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北島康介

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北島康介
選手情報
フルネーム 北島康介
国籍 日本の旗 日本
泳法 平泳ぎ
所属 日本コカ・コーラ
生年月日 (1982-09-22) 1982年9月22日(41歳)
生誕地 東京都
身長 178cm
体重 72kg
獲得メダル
競泳
日本の旗 日本
オリンピック
2004 男子 100m平泳ぎ
2004 男子 200m平泳ぎ
2004 男子 400mメドレーリレー
2008 男子 100m平泳ぎ
2008 男子 200m平泳ぎ
2008 男子 400mメドレーリレー
世界水泳選手権
2001 男子 200m平泳ぎ
2003 男子 100m平泳ぎ
2003 男子 200m平泳ぎ
2003 男子 400mメドレーリレー
2005 男子 50m平泳ぎ
2005 男子 100m平泳ぎ
2005 男子 400mメドレーリレー
2007 男子 100m平泳ぎ
2007 男子 200m平泳ぎ
2007 男子 400mメドレーリレー
2011 男子 200m平泳ぎ
世界短水路選手権
2002 男子 100m平泳ぎ
世界競泳2007
2007 男子 100m平泳ぎ
2007 男子 200m平泳ぎ
2007 男子 400mメドレーリレー
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肉のきたじま

北島 康介(きたじま こうすけ、1982年9月22日 - )は、日本のプロ競泳選手。アテネオリンピック並びに北京オリンピック100m平泳ぎ、200m平泳ぎの金メダリスト

日本コカ・コーラ所属。身長178cm、体重72kg。血液型B型

略歴

東京都荒川区出身で、実家は西日暮里にある精肉店「肉のきたじま」(株式会社北島商店)を経営。文京区の区立千駄木小学校、文林中学校、本郷高校日本体育大学体育学部体育学科卒業。大学卒業後、日体大大学院に進んだが、選手活動に専念するため2006年に中退。

5歳から東京SCで水泳を始め、中学2年生の時に、東京SCのコーチ平井伯昌に才能を見出される。高校3年生で2000年シドニーオリンピックに出場し、100m平泳ぎ4位入賞。2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックにおいて100m・200m平泳ぎで金メダルを獲得し、オリンピック史上初の平泳ぎ2大会連続2種目制覇を果たす(オリンピック2大会連続2種目制覇は日本人史上初である)。また、個人メドレーで日本記録を保持していたこともある。

2005年度から日本オリンピック委員会が始めた選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度を用いず、2005年4月から日本コカ・コーラと所属契約を結ぶことになり、スイミングキャップやレーシングゴーグル、水着にCoca-Colaのロゴを入れて大会に出場する。競技生活を仕事とするプロ選手である。北京オリンピックまでは東京SCを拠点にトレーニングしていたが、休養から明けてトレーニングを再開した(2009年9月)以降は南カリフォルニア大学を拠点としている。

主な戦績

ここに掲載するのは、長水路大会のみ。

2000年

2001年

2002年

2003年

  • 日本選手権 3年連続で男子50、100、200メートル平泳ぎ全てに優勝。
  • 7月20日第10回世界水泳バルセロナ大会競泳競技 21日の男子100メートル平泳ぎ59秒78で世界記録(当時)を更新し、金メダル。続く25日の男子200メートル平泳ぎ2分09秒42で世界記録(当時)を更新し、金メダル。最終日27日の男子400mメドレーリレーで日本記録(当時)を更新し、銅メダル。

2004年

  • 日本選手権 4年連続で男子50、100、200メートル平泳ぎ全てに優勝(史上最高記録)。
  • 8月15日アテネオリンピック男子100メートル平泳ぎ1分00秒08で金メダル。インタビューで「チョー気持ちいい(超気持ちいい)、鳥肌ものです」とコメント。ちなみにこの「チョー気持ちいい(超気持ちいい)」は、この年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれ、2010年に集計された「印象に残っている流行語」で第3位に選ばれている[1]。同日、100メートル背泳ぎ金メダルのアーロン・ピアソル(アメリカ)が「北島はスタート時に禁止されているドルフィンキックを行った」と抗議したが、大きな問題にはならなかった。
  • 8月18日同大会男子200メートル平泳ぎ2分09秒44でオリンピック記録(当時)を更新し、二冠を達成(2位以下を1秒以上突き放す)。
    ピアソルやアメリカ記者団がおこなった「北島泳法違反」の発言は、北島に対する心理的揺さぶりとみる者も居たが、その後違反ぎりぎりの泳法をとる選手の有利を防ぐために2006年シーズンからスタートとターン直後に限りドルフィンキックを1回打つ事を認めるルール改正への流れとなった。
  • 8月21日同大会男子400メートルメドレーリレーで銅メダル。

2005年

  • 4月21日JAPAN SWIM 2005(世界水泳モントリオール大会選考会兼ねる) 男子200メートル平泳ぎ決勝レースに出場も3位に甘んじこの競技の自力での世界選手権出場を逃す。続く23日の男子50メートル平泳ぎは28秒03秒で本大会5連覇目(史上最高記録)を達成。続く24日の男子100メートル平泳ぎ1分00秒89で本大会6連覇目を達成。
  • 7月24日第11回世界水泳モントリオール大会競泳競技 25日の男子100メートル平泳ぎ59秒53で銀メダル。続く27日の男子50メートル平泳ぎ27秒78で日本記録(当時)を更新し銅メダル。最終日31日の男子400メートルメドレーリレーは平泳ぎを59秒19で泳ぎ銅メダル。

2006年

  • 4月20日JAPAN SWIM 2006 男子200メートル平泳ぎで2年連続の敗戦。続く22日の50メートル平泳ぎでも敗れる。続く23日の100メートル平泳ぎ1分00秒71で優勝し、辛うじてパンパシフィック水泳選手権の代表権を手に入れる。
  • 8月17日第10回パンパシフィック水泳選手権 18日の男子100メートル平泳ぎ1分00秒90で3位。続く最終日20日の男子200メートル平泳ぎ2分10秒87で準優勝。同日の男子400メートルメドレーリレー3分35秒70で準優勝。
  • 12月1日ドーハアジア大会 3日の男子50メートル平泳ぎ28秒38で準優勝。男子100メートル平泳ぎ1分01秒13で優勝。男子200メートル平泳ぎ2分12秒05で優勝。

2007年

  • 3月25日第12回世界水泳メルボルン大会競泳競技 26日の男子100メートル平泳ぎ59秒96で銀メダル。続く30日の男子200メートル平泳ぎ2分09秒80で金メダル。最終日4月1日の男子400mメドレーリレーで銀メダル。
  • 4月5日JAPAN SWIM 2007 男子200メートル平泳ぎ2分11秒04で2年ぶりの優勝。男子100メートル平泳ぎ1分00秒34で本大会8連覇目を達成。男子50メートル平泳ぎには出場せず。
  • 8月21日北京五輪の前哨戦という位置づけで、世界水泳をしのぐ「夢の国際競泳大会」・「2007年の真の競泳世界一決定戦」と称される日本の千葉県国際総合水泳場で開催された世界競泳2007では、男子100メートル平泳ぎ59秒74で優勝(日本国内のレースで初めて1分00秒を切る)。続く23日の男子200メートル平泳ぎ2分10秒02で優勝。最終日24日の男子400mメドレーリレーは日本記録(当時)で優勝。

2008年

  • 4月15日JAPAN SWIM 2008 男子200メートル平泳ぎ2分08秒84の日本記録で優勝。男子100メートル平泳ぎ59秒67で本大会9連覇目を達成(史上最高記録)。この結果をもって北京オリンピックの代表に選出された。
  • 6月8日ジャパンオープン 男子200メートル平泳ぎで、SPEEDO社のレーザー・レーサーを着用して挑み、5年ぶりとなる2分07秒51の世界記録(0秒99更新、当時)を樹立。
    北島の世界新記録は、日本人選手が国内長水路レースで記録したものとしては、1972年7月21日の「日本水泳選手権競技大会」で青木まゆみが女子100mバタフライで記録して以来、36年ぶりだった。
  • 8月11日北京オリンピック 男子100メートル平泳ぎで、ノルウェーの新鋭アレクサンダー・ダーレ・オーエンらを振り切り、人類史上初、59秒の壁を破る58秒91の世界新記録で金メダル。「世界記録を出し、金メダルを獲得する」という試合前の予告をその通りに果たした。男子100メートル平泳ぎの大会2連覇は世界初、平泳ぎの同一種目の大会連覇は日本人としては鶴田義行以来76年ぶりのことである。この時のインタビューでは、アテネオリンピックの金メダル獲得時のインタビューとは一転、緊張感・責任感から解き放たれたのか、涙をこらえきれず、絞り出すような声で「なんも言えねえ」というコメントを残し、流行語となった。この言葉について、後のインタビューで、「このとき、お世話になった方々への感謝を口にしようとしていたが、こみ上げてくる思いで言葉が出なかった」という内容のコメントをしている。
  • 8月14日同大会男子200メートル平泳ぎ2分07秒64で金メダル(自ら前日の準決勝で打ち立てたオリンピック記録を更新するものである)。アテネに続く2冠に輝いた。オリンピックで2大会連続2種目制覇を成し遂げたのは日本人として史上初、平泳ぎで2大会連続2種目制覇を成し遂げたのは世界初である。
  • 8月17日同大会男子400メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得。北島は第2泳者で登場し、57秒台に迫る58秒07のタイムで泳いだ。

2010年

  • 4月13日2年振りの参加となり、復帰戦となったJAPAN SWIM 2010の初日、男子50メートル平泳ぎ27秒30の日本記録で予選1位通過、決勝は2位。続く15日の男子200メートル平泳ぎは4位。最終日18日の最終種目となった男子100メートル平泳ぎは2位。
  • 4月18日主要国際大会での復帰戦となった第11回パンパシフィック水泳選手権では男子100メートル平泳ぎ予選で今季世界最高記録となる59秒04で1位通過、決勝は59秒35で優勝。男子50メートル平泳ぎは27秒67で5位。男子200メートル平泳ぎは大会新記録&今季世界最高記録となる2分08秒36で優勝。男子400メートルメドレーリレーは3分33秒90で準優勝。

2011年

  • 4月9日競泳国際大会代表選手選考会(東日本大震災復興支援チャリティー大会) 初日の男子100メートル平泳ぎは59秒44で優勝。最終日11日の男子200メートル平泳ぎは肉離れを起こしながらも2分09秒26で2位。棄権した50メートルを除く、100メートルと200メートルで世界水泳の代表権を手に入れる。
  • 7月24日2大会ぶりの第14回世界水泳上海大会競泳競技 25日の男子100メートル平泳ぎ1分00秒03で4位。続く29日の男子200メートル平泳ぎ2分08秒63で銀メダル。最終日31日の男子400mメドレーリレーで4位。

2012年

  • 4月3日JAPAN SWIM 2012 男子100メートル平泳ぎは58秒90の日本記録で優勝し、日本の競泳史上初となる4大会連続オリンピック出場を果たす。続く6日の男子200メートル平泳ぎでも2分8秒00で優勝し、平泳ぎ2種目で3大会連続オリンピック出場を果たす。

自己ベスト

ここに掲載するのは、個人種目のみ。

泳法 距離 水路 記録 樹立年 大会名 会場 備考
平泳ぎ 50m 長水路 27秒30 2010年 JAPAN SWIM 2010 東京辰巳国際水泳場 アジア記録 日本記録
平泳ぎ 100m 長水路 58秒90 2012年 JAPAN SWIM 2012 東京辰巳国際水泳場 アジア記録 日本記録(世界歴代5位)
平泳ぎ 200m 長水路 2分07秒51 2008年 ジャパンオープン 東京辰巳国際水泳場 アジア記録 日本記録(世界歴代3位)
平泳ぎ 50m 短水路 26秒68 2011年 JAPAN SWIM (25m)[2] 東京辰巳国際水泳場
平泳ぎ 100m 短水路 57秒34 2011年 JAPAN SWIM (25m) 東京辰巳国際水泳場 アジア記録 日本記録
平泳ぎ 200m 短水路 2分02秒95 2011年 JAPAN SWIM (25m) 東京辰巳国際水泳場 アジア記録 日本記録

受賞歴

エピソード

  • 実家は前述のように精肉店だが、名物のメンチカツは本人も大好物である。元々メンチカツは1970年代に製造販売を中止していたが、2003年の世界選手権での北島のインタビューで実家のメンチカツが好物だと言った途端に問い合わせが殺到したため復活した。アテネ五輪では2冠を獲得した直後の休日に、この名物メンチカツを買い求める客が殺到。2時間待ちの行列ができ、交通整理のために警察官が出動する騒ぎとなった。北京五輪で金メダルを獲得した際にも同様の現象が起きており、顧客にはこれを買うために遠方から駆けつける人もおり、最大時50人並びで全長20メートルの行列になるほどの大反響であった。
  • 北京オリンピック閉会式の日本選手団の旗手を務めた。ちなみに北京五輪日本選手団の主将の打診もあったが、競泳競技のスケジュールが過密なため、コーチスタッフと相談した結果、辞退した。
  • 北京五輪時の中国メディアには、「蛙王」の愛称で呼び称えられた[3]
  • 2008年10月13日(月)の“体育の日”にちなみ、オリコンが「好きなスポーツ選手」についてアンケート調査を実施したところ、男性部門1位に選ばれた。2009年に行われたアスリートの総合的なイメージを測定する「アスリートイメージ評価調査」では、「パワフルな」アスリート3位、「常にチャレンジ精神を持ち続けている」アスリート3位、「総理大臣になってほしい」アスリート3位、イメージ総合ランキング3位に選ばれた。
  • 愛読していてファンであると公言する漫画『ONE PIECE』の記念すべき10作目の劇場版『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』に、声優として出演。水泳繋がりで魚人役を担当した。
  • 国際水泳連盟発行の雑誌が202の国と地域の水泳連盟と専門家による投票で選んだ「2000年代最優秀選手ランキング」で、平泳ぎの北島康介が自由形のイアン・ソープと並ぶ3位に選ばれた。ちなみに1位はオリンピックにおいて自由形、バタフライ、個人メドレー、リレー種目で合計14冠を達成しているマイケル・フェルプスとなっている。
  • 2011年に調査した「ロンドン五輪で期待している選手」では、2位の内村航平(体操競技)に300票以上の差をつけて1位に選ばれた[4]
  • 2012年に調査した「印象に残る夏季オリンピックの名場面」では、4位に「アテネオリンピックでの平泳ぎ2冠」、1位に「北京オリンピックでの平泳ぎ2冠」がランクインした[5]

SPEEDO製水着問題

北島は「SPEEDO」の水着を好んでいたが、所属していた東京スイミングセンターが「arena」ブランドの日本国内でのライセンシー(実施権者)であるデサントと親しかったため、個人の広告活動の解禁まで「arena」製の水着を使用していた。アテネ五輪の年から「SPEEDO」の水着を使用したが、そのライセンシーだったミズノが独自水着の販売に踏み切ると、ミズノとの契約を続けた。2008年三井物産ゴールドウィンが日本ライセンシーとなった「SPEEDO」が新型水着「レーザー・レーサー」を発表し、中村礼子アシックスと契約)は新型水着を試したが、北島はミズノ製の水着を着用し続けた。大会後の記者会見で、「新型水着を試したいという気持ちはあるが、ミズノがそれに負けない水着を開発してくれると思う」と述べ、ミズノとの契約を優先すると表明した[要出典]

また、2008年5月18日に、東京辰巳国際水泳場で行われた競泳早慶戦にオープン参加したとき、北島は日本選手権用の旧タイプ水着を着用した。試合後のインタビュー会見を開いた。そのときに、例の「SPEEDO」新型水着に関して質問が集中するなどメディアが騒ぎ立てる水着問題に対して、北島は「正直言って、うっとい(うっとうしい)ですね。もっと違ったカタチで水泳に注目してほしい」と珍しくイラ立ちを見せた[6]

2008年6月、「ジャパン・オープン」では、英語で「I AM THE SWIMMER」、中国語で「是我在遊泳」と書かれたTシャツでプールサイドに現れ、水着騒動に「泳ぐのは僕だ」と主張して一石を投じた。この大会では、途中までミズノ製の改良型水着でタイムが伸びなかったが、レーザーレーサーを着用して世界記録を更新した。6月11日、公式サイトで「北京オリンピックではSpeedoの水着を着用しようと思います」と表明した。

出演

CM

声優

脚注

  1. ^ Mr.サンデー』2010年11月14日放送分
  2. ^ この大会は長年「日本短水路選手権」と呼ばれてきた大会であり、近年では「JAPAN OPEN」という呼称が採用された年もあったが、主催者である日本水泳連盟は発表の中で、2010年度のこの大会の正式名称を「第52回日本選手権水泳競技大会 競泳競技(25m)」、大会呼称を「JAPAN SWIM (25m)」と定めている。
  3. ^ “蛙王”北島:中国メディアも「4枚目の金、不動」
  4. ^ NEWS ZERO』2011年11月21日放送分
  5. ^ news every』2012年4月13日放送分
  6. ^ 中日スポーツ新聞』(2008年5月19日)

外部リンク