山陰道
山陰道(さんいんどう、せんいんどう、そとものみち)は、五畿七道の一つ。本州日本海側の西部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から中世)を指す。
「山陰道」の呼称
山陰道は、背面道(そとものみち)とも呼ばれた。
行政区画としての山陰道
五畿七道の一つで、本州日本海側の西部を指す。畿内の西に伸びており、現在の北近畿から島根県までに相当する。
該当国一覧
- 丹波国(現在の京都府中部、兵庫県東辺の一部、大阪府高槻市の一部、大阪府豊能郡豊能町の一部にあたる)
- 丹後国(現在の京都府北部)
- 但馬国(現在の兵庫県北部)
- 因幡国(現在の鳥取県東部)
- 伯耆国(現在の鳥取県西部)
- 出雲国(現在の島根県東部)
- 石見国(現在の島根県西部)
- 隠岐国(現在の島根県隠岐島)
変遷
名称の変更に限るもので、令制国間の郡・郷の移動に関しては記載していない。
古代国 (令制国前身) | 大宝律令制定 (701年) | 824年-明治 | 明治時代 | 現在の都道府県 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
丹波国[注 1] | 丹波国 (7世紀-) | 丹波国 | 丹波国 | 京都府(中部)、兵庫県(一部)、大阪府(一部) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
丹後国 (713年-) | 丹後国 | 丹後国 | 京都府(北部) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
但馬国 (7世紀後半-) | 但馬国 | 但馬国 | 兵庫県(北部) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
稲葉国 | 因幡国 (7世紀-) | 因幡国 | 因幡国 | 鳥取県(東部) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
伯岐国 | 伯耆国 (7世紀-) | 伯耆国 | 伯耆国 | 鳥取県(中部・西部) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出雲国 | 出雲国 (7世紀-) | 出雲国 | 出雲国 | 島根県(東部) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石見国 | 石見国 (7世紀-) | 石見国 | 石見国 | 島根県(西部) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
意岐国 | 隠岐国 (隠伎国、7世紀-) | 隠岐国 | 隠岐国 | 島根県(隠岐島) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
道(みち)としての山陰道
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概要
律令時代の山陰道(古代山陰道)は、畿内と山陰道諸国の国府を結ぶ官道であり、七道の中で小路とされた。
江戸時代になると、新たに山陰街道(近世山陰道・丹波街道)が設置された。これは古代山陰道と異なるルートとなり、京(平安京)から丹波を通過し、周防国に至る街道であった。
現在では、国道9号が、ほぼ律令時代の山陰道を継承しているが、路線は幾つか異なる。国道9号は、益田から先は萩を経由するルートではなく、山口線に沿って津和野・山口を経由するルートとなっている。これは、近世の街道に由来する。
ただし、鉄道における山陰本線は、ほぼ日本海側に沿って敷設されており、萩を経由するルートとなっている。
また現在においては、山陰自動車道の略称として山陰道の呼称が使われる事もある。
古代山陰道のコースについて実ははっきりしない。平安京羅城門を起点として大縄手を西行して桂川を横断、樫原、大枝、王子(亀岡市)に至って丹波に入る。ここより府道402号線のコースを通って国道372号沿いに天引峠を越えて篠山盆地に入る。その後、正確なルートは判明していないが、国道176号のコースを通って丹後国府(宮津市)に入り、さらに国道482号線コースに但馬国府(豊岡市)に抜けるのではないかと推測されている。 ただし、上記のコースの場合、丹波国府に入れないことから、以前はどこからか大堰川を越え亀岡市河原尻町を抜け丹波国府、この後、府道73号線に千代川経由、宮川で国道372号コースになるという説もある。[要出典]