早稲田大学第一文学部

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早稲田大学第一文学部(わせだだいがくだいいちぶんがくぶ)とは、早稲田大学にかつておかれていた学部の一つ。

概要

1949年4月1日新制大学発足以降、早稲田大学に置かれていた学部の一つであり、第一政治経済学部、第一法学部、第一商学部と共に専業学生が大半を占める昼間開講の第一学部として開設された。1966年に早稲田大学の他の第二学部は募集停止となり社会科学部へと統廃合されたものの、第二文学部だけは存続することとなったため、第一文学部の名称は残った。だが2006年度の入試を最後に第一文学部も募集を停止し、翌年以降は「文化構想学部」と新「文学部」へと改編された形での募集が行われている。

学科・専修

廃止前には、以下の学科・専修が置かれていた。

  • 総合人文学科
    • 哲学専修
    • 東洋哲学専修
    • 心理学専修
    • 社会学専修
    • 教育学専修
    • 人文専修 - 言語文化文化人類学異文化コミュニケーション論に関する授業がおかれた[1]。2010年以降の業務は、文化構想学部複合文化論系に引き継がれた[2]
    • 日本文学専修
    • 中国語・中国文学専修 - 2002年に中国文学専修から中国語・中国文学専修に改称。
    • 英文学専修
    • フランス文学専修
    • ドイツ文学専修
    • ロシア語ロシア文化専修 - 1920年(旧)文学部ロシア文学専修として設置、1937年戦時のため一時閉鎖、1946年再興[3]。2002年にロシア文学専修からロシア語ロシア文化専修に改称[4]。(新)文学部ロシア語ロシア文学コースに引き継がれた。
    • 演劇映像専修 - 1999年に演劇専修から演劇映像専修に改称。
    • 文芸専修 - 平岡篤頼によって文芸科として設立。現役の詩人・作家・評論家が講師陣に加わり、文学の分析や実作が指導された。文化構想学部文芸・ジャーナリズム論系に引き継がれた。[5]
    • 日本史学専修
    • 東洋史学専修 - (新)文学部アジア史コースに引き継がれた。
    • 西洋史学専修
    • 美術史学専修
    • 考古学専修

なお、総合人文学科設立以前は、哲学科(哲学専修、東洋哲学専修、心理学専修、社会学専修、教育学専修、人文専修)、文学科(日本文学専修、中国文学専修、英文学専修、フランス文学専修、ドイツ文学専修、ロシア文学専修、演劇映像専修、文芸専修)、史学科(日本史学専修、東洋史学専修、西洋史学専修、美術史学専修、考古学専修)の3学科体制であったが、学科の形骸化と専修を越えた研究・教育の必要性を理由に、2002年に総合人文学科の1学科へと統合された。[6]

主な出身者(含む中退者)

あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

ら-わ行

脚注

  1. ^ 早稲田大学第一文学部総合人文学科人文専修 2013年8月16日10:30閲覧
  2. ^ 早稲田大学第一文学部総合人文学科人文専修 2013年8月16日10:30閲覧
  3. ^ ロシア語ロシア文化専修(第一文学部)・ロシア語ロシア文学コース(文学部)案内 2013年8月16日10:30閲覧
  4. ^ ロシア語ロシア文学専修 専修名称変更について 2013年8月16日10:30閲覧
  5. ^ 第一文学部文芸専修 2013年8月16日10:30閲覧
  6. ^ ベネッセ教育総合研究所 Between2001.12 2013年9月15日閲覧

関連項目

外部リンク