麿赤児

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本来の表記は「麿赤兒」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
まろ あかじ
麿 赤兒
本名 大森 宏
生年月日 1943年2月23日(71歳)
出生地 日本の旗 日本石川県金沢市
国籍 日本
職業 俳優舞踏家演出家
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1964年 -
活動内容 1964年 - 1970年状況劇場に在籍
1972年大駱駝艦結成
著名な家族 長男:大森立嗣
次男:大森南朋
公式サイト 大駱駝艦

麿 赤兒(まろ あかじ、1943年2月23日 - )は、日本俳優舞踏家演出家石川県金沢市生まれ、奈良県桜井市育ち。本名は大森 宏[1]

人物・来歴[編集]

1歳の時、父親が太平洋戦争で戦死。また母親が精神を病んだため小学5年生の時に奈良県三輪山麓に住むおじ夫婦に預けられる。奈良県立畝傍高等学校卒業、早稲田大学文学部哲学科中退。山本安英に共感して劇団『ぶどうの会』に参加するが、劇団上部の政治的な議論に嫌気がさして劇団を離れる[2]。 1964年頃から3年に渡って舞踏家土方巽のところに転がりんで生活していたこともあったという[2][3]

1964年に唐十郎の劇団「状況劇場」設立に参画して活動するが1970年に退団[2]。1972年には自ら大駱駝艦を旗揚げ、主宰する[2][4]。海外公演も積極的に行い、舞踏を「BUTOH」として広めている。 1974年、1987年、1996年、1999年、2008年に舞踊評論家協会賞を、2006年に文化庁長官表彰を受賞。日本アウトドアジャーナリスト協会顧問[5]、安藤百福記念 自然体験活動指導者養成センター客員教授[6]も務める。

芸名「赤兒」の由来については、「寒い冬の日に便所で尻を拭いたら、切れ痔で紙が真っ赤っかだった。それを見てつけた」と述べている。本人は「赤兒」という芸名から「赤字」を連想させる為にスポンサーの付くテレビドラマからお声が掛からないと、本気か冗談か判らない事を言っている。また、それゆえ「青兒」と名乗る事もあったという。[要出典]

所属は、大駱駝艦のプロダクションであるキャメルアーツ。 喫煙者。 映画監督・大森立嗣は長男、俳優・大森南朋は次男。まほろ駅前多田便利軒シリーズでは親子共演、立嗣が監督を務めているシリーズである。

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

インターネットドラマ[編集]

バラエティ[編集]

  • タモリ倶楽部(1990年11月23日 - 1991年4月26日、テレビ朝日) - 「瞑想アワー」出演

CM[編集]

書籍[編集]

  • ハイパーアングルポーズ集SP 怪人(2011年8月26日、創美社)
  • 怪男児 麿赤兒がゆく 憂き世戯れて候ふ(2011年10月7日、朝日新聞出版)

舞台[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 麿赤兒 - KINENOTE(旧・キネマ旬報映画データベース)”. 2013年8月22日閲覧。
  2. ^ a b c d 鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談|がんサポート 騒乱の60年代を疾風のように駆け抜けた世界的舞踏家が胃がんになって考えたこと
  3. ^ OB・OGインタビュー 麿赤兒さん”. 早稲田ウィークリー (2004年5月15日). 2012年11月11日閲覧。
  4. ^ 大駱駝艦がであうブラジル、世界がであう舞踏”. をちこちMagazine (2011年3月1日). 2012年11月11日閲覧。
  5. ^ 事務局”. 日本アウトドアジャーナリスト協会 (2010年11月29日). 2012年11月11日閲覧。
  6. ^ 第1回 市民公開講座”. 安藤百福記念 自然体験活動指導者養成センター. 2012年11月11日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]