藤枝MYFC
藤枝MYFC | |||
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原語表記 | 藤枝MYFC | ||
呼称 | 藤枝MYFC | ||
クラブカラー | 藤[1]、 白[1]、 緑[2] | ||
創設年 | 2009年 | ||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | J2リーグ | ||
クラブライセンス | J1 | ||
ホームタウン | 静岡県藤枝市、島田市、焼津市、牧之原市、吉田町、川根本町[1] | ||
ホームスタジアム | 藤枝総合運動公園サッカー場[1] | ||
収容人数 | 10,057人[1] | ||
運営法人 | 株式会社藤枝MYFC[1] | ||
代表者 | 徳田航介[2] | ||
監督 | 須藤大輔 | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 未上場 |
本社所在地 |
426-0041 静岡県藤枝市高柳2162-1[1] |
設立 | 2009年7月15日[3] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 1080001017365 |
事業内容 |
サッカークラブおよび スポーツスクールの運営他 |
代表者 | 徳田航介 |
資本金 | 7,000万円 (2020年1月期)[4] |
売上高 | 3億2,400万円 (2020年1月期)[4] |
営業利益 | ▲2,700万円 (2020年1月期)[4] |
経常利益 | ▲2,600万円 (2020年1月期)[4] |
純利益 | ▲8,300万円 (2020年1月期)[4] |
純資産 | 800万円 (2020年1月期)[4] |
総資産 | 6,100万円 (2020年1月期)[4] |
主要株主 | 静環検査センター[5] |
関係する人物 | 小山淳、鎌田昌治 |
外部リンク |
myfc |
藤枝MYFC(ふじえだマイエフシー、英: Fujieda MYFC)は、日本の静岡県藤枝市、島田市、焼津市、牧之原市、吉田町、川根本町をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
[編集]2009年に創設。2010年に静岡FCと合併。2013年にJリーグ準加盟クラブとして承認され[1]、2014年にJリーグに入会した[1]。運営会社は株式会社藤枝MYFC[1]、ホームスタジアムは藤枝総合運動公園サッカー場、練習場は焼津市の藤枝MYFCサッカー場である[1]。
クラブ名称の「MYFC」はわたしの(MY)フットボールクラブ(FC)に由来する[1]。かつてはイギリスのマイフットボールクラブに次ぐ世界で2チーム目の「ネットオーナーシステム」を採用し、ネットオーナーによる議論・投票により、戦術・運営・強化方針・人事などを決定していた[6]が、2015年にネットオーナーサイトは閉鎖しており、アイデンティティを失った状態で今日に至る[7]。なおネットオーナーの会員数は無料時代は300–400人、有料時代は60人程度であり、活動は困難な状況にあった[8]。
エンブレムは藤枝市を表す盾に、サッカー伝承の地を示す緑色のストライプを配し、上にMYFC、中央にサッカーボールと藤枝市の市鳥であるウグイス、左右に上がり藤の図柄がある。このエンブレムの原案は運営事務局が作成し、ネットオーナーの投票で選出された[6]。
オフィシャルマスコットはフェニックスがモチーフの蹴っとばし小僧。サポーター投票で2015年12月に発表、2018年3月に名前が公表された。
歴史
[編集]前史
[編集]藤枝市を本拠地とするクラブがJリーグを目指そうとする動きは、Jリーグ発足当初から、ジャパンフットボールリーグ(初代JFL)に在籍したことがある中央防犯サッカー部・藤枝ブルックスが加盟へ向けて動いていたが、当時の藤枝市民グラウンドサッカー場はJリーグ(現J1)基準を充足できるスタンドや照明設備が整っておらず、このままではJリーグ加盟ができないため、Jクラブの誘致に熱心だった福岡市と交渉し、福岡ブルックス(1996年からアビスパ福岡)とチーム名を改めたうえでJリーグ準会員資格を取得し、福岡市へ移転することとなった[9]。
その後改めて、藤枝ネルソンCF(ふじえだネルソンクラブ・デ・フットボール)を母体に、藤枝市を本拠とするクラブでJリーグ入りを目指すことになったのである。チーム名のネルソンは元日本代表のネルソン吉村に由来している[6]。藤枝ネルソンCFは静岡県社会人サッカーリーグで活動した他、全国社会人サッカー選手権大会に1度出場した経歴を有する(1998年。1回戦で札幌蹴球団に敗退)。2008年11月、「ネットオーナーシステム」を運営するMYFC運営事務局と藤枝ネルソンCFは同クラブを運営候補とすることで合意した(後に名称を「藤枝MYFC」に制定)[10]。
- 2009年
- ガンバ大阪元監督の釜本邦茂が監督に就任[11]。ただし、釜本は「実際には監督というよりはスーパーバイザー的役割である」とコメントしており、現場でのチームの指揮はヘッドコーチ兼選手の斉藤俊秀が執っていた。後に釜本は総監督となり、ネットオーナーシステムの投票で97.5%の承認を得て3月から斉藤が監督に就任した[6]。
- 静岡県リーグ1部で1位となったが、リーグ戦における試合当番の不履行により5順位降格の処分を受けて、最終順位は6位となった[12]。
- 2010年
- 1月、東海社会人サッカーリーグ1部の静岡FCと統合。東海リーグの指導により、静岡FCを存続クラブとしてshizuoka.藤枝MYFC(シズオカ・ふじえだマイエフシー)へ登録チーム名を変更(呼称は「藤枝MYFC」)することで東海リーグへの参加が認められた[13][14]。4月に釜本が総監督を退任した[15]。
- 東海リーグ1部で優勝したが、第46回全国社会人サッカー選手権大会は1回戦で、第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会は1次ラウンドで敗退した。
- 2011年
- 東海リーグ1部を連覇。第47回全国社会人サッカー選手権大会は3位、第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会は準優勝の成績をそれぞれ収めた。12月16日の日本フットボールリーグ(JFL)理事会でJFL入会が承認された[16]。
2012年 - 2013年(JFL)
[編集]- 2012年
- 登録チーム名を藤枝MYFCへ変更[17]。なお、Jリーグ準加盟申請を準備していたが、静岡県サッカー協会から準加盟に必要な支援文書が発行されなかったため、年内の申請を断念したと報じられた[18]。
- 2013年
- 6月に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)へ準加盟を申請し、9月17日に準加盟が承認された[19]。11月19日、Jリーグ理事会でJリーグへの入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された[3]。
- シーズン終了後、斉藤が監督退任と同時に現役引退した。斉藤のつけていた背番号2は2019年まで永久欠番であった[20][21]。
2014年 - 2022年 (J3)
[編集]- 2017年
- 大石体制3年目。4人の引退を含む14人の選手が退団したが、大竹隆人、伊藤竜司が移籍加入、田口潤人がレンタル移籍で加入、遠藤敬佑、川島將はレンタル移籍から完全移籍に移行した。県サッカー選手権大会決勝で沼津に敗れ、2年連続で天皇杯出場を逃した。J3リーグ戦では、枝本雄一郎がリーグ6位タイの13得点、遠藤が8位タイの12ゴールを挙げるなど、3位沼津、優勝した秋田に次ぐリーグ3位の50得点を挙げ、2年連続の7位躍進に貢献した。DF福王忠世・FW三好洋央の引退、期限付き加入だったDF伊藤槙人・DF薗田淳・GK田口潤人の期限付き移籍満了を含め、22名が退団した。
- 2018年
- 主要スポンサーで企業や官公庁などからの受託による測定・検査事業を展開する静環検査センターがクラブの筆頭株主となり、クラブ創設に携わった小山淳がクラブ運営から退き、後任の代表取締役に藤枝東高校サッカー部OB会長の鎌田昌治が就任[22]。
- GK川田修平・DF木下高彰・DF川上盛司の期限付き加入3名を含め、GK杉本拓也・MF岩渕良太・MF養父雄仁・FW谷口堅三ら20名もの新加入選手を迎えた。
- J3リーグ戦では開幕戦に勝利したものの第5節から3連敗を含む5試合未勝利となるなど、夏季の中断期間前までで6勝3分8敗で勝点21の14位と低迷、7月24日には大石とコーチの増嶋真也の退任を発表し、同月27日に前月までJFLテゲバジャーロ宮崎の監督だった石﨑信弘が後任の監督に就任した。しかし、リーグ戦再開後いきなり5連敗、1引分の後第26節から3連勝し暫定12位まで浮上したが、直後に4連敗し16位まで順位を下げ、結局監督交代後は4勝1分10敗、最終的に10勝4分18敗で勝点34、前年度から大きく順位を下げ16位に終わった。得点が前年度より18点も少ないリーグ16位の32得点に低下し、失点も前年度の43から48に増えた。シーズン終了後DF木下高彰・DF川上盛司の期限付き移籍満了を含め、17名が退団した。
- 2019年
- 石﨑体制2年目。一方で、MF片岡爽(期限付き移籍)・MF谷澤達也・MF成岡翔・MF松岡亮輔・FW森島康仁ら17名を獲得、また、前年途中から期限付き移籍で加入していたMF出岡大輝が完全移籍に移行した。
- J3リーグ戦では序盤から好調を維持し、第7節長野戦に勝利しクラブ史上初の首位に立つ。その後6位まで順位を落とすが、第14節以降は常に4位以上をキープし、第18節から第20節までは再び首位に立つなど、最後まで優勝争いを展開した。最終成績は2位群馬と勝点63で並ぶ3位でフィニッシュし、過去最高順位を更新した。得点はリーグ13位の42だったが、失点はリーグ2位タイの31で過去最少を記録した。
- 2020年
- 石﨑体制3年目。MF成岡翔とMF養父雄仁の引退など11名が退団、DF西埜植颯斗がJFL・ヴェルスパ大分に期限付き移籍した。一方で、MF枝村匠馬やMF姫野宥弥(期限付き移籍)、5年ぶりの復帰となるFW大石治寿ら8名を獲得、期限付き移籍で加入していたMF片岡爽とFW吉平翼が完全移籍に移行した。
- 6月30日、藤枝総合運動公園サッカー場の改修工事着工を前提とした特例処置を適用の上で、2021年度J2ライセンス申請を行う[23]。9月28日、施設基準のうちJリーグ理事会で例外適用(スタジアム整備の猶予期間)が承認されたため、2021年度J2ライセンスが交付されることとなった[24]。
- 結果は前年度を大きく順位を下回り、10位でシーズンを終え、石崎監督が退任した。
- 2022年
- 須藤体制2年目。
- いわきFC・松本山雅FC・鹿児島ユナイテッドFC・FC今治・カターレ富山との激しい昇格争いを繰り広げたが、終盤戦では2位以内を保持し、最終的にJ3リーグで過去最高順位となる2位でシーズンを終えて、来シーズンのJ2リーグへの昇格が決まった。なお、2022年のJ1リーグでは同じく静岡県の静岡市に本拠を置く清水エスパルス(年間17位)と磐田市に本拠を置くジュビロ磐田(年間18位(最下位))の来季のJ2への自動降格が決まったため、来シーズンのJ2には静岡県のJリーグクラブのうちの3つ(清水・磐田・藤枝)がJ2に所属することになった。
2023年 - (J2)
[編集]- 2023年
- 須藤体制3年目。
- 同時昇格のいわきFCとの開幕戦を制し、長崎にも勝利して開幕連勝を飾る。その後3連敗するも第9節から3連勝するなど確実に勝ち星を拾う。2度の4連敗やホームでの大敗(東京Vに0-5、熊本に0-4、甲府に1-4)など調子の波が目立ったが、途中まで得点ランクトップを走った渡邉りょう(セレッソ大阪に移籍)を筆頭に、好調な攻撃陣で撃ち勝つ試合も多かった。最終的にJ2参入1年目を12位で終えた。得点数はリーグ6位タイの61得点を記録したが、失点数はワーストの72失点だった。また、今シーズンは、静岡県内3チーム(清水・磐田・藤枝)がJ2に所属し、静岡三国決戦と題して、それぞれのダービーマッチを盛り上げた。特に9月30日第37節のホーム清水戦では、2-0で歴史的勝利を収めた。また、クラブ史上最多となる6,288人を動員した。
- 2023年9月26日、 2024シーズンに関するJ1クラブライセンスが施設基準の例外規定の適用で承認された[25]。
- 2024年
- 須藤体制4年目。
成績
[編集]タイトル・表彰
[編集]リーグ戦
[編集]- 東海社会人サッカーリーグ1部:2回
カップ戦
[編集]- 静岡県サッカー選手権大会(兼天皇杯静岡県予選):3回
- 2013, 2014, 2015
- 東日本社会人サッカー大会:1回[注釈 1]
- 2011年
個人別
[編集]- J2リーグ
- 月間ベストゴール
- 中川風希:1回(2023年10月)
- 月間ベストゴール
- J3リーグ
下部組織
[編集]小学4,5,6年生のアカデミーではMYFC焼津U-15を所有する。
また、2013年12月に女子サッカーチームとしてルクレMYFCを創設し、その運営会社として株式会社MYFCマーケティングを設立した[26]。 2023年度は東海女子サッカーリーグ1部に所属。
静岡FCと統合した直後は、静岡県リーグ1部に所属していた旧:藤枝MYFCを「F.F.C.」に改称しセカンドチームとしていたが、メンバー確保が困難となり2011年3月に解散した[27]。
ユニフォーム
[編集]
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クラブカラー
[編集]ユニフォームスポンサー
[編集]掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 静環検査センター | 静環検査センター | 2019年 - | 2017年 - 2018年は背中上部 2017年 - 2020年、2023年 - は「静環検査センター」表記 2021年 - 2022年は「SEIKAN」表記 |
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鎖骨 | サカイ産業 | サカイ産業 | 2021年 - | 左側に表記 2017年4月 - 2018年は胸 2017年4月 - 同年12月は「サカイ産業 99th」表記 2018年は「サカイ産業 100th」表記 |
角丸建設 | 角丸建設 | 2018年 - | 右側に表記 | |
背中上部 | 住友ベークライト | 住友ベークライト | 2020年 - | 2019年は袖 |
背中下部 | 東西工業 | TOUZAI | 2024年 - | |
袖 | 島田掛川信用金庫 | 島田掛川信用金庫 | 2023年 - | |
パンツ前面 | シンクス | SHINX | 2024年 - | |
パンツ背面 | なし | - | - |
ユニフォームサプライヤーの遍歴
[編集]歴代ユニフォーム
[編集]FP 1st | ||||
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FP 2nd | ||||
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歴代ユニフォームスポンサー表記
[編集]年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
2009 | トリワークス[注釈 2] | 解禁前 | - | 解禁前 | エイケンホーム | - | 解禁前 | - | |
2010 | - | 大井川茶園 | - | ||||||
2011 | BMW SANSEI | NIMUS BoConcept urban design | |||||||
2012 | - / アプリ戦隊 アンドロイダー |
SANSEI BMW | |||||||
2013 | アプリ戦隊 アンドロイダー |
BinO | お仏壇のやまき | いちまる | Razzoli | ||||
2014 | 福工房 | お仏壇のやまき | - | - | |||||
2015 | - / J PLAYERS | ||||||||
2016 | - / J PLAYERS |
- / 蔵衛門 |
gol. | ||||||
2017 | - / サカイ産業 99th |
- | 静環検査センター | - | Daiichi TV NEXT VISIONへ。 | ||||
2018 | サカイ産業 100th |
焼津信用金庫 | 角丸建設 | 経営者の為のハードボイルドゼリー飲料 オレは摂取す | |||||
2019 | 静環検査センター | 焼津信用金庫→ しずおか焼津信用金庫 |
大井川茶園 | かけ川海谷眼科 | 住友ベークライト | - | |||
2020 | 大井川茶園 | 住友ベークライト | しずおか焼津信用金庫 | - | |||||
2021 | SEIKAN | サカイ産業 | - | - | |||||
2022 | フジケンミン 焼ビーフン |
- | |||||||
2023 | 静環検査センター | 島田掛川信用金庫 | |||||||
2024 | TOUZAI | SHINX |
メディア
[編集]他の番組については公式サイトのメディア欄で確認可能[28]。
- 静岡第一テレビ(SDT)
- KICK OFF! SHIZUOKA(毎週日曜日・17:00~17:30)2023年4月 -
- 静岡エフエム放送(K-MIX)
- 「Viva! MYFC!」[29](毎週金曜日・10:52~10:57)2023年4月 -
- g-sky FM島田(76.5 MHz)
- 「MYFCロッカールーム」[30](毎月第2・4水曜日・19:30~20:00)2023年3月 -
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “プロフィール:藤枝MYFC”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年8月3日閲覧。
- ^ a b “クラブ情報”. 藤枝MYFC. 2021年4月19日閲覧。
- ^ a b 『Jリーグ入会審査(J2およびJ3)結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2013年11月19日 。2016年11月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Jクラブ個別経営情報開示資料(平成31年度)”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年8月3日閲覧。
- ^ “「21年、J2参入目標」J3藤枝MYFC代表、市長に方針”. 静岡新聞 (2019年11月2日). 2020年8月3日閲覧。
- ^ a b c d エンブレムの世界 藤枝MYFC『サッカーマガジン』2012年4月10日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌23882-4/10, 062頁。
- ^ 『初めての方へ』(プレスリリース)藤枝MYFC 。2014年3月24日閲覧。
- ^ “「今あるサッカー界の常識の逆を行く」J3 藤枝MYFC 元社長 小山 淳は”破壊者”か”革命家”か <インタビュー&取材後記>”. サッカー馬鹿 勝村大輔 (2018年2月17日). 2019年10月30日閲覧。
- ^ 藤枝MYFCが誇る菊川 凱夫というレジェンド
- ^ 『藤枝ネルソンCF候補決定の経緯について』(プレスリリース)藤枝MYFC、2008年11月17日 。2014年3月24日閲覧。
- ^ “藤枝MYFCに釜本新監督が来た!”. 日刊スポーツ (2009年2月28日). 2014年3月21日閲覧。
- ^ 『5順位降格処分と、これに関する静岡新聞の報道の件』(プレスリリース)藤枝MYFC、2009年5月26日 。2014年3月21日閲覧。
- ^ 『新生藤枝MYFCのリーグ認証と今後につきまして』(プレスリリース)藤枝MYFC、2010年1月31日 。2014年3月21日閲覧。
- ^ 『2010新体制につきまして』(プレスリリース)藤枝MYFC、2010年4月2日 。2014年3月21日閲覧。
- ^ 「釜本氏が藤枝MYFCの総監督を退任」 朝日新聞、2010年4月17日、2014年3月24日閲覧
- ^ 『日本フットボールリーグ 新入会チームにつきまして』(プレスリリース)日本フットボールリーグ、2011年12月16日 。2017年10月12日閲覧。
- ^ “第14回日本フットボールリーグ参加チーム”. 日本フットボールリーグ. 2014年3月21日閲覧。
- ^ “藤枝MYFC 準加盟申請持ち越し”. スポーツニッポン (2012年12月1日). 2017年10月12日閲覧。
- ^ 『Jリーグ準加盟審査結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2013年9月17日 。2017年2月20日閲覧。
- ^ “永久欠番としていた「背番号2番」について”. 藤枝MYFC (2020年3月6日). 2020年3月29日閲覧。
- ^ “齊藤俊秀監督兼選手 現役引退及び退団のお知らせ”. 藤枝MYFC (2013年11月28日). 2020年8月3日閲覧。
- ^ “J3藤枝、新代表に鎌田氏 クラブ創設者の小山氏退任へ”. 静岡新聞. (2017年10月25日) 2018年3月11日閲覧。
- ^ 2021年J2ライセンス申請について
- ^ 『2021シーズン J2クラブライセンス交付決定のお知らせ』(プレスリリース)藤枝MYFC、2020年9月28日 。2020年10月3日閲覧。
- ^ “2024シーズン J1クラブライセンス交付決定のお知らせ|藤枝MYFC”. 藤枝MYFC. 2023年9月26日閲覧。
- ^ 『藤枝MYFC 女子サッカー参入のお知らせ』(プレスリリース)藤枝MYFC、2013年12月19日 。2017年10月12日閲覧。
- ^ 『F.F.C.(静岡県リーグ1部)の活動につきまして』(プレスリリース)藤枝MYFC、2011年3月11日 。2014年3月21日閲覧。
- ^ “藤枝MYFC ニュース”. 藤枝MYFC. 2023年6月7日閲覧。
- ^ “公式Twitter”. Viva!MYFC!. 2023年6月7日閲覧。
- ^ おび・りあスタジオにて公開生放送・後日クラブの公式Youtubeにおいても公開
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 藤枝MYFC (myfc.jp) - Facebook
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