日吉津村
| ひえづそん 日吉津村 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
|
日吉津村海浜運動公園 | |||||
| |||||
| 国 |
| ||||
| 地方 | 中国地方(山陰地方) | ||||
| 都道府県 | 鳥取県 | ||||
| 郡 | 西伯郡 | ||||
| 市町村コード | 31384-0 | ||||
| 法人番号 | 3000020313840 | ||||
| 面積 |
4.20km2 | ||||
| 総人口 |
3,540人 [編集] (推計人口、2026年1月1日) | ||||
| 人口密度 | 843人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 米子市 | ||||
| 村の木 | クロマツ | ||||
| 村の花 | チューリップ | ||||
| 日吉津村役場 | |||||
| 村長 | 中田達彦 | ||||
| 所在地 |
〒689-3553 鳥取県西伯郡日吉津村大字日吉津872-15 北緯35度26分25秒 東経133度22分51秒 / 北緯35.44017度 東経133.38075度座標: 北緯35度26分25秒 東経133度22分51秒 / 北緯35.44017度 東経133.38075度 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||

日吉津村[1](ひえづそん)は、鳥取県の西部に位置し三方を米子市に囲まれた村である。西伯郡に属す。1889年(明治22年)の村制施行から単独村制を維持しており[2]、2004年(平成16年)11月1日以降は県内唯一の村となった。総面積は4.20平方キロメートルで県内で一番小さな自治体である[3]。また、2024年(令和6年)現在、村では日本で4番目に面積が小さく、市町村においても6番目に面積が小さい[4]。
地理
[編集]箕蚊屋平野に位置し、北は日本海に面し、三方を米子市に囲まれている。日野川の東側に位置する平坦な田園地帯である[5][6][7][8]。
中世には「日江津」や「比江津」とする表記もあり、1571年(元亀2年)に「日吉津」と改称された[9]。
地形
[編集]- 山:なし
- 河川:日野川
大字
[編集]| 大字名 | 郵便番号 |
|---|---|
| 今吉 | 689-3551 |
| 富吉 | 689-3552 |
| 日吉津 | 689-3553 |
なお、字がない住所に対しては〒689-3500が割り当てられている[10]。
隣接している自治体
[編集]広袤 ()
[編集]|
国土地理院地理情報によると、日吉津村の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは1.8km、南北の長さは2.9kmである。 |
歴史
[編集]文献における初出は応永26年(1419年)12月25日付の山名氏之書下写に「伯耆国会見郡日吉津村大神宮領」とあるもので、会見郡蚊屋荘に含まれる[9]。天文14年(1545年)11月7日付の豊信安堵状に「伯州相見郡蚊屋庄江津浜田」とあることから、この当時の日吉津村は日本海に隣接していたとみられる[9]。
近世になり、日吉津村今吉地域と富吉地域が開拓された[9]。農民の多くは日吉津村大神宮(日吉津伊勢宮)の神田を耕した[9]。会見郡ののち鳥取藩の領地となった[9]。枝村として海川・樽屋がある[9]。江戸時代は川越場であり、マスやサケが特産品として知られた[9]。
1889年(明治22年)の行政改正で当初は会見郡に属し、1896年(明治29年)から西伯郡の所管となった[9]。近世村日吉津村・今吉村・富吉村が合併して日吉津村が発足し、旧村名を大字とした上で、村役場は日吉津に置かれた[9]。
教育施設は、1890年(明治23年)に日吉津尋常小学校が上口東南に開校し、1902年(明治35年)のちに稲田氏邸となる地に新築移転した[9]。1949年(昭和24年)には日本パルプ工業(現在の王子製紙)米子工場敷地内に米子市日吉津村中学校組合立箕蚊屋中学校が新築されたが、中学校は1952年(昭和27年)に米子市蚊屋に移転した[9]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、会見郡日吉津村、富吉村及び今吉村の区域をもって、会見郡日吉津村が発足する[5][11]。
- 1896年(明治29年) - 郡制の施行により、会見郡及び汗入郡の区域をもって西伯郡が発足し、日吉津村は西伯郡の所属となる。
- 1927年(昭和2年) - 1924年(大正13年)頃から箕蚊屋地域で発生した小作争議が紛糾して農民と地主側が衝突。農民組合側20人が騒擾罪の容疑で逮捕、起訴された[12]。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 国道9号が開通する[5][11]。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 「ヒ」を図案化した村章を制定する[13][14][5]。
- 1979年(昭和54年)4月15日 - チューリップマラソンが初開催される[5][11]。
- 1985年(昭和60年)8月21日 - 国道431号皆生大橋が開通する[5][11]。
- 1988年(昭和63年)6月 - 村歌を制定する[5][11]。
- 1989年(平成元年)
- 1993年(平成5年)7月11日 - 日野川河川敷運動広場が完成する[5][11]。
- 1999年(平成11年)3月24日 - ジャスコ日吉津店(現:イオンモール日吉津)が完成する[5][11]。
- 2003年(平成15年)12月 - 住民投票で単独村制の存続を決定。
- 2006年(平成18年)11月2日 - 交通事故死亡ゼロの期間が10年を達成する[11]。
- 2009年(平成21年)4月1日 - 自治基本条例を施行。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 福祉事務所を設置する。
- 2012年(平成24年)6月1日 - 住民投票条例を施行。
- 2012年(平成24年)6月 - 日吉津村立日吉津小学校グラウンドを芝生化する。
行政
[編集]組織
[編集]- 村長:中田達彦(なかだ たつひこ、2019年4月27日から2期目)
- 副村長:かつては副村長を置かない条例を制定していたが、これを廃止して2025年(令和7年)4月1日に副村長を配置した[18]。
歴代村長
[編集]| 代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 初代 | 石原博高 | 1889年11月 | 1891年3月 | |
| 2代 | 中井定次郎 | 1891年3月26日 | 1894年3月23日 | |
| 3代 | 石原博高 | 1894年5月15日 | 1894年10月27日 | |
| 4代 | 中原安蔵 | 1894年11月12日 | 1897年5月20日 | |
| 5代 | 中原敏明 | 1897年8月31日 | 1901年8月30日 | |
| 6代 | 中原安蔵 | 1901年8月30日 | 1905年8月30日 | |
| 中原安蔵 | 1905年9月5日 | 1909年9月4日 | ||
| 7代 | 山根治平 | 1909年9月6日 | 1911年9月12日 | |
| 8代 | 石原以波保 | 1911年10月 | 1915年8月27日 | |
| 石原以波保 | 1915年10月 | 1919年10月1日 | ||
| 石原以波保 | 1919年11月17日 | 1920年1月12日 | ||
| 9代 | 中原安蔵 | 1920年1月 | 1924年1月23日 | |
| 10代 | 山岡信三郎 | 1924年3月 | 1928年3月10日 | |
| 11代 | 佐川武一 | 1928年9月 | 1932年6月11日 | |
| 12代 | 石原以波保 | 1932年7月 | 1934年3月31日 | |
| 13代 | 高塚理亀蔵 | 1934年10月 | 1935年12月24日 | |
| 14代 | 山根治平 | 1936年 | 1940年4月8日 | |
| 15代 | 山根啓一 | 1940年4月 | 1941年10月27日 | |
| 16代 | 石原堅明 | 1942年 | 1944年3月10日 | |
| 17代 | 山根啓一 | 1944年3月24日 | 1945年11月15日 | |
| 18代 | 石原堅明 | 1946年4月24日 | 1946年11月13日 | |
| 19代 | 益田安正 | 1947年4月23日 | 1951年4月4日 | |
| 20代 | 山内英明 | 1951年4月26日 | 1955年4月30日 | |
| 山内英明 | 1955年5月1日 | 1959年4月30日 | ||
| 21代 | 山崎藤治 | 1959年5月1日 | 1963年4月30日 | |
| 山崎藤治 | 1963年5月1日 | 1963年11月21日 | ||
| 22代 | 山根啓一 | 1963年12月19日 | 1967年7月6日 |
- 中井定利 - 1975年(昭和50年)に選挙を経て日吉津村長に就任[20]。1979年(昭和54年)に無投票で2選、1983年(昭和58年)に無投票で3選、1987年(昭和62年)に無投票で4選[20]。1991年(平成3年)退任[20]。
- 益田信夫 - 1991年(平成3年)に選挙を経て日吉津村長に就任[20]。1995年(平成7年)に無投票で2選、1999年(平成11年)に無投票で3選[20]。2003年(平成15年)退任[20]。
- 石操(いし みさお) - 2000年(平成12年)に日吉津村総務課長に就任、2001年(平成13年)に日吉津村教委教育長に就任し、2003年(平成15年)に無投票で日吉津村長に初当選[21]。就任年の2003年(平成15年)11月には米子市などとの合併の是非を問う住民投票を実施した[21]。2019年(平成31年)に村長を退任した。
子育て支援
[編集]育児支援に注力し、保育施設においては待機児童を1人も出さない体制を維持している[22]。2014年(平成26年)度は年度前に保育所の増設を行い135人を受け入れた[22]。学童保育は午後6時まで無条件に預かっており、こうした取り組みが口コミで話題となり、子育てしやすい自治体として、若年世代の日吉津村への移住の志望動機のひとつに挙げられる[22][23][24]。
日吉津村のうた
[編集]- 「日吉津音頭」
- 日吉津村青年団の提唱により制定委員会が組織され、選定委員会作詞、奥田紘史作詞の「日吉津音頭」が完成した。青年団が音頭と踊りの普及に努め、日吉津村盆踊り花火大会で踊られるようになった[25]。
- 「わたしのふるさと」(村民歌)
- 1989年(平成元年)、村制100周年記念事業において、村民歌として「わたしのふるさと」が制定された。
- 「ほせぇ村からこんにちは、元気モリモリ日吉津村!」
- 村民有志の日吉津村の愛唱歌を作りたいとの願いから、日吉津村教育委員会が「ひえづのうた制作委員会」を設け、歌詞を公募し制定委員会が作詞し、松田和博の作曲により2017年(平成29年)に完成した。原曲のロックバージョンにテクノ調とジャズの2つのバージョンを加え、メロディーが村内の時報や公共施設の電話の保留音に利用されている。
イメージキャラクター
[編集]1989年(平成元年)に、村制100周年記念事業の一環として公募により誕生した[26]。後に名前も公募し、「リップちゃん」に決定した[27]。村の花・チューリップをモチーフとしていて、語尾に「~リプ」がつく。2013年(平成25年)には友だちの「ムラッキー」が仲間に加わった。
ひえづ113チャンネル
[編集]ひえづ113チャンネルは、日吉津村が運営するCATV[28]。日吉津村の行事や、学童施設、福祉施設の取材などを手掛けている。2000年(平成12年)にスタートしたチャンネルであり、行政が運営するCATVとしては、鳥取県西部で最初に設営したチャンネルである[29]。放送時間は午前6時から午後12時まで、放送番組は1週間に1回更新。
議会
[編集]村議会
[編集]- 村議会:議員定数10人(任期:2027年4月29日まで)
- 議長:山路有
- 副議長:前田昇
公共施設
[編集]役所
[編集]| 施設名 | 画像 | 備考 |
|---|---|---|
| 日吉津村役場 |
警察
[編集]| 施設名 | 備考 |
|---|---|
| 日吉津駐在所 | 米子警察署が管轄する |
消防
[編集]| 施設名 | 備考 |
|---|---|
| 日吉津村消防団[30] | 村内には常設消防施設は無く、鳥取県西部広域行政管理組合 米子消防署の管轄となる。 |
図書館
[編集]| 施設名 | 備考 |
|---|---|
| 日吉津村図書館 | 施設はヴィレステひえづ内に存在する |
医療機関
[編集]クリニック
[編集]| 施設名 | 診療科目 | 備考 |
|---|---|---|
| おおやま内科クリニック | 内科・肝臓内科・消化内科・緩和ケア科 | |
| サクラギクリニック | 内科・糖尿病・代謝内科・美容皮膚科・予防接種・健診 | |
| ひがみ耳鼻いんこう科・いびき睡眠クリニック | 耳鼻咽喉科・いびき・睡眠時無呼吸症候群を主とした睡眠障害 | |
| 井上歯科クリニック | 歯科 | |
| くろせ歯科医院 | 歯科 | |
| 九里クリニック | 心療内科 |
薬局
[編集]| 施設名 | 備考 |
|---|---|
| ヒエズ調剤薬局 | |
| とみよし調剤薬局 | |
| うなばら薬局 | |
| イオン薬局 | 東館1F 食品売り場入口横にある。 |
その他の施設
[編集]| 施設名 | 備考 |
|---|---|
| 日吉津村民俗資料館[31] | 1980年(昭和55年)開館。2022年(令和4年)9月に複合型子育て拠点施設「ミライトひえづ」内に、こども園、児童館、子育て支援センター、ファミリーサポートセンターとともに複合化され、展示・交流室と陶芸・倉庫棟の2カ所で資料の展示と収蔵保管をしている。 |
郵便局
[編集]| 施設名 | 備考 |
|---|---|
| 日吉津郵便局 | |
| 日吉津下口簡易郵便局 |
産業
[編集]
商業
[編集]- イオンモール日吉津
- 鳥取県西部で唯一の映画館を併設し、岡山県や島根県からも客を集める[22]。村民雇用を生み出したほか、ふるさと納税の寄付金額によってイオンの商品券を提供する全国唯一の自治体として話題になり、寄付金額が急増するなど、出店による日吉津村への経済効果は絶大となった[22]。
- カインズ日吉津店
- 2025年(令和7年)3月12日にオープンしたホームセンター。東部にはカインズFC鳥取店があり、西部地区としては初オープンとなる。
- ケーズデンキ日吉津店
- 2020年(令和2年)6月26日にオープンした家電量販店。ビッグ・エスのフランチャイズ店舗。
- 新鮮市場
- JA鳥取西部ふれあい村アスパル
- ラ・ムー日吉津店
- 2024年(令和6年)11月28日にオープンしたディスカウントスーパー。国道431号付近の区域を商業区域に変えた際に誘致された店舗である[32]
農業
[編集]工業
[編集]- 王子製紙米子工場
- 住所は米子市吉岡だが、敷地の大部分は日吉津村にある。
産業人口
[編集]2000年(平成12年)時点の産業人口は、第一次産業が200人(12.3%)、第二次産業が454人(27.8%)、第三次産業が982人(59.9%)であった。 その後2020年(令和2年)には第一次産業が126人(6.9%)、第二次産業が389人(21.5%)、第三次産業が1,244人(68.6%)となり、第三次産業の就業人口及び割合が高まっている[33]。
地域活動
[編集]Potato Kids
[編集]Potato Kids(ポテトキッズ)は、日吉津村の未就学児から中学生までの子どもとその保護者によるボランティアグループ。2022年(令和4年)4月に活動開始。子どもの居場所、みんなの居場所づくりを目指す[34]。2024年(令和6年)4月には子ども食堂であるポテト食堂の運営を開始[35]。
農業スクール「糸」
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
人口
[編集]1920年(大正9年)の人口は1000人台であったが、その後は人口は右肩上がりに増え続け、2001年(平成13年)には人口が3000人を超えた[5][36]。
人口減少が進む鳥取県にあって、2015年(平成27年)国勢調査でも人口が10年前に比べ12パーセント近く増えた。フィンランド発祥の「ネウボラ」という制度を採り入れ、妊娠から子育て中にかけて、保健師の訪問や小学校就学時の教材費支給などで手厚く支援する取り組みが奏功して、転入や出産が多いためである[37]。2025年(令和7年)においても鳥取県で唯一、人口が増加している自治体である[38]。
日吉津村は米子市に三方を囲まれているため、米子市のベッドタウン(米子都市圏)となっていて、人口増加は米子市のドーナツ化現象によるところも大きいとされる[39]。
| 日吉津村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 日吉津村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 日吉津村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
日吉津村(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 総務省統計局 国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
教育
[編集]小学校
[編集]
中学校
[編集]- 米子市日吉津村中学校組合立箕蚊屋中学校 - 米子市下新印に所在し、米子市と日吉津村の生徒が通う。日吉津村は村内に中学校を設置していない。
交通
[編集]鉄道
[編集]鉄道路線は通っていない。最寄駅はJR西日本山陰本線・伯備線 伯耆大山駅である。ただし、王子製紙米子工場へ通じる貨物専用線が村内の一部を通っている。
バス路線
[編集]- 一般路線バス
道路
[編集]日吉津で撮影
- 一般国道
- 都道府県道
- 市町村内を走る県道
- 村道
- 小字名に由来した名前がついた村道がある。詳しくはこちら。
電話
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]寺社・旧跡
[編集]- 蚊屋島神社 - 寝殿造りの古い社殿。神紋が、九州と出雲の統合を象徴しているという説もある。
- さいの神 - 日吉津688番地、富吉1081番地にある石碑。村指定記念物[41][42]
- 須山萬の墓碑 - 幕末に討幕計画に関与したとして斬首された医家・須山家の墓所[43]。村指定保護文化財。
- 羽倉地蔵 - 尼子十勇士の1人である羽倉孫兵衛元陰を偲ぶ碑。富吉1018番地にある村指定文化財[44]。
- 御新田開発碑 - 植田彦三郎により1845年(弘化2年)から10年以上かけて開発され、1857年(安政4年)に「今吉村」誕生につながった[45]。今吉275番地にあり、村指定文化財。
- はぜの木 - 江戸時代末期、蝋の需要増加に伴い、櫨の栽培が奨励された[46]。1852年(嘉永5年)の触書で栽培技術の指導や監督役(植物方下見回り)が指名され、山裾や原野や川の土手などに植樹された[46]。富吉702番地先などに数本現存するはぜの木が、村指定記念物に指定されている[46]。
- 元荒神 - 富吉340番地2のあたりで「古屋敷」の地名で呼ばれる地点にある、村指定記念物[47]。1703年(元禄16年)に発生した日野川の大洪水でこの一帯の集落が流された故地で、離散した人々は現在の富吉や米子市に移住した[47]。
-
羽倉地蔵
観光スポット
[編集]- チューリップ畑 - ホレコ川付近の富吉南線道路[48]に存在する。
- 日吉津海岸 - 遊泳禁止。
- 海浜運動公園・キャンプ場
- 日吉津温泉(旧うなばら荘)- 2022年3月29日に閉館し、R Act Holdingに譲渡された。[49][50]
- 桜堤 - 日野川右岸土手沿い
祭事・催事
[編集]- 日野川まつりイカダレース - 休止
- チューリップマラソン[51] - 毎年4月に開催される日吉津村を舞台としたマラソン。コース長は1km、3km、5km、10kmがある。
- 24時間リレーマラソン - 休止
- 日吉津村盆踊り花火大会 - 毎年8月に開催される花火大会。日吉津音頭やかんど踊りを踊る。
-
日吉津村盆踊り花火大会のプログラムの一つの花火。中盤の花火である。
出身人物
[編集]政治
[編集]学術
[編集]- 冨山太佳夫 - 英文学者。『戦場のメリークリスマス』原作の翻訳などを手がける。
士業
[編集]スポーツ
[編集]- 池口いずみ - トライアスリート。
- 井藤博和 - 卓球選手。2022年(令和4年)第24回夏季デフリンピック出場。
- 中口遥 - ライフル射撃選手。2021年(令和3年)2020年東京オリンピック出場。
芸能
[編集]文化
[編集]- 井田勝大 - 指揮者。
- 井田勝己 - 彫刻家。1995年(平成7年)に現代日本彫刻展大賞受賞[52]。東京造形大学教授[52]。井田大介と井田幸昌は息子。
- 井田大介 - 現代美術家。東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了[53]。井田勝己は父。井田幸昌は弟。
- 井田幸昌 - 画家・現代美術家[54]。東京藝術大学大学院油画修了[55]。2018年(平成30年)にはフォーブス30アンダー30に選出された[55]。井田勝己は父。井田大介は兄。
- 坂口碧望 - ヴァイオリニスト。
脚注
[編集]- ^ a b 『市町村治績録』鳥取県32 - 33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年9月14日閲覧。
- ^ “日吉津村における取り組みについて”. 厚生労働省. 2024年10月3日閲覧。
- ^ 鳥取県総務部統計課『100の指標からみた鳥取県2024年度版』鳥取県総務部統計課、3頁。
- ^ “全国都道府県市区町村別面積調”. 2025年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “村勢要覧 2006年”. 日吉津村. 2012年5月29日閲覧。
- ^ “日吉津村 位置”. 日吉津村. 2012年5月29日閲覧。
- ^ “地勢”. 日吉津村. 2012年5月29日閲覧。
- ^ 鳥取県総務部統計課『100の指標からみた鳥取県2024年度版』鳥取県総務部統計課、7頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典31鳥取県』角川書店、2009年、629頁。
- ^ “鳥取県 > 日吉津村の郵便番号一覧 - 日本郵便株式会社”. 2025年12月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “村のおいたち”. 日吉津村役場. 日吉津村. 2019年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月22日閲覧。
- ^ 「組合員二十人を起訴」『山陰新聞』1927年6月23日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p5323 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 図典日本の市町村章 p173
- ^ “村章”. 日吉津村. 2012年5月29日閲覧。
- ^ “村民憲章”. 日吉津村. 2012年5月29日閲覧。
- ^ “村の花と木”. 日吉津村. 2012年5月29日閲覧。
- ^ a b c 「中田新村長あいさつ」『広報ひえづ』日吉津村、2019年6月号
- ^ “広島県坂町が4月から副町長を置かず 町長「素早い意思決定が重要」”. 中国新聞デジタル (2025年3月26日). 2025年6月19日閲覧。
- ^ 『日吉津村誌 歴史と行事を中心として 下巻』1323 - 1328頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年9月14日閲覧。
- ^ a b c d e f 日吉津村長選挙過去の結果一覧 日吉津村
- ^ a b 無選挙 初当選からずっと 朝日新聞デジタル、2019年5月8日
- ^ a b c d e 「鳥取県日吉津村 人口が増える”奇跡の村”は子供天国だった!」『女性自身』、光文社、2014年12月9日、165頁。
- ^ 鳥取県総務部統計課『100の指標からみた鳥取県』鳥取県総務部統計課、19頁。
- ^ 鳥取県総務部統計課『100の指標からみた鳥取県2024年度版』鳥取県総務部統計課、23頁。
- ^ 日吉津村『日吉津村史 下巻』日吉津村、1986年、1094頁。
- ^ “リップちゃんのスタンプ”. スタリコ. 2025年6月21日閲覧。
- ^ 全国町村会 日吉津村マスコットキャラクター リップちゃん
- ^ ひえづ113チャンネル 日吉津村
- ^ 『広報ひえづ』2000年7月号、p.2
- ^ “日吉津村消防団条例”. 日吉津村例規集. 2012年5月29日閲覧。
- ^ 日吉津村民俗資料館 日吉津村
- ^ 小学生6年生からの質問・要望より 日吉津村
- ^ 公益財団法人鳥取県市町村振興協会『令和年度 鳥取県市町村要覧』2025年1月、26頁
- ^ 「多彩な"仕事"挑戦、楽しい居場所に 日吉津『Potato Kids』」『日本海新聞』2024年11月15日
- ^ 「Potato Kids(日吉津村)」『生涯学習とっとり』214号、2024年9月号
- ^ “人口と世帯数”. 日吉津村. 2012年5月29日閲覧。
- ^ 【堅調地価 潜む不安】(下)白馬・熱海に復活の足音/活性化 自治体の努力次第『日本経済新聞』朝刊、2019年9月27日、2019年9月29日閲覧
- ^ “日本で4番目に小さい「村」…地価がバブル期超え、鳥取県内で唯一人口増加続く、なぜ? 大手チェーンも続々出店(TBS NEWS DIG)”. 2025年4月22日閲覧。
- ^ 『日本海新聞』2014年9月29日、8ページ
- ^ 市外局番の一覧 -総務省-
- ^ 『指定文化財のしおり 日吉津村』日吉津村民俗資料館、2009年、2-3頁。
- ^ 日吉津村ホームページより
- ^ 『指定文化財のしおり 日吉津村』日吉津村民俗資料館、2009年、4頁。
- ^ 『指定文化財のしおり 日吉津村』日吉津村民俗資料館、2009年、5頁。
- ^ 『指定文化財のしおり 日吉津村』日吉津村民俗資料館、2009年、6頁。
- ^ a b c 『指定文化財のしおり 日吉津村』日吉津村民俗資料館、2009年、7頁。
- ^ a b 『指定文化財のしおり 日吉津村』日吉津村民俗資料館、2009年、8頁。
- ^ 富吉南線道路について詳しくはこちら
- ^ 日吉津村“うなばら荘”東京の事業者に譲渡 秋めどに開業へ NHK、2025年4月9日
- ^ 旧うなばら荘 東京の企業に譲渡へ 日吉津村など方針固める 温泉付きホテルに 日本海新聞、2025年1月25日
- ^ チューリップマラソン 日吉津村
- ^ a b 第16回現代日本彫刻展大賞受賞作家 井田勝己彫刻展 時のかたち 東京造形大学
- ^ 井田大介 美術手帖
- ^ 井田幸昌公式サイト
- ^ a b 画家・現代美術家 井田幸昌 – 時を越えて受け継がれる表現 QUI、2025年4月11日
参考文献
[編集]- 日本自治協会 編『市町村治績録』日本自治協会、1929年。
- 『日吉津村誌 歴史と行事を中心として 下巻』日吉津村、1986年。
- 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』(初版第1刷)小学館、2007年1月10日。ISBN 4095263113。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 行政
- 地図
日吉津村に関連する地理データ - オープンストリートマップ- 鳥取県西伯郡日吉津村(31384A1968) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ(左側基準年月日のチェック操作で行政区域の変遷を見ることができる)
- 地図 - Google マップ
