret (7) |
Ret (3) |
Ret (PP) |
1 (4) |
2 (4) |
9 (PP) |
Ret (PP) |
62 | 2位 |
6 | ニルソン | DNS (10) |
5 (10) |
12 (10) |
8 (16) |
5 (12) |
Ret (13) |
1 (3) |
19 (7) |
4 (3) |
3 (5) |
Ret (9) |
Ret (16) |
Ret (6) |
Ret (19) |
Ret (12) |
Ret (4) |
Ret (14) |
- コンストラクターズランキング2位。
- ドライバーズランキング2位(マリオ・アンドレッティ)4勝 7PP 4FL 47ポイント。
- ドライバーズランキング8位(グンナー・ニルソン)1勝 予選最高位3位2回 1FL 20ポイント。
1978年
年 | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | ランキング |
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ARG |
BRA |
RSA |
USW |
MON |
BEL |
ESP |
SWE |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
USE |
CAN | |||||
1978 | 5 | アンドレッティ | 1 (PP) |
4 (3) |
7 (2) |
2 (4) |
11 (4) |
86 | 1位 | |||||||||||
6 | ピーターソン | 5 (3) |
Ret (PP) |
1 (11) |
4 (6) |
Ret (7) |
2 (7) |
Ret[6] | ||||||||||||
25 | レバーク | DNQ | Ret (22) |
10 (22) |
DNPQ | DNPQ | DNPQ | Ret (20) |
12 (21) |
DNQ | Ret (21) |
6 (18) |
Ret (18) |
11 (20) |
DNQ |
Ret (23) |
DNQ |
- コンストラクターズチャンピオン獲得。
- ドライバーズタイトル獲得(マリオ・アンドレッティ)6勝 8PP 3FL 64ポイント(第6戦以降 79 をドライブ)。
- ドライバーズランキング2位(ロニー・ピーターソン)2勝 3PP 3FL 51ポイント(第7戦以降第14戦決勝を除き79をドライブ)。
- ドライバーズランキング-位(ヘクトール・レバーク)予選最高位18位2回 決勝最高位6位1回 1ポイント。
- ジャン=ピエール・ジャリエが第15戦以降ピーターソンの代役として79で出走( 1PP 決勝最高位15位 1FL )。
脚注
参考文献
- 英語版 w:en:Lotus 78 (12:36, 22 September 2010 UAT) (本稿初版訳出)
- Nye, Doug (1986). Autocourse history of the Grand Prix car 1966-85. Hazleton publishing. ISBN 0905138376
- Tipler, Johnny (2003). Lotus 78 and 79: The Ground-Effects Cars. Crowood Pr. ISBN 1847971431
- Roebuck, Nigel (1979). Mario Andretti: World Champion. Hamlyn. ISBN 0600394697
- Burgt, Andy van de (ed.) (2010). Autosport 60th Anniversary issue. Haymarket Consumer Media. ISSN 0269-946X
- "1977 Lotus 78 Cosworth - Images, Specifications and Information" - ultimatecarpage.com(英語)2010年10月02日閲覧。
外部リンク
- "78" - ConnectingRod.it /記事、テクノロジー、リザルト、ギャラリー(イタリア語)
- "Lotus Ford 78" - Grand Prix Journal Online /レース、ピット写真(英語)
- "Lotus 78" - Home Page / 1/20 スケールモデル、実車ピット写真(英語)
- "Grand Prix Cars - Lotus-Ford 79" - Dennis David & Family /サイドポッドのイラスト、空力解説(英語)
- Classic Team Lotus home page - クラシックチームロータス公式(英語)
- Club Lotus France Page d'accueil - ロータスフランスクラブ公式(英語)