深谷正一

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深谷正一(ふかたに しょういち、1954年 - 1985年)はナムコ(現・バンダイナムコゲームス)のゲームクリエイター

1980年代中頃までのナムコのアーケードゲームを数多く手がけた、ゲームメーカーとしての黎明期のナムコ開発陣を支えた中心人物の1人。人望厚く、社内でも後輩から「神」、「天才」と呼ばれ崇敬される人物であった[1]遠藤雅伸をはじめ、当時のナムコに在籍した多数のプログラマーの育成を担った人物であり、現在のゲーム業界でも人材育成における師弟関係を遡ると深谷にたどり着く人物が多い。

1985年、深谷は腹痛を訴え早退し、翌日に入院するが容態は良くならず、10日間程の闘病の末肝臓破裂によって急逝した。31歳だった。優秀な技術者でかつ人格者でもある深谷の人柄は周囲の人々に愛され、深谷へのスタッフの思慕の念は強く、突然の深谷の死が当時のナムコ開発陣に与えた衝撃は大きかった。死後しばらくの間にリリースされた幾つかのナムコ作品では、エンドロール等でスタッフの深谷への思いを込めたキーワードが織り込まれていた。とりわけ翌1986年にリリースされた『源平討魔伝』のエンディングはそれ自体がゲームの結末であると同時に、無念の死を遂げた深谷に捧げられたレクイエムとでも言うべき側面を持つ文面と演出になっている。

なお、「この時深谷のチームは『源平討魔伝』を作成しており、オカルト色の強いこの作品の開発中にはスタッフも霊現象を経験するなどしていた。その為、深谷の死は源氏(または平氏)の怨霊の障りではないか」と、発売数年後にゲーマーの間でまことしやかに囁かれたが、時期的に矛盾する[2]

作品[編集]

追悼作品[編集]

スタッフロール、エンディング夭折した深谷を追悼していると思われるメッセージが込められている作品を列挙した。

脚注[編集]

  1. ^ これには当時、同じくナムコ在籍のプログラマーであった黒須一雄と並び称され、黒須の通称である「悪魔」と対比する意味合いもこめられている。
  2. ^ 深谷が急死したのは『源平討魔伝』の制作中であるというデマは、電波新聞社刊『ALL ABOUT NAMCO II』により広がったもの。また、遠藤雅伸の証言によると、『源平討魔伝』は遠藤がナムコを退職しゲームスタジオを設立した後に立てられた企画との事。深谷が亡くなった際に実際開発中だったのは、1985年にリリースされた『モトス』と言われる。また深谷存命の時点で完成に至っていたという意味で『ワープマン』が遺作ともされる。