大隈講堂
座標: 北緯35度42分32秒 東経139度43分18秒 / 北緯35.708932度 東経139.721554度
| 早稲田大学大隈記念講堂 | |
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| 情報 | |
| 用途 | 講堂 |
| 設計者 | 佐藤功一、佐藤武夫 |
| 構造設計者 | 内藤多仲 |
| 施工 | 戸田組(現・戸田建設) |
| 建築主 | 早稲田大学 |
| 事業主体 | 早稲田大学 |
| 構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
| 建築面積 | 1,225.95平方メートル |
| 階数 | 地下1階、地上3階、塔屋付 |
| 高さ | 塔屋地盤面より尖塔まで125尺(約38メートル) |
| 着工 | 1926年(大正15年)2月11日 |
| 竣工 | 1927年(昭和2年)10月20日 |
| 所在地 | 東京都新宿区戸塚町1-104 |
| 文化財指定 | 重要文化財(建造物) |
| 指定日 | 2007年12月4日 |
大隈講堂(おおくまこうどう)は、早稲田大学早稲田キャンパスにある講堂で、大隈重信像と並び早稲田大学を象徴する建造物である。東京都新宿区戸塚町に立地。正式名称は「早稲田大学大隈記念講堂」。学内では「早稲田大学21号館」とも表記される。重要文化財。
目次 |
[編集] 建設の経緯
1922年、早稲田大学の創立者である大隈重信が逝去し記念講堂の建設が行われることになり(それまで各種の式典は中庭にテントを張って行っていた)、1923年4月に寄付金200万円を集めることや設計案を公募することなどが決まった。設計コンペにより当選案が選ばれたが折から関東大震災(1923年)が起こり、また先行して図書館の建設も行われていたことなどで資金も思うように集まらず計画はしばらく中断した。1925年になって寄付金も集まり、再び計画が動き出した。改めて建築学科中心に設計を行うことになり高田早苗総長からゴシック様式で演劇にも使える講堂をという要望を受け建築学科の佐藤功一、内藤多仲(構造学)、佐藤武夫(音響工学の先駆者)らが設計に当たった。戸田組(現戸田建設)の施工により1926年2月に着工、1927年10月20日に竣工した。
2006年、大学の創立125周年(2007年10月21日)の記念事業に向けて歴史ある外観はほぼ変えずに外壁と内部を改装して多機能型文化ホール化する工事が行われた(工事は2007年9月末に終了)。
[編集] 概要
大講堂は3階建てで1123席、地下1階は301席の小講堂。外壁のタイルは全部で約19万枚で、信楽風の全て手作りの焼き物である。7階建の時計塔がシンボルとなっており、大隈重信が提唱した『人生125歳』説にちなみ、125尺(約37.8m)の高さになっている。外観にはラグナル・エストベリのストックホルム市庁舎(1909-1923年)の影響があるといわれる。
塔上の鐘は、米国ボルティモアのマクレエン社からパナマ運河を越えて運ばれてきたものである。大小4つの鐘でハーモニーさせる方法は日本では初めてのもので、現在でもウェストミンスター宮殿のそれと同じハーモニーを奏でている。時計塔の鐘が鳴る時間は、8時・9時・12時・16時・20時・21時と1日6回。
内部の天井には宇宙を表現した楕円形の採光窓がある。太陽と月と9つの星をあしらった太陽系を表し、講堂の内と外との「世界の融和」を象徴している、とされる。
1999年、東京都景観条例に基づき東京都選定歴史的建造物に選定された。
2007年12月4日、重要文化財(建造物)に指定された[1]。
[編集] 利用状況
早稲田大学が主催する重要な行事、講演会はここで行われることが多い。また大学が使用しない日はサークル主催の劇、講演会、イベントが開催される。
早稲田大学の付属校・系属校の多くが大隈講堂での入学式および卒業式を行っている。
1946年には関脇笠置山勝一(早稲田大学の卒業生である)の引退相撲が開催された。
[編集] 各国首脳による講演
- 1993年7月7日、アメリカ合衆国大統領 ビル・クリントン講演
- 1998年11月28日、中華人民共和国主席 江沢民講演
- 2002年4月15日、小泉純一郎首相講演
- 2008年5月8日、中華人民共和国主席 胡錦濤講演
[編集] 写真ギャラリー
[編集] 出典
- ^ 国指定文化財等データベース:各棟情報詳細 2011年7月12日閲覧
[編集] 参考文献
- 建築學會、昭和2年(1927年)12月 『建築雑誌 第五一輯 第五〇四號』
[編集] 関連項目
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