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フランソワ・クルーエ 『カトリーヌ・ド・メディシス』
アンリ2世の死を受けてその後終生黒の喪服(モーニング・クローズ)を着用するようになったフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシス。その姿を写した肖像画1559年以降の作。
イワン・クラムスコイ 『遣る瀬ない悲しみ』
喪に服す女性を描いた油彩画1884年作。

(も、英語mourning)とは、身近な者や心を寄せる者、尊ぶべき者等[1]を受けて、それを悲しむ者が一定期間中を過ごすことになる、日常生活とは異なる儀礼禁忌状態であり、人間社会においておよそ普遍的な現象である。親族を亡くしたときに遺族が身を置く場合が最も一般的。

日本語では、喪の状態に身を置くことは、喪に服する服喪(ふくも)、喪服(もふく)[2]忌服(きぶく)、服忌(ぶっき)などと言い、また、喪の最中であることは、喪中(もちゅう)、服喪期間忌服期間などと言う。

概説[編集]

死別は悲しいことなので嬉しいことをしている場合ではないという心情的な理由のほかに、地域・文化によっては、古来日本がそうであるように、死は穢れの一種であるとして、それに関与するものを一時的に地域社会の慶事より外すことによって穢れを避けるという意味合いを持つ場合もある。

社会的事象による喪[編集]

最高為政者や最高権力者、社会的に崇敬を集めた人物などが死去した場合にも、服喪が行われ、それらは自発的もしくは強制的、あるいはその両面を持つ。また、大規模な災害テロリズムなどによって多数の死者が発生した場合、服喪期間を設けることがある。

喪中の装い[編集]

喪に服する者の特別な衣服葬儀のときと同じく喪服である(※詳細は当該項目を参照のこと)。文化・地域・時代の別にかかわらず、多くの場合、喪服の基調色はであるが、である場合も少ないとまでは言えない。また当然ながら、それ以外の色である場合や喪服そのものが文化的に存在しない場合もある。

日本[編集]

喪中の禁忌事項[編集]

死去後どのくらいのあいだ喪に服するか、また、どのようなことについて制限を与えるかということについては、死者との縁故関係や宗派によって大きく異なり、また、制限期間に関しても宗派や物事によって異なる。

「喪中」の期間は「忌」と「服」に分けられ、両方を合わせて「服忌」または「忌服」と言う。

「忌」は故人のための祈りに専念する期間であり、また、死の穢れが身についている期間であるとされる。かつては「忌」の期間には家の中に篭り、穢れが他の者に移らないように外部との接触を絶っていた。現代では外部との接触を完全に絶つことはないが、「忌引」として仕事や学業を休む期間となっている。「忌」の期間は死者との縁故関係によって異なるが、一般的には最長で50日間(親、子、配偶者の場合)とされる。

「服」は故人への哀悼の気持ちを表す期間であり、最長で13か月(親、子、配偶者の場合)である。この期間は慶事への参加、慶事を執り行うことを控える。

下記に例として挙げる中にも肉食のように最短で1日以下で終わるものもあれば正月のように最長で1年近くになるケースも考えられる。なお、これらは現代における禁忌であり、過去における適用範囲はもっと広かった。

喪中に関する社会対応[編集]

喪中の禁忌のために、政治的や軍事的の重要な時期に事の趨勢を決定付ける現場に参画できないという事態が、日本の歴史の上ではしばしば起こった。例えば、平安末期に左大臣として強権を振るった藤原頼長は、重要な政局が妻の服喪期間と不運にも重なってしまったがために宮中への出仕が許されず、彼を失脚させようとする藤原通憲(のちの信西)らの策動に抗する機会を逸している(すでに事実上の失脚状態に追い込まれていたが、巻き返しの機会は服喪の慣習によって遠ざけられた)[3]

現代では、学校に通う児童・生徒・学生や企業に勤務する会社員においては、しばしば喪中に当たる期間中に「忌引休暇」等と称する休暇が与えられることがある。ただし、このような休暇は1親等の肉親でも1週間を越えるケースは稀であり、ほとんどの場合は葬祭の準備、および、後片付けなどで消えることが多い。

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 親族である場合が基本であるが、崇敬する人物なども対象となる。また、権力者らによって強制される場合も少なくない。さらには、基本的に対象は人間であるが、必ずしもその限りではない。
  2. ^ 装いの「喪服」とは同字同音異義
  3. ^ 橋本義彦 『藤原頼長』 吉川弘文館〈人物叢書〉、1988年2月、新装版。ISBN 4-642-05109-0 ISBN-13 978-4-642-05109-5。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]