ラーマ9世
| ラーマ9世 รัชกาลที่ ๙ |
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| タイ国王 | |
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| 戴冠 | 1950年5月5日、於大宮殿 |
| 先代 | ラーマ8世 |
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| 出生 | 1927年12月5日(84歳) |
| 変名 | ภูมิพลอดุลยเดช プーミポンアドゥンラヤデート |
| 父親 | マヒタラーティベートアドゥンラヤデートウィクロム |
| 母親 | シーナカリン |
| 配偶者 | シリキット |
| 子女 |
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| 居所 | 大宮殿 チットラダー宮殿 |
| 信仰 | 上座部仏教 |
| 親署 | |
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| タイ王室 |
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ラーマ9世(タイ語: รัชกาลที่ ๙、1927年12月5日 - )は、チャクリー王朝第9代のタイ国王(在位:1946年6月9日 - )。
通称はプーミポンアドゥンラヤデート(タイ語: ภูมิพลอดุลยเดช, ラテン文字転写: Bhumibol Adulyadej)。漢名は鄭固。英語や日本語では一般に長母音を無視し、プミポン国王とも通称されるが、本来はタイ語においては(称号なども含めて)後ろのアドゥンラヤデートと不可分一体であり、プーミポンだけで呼ばれることはほとんどない。なおプーミポンアドゥンラヤデートとは「大地の力・並ぶ事なき権威」という意味である。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 生い立ち
1927年12月5日に、アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジに生まれる。ラーマ5世の69番目の子息、ソンクラーナカリン王子を父に持つ。
学業はスイスのローザンヌ大学で修めた。学業中にいったん休学し、第二次世界大戦終結後の1945年にタイへ帰国するが、翌年の1946年6月9日に兄・ラーマ8世が怪死したため、兄王の死の12時間後にタイ国王に即位。その後すぐにローザンヌ大学へ復帰し、1952年に帰国した。
[編集] 国王時代
1950年4月、フランス滞在中に出会ったシリキット・キッティヤーコーンと結婚する。彼女も王族であり、ラーマ9世の従姉妹にあたる。同年5月6日に戴冠。その後1956年にはタイの仏教の伝統に基づき、仏門に入り一時的に俗世間を離れ、還俗(再び俗世に復帰)した。この期間はシリキット王妃が摂政として一部公務を代行した。
タイは立憲君主制ではあるものの、1992年まで実質的には軍事政権の国家であり、国王は政権の傀儡に過ぎなかった。ラーマ9世は官僚や軍部の調停役として権威を強化し、国民からも絶大な支持と敬愛を集めていった。また、共産主義化の波を受け、1960年代から1970年代にかけてベトナムやカンボジアなど東南アジア諸国が混乱に陥った時も、タイ情勢の収拾に政治的手腕を見せた。ラーマ9世によってタイ王家はラーマ7世以来失墜した地位を大きく回復したといえる。
1992年に発生したクーデター未遂事件では、軍を背景にするスチンダー首相と民主化運動グループの民間人指導者、チャムロンを玉座の前に等しく正座させ、「そんな事で国民のためになると思うか、双方ともいい加減にせよ」と叱りつけ、騒乱を一夜にして沈静化させた。「人間性が高く慈悲深い人物である」という、タイ国王が伝統的に行うべきとされるノブレス・オブリージュ[1]に一層の真実味を与えた一方で、ラーマ9世自身の政治的な成熟を見せつけ、権力のバランサーとしての側面を強調するものとなった[2][3]。結果スチンダー内閣は解散し、同年の選挙以降タイ王国は民主主義国家となった。
2003年に隣国カンボジアとの間で小競り合いになり、扇動されたタイ国民がカンボジア大使館に押し寄せた際には、「悪党の言葉に惑わされてはならぬ」と明快無比な表現で帰宅させた。2006年4月には野党が立候補をボイコットした下院総選挙を「民主主義的ではない」との理由でやり直しを示唆し、憲法裁判所が国王の意向を受けてやり直しを命じ、与野党もこの意向に従った。
2006年6月には即位60周年を祝う祝賀行事が国を挙げて執り行われ、ベルギー、サウジアラビア、オランダなど世界24か国の現在君主制を採る国々から国王、皇太子を始めとする王族、日本からも天皇・皇太子ら皇族が参列し、ラーマ9世の即位60年を祝った。一般市民も国王の誕生色である黄色のシャツを着用して街を埋め尽くし、盛大な祭りとなった。
2007年10月中旬には、右半身の不調を訴えたためにシリラート病院に入院し、脳血流障害の診断が下された。その後投薬治療を受け急速に回復に向かい、11月7日に退院した際には、病院前からチットラダー宮殿までの沿道に、黄色の服を着た数万人の市民が集まって退院を祝ったほか、記帳者の数も100万人を超えたと報じられた。
なお、退院の際に国王がピンク色のジャケットを着ていたことを受け、その後タイ国内では国王の健康と長寿を願う意味を込めて、ピンク色のシャツやブラウスを着ることが流行している。
2009年9月19日に発熱などのため再びシリラート病院に入院、翌10月中旬には容態に関する噂が流れたためタイ王室庁が国王は快方に向かっていると強調するなど[4]、タイ国民の間で不安が高まっているとされている[5]。2012年現在、世界で最も在位期間の長い国王であり、タイ史上においても稀にみる長い期間王位に就いている。現在は高齢のため普段はフワヒンにあるクライカンウォン宮殿に居し、公務の数を減らしている。
[編集] 家族
シリキット王妃との間に1男3女がいる。1972年にワチラーロンコーン王子へ、1975年にシリントーン王女へそれぞれ王位継承権が贈られている。
- ウボンラット(1951年 - ) - 外国人と結婚したため、王位継承権なし。
- ワチラーロンコーン王子(1952年 - )
- シリントーン王女(1955年 - )
- チュラポーン(1957年 - ) - 王族以外の男性と結婚したため、王位継承権なし。
[編集] 人物
[編集] 国民からの敬愛
「王室プロジェクト」と呼ばれる農業を始めとする地方経済の活性化プログラムを自ら指導する他、自ら土地改革運動のために王室の所有地を提供したり、農村開発や旱魃対策の人工雨等の各種王室プロジェクトを推進している。また、王妃と共に地方視察も非常に精力的に行い、泥濘や雨天の中でも人々の輪の中に積極的に入っていくなど国民に近い立場を取り続けることから、確実にタイ国民の尊敬と信頼を勝ち得た。実際に、毎年誕生日前になると全国各地に肖像画が飾られ、国王の色とされる黄色いシャツを着用した市民で埋め尽くされるほどである。
サリット政権下で共産主義への対抗上、王室の政治利用が進められたことも影響しているという意見もあるが、いずれにしても様々な功績が評価され、国民の自発的な尊敬を集めているとして国内外から評価されているといわれる[6]。
一般的にタイ国民からの敬愛を受け続けているが、反王制派思想やアジア人に対する侮蔑的感情を持つ外国人等による批判を受けることもあり、たとえ自国民でなくても不敬罪を以って処される。2007年に国王のポスターに黒ペンキを塗布したスイス人男性には禁固10年(最高刑は75年)[7]、著書で王室を批判したオーストラリア人男性が今年1月に懲役3年の実刑判決を受けたケースがある。しかしながら諸外国の政府や国民からの評価は高く、NHKラジオ深夜便の海外レポートコーナーなどで紹介する際も、「(タイ国民が)敬愛するプミポン国王」という表現が使われることが多い。
[編集] 日本との関係
長きに亘ってアジアにおける数少ない独立国であり続け、共に君主制を採り続けてきたタイの王室と日本の皇室は歴史的に縁が深く、国王自身も1963年5月に初来日し、当時の皇居仮宮殿で昭和天皇と会談を行っている他、今上天皇と皇后とも数度に渡り会談を行っている。
また、タイを公式、非公式で訪れることの多い秋篠宮文仁親王を「我が子と同様」であるとして懇意にしている[8]。
なお、日本製の製品を日常に数多く使用することでも知られ、一時期王宮内の移動用にホンダ・アコードを3代に渡り使用していた他、キヤノンの一眼レフカメラを長年愛用している。また日本楽器製造(現ヤマハ)はサクソフォーンを献上したことがある。
[編集] 逸話
- 留学時代よりジャズを好み、自らサクソフォンを演奏するほか自ら作曲も行う。
- 上記のようにカメラを愛好し、地方視察時には必ず首にかけ持参する程である。
- 若い時にはヨットを嗜み、東南アジア競技大会において優勝するほど熱中した。
- 「HS1A」というコールサインを持つハムでもあり、2007年12月5日の生誕80周年を記念して、「HS80A」が12月1日から記念局として運用された。
- 2008年8月22日の米経済誌『フォーブス』(アジア版)の『「世界で最も裕福な王族」ランキング(日本の皇室は除く)』の示すところによると、2008年にタイ王室がバンコクに所有する土地などの資産が公開されたため、前年推定額の約7倍となり〔前年1位のアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ首長国のハリファ首長(推定230億ドル)を2位に後退させ、以下、サウジアラビアのアブドラ国王を3位(210億ドル)、ブルネイのボルキア国王を4位(200億ドル)、UAEのドバイ首長国のムハンマド首長を5位(180億ドル)と産油国の王族を始め、欧州リヒテンシュタインのアダム2世を6位(50億ドル)、モナコのアルベール2世を9位(14億ドル)、英国のエリザベス女王を12位(6.5億ドル)と抑えて〕、推定資産額350億ドル(約3兆8000億円)のラーマ9世が一躍世界の頂点に躍り出ることとなった。
[編集] 著書
[編集] 系譜
| ラーマ9世の先祖 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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[編集] 脚注
- ^ いわゆる十徳 (ทศพิธราชธรรม) 。十徳については 田中忠治『タイ入門』日中出版、1988年、55頁参照のこと。ただし、法的な根拠はない。
- ^ 赤木攻『タイ政治ガイドブック』Meechai & Ars Legal Consultants、1994年、162 - 163頁
- ^ ただし、タイ政府に対して批判的なアメリカのジャーナリストのポール・ハンドリーはその著書の中で、国王とスチンダーの関係を示唆し、最初の衝突があって国王が行動に出るまで3日間の日時がかかっている事を強調しているが、これの根拠は明らかになっていない。Handley, Paul M. The King Never Smiles Yale University, 2006, P.9
- ^ “タイ国王の容体は改善している=王室庁関係者”. YOMIURI ONLINE (ロイター). (2009年10月15日) 2009年10月17日閲覧。
- ^ “タイ国王入院長期化に不安、株安・バーツ安”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2009年10月17日) 2009年10月17日閲覧。
- ^ しかし、王室批判派もおり、最近ではタクシン元首相派の集会で国王を批判したとしてタイ人女性(当時51歳)に懲役18年の実刑判決を言い渡した。2009年4月にはウェブサイトに王室を侮辱する画像を掲載したとして不敬罪とコンピュータ関連犯罪法違反に問われたタイ人男性が懲役10年の判決を受けた
- ^ その後、逮捕から約10日後にラーマ9世自身からの恩赦による減刑が行われ、国外追放刑となった。
- ^ “タイ王国ラーマ9世王略歴”. 外務省. 2010年10月23日閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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