タイにおける政変一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これはタイにおける、超法的な措置を伴う政変(革命、クーデター、反乱など)のリストである。なお、未遂で発覚したもの、その計画自体が疑わしくも逮捕されたり、起訴されたりしたものを含む。
目次 |
[編集] 立憲革命前
アユタヤ王朝以前についてはラーンナー王朝などのアユタヤの覇権下にない地方政権が乱立していたことや、地域をアユタヤのみに限っても記録されているだけで数限りなくあり、史料によっても年代が違ったりと煩雑になるため避ける。
| 年 | 首謀者 | 名称(ある場合) | 主張・要求 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 1782年 | ラーマ1世 | 国王の精神錯乱 | ラーマ1世によるタークシン王の王位簒奪。トンブリー王の処刑。チャクリー王朝の成立 | |
| 1874年12月28日 | ウィチャイチャーン副王 | ワンナー事件 | 王位簒奪が目的といわれる。 | この事件については謎が多いが、ラーマ5世の時代、王宮の火事に乗じて副王宮から、武装したウィチャイチャーン副王の私兵が宮殿に侵入しようとしたが失敗。翌日、ラーマ5世は私兵で副王宮を包囲。ウィチャイチャーン副王の私兵を解散させた。チャクリー改革を促し、ブンナーク家が没落した。 |
| 1912年3月1日 | 陸軍青年将校 | ラッタナコーシン歴130年の反乱(未遂) | 民主化 | 未遂。首謀者達100余名が逮捕された。革命の後、立憲君主制か共和制を導入するかを首謀者たちが酔っぱらいながら議論していたところを、察知され、ピッサヌローク親王に知れたことから発覚した。 |
[編集] 立憲革命以降
| 年 | 首謀者 | 名称(ある場合) | 主張・要求 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 1932年6月24日 | 人民党 | 立憲革命 | 絶対君主制への不満 | 立憲君主制に移行。 |
| 1933年4月1日 | ラーマ7世(プラチャーティポック)、プラヤー・マノーパコーン | 急進派追放政変 | 国会の混乱 | プリーディーの発表した政策『経済計画大綱』が共産主義的であるとして、国会が混乱。国会閉鎖。憲法停止。共産主義の非合法化。 |
| 1933年6月20日 | 革命団(プラヤー・パホン、ピブーン) | 王政復古阻止クーデター | 政府の無能。 | マノーパコーン政権崩壊。初の軍事政権。 |
| 1933年10月11日 | ボーウォーラデート親王 | ボーウォーラデート親王の反乱 | 政府が民主的でない。 | 内乱に発展するが反乱側は鎮圧された。首謀者は国外逃亡した。 |
| 1935年8月3日 | 歩兵連隊の下士官達 | 下士官反乱(未遂) | 関係者15名ら逮捕。 | |
| 1939年1月29日 | ピブーン | プラヤー・ソンスラデート弾圧事件 | 王族、政治家ら51名に、1938年に起こったピブーン暗殺未遂事件の容疑をかけて、逮捕。原告証人のちぐはくな内容にもかかわらず18名が死刑、25名が終身刑。プラヤー・ソンスラデートは海外逃亡した。ピブーンによる一種の粛清と考えられている。 | |
| 1947年11月08日 | 将校団(ピン中将、カート中将、サリット中将ら) | 将校団クーデター | 政府の経済政策への不満。 | タワン政権崩壊。クワン政権樹立。仏歴2490年暫定憲法制定。 |
| 1948年4月06日 | 将校団(ピブーン、カート中将、サリット中将ら) | 第二次将校団クーデター | クワン内閣の総辞職。 | クワン政権崩壊。ピブーン返り咲き。 |
| 1948年10月01日 | 陸軍参謀本部の一派 | 陸軍参謀クーデタ(未遂) | 軍部の政治関与は不適切。 | 未遂。関係者逮捕 |
| 1949年2月26日 | プリーディー派(旧自由タイメンバー)、海軍(タハーン海軍少将、ルワン・サンウォーン海軍中将) | 王宮反乱 | 声明無し | プリーディーの逃亡。関係者の逮捕・粛清を招く。 |
| 1950年1月26日 | カート中将 | ルワン・カート反乱 | 声明無し。 | ピン=パオ派の頭目、パオ警察大将がピブーン派のルワン・カートを対して反乱罪の容疑で逮捕、香港へ逃亡させ、後に、正式に起訴した。ルワン・カートは一年後帰国し法廷で争ったが、棄却された。ただしこの「反乱」で捕まったのはルワン・カートのみである。 |
| 1950年3月8日 | タハーン海軍少将 | タハーン反乱(未遂) | 声明無し。 | 王宮反乱の後バンコクに転勤させられたタハーン海軍少将が命令なく部下をバンコクに連れてきたことについてクーデターの容疑がかけられた。 |
| 1951年6月29日 | アーノン海軍大佐 | マンハッタン反乱 | 声明無し。 | 海軍ラジオで新政権樹立を発表。ピブーンを暗殺しようとして失敗した。関係者が逮捕され、海軍の規模は縮小され、以降クーデターの主体となることはなくなる。 |
| 1951年11月29日 | 変革団(軍部) | ラジオ・クーデター 静かなクーデター |
共産主義の一掃 | 仏歴2475年憲法を仏歴2494年憲法として復活。仏歴2490年憲法廃止。 |
| 1957年9月17日 | 変革団(サリット元帥) | ピブーン追放クーデター | 汚職。共産主義国家との密通。 | ピブーン失脚、ポット内閣成立。 |
| 1958年10月20日 | 革命団(サリット元帥) | サリット革命 | 内政の乱れ。共産主義台頭の脅威。 | 憲法停止。サリット政権の成立。仏歴2502年統治憲章の成立(翌年)。 |
| 1971年11月17日 | 革命団(タノーム元帥) | タノームの自己クーデター | 共産主義の脅威。 | 憲法停止。仏歴2515年タイ王国統治憲章の成立(翌年)。 |
| 1973年10月14日 | 学生 | 学生決起、学生革命、学生クーデター(血の日曜日、大いなる悲しみの日) | 早期の民主憲法制定 | タンマサート大学の学生が民主化を求めデモを行っており、徐々に他の大学や学校から運動に加わり始め、タンマサートの学生セークサーン率いる武装した職業訓練校生が「政府が鎮圧に来る」というデマを聞きチットラダー宮殿へ向けて行進、ラーチャダムヌーン通りで政府の警官隊と衝突、暴動に発展し、兵隊まで導入され死者を出す惨事になった。国王の学生への支持と、陸軍最高司令官の鎮圧への不参加などから、タノーム政権は崩壊、タンマサート大学の学長のサンヤーによる内閣が成立した。翌年の仏歴2517年憲法の制定。その後総選挙によって民主的な文民内閣が登場した。タノームの国外逃亡。 |
| 1976年10月6日 | 国家統治改革団(サガット・チャローユー海軍大将。学生鎮圧者はナワポン、ルークスア・チャーオバーン、国境警備隊など) | 反動クーデター(血の日曜日事件) | 共産主義の国への広まり。学生の反乱。 | 外国にいたタノームが帰国すると聞いたタンマサート大学を中心とする学生らによる抗議集会が開かれていたが、ナワポン、ルークスア・チャーオバーンら右翼組織が対峙、銃撃戦が起こり国境警備隊の応援によって学生側への暴行に発展した。これらを理由にサガットがクーデターを宣言。学生活動家は共産主義者のレッテルを貼られ、逆に多くの学生がタイ国共産党に加わった。 |
| 1977年3月26日 | プラスート大将、チャラート大将 | チャラート大将の反乱 | 経済状態の悪化。 | 失敗。チャラートは処刑された。 |
| 1977年6月3日 | 青年将校団(マヌーン大佐ら、陸士7期生) | 青年将校クーデター(未遂) | 声明無し | 実行しなかった。 |
| 1977年10月20日 | 革命団(サガット) | 反タニン政権クーデタ | 官僚の混乱。経済の悪化。 | 仏歴2520年統治憲章の制定。クリエンサック内閣成立。 |
| 1981年4月1日 | 青年将校団(サン大佐、ワシン中将、マヌーン大佐ら、陸士7期生) | 青年将校団の反乱 | 社会・経済の不合理。政府の無能。議員・官僚の汚職。 | 失敗。青年将校団の一部逮捕、一部逃亡。その後恩赦が下る。 |
| 1985年9月9日 | マヌーン大佐、クリエンサック大将、スーム大将、ヨット大将ら | マヌーン大佐の反乱 | 政府の無能力。 | 失敗。メンバーの一部は海外逃亡。一部逮捕・刑事告訴される。取材に当たっていたオーストラリアのカメラマンニール・デービスが兵士に銃撃され死亡。その際に彼が撮影していた映像が世界に配信された。 |
| 1991年2月3日 | 国家治安維持団(スントーン大将) | 反チャートチャイ政権クーデタ | 官僚の汚職。 | 仏歴2534年憲法の成立。アナン内閣の成立。 |
| 1992年5月17日 | 民主連盟(市民団体) | 暗黒の5月事件 | スチンダー大将の退陣。 | 集会が大規模化し陸軍に鎮圧され、流血事件に発展。野次馬も多くいたことが指摘され、携帯電話を持っているほどの中流以上の集団であったため「携帯電話族」とあだ名された。この後国王ラーマ9世(プーミポン)の調停により、スチンダー内閣は解散した。 |
| 2006年9月19日 | 民主改革評議会(ソンティ大将、サプラン大将、ルアンロート大将、コーウィット警察大将) | 2006年クーデター | 社会の混乱。 | 仏歴2549年暫定憲法の成立。スラユット内閣の成立。 |
| 2010年4月10日 | 反独裁民主同盟 | 暗黒の土曜日 | アピシット首相の辞職と国会の解散。 | 集会が大規模化し陸軍に鎮圧され、流血事件に発展。死者24名、負傷者858名。 |
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 赤木攻 『タイ政治ガイドブック』Meechai and Ars Legal Consultants 1994年
- 田中忠治 『タイ入門』日中出版 1988年
- 村嶋英治「タイにおける政治体制の周期的転換ー議会制民主主義と軍部の政治介入」、萩原宜之・村嶋英治編『ASEAN諸国の政治体制』、アジア経済研究所、1987年、pp.135-190.
- 村嶋英治 『現代アジアの肖像 9 ピブーン』岩波書店 1996年
- タック・チャルームティアロン・著 玉田芳史・訳 『タイー独裁的温情主義の政治』
- B.J. Terwiel "Thailand's Political History" River Books, 2005