バンドブーム
バンドブームとは、バンド演奏が中高生や若者の間で流行した一連のブームをいう。バンドが演奏する音楽を聞くだけではなく、自ら楽器を演奏する人口が増えたことが特徴で、一種の社会現象であった。
また、単にバンドブームというと、1980年代後半に起こった「第二次バンドブーム」を指すことが多い。
エレキ・ブーム
サーフィンミュージック(エレキ・ブーム)は、主にベンチャーズを中心とした、エレキギターを用いたインスト曲の流行に伴うブームである。日本の電気楽器産業の出発点とも考えられる。
ヒットチャートから楽器演奏に興味を持った人口が増加したものの、当時の楽器は輸入品で高価だったこともあり、国産の電気楽器が低コストを売りに参入することになる。楽器人口の増加からコンテストが開かれるようになった。
ブームは65年のベンチャーズ再来日時がピークとされている。フジテレビの番組『勝ち抜きエレキ合戦』によりアマチュアバンドのコンテストがお茶の間に届けられた。
グループ・サウンズブーム
1960年代中期 - 後期におけるグループ・サウンズ(GS)ブームも楽器演奏人口の増加を伴う流行であった。
1966年の後半からザ・タイガースなどのヒットによりブームが始まる。音楽史的には上記のサーフィンミュージックの後にカレッジフォークブームなどが有り、後にGSブームが起こるという記述がある。
GSブーム時にはジャズ喫茶がライブハウスの原型としてバンドの活動の場となっていく。
第一次バンドブーム
サザンオールスターズ、世良公則&ツイスト、RCサクセション、Yellow Magic Orchestraらがヒットチャートを席巻した時代を第一次バンドブームと呼ぶ。フォークソング 、ニューミュージックに続いてロックがヒットチャートを席巻する時代の幕開けとなった。
1970年代後半 - 1980年代前半にかけて開催されたヤマハ主催のコンテストである「EastWest(イーストウエスト)」および「8・8ロックデイ」、ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」がバンドの登竜門的な役割を果たしている。
特筆すべきはコンテストからメジャーデビューしてヒットチャートにあがりブームになるという流れが出来たことで、ラジオなどから流れてくる洋楽がヒットチャートの上位に来てからブームが始まった事に比較すると正反対の流れであった。また、メディアに依存することなく、ライブ・ハウスでの評判をきっかけにメジャー・デビューする独自性の高いグループも目立つようになり、特に80年代に入り音楽誌で多く取り上げられるようになるなど、市場に新しい勢力を確立し、第二次バンドブームへの礎を作った。
第二次バンドブーム
BOØWY、HOUND DOG、レベッカ、Red warriors、TM NETWORK、BARBEE BOYS、BUCK-TICK、ZIGGY、SHOW-YA、米米CLUB、プリンセス・プリンセス、爆風スランプ、LINDBERG、JITTERIN'JINN等の台頭による、1980年代終盤から1990年代前半にかけて(アイドル、ヒットチャート番組の衰退と入れ替わるようにして)起こったロックバンドの一大ブーム。特に、THE BLUE HEARTS、UNICORN 、JUN SKY WALKER(S)、THE BOOMの4グループは「バンド四天王」と呼ばれている。1991年には歴代最高の510組のバンドがメジャーデビューした。時期的には概ねバブル時代とほぼ重なる。その潮流は大別すると二つに分かれる。
一つはTBSの深夜番組『平成名物TV』内の一コーナー『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称『イカ天』。放送期間:1989年2月~1990年12月)、ソニー・マガジンズの雑誌が火付け役となったものである。『イカ天』は対バン形式で審査を行うもので、その審査がやたらに厳しい事でも知られていたが、同時に多くの個性的なアマチュア/ホコ天バンドが世に出るきっかけにもなった。
もう一つはXの登場とその大成功の影響を受けたもので、それ以降、ヴィジュアル系と言われるファッション性を重視したバンドが、若年女性層からの熱狂的な支持を受け一大ブームの様相を示した。
第三次バンドブーム
90年代になると、CDの売り上げが爆発的に増え、ミリオンセラーを連発するようになる。
1990年、「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演し話題になったたまの「さよなら人類/らんちう」やBEGINの「恋しくて」がヒットした。
また、イカ天ブーム(バンドブーム)とは別にピチカート・ファイヴ、オリジナル・ラブ、フリッパーズ・ギターらの渋谷系ブームが起きた。
1993年にはWANDS、T-BOLAN、DEEN、FIELD OF VIEWらのビーイングブーム、95年には小室ブームが最盛期を迎え、CD売り上げはピークとなり、ヒット曲が連発されるようになっていった。
1994年頃から後半にかけ、Mr.Children、シャ乱Q、スピッツ、JUDY AND MARY、L⇔R、奥田民生、THE YELLOW MONKEY、ウルフルズ、エレファントカシマシ、小沢健二、電気グルーヴ、BLANKEY JET CITY、Corneliusなどがシングル、アルバム共にヒットし、チャートを牽引した。
90年代後半には、GLAY、L'Arc〜en〜Cielが中高生を中心にブームになり、人気を二分した。また、X JAPANやLUNA SEAなどの影響で、「ヴィジュアル系」と呼ばれるバンドが増えたのもこの時期で、特にSHAZNA、MALICE MIZER、La'cryma Christi、FANATIC◇CRISISの4組はヴィジュアル系四天王と呼ばれていた。
ヴィジュアル系や渋谷系に対し、1994年、はっぴいえんどを彷彿させるサニーデイ・サービスがメジャーデビュー。1996年、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTがメジャーデビュー。90年代後半に日本のオルタナティヴ・ロックブーム、ロック・フェスティバルの勃興の中で人気を博した。
1997年、SUPERCARがシングル「cream soda」でメジャーデビュー。同時期にデビューしたナンバーガール、中村一義、くるりらとともに「'97の世代」と呼ばれ、後続のバンドに大きな影響を与えた。1998年には同じく影響力を持つゆらゆら帝国もメジャーデビュー。
Hi-STANDARDを中心としたメロコアブームが起こったのもこの時期で、多くのメロコア、スカコアバンドが生まれ、これらのバンドはHi-STANDARDが企画したロック・フェスティバルから「AIR JAM世代」と呼ばれた。
第四次バンドブーム
00年代になると、CDの売上が低下傾向になっていく。
ポルノグラフィティが2000年に「サウダージ」、2001年に「アゲハ蝶」と出荷ベースにてミリオンヒットを出し、00年以降シングルCDで2作品ミリオンヒットを出した唯一のバンドとなる。
2001年、BUMP OF CHICKENの「天体観測」がロングヒット。翌年のアルバム「jupiter」、2004年の「ユグドラシル」で10代、20代を中心にブームとなる。
2002年から2003年にかけて、MONGOL800の「MESSAGE」と、ロードオブメジャーの「大切なもの」が大ヒット。これをきっかけに、青春パンクブームが起こり、MONGOL800、ロードオブメジャー、ガガガSP、175R、FLOWなどがヒットした。 この時期は、ファン層が中学生や高校生といった10代が中心であり、ブームが去るのも早かったが、彼らによる次世代のバンドブームの礎にもなった。
2004年から2005年にかけて、ORANGE RANGEが大ヒットした。10代、20代を中心に大ブームとなり、ブームの最盛期に発売された「musiQ」は、250万枚以上の売上を記録した。
ヴィジュアル系では、the GazettE、ナイトメア、Alice Nine、シドなどがヒットし、これらのバンドはこれまでのヴィジュアル系とは区別され、ネオヴィジュアル系と呼ばれるようになった。
また、フジロック、ライジング・サン、サマーソニック、ROCK IN JAPAN、COUNTDOWN JAPANなど、現在も続く大型ロックフェスティバルが全国各地で開催されたことで、多くのバンドやミュージシャンが出演し、若者を中心に人気を集めた。
第五次バンドブーム
2010年代に入ると、AKB48、嵐などのアイドルグループがシングルチャートを席巻した。 また、Perfume、ももいろクローバーZ、でんぱ組.incなど、他にも多くの女性アイドルグループが次々とデビューし、アイドルブーム全盛を迎えた。
そんな中、チャットモンチーやSCANDALなどの影響で赤い公園、 ねごと、 FLiP、 LoVendoЯ、 SHISHAMO、 tricot、 Silent Siren、 Cyntiaなど多くのガールズバンドが台頭し、ガールズバンドブームの再来といわれた。
アニメ界でも、「けいおん!」のヒットによりガールズバンドを組む学生が増えた。
アルバムではSEKAI NO OWARI、ONE OK ROCK、back number、[Alexandros]、KANA-BOON、MAN WITH A MISSION、ゲスの極み乙女。、WANIMAなどがヒットし(そのうち SEKAI NO OWARI、ゲスの極み乙女。、WANIMAはNHK紅白歌合戦に出場)、2000年代から続くフェス人気もあり、一部のメディアではバンド戦国時代ともいわれた。
また、スマホの普及により、YouTubeや、Twitterなどで、多くのバンドが口コミで広がり、中高生を中心にバンドブームが再燃している。