名城信男
基本情報 | |
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本名 | 名城 信男 |
階級 | スーパーフライ級 |
身長 | 164cm[1] |
リーチ | 166cm |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1981年10月12日(42歳) |
出身地 | 奈良県奈良市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 20 |
勝ち | 15 |
KO勝ち | 9 |
敗け | 4 |
引き分け | 1 |
名城 信男(なしろ のぶお、男性、1981年10月12日 - )は、日本のプロボクサー。奈良県奈良市出身。WBA世界スーパーフライ級王座を2度獲得(第16代並びに第18代)。六島ボクシングジム所属。奈良県立奈良工業高等学校卒業、近畿大学中退。
家族
弟名城裕司は、極真館全日本ウエイト制空手道選手権中量級や中央アジア空手道選手権大会中量級で優勝し、K-1に出場するなどの実績を持つ空手家。
父建伸は料亭料理人の他、調理専門学校で講師や奈良県調理技能士会の会長代行や奈良沖縄県人会副会長を務めている。
2度目の世界王座獲得後の2009年に入籍。4月29日に京都で挙式を行った[2][3]。2011年1月12日、第1子(長女)が誕生。
来歴
2003年7月11日、プロデビュー(初回KO勝ち)。
2004年8月7日、プロ5戦目。2度の世界挑戦経験を有する現役世界ランカー本田秀伸(グリーンツダ)と対戦。この試合は本田にとって3度目の世界挑戦に向けての前哨戦で、名城はいわゆる「噛ませ犬」とされたが、試合はその「噛ませ犬」名城が序盤から右ストレートを中心に手数を惜しまず攻め込み、ボディブローも決めて本田を圧倒。一方の本田も8回に意地の猛攻を見せるが、これを凌ぎ切る。試合は名城の10回判定勝ち。この勝利で名城は本田に代わって世界ランク入りし、無名のボクサーから一転、「近い将来の世界王者候補」として一躍脚光を浴びるようになる。
2005年4月3日、6戦目で日本王座初挑戦。同じ大阪市内のジム所属で合同練習もたびたび行っていた日本スーパーフライ級王者田中聖二(金沢)に挑み、最終・10回TKO勝ち。王座獲得に成功する。しかし、前王者となった田中は試合後の控え室で意識不明の重体となり会場近くの病院へ搬送されたが、12日後の4月15日に急性硬膜下血腫のため意識を取り戻すことなく死亡。名城自身も大きなショックを受け、1か月間自宅に引きこもる(後に、田中のジムメイトでWBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守の防衛戦の会場で、田中の父親と対面。この席で「(死亡した)息子のことは気にせず、これからも頑張って」と励まされたそうである。また、下記防衛後鳥取市にある田中の墓前に赴き、勝利を報告するなどしている[4])。前王者の死からようやく立ち直った11月22日、初防衛戦。WBA世界スーパーフライ級2位(当時)プロスパー松浦(国際)と対戦し、10回判定勝ち。この勝利でWBA世界ランキング1位となり、指名挑戦権を獲得。
2006年7月22日、8戦目にして世界初挑戦。指名挑戦者としてWBA世界スーパーフライ級王者マーティン・カスティーリョ(メキシコ)に挑む。迎えた10回、1分を回ったところで王者の左目尻から出血がありレフェリーストップ。この瞬間、辰吉丈一郎(WBCバンタム級)と並ぶ8戦目での世界王座奪取を果たした(なお、JBC非公認であるが、新垣諭も8戦目でIBFバンタム級王座を獲得している)。12月2日にはエデュアルド・ガルシア(メキシコ)を12回判定に降し、初防衛に成功。
2007年5月3日、2度目の防衛戦。カスティーリョの前王者でもあるアレクサンデル・ムニョス(ベネズエラ)と対戦。前半は元王者を相手に互角以上の戦いを演じるが、徐々に押されはじめ、後半はダウン寸前のピンチに陥る。12ラウンドをフルに戦うも判定で完敗し、世界王座から陥落。10戦目にしてプロ初黒星を喫した。
その後、6月に交通事故に遭い、頸椎を負傷(愛車も大破し、廃車となった)したが、11月26日に再起戦を行い、3回TKO勝ち。
2008年9月15日、世界王座返り咲きを懸け、WBA世界スーパーフライ級王座決定戦に出場(ムニョスが5月17日にWBC王者クリスチャン・ミハレス〈メキシコ〉と統一戦を行い、12回判定負けで王座から陥落。王座統一を果たしたミハレスがWBA同級スーパー王者に昇格したため、王座が空位となった)。河野公平(ワタナベ)との日本人対決を12回判定(2-1の僅差)で制し、1年4か月ぶりの世界王座返り咲きを果たした。
2009年4月11日の初防衛戦では河野のジムメイトでもある冨山浩之介と対戦。初回と6回にダウンを奪われる苦戦を強いられたが、8回逆転TKO勝ちを収め、防衛成功[5]。9月30日の2度目の防衛戦ではランキング1位ウーゴ・カサレス(メキシコ)と指名試合を行い、ここでも苦戦を強いられたが、フルラウンドの死闘の末、三者三様の引き分けで辛くも防衛に成功。
2010年5月8日、大阪府立体育会館で3度目の防衛戦。前回防衛戦で対戦したカサレスと再戦。前回同様フルラウンドを戦い抜いたが、0-3(111-117が2人、113-115)の判定負けを喫し2度目の世界王座陥落となった。
2010年10月11日、大阪市住吉区民センターでイワン・キー(インドネシア)とノンタイトル10回戦を行い、2回に2度のダウンを奪った末の3回KO勝ち。鮮やかな形で再起を果たした。
2011年2月5日、大阪府立体育会館でWBC世界スーパーフライ級王者:トマス・ロハス(メキシコ)に挑戦。インファイトを挑む名城に対し、王者はアウトボクシングで対抗。8回には偶然のバッティングで王者が負傷し、規定により名城から1点減点。それでもフルラウンドを戦い抜いたが、最終的には0-3(111-116、113-116、113-114)の判定で敗れ、世界王座返り咲きはならなかった。
2011年7月30日、大阪・住吉区民センターでWBO世界フライ級9位にランクされるフィリピン同級王者レイ・ペレスを相手にノンタイトル10回戦を行い、3-0の判定勝ちを収めた。
2011年11月4日、バンコク( タイ)で、WBC世界スーパーフライ級王者スリヤン・ソー・ルンヴィサイに挑戦、22歳の王者相手に懸命にパンチを繰り出すも、0-3(113-116, 113-115, 109-119)の判定で敗れて王座獲得は成らなかった[6]。
戦績
- アマチュアボクシング: 57戦 38勝 19敗
- プロボクシング: 22戦 17勝 (11KO) 4敗 1分
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
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1 | 2003年7月11日 | 勝利 | 1R 0:32 | KO | 一ノ宮茂樹 | 日本 | プロデビュー戦/一ノ宮は元中日本新人王 |
2 | 2003年9月28日 | 勝利 | 2R 2:05 | KO | 木ノ下国広 | 日本 | |
3 | 2003年12月21日 | 勝利 | 1R 2:35 | TKO | 関口武志 | 日本 | |
4 | 2004年3月13日 | 勝利 | 8R | 判定3-0 | 竹田津孝 | 日本 | 竹田津は元日本ランカー |
5 | 2004年8月7日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | 本田秀伸 | 日本 | 本田は当時現役世界ランカー |
6 | 2005年4月3日 | 勝利 | 10R 0:57 | TKO | 田中聖二 | 日本 | 日本スーパーフライ級タイトルマッチ・王座獲得 |
7 | 2005年11月22日 | 勝利 | 10R | 判定 | プロスパー松浦 | 日本 | WBA世界スーパーフライ級挑戦者決定戦/日本同級王座初防衛成功 |
8 | 2006年7月22日 | 勝利 | 10R 1:02 | TKO | マーティン・カスティーリョ | メキシコ | WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ・王座獲得 |
9 | 2006年12月2日 | 勝利 | 12R | 判定3-0 | エデュアルド・ガルシア | メキシコ | WBA王座初防衛成功 |
10 | 2007年5月3日 | 敗北 | 12R | 判定0-3 | アレクサンデル・ムニョス | ベネズエラ | WBA王座陥落 |
11 | 2007年11月26日 | 勝利 | 3R 2:30 | TKO | ペットクローンパイ・ソータンティップ | タイ | |
12 | 2008年3月23日 | 勝利 | 3R 2:24 | KO | サーイルン・ジンワンチャー | タイ | |
13 | 2008年9月15日 | 勝利 | 12R | 判定2-1 | 河野公平 | 日本 | WBA世界スーパーフライ級王座決定戦・王座獲得 |
14 | 2009年4月11日 | 勝利 | 8R 1:22 | TKO | 冨山浩之介 | 日本 | WBA王座初防衛成功 |
15 | 2009年9月30日 | 引分 | 12R | 判定1-1 | ウーゴ・カサレス | メキシコ | WBA王座2度目の防衛成功 |
16 | 2010年5月8日 | 敗北 | 12R | 判定0-3 | ウーゴ・カサレス | メキシコ | WBA王座陥落 |
17 | 2010年10月11日 | 勝利 | 3R 1:42 | KO | イワン・キー | インドネシア | |
18 | 2011年2月5日 | 敗北 | 12R | 判定0-3 | トマス・ロハス | メキシコ | WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ・挑戦失敗 |
19 | 2011年7月30日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | レイ・ペレス | フィリピン | |
20 | 2011年11月4日 | 敗北 | 12R | 判定0-3 | スリヤン・ソー・ルンヴィサイ | タイ | WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ・挑戦失敗 |
21 | 2011年12月31日 | 勝利 | 2R 2:36 | KO | ノラシン・パタナカーンジム | タイ | |
22 | 2012年3月31日 | 勝利 | 6R 0:37 | KO | ペットグラビー・シットサイトーン | タイ | |
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人物・トリビア
- 奈良工業高校でボクシングを始め、ロサンゼルスオリンピック日本代表の高見公明から指導を受けた。
- 非常に謙虚な人物で、辰吉丈一郎から「謙虚な世界チャンピオンはおらへんぞ」と注意されたことがある。
- 京阪神地区の試合会場では、世界王者となった以後もリングサイドで所属ジムの同僚・後輩を応援する姿が頻繁に目撃されている。
- 趣味はビリヤード。
- ココリコ遠藤章造司会のテレビ番組「BRAVO!」では「世界王者になって、どんなクルマに乗りたいですか」との問いに「燃費のエエやつ」と応え、遠藤を苦笑させた。遠藤は高級外車かスポーツカーの名前が出てくるものと予想していた模様。しかしこの番組中の遠藤の言動には、現在のボクシング界が置かれている経済的現実を理解していない面が見られる。「世界王者って、ロールス・ロイスとか乗って移動するイメージですよ」と語って、名城を苦笑させている。
- 2007年2月22日には「奇跡体験!アンビリバボー」の感動のアンビリバボーとして転機となった本田秀伸との対戦から田中聖二との日本タイトル、そして世界王座奪取までの模様が紹介された。スタジオ中を感動に巻き込んだ中で格闘技通の関根勤は「世界チャンピオンには様々な物語があるものだ」と感心していた。
- 2007年10月11日、内藤大助対亀田大毅のWBC世界フライ級タイトルマッチ観戦に訪れた際、「(反則行為に手を染めた亀田大毅は)最低の負け方」と亀田家を厳しく批判した。
- 株式会社スーパーエージェントとマネジメント契約。
- デビュー5戦で、歴戦の技巧派ボクサー本田秀伸を下し世界ランキング入りを果たしたが、その知名度は一般には低く、亀田興毅の話題性の影に隠れていた。そんな中、スパーリングではあるが公開の場で2人の直接対決が実現する。この際、名城側は「スパーリングとはいえ、お互い一切の手加減はしない」という条件を出したという。スパー終了後、亀田からの「余裕やった。」などという発言がマスコミ各紙で報じられたことがある。このような経緯から、WBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助に亀田大毅が挑戦する際に内藤のスパーリングパートナー(仮想亀田大毅という設定)を務めた。
獲得タイトル
- 第30代日本スーパーフライ級王座(防衛1)
- 第16代WBA世界スーパーフライ級王座(防衛1)
- 第18代WBA世界スーパーフライ級王座(防衛2)
- 受賞歴
- プロ・アマチュア年間表彰
- 2004年度プロ部門 新鋭賞
- 2005年度プロ部門 努力賞
- 2006年度プロ部門 殊勲賞
- 2009年度プロ部門 敢闘賞[7]
脚注
- ^ 名城信男 プロフィール 名城信男オフィシャルWEBサイト 2010年3月1日閲覧
- ^ 名城ハネムーンは「勝っていく」京都で挙式・披露宴 スポニチ Sponichi Annex 大阪 2010年3月1日閲覧
- ^ 王者名城が智子さんと挙式、250人が祝福 nikkansports.com 2010年3月1日閲覧
- ^ 王者復活、影に亡きライバル-WBAスーパーフライ級・名城信男 日経ネット関西版 2008年12月12日閲覧
- ^ 名城大逆転V1! 1、6回ダウン! それでも倒した8回TKO…WBA世界スーパーフライ級世界戦 スポーツ報知 2009年4月12日閲覧
- ^ 名城は判定負け 王座奪取ならず スポーツニッポン 2011年11月4日閲覧
- ^ 長谷川が2年連続MVP 最高試合は西岡×ゴンサレス戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年1月6日
関連項目
外部リンク
前王者 田中聖二 |
第30代日本スーパーフライ級王者 2005年4月3日 - 2005年12月7日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 菊井徹平 |
前王者 マーティン・カスティーリョ |
第16代WBA世界スーパーフライ級王者 2006年7月22日 - 2007年5月3日 |
次王者 アレクサンデル・ムニョス |
空位 前タイトル保持者 アレクサンデル・ムニョス |
第18代WBA世界スーパーフライ級王者 2008年9月15日 - 2010年5月8日 |
次王者 ウーゴ・カサレス |