安田理大
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名前 | ||||||
愛称 | ミチ | |||||
カタカナ | ヤスダ ミチヒロ | |||||
ラテン文字 | YASUDA Michihiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1987年12月20日(36歳) | |||||
出身地 | 兵庫県神戸市北区生まれ、大阪府吹田市育ち | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | フィテッセ | |||||
ポジション | LSB、MF | |||||
背番号 | 16 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2006-2010 2011- |
ガンバ大阪 フィテッセ |
111 (1) 38 (0) | ||||
代表歴2 | ||||||
2005-07 2008 2008- |
日本U-20 日本U-23 日本 |
6(3) 3(0) 7(1) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月7日現在。 2. 2011年6月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
安田 理大(やすだ みちひろ、1987年12月20日 - )は、兵庫県神戸市生まれ、大阪府吹田市育ちのプロサッカー選手。エールディヴィジ・フィテッセ所属。ポジションはサイドバック及びミッドフィールダー。同じくプロサッカー選手である安田晃大は実弟。元日本代表。
来歴
プロ入り前
兵庫県神戸市北区に生まれる(ブログ内で神戸市北区に居住していた事を明かす)。5歳の時に大阪府吹田市に転居。サッカーと出会ったのはこの頃で、近所の友達と毎日サッカーをしていたという。当時住んでいたマンションは万博記念競技場のすぐ近くにあり、ホームゲームには家族揃って毎試合のように通う熱心なガンバ大阪ファンとなる[1]。小学4年生のときに兄弟とともにガンバ大阪のジュニアチームに入団し、その後ジュニアユース、ユースへと昇格する。ユース時は中盤がほぼフラットの4-4-2で左サイドハーフを務め、試合展開によってはフォワードに近い位置で起用されたこともある。年代別代表にも名を連ね、AFCユース選手権予選のU-18北朝鮮戦では、途中出場ながら決勝点を挙げて本大会出場を決めた。このチームでは左サイドバックでの起用が多かった。
ガンバ大阪
2006年にガンバ大阪ユースからトップチームに昇格。この年に同時に昇格した6人組(安田、平井将生、横谷繁、植田龍仁朗、伊藤博幹、岡本英也)にはクラブによって「G6」という愛称がつけられていた[2][3]。2006年4月1日の清水エスパルス戦で公式戦デビューを飾るが、この年の出場は2試合に留まった。
当初は中盤でプレーしていたが、2007年は世代別代表で経験のあった左サイドバックとして抜擢され、ゼロックススーパーカップの浦和レッドダイヤモンズ戦で初スタメンを飾り、得意のドリブルで浦和レッズの守備陣を翻弄。ガンバ大阪の初優勝に貢献した(本人曰く、「俺(運を)持ってるな!」とのこと)。そのプレーは当時の日本サッカー協会会長川淵三郎と日本代表監督のイビチャ・オシムから絶賛された。
その後のJリーグ開幕戦でもスタメンで出場し、左サイドバックのレギュラーに定着。同年のナビスコカップでは「ニューヒーロー賞」を受賞し。決勝の川崎フロンターレ戦では決勝点となるプロ初点を挙げ、大会MVPを受賞。ニューヒーロー賞とナビスコカップMVPのダブル受賞は田中達也(浦和)に次いで2人目だった[4]。 こうして飛躍の年となった2007年の12月には岡田武史監督就任後初めてのA代表合宿に初招集。翌2008年2月の東アジア選手権メンバーには追加招集され、2月17日の北朝鮮戦で途中出場して国際Aマッチ初キャップを記録した。2009年2月4日のキリンチャレンジカップ・フィンランド戦で代表初得点を記録。
2009年より登録をMFからDFに変更。シーズン序盤は、加地亮の怪我もあり本来の左SBではなく右SBでの起用が多かった。しかし、自身が右SB出場中に左SBに定着していた後輩の下平匠にそのままレギュラーポジションを奪われる格好となり、加地の復帰以降は出場機会・時間ともに減ってしまった。しかし、翌2010年には再び左SBのレギュラーに返り咲き、9月18日のセレッソ大阪との大阪ダービーで決勝点となる自身のリーグ戦初得点を記録した。
フィテッセ
2010年シーズンオフにオランダ1部エールディヴィジのフィテッセからオファーを受け2011年1月8日に念願であった海外移籍を果たした。ウインターブレイク明けの初戦である1月22日のヴィレムII戦でフル出場デビューを飾り、次節のホームローダJC戦で移籍後初アシストを記録。3月12日のSCヘーレンフェーン戦では右SBとしてフル出場し先制点をアシストする活躍で、『マン・オブ・ザ・マッチ』に選ばれた。その後もアシストを記録し続けたことで、3月29日にフィテッセと2013年まで契約を延長したことが発表された[5]。6月、オランダでの活躍が評価され、2年4カ月ぶりに代表復帰を果たした。
人物・エピソード
- 憧れのサッカー選手は三浦知良。尊敬するサッカー選手は元チームメイトの播戸竜二。
- プロ野球選手の西岡剛(ミネソタ・ツインズ)とは、友人である。
- プロ野球・阪神タイガースのファンであり、『月刊タイガース』2008年12月号の「各界タイガースファンインタビュー」でファン歴、甲子園での観戦について語っている。2009年2月9日放送のABCラジオ『F.C.オフサイドトーク』では、特に桧山進次郎がお気に入りで、同じ阪神ファンでもあるチームメイトの中澤聡太と、2009年は阪神戦を10回観戦すると発言した。
- 尊敬する人物は坂本竜馬。中学時代に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読破したことがきっかけ。
- 小学生の時はガンバのファンクラブに入っており、ホーム万博の試合は毎試合観戦し、いつか自分もそのピッチに立つことが夢であった。
- 高校3年時に出場したJFAプリンスリーグU-18関西大会決勝戦、対滝川第二高等学校戦にて、左サイドハーフェイラインから単独でドリブル突破を敢行。次々と相手DFを抜き去り、左45度から左足でニアサイドを破り豪快にゴールネットを揺らせた強烈なドリブルシュートは印象的。
- 兄も含め3兄弟揃ってガンバ大阪ジュニアユースの出身。U-17日本代表の経験を持つ末弟安田晃大もガンバ大阪ユースから2008年にトップチームへ昇格。本人曰く、「サッカーセンスは弟の方が上」。
- 室拓哉は、同じマンションに住んでいた幼馴染[6]。
- 2007年3月11日J1第2節鹿島アントラーズ戦でイエローカード2枚で退場処分。試合後西野朗監督に髪色(金髪)を指摘され、翌日反省の意味を込めて丸刈りになった。
- 西野監督の言葉には、反省をしろと言う事ではなく“髪を切ることで気持ちを切り替えろ”と言う真意があった。
- 翌日、丸刈りにしたものの6ミリで金髪だったため、播戸竜二に「そんな長さで許してくれるんか!」と一喝され、3ミリにして髪も黒く染めた。
- 丸刈り以降も、マスコミには「浪速の金狼」と書かれることが多い。
- U-20W杯に向けて、再び金髪にした。そこでも西野監督に“世界大会に行く前の若い選手にありがちなパフォーマンス。古いね”と苦言を呈された。
- 2008年6月18日には、髪型が似ているといわれた春風亭小朝がブログで話題にした。
- 2007年ナビスコカップ決勝、2008年ACL決勝第1戦でのゴールと、カップ戦決勝となにかと縁がある。また、Jリーグのリーグ戦でゴールを挙げるより先に、日本代表の方でゴールを決めるという珍しい記録を持っている。
- 2007年8月9日に、結婚を発表した。夫人(当時23歳)は妊娠8ヵ月で9月16日、第1子となる長女が誕生した。(実際に入籍したのは5月1日、披露宴は2009年1月4日)
- 2008年2月20日、東アジアサッカー選手権2008での対中国戦では、ゴール前でゴールキーパーと1対1になりシュートを入れようとした所、中国のゴールキーパーの宗磊から跳び蹴りを食らい負傷退場し病院へ直行した。
- 2008年12月18日のFIFAクラブワールドカップ2008準決勝でマンチェスター・ユナイテッドと対戦した際、ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドとユニフォームを交換した。
- Jリーグ初ゴール後のゴールパフォーマンスではたむらけんじのギャグ「ちゃ~」を披露した。
- 小学生の頃から広末涼子のファンで、広末の夫のキャンドル・ジュンは、メル友でもある[7]。
- 2011年9月2日、2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選日本対北朝鮮戦において1-0で日本が勝利直後、何故かFIFA公式サイトに得点者がMICHIHIRO YASUDAと一時誤表記された[8](間もなく、得点者であるMAYA YOSHIDAに修正された)
所属クラブ
- ユース経歴
- 1997年 - 1999年 ガンバ大阪ジュニア
- 2000年 - 2002年 ガンバ大阪ジュニアユース
- 2003年 - 2005年 ガンバ大阪ユース(吹田東高等学校)
- プロ経歴
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | G大阪 | 33 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
2007 | 13 | 29 | 0 | 9 | 1 | 3 | 0 | 41 | 1 | ||
2008 | 26 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 33 | 0 | |||
2009 | 22 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 28 | 0 | |||
2010 | 32 | 1 | 2 | 0 | 5 | 0 | 39 | 1 | |||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
2010-11 | フィテッセ | 16 | エールディヴィジ | 15 | 0 | - | - | 15 | 0 | ||
2011-12 | 23 | 0 | - | 4 | 0 | 27 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 111 | 1 | 16 | 1 | 16 | 0 | 143 | 2 | |
オランダ | エールディヴィジ | 38 | 0 | - | 4 | 0 | 42 | 0 | |||
総通算 | 149 | 1 | 16 | 1 | 20 | 0 | 185 | 2 |
その他の公式戦
- 2007年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2009年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2010年
- スーパーカップ 1試合0得点
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国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2006 | G大阪 | 33 | 0 | 0 | - | |
2008 | 13 | 9 | 2 | 3 | 0 | |
2009 | 7 | 1 | - | |||
2010 | 7 | 1 | - | |||
通算 | AFC | 23 | 4 | 3 | 0 |
経歴
- Jリーグ初出場 - 2006年4月1日 J1第6節 vs清水エスパルス (日本平スタジアム)
- 公式戦初得点 - 2007年11月3日 ナビスコカップ決勝 vs川崎フロンターレ (国立競技場)
- Jリーグ100試合出場 - 2010年9月11日 J1第22節 vsアルビレックス新潟 (東北電力ビッグスワンスタジアム)
- Jリーグ初得点 - 2010年9月18日 J1第23節 vsセレッソ大阪 (万博記念競技場)
- A代表初出場 - 2008年2月17日 東アジア選手権 vs北朝鮮戦 (重慶オリンピックスポーツセンター/中国)
- A代表初得点 - 2009年2月4日 キリンチャレンジカップ vsフィンランド戦 (国立競技場)
- エールディヴィジ初出場 - 2011年1月22日 第20節 vsヴィレムII (ヴィレムIIスタディオン)
タイトル
クラブ
ガンバ大阪
- ナビスコカップ:1回(2007年)
- 天皇杯:2回(2008年、2009年)
- ゼロックススーパーカップ:1回(2007年)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2008年)
- パンパシフィックチャンピオンシップ:1回(2008年)
個人
- ナビスコカップ ニューヒーロー賞(2007年)
- ナビスコカップ 最優秀選手賞:1回(2007年)
代表歴
- U-14日本選抜
- U-15日本代表
- U-16日本代表
- U-17日本代表
- U-18日本代表
- 2005年 - AFCユース選手権・予選
- U-19日本代表
- U-20日本代表
- 2007年 - FIFA U-20ワールドカップ
- U-22 日本代表
- 五輪代表
- 2008年 - 北京オリンピック
- 日本代表
- 2008年 - 東アジア選手権
試合数
- 国際Aマッチ 7試合 1得点 (2008年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2008 | 5 | 0 |
2009 | 1 | 1 |
2010 | 0 | 0 |
2011 | 1 | 0 |
通算 | 7 | 1 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
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1. | 2009年2月4日 | 東京、日本 | フィンランド | ○5-1 | キリンチャレンジカップ |
CM出演
- ミドリ電化(2007年) - 西野朗、加地亮、播戸竜二との共演
- 本格炭火焼肉 でん(2008年 - 2011年) - 明神智和、バレーとの共演 (バレーが移籍してからは映っている部分がカットされていた)、2008年10月からは、安田1人で出演していた。
関連項目
参考文献
- ^ 「Jリーガー ルーツ探訪 安田理大(G大阪)」『週刊サッカーダイジェスト』No.971 2008年10月21日号(日本スポーツ企画出版社)
- ^ G大阪イケメンユニット「G6」誕生!? - ウェイバックマシン(2006年1月10日アーカイブ分) - 大阪日刊スポーツ新聞社(2006年1月8日)
- ^ “3月18日(土)JL3節 VS大分トリニータ @万博 スタジアム情報!!”. ガンバ大阪 (2006年3月17日). 2012年5月25日閲覧。
- ^ “ヤマザキナビスコカップ 歴代カップウィナーと決勝公式記録”. Jリーグ公式サイト. 2008年12月4日閲覧。
- ^ 安田理大、フィテッセと2013年まで契約延長SOCCER KING 2011年3月31日
- ^ 「進化しているのはもみじ饅頭だけじゃない。」 - 安田理大公式サイト(2009/11/14)
- ^ G大阪安田理が失恋…メル友に奪われた!
- ^ 吉田と安田、北朝鮮戦の“決勝点Yasuda”に困惑「俺の手柄!泣」「麻也ごめん」SOCCER KING、2011年9月3日
外部リンク
- ミチの世界(オフィシャルサイト)
- LIRIO NET BLOG Yasuda
- 安田理大 (@yasuda_michel) - X(旧Twitter)
- 安田理大 – FIFA主催大会成績(英語)