武内享

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
武内享
生誕 (1962-07-21) 1962年7月21日(55歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県田川市
学歴 福岡県立八女工業高等学校卒業
ジャンル J-POP
職業 ミュージシャン
ギタリスト
担当楽器 ギター
活動期間 1983年 -
共同作業者 チェッカーズ
アブラーズ
ビートルズ

武内 享(たけうち とおる、1962年7月21日 - )は、日本のミュージシャンギタリストである。福岡県田川市出身、福岡県立八女工業高等学校卒業。身長166cm。血液型はO型。既婚者で子供が三人いる。

来歴・人物[編集]

チェッカーズのリーダーであり、ギター担当である。藤井郁弥(現・藤井フミヤ)をチェッカーズに誘った張本人でもある。

アマチュア時代には楽器のセールスマンをしており、成績は優秀だったという。

1983年にチェッカーズとして「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。同曲のB面に収録されている「恋のレッツダンス」をはじめ「ONE NIGHT GIGOLO」、「おまえが嫌いだ」、「TOKYO CONNECTION」、「How're you doing,Guys?」などを作曲した。彼の作曲した曲は、主にアルバムやシングルのB面に収録されている。

1992年のチェッカーズ解散以降は武田真治CHEMISTRY のサポートなどを務める。2003年、チェッカーズの楽器陣・藤井尚之大土井裕二徳永善也アブラーズを再結成した。2004年に徳永が舌癌のため死去したが、アブラーズとしての活動は現在も続いている。

武内の特質として、音楽性もだが、それ以上にあらゆる意味でリーダーシップに長けていたことがあげられる[独自研究?](学生時代、あだ名は『先輩』であった)。

チェッカーズでは良い意味で親分肌な性格で楽器組をまとめ、リードボーカルとして絶大な華・オーラがあった郁弥を支えた。2004年徳永死去の際『送る会』の責任者を務めたのも武内である。

1992年の解散後は前出の武田・CHEMISTRYほか他アーティストのサポートのみならず、プロデュース分野にも進出。芸能活動を休止していた徳永善也の活動再開(2002年、バンド『WILD-G』ドラムス担当)をプロデュース担当者として支えた。翌年にはアブラーズを再結成。

1988年頃から髪を伸ばしはじめ、いまではトレードマークとなっている。パーマをかけるなどアレンジを加えているが概ね肩よりも若干長めのワンレングスをキープしている。

顔が山倉和博に似ており、よくネタにされる。[要出典]

エピソード[編集]

  • 武内は本来左利きだが、ギターは右用・左用のどちらも弾ける。アマチュア時代は左用のギターを使用していたが、プロ・デビューが決まってから、選べるギターの種類を広げるため、右用をメインで使用するように矯正した。
  • 血液型について、デビュー以来ずいぶん後年まで「A型」と公表していたが、ある理由から血液検査したところO型と判明、以降プロフィールを修正した。なおチェッカーズメンバーは武内・大土井以外は他界した徳永も含め他の5人はA型である。
  • 八女工業高校時代生徒会長に立候補、当選し務め上げた経験がある。これには武内が「生活指導上の理由から」2度の停学処分をうけ、あと一回処分を受けたら退学必至となった経験から「学校を見返したい」と立候補したいきさつがある。
  • オレたちひょうきん族に出演した際集合時間を間違えてひょうきん懺悔室送りになり、メンバーから前述の罪状を告発され、「×」とされ、水をかけられたことがあった。

シングル[編集]

  • 目覚めの丘(1999年6月16日)
  • ハリハリホー(2000年8月23日)

アルバム[編集]

  • Living Rock(1999年8月23日)
  1. Introduction〜Living Rock
  2. 全ては夜のせい
  3. 目覚めの丘(Album Version)
  4. M
  5. 錆びた夢
  6. 壊れたブルース
  7. House of Dub1
  8. 同じ色
  9. 指がきれるようなスリル
  10. 目覚め(Album Mix)

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

バラエティ[編集]

ビデオ[編集]

  • BIMBO - ※ローソンのみで発売されてたビデオマガジン OP、ED曲も担当

音楽担当[編集]

著書[編集]

外部リンク[編集]