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イギリスの国際関係

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イギリスと世界の国々との外交関係
  イギリス
  イギリスと国交のある国
  イギリスと国交のない国

イギリスの国際関係(いぎりすのこくさいかんけい)では、イギリスと主要な国家国際機関との関係について述べる。

概要

イギリスの国際関係はイギリスの外務・英連邦省の執る外交政策により、構築、調整、維持される。イギリスはかつて19世紀から20世紀初頭にかけて、世界随一の大国であった[2]。歴史を通じて大英帝国を介して他の国々に大きな影響を与えており、1950年代までは超大国と見なされていた。しかし、二度の世界大戦にかかる代償および脱植民地化の過程を経て、イギリスの影響力は衰退した。それにもかかわらず、イギリスは依然大国として国連安全保障理事会常任理事国欧州連合加盟国、およびG7G8G20NATOOECDWTO欧州連合理事会OSCEの創設以来の加盟国であるとともに、大英帝国の名残であるイギリス連邦の宗主国でもある。

歴史

en:Timeline of British diplomatic historyも参照されたい。

欧州大陸を制圧する国が存在しなかった為、1600年以来、イギリスの外交関係は各国の勢力の均衡を維持することに重点が置かれた。百年戦争からナポレオン (1337-1815) が敗北するまでの間、第一の敵国は強力な軍事力を持つフランスだった。アメリカの愛国者たちの勝利に終わったアメリカ独立戦争 (1775–1783) を除いては、イギリスは総じて多くの戦いで勝利を収めた。外交戦略の尽力により、プロイセンのような大陸側の同盟国軍(七年戦争)を援護した。イギリスの国防は海軍に大きく依存しており、世界中に基地を保有して最強の艦隊を海上に配備するよう努めていた。イギリスはかなりの広範囲に及ぶ世界規模の大英帝国を建国し、1920年代から1940年代にかけて勢力範囲や富裕さの点で絶頂期を迎えた後は衰退し始め、1970年代にはほぼ跡形もなくなった[3]。1900年以後、イギリスは従来の"栄光ある孤立"の姿勢に終止符を打ち、アメリカと友好的な関係を築くようになり、日本との間には軍事同盟(1902年 日英同盟)を締結した。さらに、フランス (1904年 英仏協商) およびロシア (1907年 英露協商) との間で相互に三国協商を形成して反ドイツの協調関係を築き、第一次世界大戦 (1914-1918) に参戦した。1940年以降、イギリスはアメリカと軍事的な関係を深め、さらには旧来の敵対国であるフランスやドイツと共に、軍事同盟であるNATOへ加盟する。長年にわたる議論(そして挫折)の結果、イギリスは1972年に欧州経済共同体 (ECC) へ加盟した。後にこれは欧州連合 (EU) へと発展した[4]。その一方で、金融上はEUと統合せず、自国の通貨であるポンドを保持し続け、ユーロからは距離を置いている。この為、2011年の欧州債務危機からはある程度隔離されている。

1945年以降の主な国家間対立および紛争

領土を巡る紛争

各国との関係

イギリス連邦諸国およびアイルランド

アメリカ合衆国

ホワイトハウスの南庭で会話する米国大統領バラク・オバマと英国首相デービッド・キャメロン (2010年7月20日)

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国: イギリスはアメリカと親密な軍事同盟国である。軍事研究や諜報機関のみならず、文化的にも両国は類似性を共有する。イギリスはアメリカから巡航ミサイルトマホークや、核ミサイルトライデントのような軍事技術を購入している。一方のアメリカもイギリスから軍事装備を購入している(例:垂直離着陸戦闘機ハリアー)ほか、大規模な軍事部隊をイギリス内の基地に常駐させている。1990年代後半から2000年代にかけてのトニー・ブレアビル・クリントンおよび後任のジョージ・W・ブッシュや1980年代のマーガレット・サッチャーロナルド・レーガンの例のように、近年はイギリスの首相アメリカ大統領は親密な友人であることがしばしばである。現在のイギリス(ブラウン政権時)の外交姿勢において、アメリカとの関係はイギリスの「最も重要な二国間関係」を象徴するものだとしている[16]

ヨーロッパ

中東および北アフリカ

中南米

メキシコ

メキシコの旗 メキシコ: イギリスは欧州で最初にメキシコの独立を承認した国である[17]。二国間の関係は、フランスとメキシコの間に起こった菓子戦争において、イギリスがメキシコを支援したことに始まる。また、太平洋戦争において、メキシコがイギリス側の連合国軍に参入して日本と戦ったことで、この関係はより強固なものとなった。2012年現在、メキシコはロンドンに大使館を設置しており、一方のイギリスもメキシコシティに大使館、モンテレーに領事館を置いている。

アルゼンチン

アルゼンチンの旗 アルゼンチン: フォークランド紛争を前に、イギリスとアルゼンチンの国交は断絶した。両国が正式に外交関係を回復したのはマーガレット・サッチャー首相を退任するに至った1990年のことである。しかし、両国は引き続きフォークランド諸島について互いに自国の領有権を主張している。

チリ

 チリ: イギリスはチリの歴史において重要な位置を占めた。イギリスのトマス・コクラン提督はチリ海軍の初代司令官を務め、チリの独立戦争を戦った。また、イギリスはかつてチリおよび南米全域において投資と外交の面で大きな影響力を持っていたが、後に大英帝国の崩壊と共に急速に弱まった。イギリス人の入植者および投資者の重要性はコキンボ市の紋章に英国旗が描かれていることからも伺える。

チリはフォークランド紛争中、イギリスに少なからぬ支援をした。これは自国がビーグル水道を挟んでアルゼンチンと国境を接しており、アルゼンチンとの間に戦争が発生する潜在的なリスクがあった為である。

アジア

日本

日本の旗 日本: 両国が最初に接触したのは1600年のことで、イギリス人航海士のウィリアム・アダムス(三浦按針)が豊後国(現在の大分県臼杵の海岸に漂着した。その後、江戸幕府が鎖国政策を執った時代(1641年から1853年)は交流がなかったが、1854年に日英約定が締結され、正式に外交関係が成立した。第二次世界大戦では日本とイギリスは敵対関係にあったにもかかわらず、今日まで非常に強固な関係を保っている。

中国

中華人民共和国の旗 中国: 東西冷戦時代には対立していたが、それ以前の第二次世界大戦では両国は同盟関係にあった。さらに、国連においては共に安全保障理事会常任理事国である。だが、アヘン戦争第二次アヘン戦争および冷戦で対立していたことや、香港の地位やその他の問題を原因として、中英関係は歴史的に複雑な様相を呈する一面もある。しかし、その他の場面では関係は良好である。

国際機関

イギリスは以下の国際機関に加盟している[18] (アルファベット順):

関連項目

脚注

  1. ^ 英国・公的機関改革の最近の動向”. 内閣官房. 2020年7月2日閲覧。
  2. ^ Ferguson, Niall (2004). Empire, The rise and demise of the British world order and the lessons for global power. Basic Books. ISBN 0465023282 
  3. ^ Lawrence James, The Rise and Fall of the British Empire (2001)
  4. ^ Andrew Marr, A History of Modern Britain (2009)
  5. ^ “The Berlin blockade: Moscow draws the iron curtain”. BBC News. (1998年4月1日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/special_report/1998/03/98/berlin/72088.stm 2010年5月2日閲覧。 
  6. ^ “1973: Super tug to defend fishing fleet”. BBC News. (1973年1月19日). http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/january/19/newsid_2530000/2530223.stm 2010年5月2日閲覧。 
  7. ^ John Campbell, Margaret Thatcher: Volume 2: The Iron Lady (2003) pp 273-9
  8. ^ “1988: Jumbo jet crashes onto Lockerbie”. BBC News. (1988年12月21日). http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/december/21/newsid_2539000/2539447.stm 2010年5月2日閲覧。 
  9. ^ “1991: 'Mother of all Battles' begins”. BBC News. (1991年1月17日). http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/january/17/newsid_2530000/2530375.stm 2010年5月2日閲覧。 
  10. ^ John Campbell, Margaret Thatcher: Volume 2: The Iron Lady (2003) p 315-7
  11. ^ Taylor, Ros (2008年3月20日). “Anglo-Russian relations”. The Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/uk/2007/jul/19/russia.world 2010年5月2日閲覧。 
  12. ^ “Gibraltar profile”. BBC News. (2010年3月23日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/country_profiles/3851047.stm 2010年5月2日閲覧。 
  13. ^ The battle for the Chagos archipelago: Mauritius is preparing to go to the International Court of Justice to re-claim its sovereignty over the Chagos archipelago. Nasseem Ackb...
  14. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「autogenerated1」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  15. ^ Bowcott, Owen (2007年10月19日). “Argentina ready to challenge Britain's Antarctic claims”. The Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/environment/2007/oct/19/climatechange.fossilfuels 2010年5月2日閲覧。 
  16. ^ Ties that bind: Bush, Brown and a different relationship”. FT. 2008年12月22日閲覧。
  17. ^ State Banquet at Buckingham Palace, Mexican State Visit, 30 March 2009”. Official web site of the British Monarchy. 2009年4月8日閲覧。
  18. ^ CIA World Factbook - United Kingdom”. Central Intelligence Agency. 2011年3月10日閲覧。

外部リンク