木炭自動車
木炭自動車(もくたんじどうしゃ)とは、自動車に積載した木炭ガス発生装置による一酸化炭素とわずかに発生する水素(水性ガス)を動力として走る自動車である。なお木炭ガス発生装置を使用する車両の正式名称は「石油代用燃料使用装置設置自動車」と言い略して「代用燃料車」あるいは「代燃車」と言うが、バスの場合は専ら木炭バスや薪バスと呼ばれていた。
木炭ガス発生装置は、同じエンジンを用いるバスと大型トラックや、出力と装置の搭載に余裕のある、比較的排気量の大きい普通乗用車、普通・小型貨物自動車にも代用燃料車として改造され搭載された。
鉄道車両では、ガソリンカーや小型内燃機関車などにもそのような改造例が見られた。
1990年代以降では、環境分野での啓蒙活動の一環や、戦時下の状況を伝え残すために木炭バス(木炭自動車)を自作・復元するグループも存在する。
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外観 [編集]
一般のガソリンエンジンを搭載したバスやトラックを改造して利用していたことから、必然的に外観は当時主流であったボンネットバスやトラックと同等で、燃料供給装置として、車両後部や側面に張り出した焼却炉に似た木炭ガス発生装置を持つことが特徴である。
木炭自動車のしくみ [編集]
発生炉にくべた木炭や薪の不完全燃焼により発生炉ガス(en:Producer gas)と呼ばれる一酸化炭素を主成分とする可燃性のガスが得られる。また発生炉中に水蒸気を吹き込み一部を水性ガスとして使用したものもあるようである。発生したガスに含まれる煤を分離除去してエンジンまで供給する機能を車載用にコンパクトにユニット化したものが、木炭ガス発生装置である。ここから発生した木炭ガスをガソリンエンジンの気化器まで導き、途中の管に燃料切替弁[1]を設けて接続した。
エンジン [編集]
既存のガソリンエンジンを流用できることから比較的簡単に改造できたが、木炭ガス発生装置によるガスの熱量が小さいことや、吸気温度が高く充填効率(体積効率)が落ちるなどの問題があり、エンジンの発生出力は極めて低く、上り坂では乗客が降りて木炭バスを手で押すといった光景も見られた。更に一酸化炭素を主成分とすることから、乗客の一酸化炭素中毒も多発したという。
燃料供給機構の操作 [編集]
木炭自動車はボイラーを用いないことから、単純に火力を強くすれば出力も向上するというわけではない。完全燃焼させてしまえば、十分な一酸化炭素を得ることができないからである。木炭バスの燃焼炉では、一般の焼却炉とは逆に積極的に不完全燃焼を生じさせる必要がある。これはバス運行経路を通じた乗車率や道路の勾配等を先読みし、送風機や煙突に設けた弁を操作する高度な技量が求められた。
整備 [編集]
発生したガスからススや水蒸気を除去するフィルターの設置は必須であるが、濾過能力不足のため、ガスには水分やタール成分が含まれてしまうことが多かった。これらはシリンダー内でのピストンリング固着やピストン焼きつき、エンジンオイルの極端な劣化など、木炭自動車独自の弊害として現れたことから、通常のガソリンエンジン以上に頻繁な点検・整備が求められた。
日本における歴史 [編集]
日本では燃料用の原油が不足した第二次世界大戦中の1940年代に民間の燃料消費を抑え、軍用の燃料を確保するため使用された(→走行中の写真[リンク切れ][2])。 しかし燃料の薪や木炭をいぶすため、エンジンをかけるのに非常に時間がかかる欠点があった。熟達者でもエンジン始動準備に一時間程度を要したといい、戦場ではこの遅さは命取りになることから軍用には全くと言っていいほど使用されなかった。[3]。当然、日本本土でも不人気で、開発が本格化する以前の1937年(昭和12年)ごろには代燃車転換奨励予算が使い切れず、予算を返納していた程であった。その後1938年(昭和13年)、陸軍が開発に注力したことから徐々に普及し、同年には東京都でバスに初導入される。1939年(昭和14年)には民間普及促進のため木炭車の全国キャラバンが実施され、1941年(昭和16年)には民間普及促進のため歌とレコードが作られた。
日本では戦後、配給制度が撤廃され燃料調達が容易になると、多くの木炭自動車はかつての状態に復元された。また、GHQによる自動車生産統制が緩和されると、新造されたバスにより瞬く間に淘汰された。
1980年代以降、事業者や博物館などで木炭バスを製作するケースが散見される。但し、これらは実際に木炭バスとして使用されていた車両の復原ではない。
現存する木炭自動車 [編集]
- 北海道中央バス・まき太郎 - 1993年(平成5年)、トヨタの電源車をベースに製作。自家用登録されており、公道を走行できる。
- やる気村 - 盛岡市郊外の綱取ダム湖畔にある施設。木炭関係の展示などが行われている。木炭車はジープスタイルで、屋根上にスピーカーが設けられやる気村の歌などを流すほかボンネット先端には国旗と小さなゴジラの人形が飾られ、様々な広告や標語などが車体を彩っている。自家用登録されており、公道を走行できる。[1][2]
- 神奈川中央交通・三太号 - 1981年(昭和56年)に会社創立60周年を記念してトヨタ製消防車のシャシと国鉄橋本工場(現:大宮工場橋本車両センター)製の車体を組み合わせて製作された。ガス発生炉は新製した。
- 大町エネルギー博物館・もくちゃん - トヨタ製消防車のシャシに、日野RM100の車体を組み合わせて1990年6月に製作された。積まれているガス発生炉は1950年製で当時実際に使用されていた物であり、これは国内の復刻木炭車では唯一のケースである。自家用登録されており、公道を走行できる。
- 福山自動車時計博物館 - トヨタDB100型を改造し、木炭車とした。
- トヨタ博物館 - 1937年型ビュイックに愛国式ガス発生装置を設置して木炭車とした。
- 岩国市-岩国市が観光客向けに木炭車を運行、乗車無料[4]。
日本国外における木炭車 [編集]
日本国外では炭素燃料のガス化(en:Gasification)を利用して燃料を取り出し、これを利用して動作するエンジンを総称してen:Wood gas generatorと呼んでいる。古くは日本の木炭バスと同じく、第二次世界大戦中の純粋な石油事情の悪化からこのような機関は、ドイツなどの枢軸国側の国家のみならず、フランスやイギリスなどの連合国側の国家でも石油事情が逼迫した際には用いられた事があった。近年では趣味の一環で自作される例も多くなっている。
なお、アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(FEMA)は、将来的に石油が枯渇した場合や第三次世界大戦などの破局的な戦争や災害が発生した場合に備えて、1989年に現代の技術でより高度な出力を出す為の新型木炭ガス発生装置の設計図書を発表[5]している。
北朝鮮においては、化石燃料不足の影響もあり、多くの木炭バスおよび木炭自動車がいまだに現役である。
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第二次世界大戦末期のドイツ第三帝国で製作された、Adler Diplomat改造の木炭車
関連図書 [編集]
- まきバス三太号-木炭自動車復原ものがたり 北川幸比古 作 保田義孝 絵 岩崎書店発行 ISBN 9784265914197
脚注 [編集]
- ^ ガソリン車としても使える様にするのが一般的だったといわれる。
- ^ 1940年代後半、日本。
- ^ 戦争末期でさえ、第一線(特に大陸や寒冷地)の自動車部隊ではガソリン・ディーゼル車を使用していた
- ^ 木炭自動車 今年も発車…山口 - 読売新聞2011年4月8日付
- ^ "Construction of a Simplified Wood Gas Generator for Fueling Internal Combustion Engines in a Petroleum Emergency"
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 『紙上モーター展. 2599年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー) 代用燃料車カタログ
- 『国産自動車商品案内. 昭和15年版』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー) 代用燃料車カタログ
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