横田慎太郎
![]() 2016年8月12日 阪神鳴尾浜球場にて | |
基本情報 | |
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国籍 |
![]() |
出身地 | 鹿児島県日置市 |
生年月日 | 1995年6月9日(27歳) |
身長 体重 |
187 cm 94 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2013年 ドラフト2位 |
初出場 | 2016年3月25日 |
最終出場 | 2016年6月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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横田 慎太郎 | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2020年8月22日 - |
ジャンル | 野球 |
登録者数 | 2.58万人 |
総再生回数 | 3,152,449回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2022年7月31日時点。 |
横田 慎太郎(よこた しんたろう、1995年6月9日 - )は、鹿児島県日置市出身の元プロ野球選手(外野手)[1]、YouTuber。左投左打で、実父の横田真之も元プロ野球選手(外野手)である[1][2]。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
東京都生まれで、3歳の時に鹿児島県東市来町(現在の日置市)へ移住[3][4]。湯田小学校3年生の時に東市来町湯田ソフトボール少年団でソフトボールを始める[4]と、東市来中学校では軟式野球部に所属した[4]。
鹿児島実業高等学校への進学後は、1年生の秋から4番打者を任された。3年時には投手を兼務。140km/h超の速球を武器に、エースとしても活躍した[3]。高校通算で29本塁打を記録した[1][4]が、チームは2年生の時から、夏の鹿児島県大会で2年続けて決勝で敗れている[1]。
2013年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから2巡目で指名。契約金6,000万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した[1]。外野手としての指名で、担当スカウトは田中秀太。自身と同じ左打ちの外野手だった桧山進次郎がこの年限りで引退したことを受けて、桧山が22年間付けていた背番号24を、入団後に引き継いだ。
プロ入り後[編集]
若手主体の春季安芸キャンプ初日(2月1日)に発熱で静養を余儀なくされた[5]ものの、安芸市営球場で臨んだプロ入り後初の屋外打撃練習(同月10日)では、飛距離の長い打球を連発したことで関係者や報道陣を驚かせた[6]。シーズンでは二軍生活に終始したが、7月17日のフレッシュオールスターゲーム(長崎ビッグNスタジアム)には、ウエスタン・リーグ選抜チームの「7番・左翼手」としてスタメンに起用[7]。79試合に出場した同リーグの公式戦では、打率.225ながら、伊藤隼太・同期入団の陽川尚将と並ぶチーム2位の6本塁打を記録した。プロ初本塁打は、8月3日の対オリックス・バファローズ戦(阪神鳴尾浜球場)2回裏に近藤一樹から打った満塁本塁打。同月31日の対中日ドラゴンズ戦(姫路市立姫路球場)では、1試合3本塁打を記録した[8]。ウエスタン・リーグ公式戦でこの記録を達成した阪神の選手は、1997年のフィル・ハイアット以来である[8]。
2年続けて安芸で迎えた春季キャンプでの打撃内容が評価されて、オリックスとの練習試合(2月28日)[9]からオープン戦の中盤まで[10]一軍でプレー。オープン戦では安打や打点[11]を記録した。もっとも、キャンプ中から打撃フォームを崩していた影響で開幕一軍には至らず、ウエスタン・リーグの公式戦でも開幕からシーズン中盤まで打率が1割前後にとどまっていた[12]。シーズン通算では、奥浪鏡(オリックス)と並んで、同リーグ2位の103試合に出場[13]。チームトップの8盗塁、中谷将大と並ぶチーム2位の9本塁打、チーム3位の36打点を記録した。最終打率は.213と前年より低く、一軍公式戦への出場機会もなかったが、シーズンの終了後にアジア・ウィンター・リーグ(AWB)のNPB選抜チームへ派遣。リーグ戦19試合の出場で、打率.302、2本塁打という好成績を残した[14]。
入団以来初めて、春季沖縄キャンプに参加した。オープン戦では、新任の一軍監督・金本知憲の方針でルーキーの髙山俊と並んで連日スタメンに起用されると、9試合連続で安打をマーク[15]。結果として、規定打席を上回った選手で最も多い22安打と、セントラル・リーグの選手で最も高い打率.393を記録したことを背景に、初めての開幕一軍入りを果たした。3月25日には、中日ドラゴンズとの開幕戦(京セラドーム大阪)で、「2番・中堅手」としてスタメンで一軍デビュー。実父・真之もロッテの選手時代に一軍の開幕戦でスタメンに6回起用されていたことから、「親子選手による一軍開幕戦へのスタメン出場」というNPB史上5組目の記録も達成した。この試合で一軍初盗塁を決める[16]と、翌26日の同カード5回裏の第3打席で一軍初の安打(内野安打)を放った[17]。4月6日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)3回表には、三塁走者として、一塁走者のマット・ヘイグとの重盗に成功。阪神の一軍公式戦では2012年(平野恵一)以来の本盗も達成している[18]。以降の試合でもスタメンに起用されていたが、出塁を意識するあまり打撃のフォームや調子を崩した[19]ことから、5月6日に出場選手登録を初めて抹消されて[20]からは一軍と二軍を2度にわたって往復[21]。6月以降は、一軍から完全に遠ざかった。一軍公式戦では38試合の出場で4盗塁を記録したものの、打率は.190で、本塁打0に終わるなど持ち前の長打力を発揮できなかった。その一方で、ウエスタン・リーグ公式戦では、79試合の出場で打率.261、5本塁打、35打点、15盗塁を記録。「長距離打者として育てたい」という掛布雅之二軍監督の方針から、最初の登録抹消後は4番打者に起用されていた[22]ものの、夏場には2か月間本塁打が出ないほどの不振に陥っていた[23]。もっとも、シーズン終了後に2年連続で派遣されたAWB[14]では、リーグ戦18試合に出場。リーグ最多の10盗塁と打率.379を記録するなど、前年を上回る好成績で進境を示した[24]。
前年に続けて、春季キャンプを沖縄でスタート。自身と同じ左打ちの外野手である糸井嘉男が国内FA権の行使によってオリックスから移籍したことを背景に、一軍での出場機会を増やすべく、一塁の守備練習にも取り組み始めていた[25]。しかし、キャンプの中盤に原因不明の頭痛が続いたことから、参加選手では最も早い離脱を余儀なくされた[26]。2月11日に帰阪した後は半年以上チームから離れていたが、9月2日からトレーニングを再開。翌3日には、キャンプ離脱後の精密検査で脳腫瘍と診断されたことや、診断から半年にわたる入院加療によって症状が寛解したことを公表した[27]。阪神球団では、横田が翌2018年2月のキャンプインを目標にリハビリに取り組むこと[28]を視野に、11月16日付で横田と育成選手契約を結んだことを発表[29]。球団では、横田の背番号を124に変更した一方で、移行後の年俸を前年と同額(推定870万円)に据え置いた[30]。さらに、横田が支配下登録選手へ復帰するまで、背番号24を空番として扱う方針を明らかにした[31]。
安芸春季キャンプへ初日(2月1日)から参加。脳腫瘍からの実戦復帰に向けて、独自の練習メニューによる調整を主体に、全体練習の一部[32]や打撃練習[33]にも加わった。実戦への復帰には至らなかったものの、体調は徐々に回復。シーズン中には、ウエスタン・リーグの公式戦で、試合前の守備練習やイニング間のキャッチボールに参加していた[34]。育成選手に関するNPBの規約[35]に沿って、10月31日にNPBから自由契約選手として公示された[36]が、11月15日に育成選手としての再契約に至った[37]。
春季キャンプで打撃以外のメニューにも参加したほか、ウエスタン・リーグの開幕後は、関西圏の球場で開催される公式戦でチームに帯同していた[38]。しかし、「自分で打った球(の軌道や方向)が全く見えない」「(打撃練習で味方の)投手に投げてもらった球が二重に見える」などといった視覚面の問題が解消されず、実戦への復帰には至らなかった。球団からは翌2020年も育成選手契約を締結する方針が示されていたが、担当スカウトの田中が9月中旬にその旨を横田へ伝えたところ、「来シーズン(2020年)は苦しい」との表現で引退の意向を田中に吐露[39]。9月22日に現役引退を正式を発表する[40][41]と、同月26日に福岡ソフトバンクホークスとのウエスタン・リーグ最終戦(阪神鳴尾浜球場)で、2016年9月25日の同カード以来1096日振りの公式戦出場を果たした。当初は9回表から中堅の守備に就く予定だったが、二軍監督を長く務めている平田勝男の発案で、実際には8回表2死二塁の局面から出場。守備に就くなり市川友也が自身の頭上(左中間)へ放った適時二塁打の処理に追われたものの、次打者・塚田正義が打ったゴロ(記録は中前安打)を捕球すると、本塁へのノーバウンド送球で二塁走者の水谷瞬(市川の代走)を補殺するファインプレーで現役生活を締めくくった[42][43](詳細後述)。この試合は阪神の二軍におけるシーズン最後の公式戦でもあったため、球団では試合終了後に、横田の引退セレモニーを開催[44]。10月31日付で、NPBから自由契約選手として公示された[45]。
現役引退後[編集]
阪神球団から「阪神タイガースアカデミー ベースボールスクール」コーチへの就任を要請されたが、「今は(脳腫瘍の影響で)視力に不安が残るので、小中学生に野球を教える仕事に就くことは厳しい」という理由で要請を固辞。育成選手契約期間の満了を機に阪神を退団したうえで、出身地の鹿児島県へ帰郷した。
帰郷後は、「誰の手も借りずに1人で生活することに一度挑戦したい」との意向から、鹿児島県内で単身生活を送りながら[46]講演やコラム執筆などの活動を展開。2020年の8月下旬からは、阪神OB会長(元・外野手)の川藤幸三がYouTube上に開設している「川藤部屋」というチャンネルへ「プロデューサー」という肩書で参画するとともに、単独で(または川藤やゲストと共に)登場する動画を定期的に配信している[47][48]。
その一方で、2020年の7月頃からは、足や腰の強い痛みに見舞われていた。鹿児島県内の整形外科で検査を受けたところ、脊髄に腫瘍が生じていることが判明したため、関西地方の病院へ6か月間にわたって入院。抗がん剤の投与や放射線治療によって腫瘍が完全に消滅したことから、退院後の2021年4月26日に「川藤部屋」から配信された動画で、退院までの経緯を初めて公表した[49]。
2021年5月12日には、阪神入団までの道のりや、脳腫瘍を発症してからの苦悩などを綴った自身初の著書『奇跡のバックホーム』が幻冬舎から発売。同年12月13日の『逆転人生』(NHK総合テレビ)では、脳腫瘍が判明した後のリハビリから引退試合に至るまでの映像、本人がスタジオや阪神鳴尾浜球場での収録中に語った体験談、中村拳司が本人役とナレーションを務めた再現映像が「神様がくれた奇跡のバックホーム」というタイトルで放送された。
2022年には、前述の著書に基づくドキュメンタリードラマ『奇跡のバックホーム』を朝日放送テレビで制作。阪神ファンの間宮祥太朗が横田の役を演じた再現ドラマに本人の現役時代の映像を交えた構成(詳細後述)で、3月13日(日曜日)の13:55 - 15:25にテレビ朝日系列で放送された[50]。
選手としての特徴[編集]
「糸井二世」と評されるほど、身体能力が非常に高い[13]。阪神入団直後の体力測定で約170キログラムを記録した背筋力は、2014年12月の測定で220キログラムまで増加していた[51]。
打撃についても、高いレベルの技術やセンスを持つ[52][53]。阪神入団2年目の2015年には、室内練習場で横田の打撃を視察した掛布(当時はゼネラルマネジャー付打撃&育成コーディネーター)から、「高卒2年目・左打ちの外野手としては(読売ジャイアンツに在籍していた時期の)松井秀喜以上」と絶賛された[54]。
金本から「別格の守備範囲」と評されるほどの守備力の持ち主[55]で、高校時代に投手としての出場機会も多かったことから、遠投で105メートルを計測したことがあるほど地肩が強い[52]。また、50メートル走で6秒1を記録するほどの脚力[13]で、高校時代にも対外試合で重盗や本盗を成功させていた[18]。このように潜在能力が高いことから、金本は2015年10月19日の一軍監督就任会見で、横田を「期待できる若手選手」の1人に挙げていた[56]。脳腫瘍の入院加療中には、近親者に対して、相当な金額の治療費を援助していたという[57]。
現役生活でのラストプレーは、「練習でもできなかった」という引退試合でのノーバウンド送球で、「魂のバックホーム」「奇跡のラストプレー」と形容されるほどの賞賛を受けた[58]。横田自身も、引退セレモニーでの挨拶で、このプレーに言及。「最後にまさかこんなに素晴らしい思いが出来るとは夢にも思いませんでした。今まで辛い思いをしてきたこともありましたが、自分に負けず、自分を信じて、自分なりに練習してきたので、『神様は(そのような自分の姿を)本当に見ている』と思いました」と述べた[59]。引退後最初の著書にも、このプレーにちなんで『奇跡のバックホーム』というタイトルが付けられている。
エピソード[編集]
実父・真之のプロ野球生活最後のシーズン中(西武ライオンズに在籍していた1995年6月)に出生した関係で、生後3 - 4か月頃に真之の(引退試合としては開催されなかった)現役最後の試合を実母に抱かれながら西武ライオンズ球場(当時)で見ていたものの、真之のプロ野球選手時代は知らない[60]。真之から野球を教わったことはほとんどなく、中学生時代までは実母が自宅での練習に立ち会うことが多かった[61]が、「(自分が)プロ野球選手を志し始めた頃に、(真之が引退後に所属していたプロ野球マスターズリーグの)福岡ドンタクズの試合を、球場のネット裏にかじりつきながら1人で見ていた」と述懐している[60]。
鹿児島実業高校への在学中には、硬式野球部の寮で生活。1年時には、2学年先輩の野田昇吾と同じ部屋を充てられていた[62]。また、樋口靖久(コミカルな演技で全国に知られている男子新体操部の監督)が担任を務めるクラスに3年間在籍。樋口からは、3年連続で学級委員長を任されていた。横田によれば、当時の硬式野球部の練習は「ホームシックになる暇がない(ほど厳しかった)」[63]にもかかわらず、実母が認めるほど幼い頃から努力が好き[64]なこともあって、「(硬式野球部を)辞めたい」とは全く思わなかったという[65]。
阪神入団後の2017年に脳腫瘍が判明した発端は、二軍春季キャンプ中の紅白戦で一塁へ出た際に、突然パニックに陥ったことにある。横田によれば、「進塁に向けたリード、投手が牽制球を投げる際の動き、牽制球に合わせて一塁へ戻る動きのイメージが湧かなくなった」とのことで、その後も通常ではあり得ないレベルのミスが続いたという。横田はこの時点で視覚の異常を周囲に伏せていたが、横田の異変を感じ取った二軍守備走塁コーチ(当時)の中村豊からの問い掛けがきっかけで、球団のトレーナーを伴って眼科の検査を受診。さらに、受診先の眼科医から紹介された外科でMRI検査を受けたところ、担当医から「脳腫瘍という大きな病気が見付かりましたので、野球のことはいったん忘れて下さい」と告げられた[66]。
脳腫瘍からの実戦復帰へ向けてトレーニングを再開した際には、「同じ病気を持つ人達に夢や感動を与えられるように、これからの野球人生を頑張りたい」とコメント。中学3年生だった15歳で脳腫瘍を患った山﨑福也(オリックス・バファローズ投手)からは、「いつか交流戦か日本シリーズ[67]で(横田と)戦いたいです。リハビリは大変だと思うけど頑張って欲しい」というエールを送られた[68]。折しも、この年には、入団以来指導を受けてきた掛布が二軍監督を退任。横田は9月26日に、広島とのウエスタン・リーグ最終戦(甲子園)後の退任セレモニーへ背番号24のユニフォーム姿で登場すると、ナインを代表して掛布に花束を贈った[69]。
掛布の後任で2018年に阪神の二軍監督を務めた後に、金本の後任で2019年シーズンから一軍の指揮を執っている矢野燿大は、2018年10月18日の一軍監督就任会見で横田に言及。「(自分の二軍監督時代には)二軍でもまだ試合に出られていなかったが、(試合中は)ベンチで一番声を出していた。(一軍監督として)他の若手選手とともに(実戦復帰や一軍への再昇格を)楽しみにしている」と述べた[70]。横田自身は一軍への復帰が叶わないまま、2019年限りで現役を引退したが、阪神球団では横田へのサポートを継続。引退記者会見や引退セレモニーを開催したほか、引退後に阪神球団の職員扱いでタイガースアカデミーのコーチ職を斡旋した[38]。横田自身は前述した理由で斡旋を固辞したものの、退団を決めた直後には、「球団の方には、(退団するという)決断を(出すまで)2 - 3ヶ月待っていただいたので、本当に感謝しかない」とコメント。「自分が経験したことを言葉で伝えていきたい。誰かを励ましたり、苦しんでいる人を助けたりたい。『僕みたいに何か1つでも小さな目標を持っていけば、あの(引退試合での)バックホームのような良いことがある』ということを、自分の口で伝えていきたい」との意向も示していた[46]。現に引退後は、講演や著述など、現役時代の経験を言葉で伝える活動を主に展開している。
阪神のホームゲームで打席に立つ際に流される登場曲については、入団1年目の2014年から2016年まで、高校野球全国大会の試合中継・関連番組でテーマソングに使われた楽曲を選んでいた(詳細後述)。脳腫瘍からの実戦復帰を目指し始めた2018年からは、「闘病中に勇気をもらった」という理由で「栄光の架橋」(ゆず)に変更。実際には打席に立つ機会がないまま2019年9月22日に現役引退を発表したが、発表当日の一軍公式戦(甲子園球場での対横浜DeNAベイスターズ戦)で先発を予告されていた望月惇志の希望で、望月がマウンドへ上がる際にこの曲が特別に流された[71]。また、引退試合では打席に立つ機会がなかったものの、球団からの計らいで試合前の練習曲に「栄光の架橋」が使われた[72]。
引退試合には、広島とのクライマックスシリーズ(CS)進出権争いが佳境に入っていた一軍から、矢野監督や多数の主力選手が集結。横田自身は、脳腫瘍から復帰してから「ライトポールが一番見えやすい」との理由でライトの守備しか練習していなかったため、引退試合でもライトを守ることを希望していた。しかし、試合の3日前に二軍監督の平田へ引退を報告したところ、平田から「お前が(阪神での)3年目(2016年)に(一軍の)開幕スタメンを取ったのはセンター(のポジション)だろう。エラーしたっていいから、センターを守れ!」と激励。この激励を受けて、試合までの2日間はセンターの守備練習に明け暮れていた。横田が引退後に聞いた話によれば、平田がイニングの途中(8回表2死)から横田をセンターの守備に就かせたのは、「横田が(ポジションを問わず)外野の守備へ必ずダッシュで向かう姿に好感を持っていたので、その姿を最後にファンへ見せたかった」とされる[73]。
引退試合後のセレモニーでは、村山実の引退試合(1973年3月21日に甲子園球場で開かれた巨人とのオープン戦)さながらに「4人のチームメイト(高山、梅野隆太郎、北條史也、中谷将大)が作った騎馬の上に乗ってグラウンドに入場する」という演出が施されたほか、前述した2016年の一軍開幕戦でのスタメンがスコアボードに映し出された[59]。ちなみに一軍は、引退試合の4日後(9月30日)に甲子園球場で開かれた中日とのレギュラーシーズン最終戦に勝利したことで、シーズンを6連勝で終えるとともに2年振りのCS進出を決めている。
脳腫瘍の入院加療に直面していた現役時代に続いて、引退後も2020年から2021年にかけて、腫瘍の治療で長期にわたって入院。入院中に体重が8kg減ったほか、一時は治療薬の注射器が体内に入らないほど衰弱していた。退院後には、「現役時代(の入院)と違って、(退院に向けた)目標がなくて苦労した。現に、(脳腫瘍の入院加療中は一切漏らさなかった)弱音を実母の前で吐いた」と告白する一方で、「今回もたくさんの方に支えられたおかげで、『2度目の命』をいただきました。感謝の気持ちでいっぱいです」とも述べている[49]。
『奇跡のバックホーム』のドラマ化に際しては、間宮が阪神選手時代の横田の役を演じた再現ドラマをベースに、横田本人に関する資料映像(朝日放送グループのスカイAで放送された2013年NPBドラフト会議の中継映像など)、(バックホームのシーンや引退セレモニーを含めた)本人の現役時代の映像、本人が引退(前述した腫瘍の治療)後の体調や今後への抱負を語る映像、横田の野球人生を阪神で見詰めてきた金本・矢野・鳥谷敬(横田の在籍中は現役の内野手)へのインタビュー映像で構成。窪田等が全編にわたってナレーションを付けたほか、再現ドラマでは、三浦景虎が実父の真之、石田ひかりが実母、村瀬紗英が実姉、丸山智己が担当スカウトの田中秀太役を演じた[74]。ちなみに、再現ドラマの撮影前には、横田と間宮の対談が鹿児島市内で実現している[75]。
詳細[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 阪神 | 38 | 109 | 105 | 14 | 20 | 2 | 0 | 0 | 22 | 4 | 4 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 13 | 3 | .190 | .220 | .210 | .430 |
通算:1年 | 38 | 109 | 105 | 14 | 20 | 2 | 0 | 0 | 22 | 4 | 4 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 13 | 3 | .190 | .220 | .210 | .430 |
年度別守備成績[編集]
記録[編集]
- 初出場・初先発出場:2016年3月25日、対中日ドラゴンズ1回戦(京セラドーム大阪)、2番・中堅手で先発出場
- 初打席:同上、1回裏に大野雄大から投ゴロ
- 初盗塁:同上、1回裏に二盗(投手:大野雄大、捕手:桂依央利)
- 初安打:2016年3月26日、対中日ドラゴンズ(京セラドーム大阪)、5回裏に山井大介から遊安
- 初打点:2016年3月27日、対中日ドラゴンズ3回戦(京セラドーム大阪)、2回裏にドリュー・ネイラーから左前適時打
背番号[編集]
- 24(2014年 - 2017年)
- 124(2018年 - 2019年)
登場曲[編集]
- 「エール」シクラメン(2014年)
- 「オモイダマ」関ジャニ∞(2015年)
- 「On Your Side」Superfly(2016年)
- 「だから一歩前へ踏み出して」Hi-Fi CAMP(2017年)
- 「栄光の架橋」ゆず(2018年 - 2019年)
- 東邦だましい
関連情報[編集]
著書[編集]
- 「奇跡のバックホーム」(幻冬舎、2021年5月12日初版刊行、ISBN 978-4344037847)
脚注[編集]
- ^ a b c d e “阪神D2・横田“糸井級”証明!木製バットで130メートル弾”. サンケイスポーツ. (2013年10月26日) 2013年11月1日閲覧。
- ^ “阪神2位横田は父子でプロ野球選手に”. 日刊スポーツ. (2013年10月24日) 2013年11月2日閲覧。
- ^ a b “【阪神】和田監督、ドラ2横田に掛布塾入門指令!”. スポーツ報知. (2013年10月27日) 2013年11月2日閲覧。
- ^ a b c d “阪神ドラ2横田 大先輩・杉内と対決熱望”. 日刊スポーツ. (2013年10月30日) 2013年11月2日閲覧。
- ^ “阪神ドラフト2位横田が発熱 宿舎で静養”. 日刊スポーツ (2014年2月1日). 2015年10月18日閲覧。
- ^ “阪神横田豪快弾 担当スカウトびっくり”. 日刊スポーツ (2014年2月11日). 2015年10月18日閲覧。
- ^ “プロ野球フレッシュオールスターゲーム2014 先発メンバー”. 日本野球機構. 2015年10月18日閲覧。
- ^ a b 植村徹也 (2015年2月1日). “【「鬼筆」越後屋のトラ漫遊記】横田は掛布&バース級! 補強壊滅の中村GM「育てられなきゃ全員クビ」”. サンケイスポーツ 2015年2月1日閲覧。
- ^ “阪神横田1軍デビュー 初打席は中飛”. 日刊スポーツ (2015年2月28日). 2015年10月19日閲覧。
- ^ “掛布氏、開幕1軍レースから脱落の横田に“愛のダメ出し”/球界ここだけの話(110)”. サンケイスポーツ (2015年3月9日). 2015年10月19日閲覧。
- ^ “父はロッテで活躍!19歳阪神・横田 武田討ち吠えた初打点”. スポーツニッポン (2015年3月4日). 2015年10月19日閲覧。
- ^ “ファーム選手CLOSE UP 輝け!未来のスターたち 阪神・横田慎太郎「今はたくさんバットを振るだけ」”. 週刊ベースボール (2015年5月11日). 2015年10月19日閲覧。
- ^ a b c “昨年の阪神2位・横田の開花に期待”. デイリースポーツ (2014年10月24日). 2014年10月24日閲覧。
- ^ a b “横田2年連続ウインターリーグ派遣 青柳、坂本、横山、石崎と5選手”. デイリースポーツ (2016年10月7日). 2021年5月17日閲覧。
- ^ “阪神横田の連続試合安打がストップ、打率も4割切る”. 日刊スポーツ (2016年3月20日). 2016年3月20日閲覧。
- ^ “阪神横田がむしゃら走塁 金本虎の初得点呼んだ”. 日刊スポーツ (2016年3月26日). 2016年3月26日閲覧。
- ^ “阪神・横田 プロ3年目の初安打!俊足飛ばし内野安打”. スポーツニッポン (2016年3月26日). 2016年3月26日閲覧。
- ^ a b “横田「狙ってた」2012年平野以来の本盗”. デイリースポーツ (2016年4月6日). 2016年4月19日閲覧。
- ^ “トリプル3可能な逸材!虎横田の“一発回答”見たい”. 日刊スポーツ (2016年5月30日). 2016年6月1日閲覧。
- ^ “阪神・横田 二軍で再出発 金本監督「本人も分かっている」”. スポーツニッポン (2016年5月7日). 2016年6月1日閲覧。
- ^ “阪神横田「結果を残すだけ。こっから」一軍に合流”. 日刊スポーツ (2016年6月3日). 2016年6月4日閲覧。
- ^ “掛布2軍監督誕生日の誓い 横田を4番で大砲に”. 日刊スポーツ (2016年5月10日). 2016年10月2日閲覧。
- ^ “阪神横田、3カ月ぶり本塁打に掛布監督もニッコリ”. 日刊スポーツ (2016年9月21日). 2016年10月2日閲覧。
- ^ “阪神・横田、10盗塁で盗塁王!打率は18試合で.379”. サンケイスポーツ (2016年12月20日). 2021年5月17日閲覧。
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- ^ 『奇跡のバックホーム』第2章「遠かった甲子園」pp.18 - 23「野球人生の始まり」
- ^ 横田は日本シリーズへの出場を経験しないまま現役を引退したが、引退の2年後(2021年)には、山﨑がヤクルトとの日本シリーズ第5戦(東京ドーム)で先発投手としてシリーズ初登板を果たしている。
- ^ “脳腫瘍克服のオリックス山崎福 阪神・横田にエール「いつか日本シリーズで戦いたい」”. スポーツニッポン. (2017年9月6日) 2019年12月18日閲覧。
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- ^ 『奇跡のバックホーム』第6章「奇跡のバックホーム」pp.171 - 173「想定外の奇跡」
- ^ “間宮祥太朗:元阪神・横田慎太郎役で主演 ドラマ「奇跡のバックホーム」”. MANTANWEB (2022年2月23日). 2022年3月14日閲覧。
- ^ “間宮祥太朗が「奇跡のバックホーム」を経て感じたこと――「好きだから続くっていうのが一番強いと思います」”. 週刊TVガイド (2022年3月12日). 2022年3月14日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 横田慎太郎 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 横田慎太郎 (@_yokotashintaro) - Twitter
- 横田慎太郎 (@yokota_shintaro24) - Instagram
- 川藤部屋 川藤幸三&横田慎太郎 kawato kouzo & yokota shintaro - YouTubeチャンネル
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