冨山浩之介
基本情報 | |
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本名 | 冨山 浩之介 |
階級 | スーパーフライ級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1983年4月17日(41歳) |
出身地 | 日本千葉県市川市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 29 |
勝ち | 22 |
KO勝ち | 8 |
敗け | 6 |
引き分け | 1 |
冨山 浩之介(とみやま こうのすけ、男性、1983年4月17日 - )は、日本のプロボクサー。千葉県市川市出身。元OPBF東洋太平洋スーパーフライ級チャンピオン。ワタナベボクシングジム所属。
来歴
[編集]2004年2月23日、船橋ドラゴンボクシングジム所属でデビュー戦に4RTKO勝利を収めた。
2005年12月8日、8戦8勝で東日本代表として西軍代表中村公彦と全日本バンタム級新人王を争う。6R判定勝ちで新人王を獲得した。
2006年11月7日、3連勝でA級トーナメント決勝戦で畠野幸雄を下し、優勝。その1か月後には息子が誕生した。
2007年9月15日、1勝後ワタナベボクシングジムに移籍。その初戦で寺畠章太に10RTKO負けを喫し初黒星。
2008年2月2日、1勝後タイスーパーフライ級チャンピオン・OPBF東洋太平洋スーパーフライ級1位ノラシン・ギャットプラサーンチャイに8R3-0の判定で勝利。
2008年6月7日、ジムの先輩である河野公平が返上し空位のOPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者決定戦を後楽園ホールで前戦で闘ったノラシンと行い、2-1の10R判定の末王座を獲得。息子をリングに上げ喜びを露にした。
2008年9月20日、東洋同級6位相澤国之と防衛戦。12RTKOで下し防衛に成功。
2009年1月27日、名城信男への世界王座挑戦決定により、OPBF東洋太平洋王座を返上。
2009年4月11日、名城信男の持つWBA世界スーパーフライ級王座に挑戦。1R、6Rにはダウン経験のなかった名城からダウンを奪ったもののいずれも詰め切れず、8R逆転TKO負けを喫した。7Rまでの採点は、3名のジャッジのいずれも冨山優勢であった。試合終了直後に引退を表明したが、後に撤回。この後、バンタム級へ階級を戻した。
2009年8月1日、井川政仁とのバンタム級8回戦に3-0の判定勝利を収めて再起を果たしたが、同年12月28日には日本バンタム級3位として同スーパーフライ級9位の本田秀伸とバンタム級6回戦を行い、0-3の判定負けを喫した。
2010年12月13日の試合を最後に引退したことが同僚である梅津宏治のブログで明らかになった。
2012年4月4日、現役復帰し、江藤大喜とスーパーフライ級8回戦を行い、6RTKO負けを喫した。
2012年8月10日、日本スーパーフライ級5位の野崎雅光とバンタム級8回戦を行い、4RTKO勝ちで下し日本ランキング復帰を果たした。
2013年7月27日マカオのWBOフライ級タイトルマッチファン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)VS同級1位ミラン・メリンド(フィリピン)のセミファイナルにて21戦全勝のジェネシス・セルバニアと対戦する。初回左フックで倒されると、逆に今度は左ジャブが綺麗に決まって軽くダウンを取った後、打ち下ろしの右でダメージの深いダウンを奪うも時間切れ。2回相手が右目尻をカットし、3回右ストレートの打ち合いでカウンターを取られ、以降両者打ち合いを警戒しアウトボクシングになる。9回レフェリーの裁定ではバッティングによる試合中断からのドクターストップにより、負傷判定へ。2-1により惜しくも敗北。
獲得タイトル
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]空位 前タイトル保持者 河野公平 |
第29代OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者 2008年6月7日 - 2009年1月27日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 河野公平 |