Portal:航空/特集記事

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一覧[編集]

事故機の残骸を調査する事故調査官。
アメリカン航空191便墜落事故とは、1979年5月25日アメリカン航空が運航するDC-10型機シカゴ・オヘア国際空港を離陸した直後に墜落した航空事故である。事故のきっかけは、離陸のための機首上げ操作中に左主翼下の第1エンジンとパイロンが機体から脱落したことであった。エンジンとパイロンが機体から分離した原因は、航空会社の不適切な整備手順であることが判明した。搭乗者全員の271人と地上で巻き込まれた2人が死亡した……

ジャマイカ湾で回収された事故機の垂直尾翼。
アメリカン航空587便墜落事故は、2001年11月12日アメリカン航空エアバスA300-600型機がジョン・F・ケネディ国際空港を離陸直後に墜落した航空事故である。同機は上昇中に前方を飛行するボーイング747後方乱気流に遭遇した。その際に副操縦士方向舵を過剰に操作したことで、垂直尾翼に想定を超える荷重がかかり機体から分離した。操縦不能に陥った事故機は住宅地に墜落し、爆発炎上した。搭乗者260人全員と、地上で巻き込まれた5人が死亡した……

イラン航空のA300B2-203
エアバスA300 (Airbus A300) は、エアバス・インダストリーが開発・製造したジェット旅客機である。世界初の双発ワイドボディ機であり、エアバス社設立のきっかけとなった。機種名のA300は、エアバスのAと初期構想の座席数300席にちなむ。A300は2つの世代に分けられ第1世代はA300B、次世代型はA300-600と呼ばれる。第1世代は1974年に初就航し、A300-600は1984年より就航した……

反対同盟員が使用していたヘルメット、武具など
三里塚闘争は、千葉県成田市農村地区名称である三里塚とその近辺で継続している成田市・芝山町の地元住民及び新左翼活動家らによる新東京国際空港(成田国際空港)の建設・存続に反対する闘争。成田闘争とも呼ばれる。地元住民らが革新政党指導の下で「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成し、反対運動を行った。その後新左翼党派と合同したことで過激化した。激しい反対運動となり開港が大幅に遅れただけでなく、双方に死者を出す惨事となった……

サウスウエスト航空の機材
サウスウエスト航空 (英語: Southwest Airlines) は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス市を本拠地としている格安航空会社である。1971年に運航を開始し、自力での路線拡大と買収により全米に路線網を持つ大手航空会社となった。人件費以外のコスト削減等が図られ、収益率は他社より高い。経営方針の1つとして「社員第一、顧客第二」を掲げており、独特の企業文化を作り上げている……

D.B.クーパー事件 (: D. B. Cooper) は、1971年11月24日水曜日の午後、オレゴン州ポートランドからワシントン州シアトルへ向かっていたボーイング727太平洋岸北西部ハイジャックされた事件である。犯人は身元不明の男性で、身代金20万ドルを強奪後パラシュートで降下して飛行機を脱出した。その後は知られておらず、商業航空産業史上で唯一未解決のハイジャック事件である……

空襲後の市街地。この写真は市内西部の石原地区を写したもので、右上から左下を通る道路は中山道。
熊谷空襲は、太平洋戦争末期の1945年昭和20年)8月15日0時23分から1時39分にかけてアメリカ軍により行われた埼玉県熊谷市に対する空襲である。太平洋戦争最後の空襲かつ埼玉県内における最大規模の空襲であり、熊谷市は県内では唯一の戦災都市に指定された。「熊谷爆撃」とする資料もある……

着陸直前に撮影された事故機の写真(赤色で示された部分が損傷個所)
ユナイテッド航空232便不時着事故は、1989年7月19日マクドネル・ダグラスDC-10型機が、アメリカ合衆国スー・ゲートウェイ空港に緊急着陸を試み大破した航空事故である。飛行中にエンジンが破損したことをきっかけに事故機は操縦翼面を操作できなくなった。エンジン推力の調整により空港まで辿り着いたものの着陸時に大破炎上し、乗客乗員296人のうち112人が死亡した。事故機の状況から半数以上が生存できたことは航空界を驚かせた……

レシプロ動力のみので飛行中のXB-42
XB-42 ミックスマスターは、アメリカ合衆国第二次世界大戦中にダグラス・エアクラフトによって開発が進められていた試作爆撃機である。空気抵抗を最小限にする為に主翼を改良し、推進式プロペラを機体後部に配置するなど、従来にない様々な革新的な試みを盛り込んでいた。しかし戦後ジェットエンジンが登場したため、制式採用されることはなく試作のみで終わった……

ボーイング747の右胴体主脚
降着装置とは、航空機の機体を地上で支持する機構で、そのうち特に着陸の際の衝撃などを受けられるものを指す。着陸装置ランディングギア (Landing gear)、アンダーキャリッジ (undercarriage)、着陸脚ともいう。通常は車輪緩衝装置から構成されるが、水上用にフロート、雪上用のスキー、艦載機ではアレスティング・フックヘリコプターではスキッドを備えることもある……

富山飛行場
富山飛行場は、かつて富山県婦負郡倉垣村(現:富山市)布目に存在した飛行場。倉垣飛行場とも通称する。県民の献金を元に県が建設し1933年に開港した。当初は民間の飛行場として定期航空路線が就航し、戦時には軍用としても用いられた。第二次世界大戦後の1946年に廃止となり、跡地は農地となった……

ヴァージン・アトランティック航空のA340-300
エアバスA340 (Airbus A340) は、エアバスが開発・製造した4発ジェット旅客機である。長距離路線向けに、エアバスが開発した最初の4発機。エアバスA300由来の胴体を持つ双通路機で、双発のエアバスA330と可能な限り設計が共通化された。4発機と双発機の同時開発は航空技術史上において希少な取り組みとなった。A340シリーズには1993年に初就航した第一世代と、航続距離と収容力を強化し2000年代に就航した第二世代がある……

英国海外航空のコメットMk.I
コメット連続墜落事故は、1953年から1954年にかけ、世界最初のジェット旅客機であるデ・ハビランド社製「コメット」Mk.Iに連続して発生した航空事故の総称である。事故調査の過程で、コメット機に内在した、当時の航空工学および金属工学の分野で未知の領域にあった重大な欠陥が解明された。この事故を契機に、フェイルセーフ思想が発展普及し、その後の航空機の安全性を向上させ、かつ航空事故の科学的検証手法の雛形が構築された……

ヘルマン・ゲーリングの横顔(1932年8月)
ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリングHermann Wilhelm Göring1893年1月12日1946年10月15日)は、ドイツ政治家軍人。軍における最終階級は全ドイツ軍で最高位の国家元帥第一次世界大戦エース・パイロットとして名声を得る。戦後国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党。航空相ドイツ空軍総司令官など要職を歴任した……

ブルーワンのボーイング717-200
ボーイング717 (Boeing 717) は、ボーイングが製造した、100席級のナローボディの双発ジェット旅客機である。当初はマクドネル・ダグラスによりMD-95として開発が進められていたが、同社がボーイングに吸収合併されたことでボーイング717の名称が与えられた。DC-9の発展型で、DC-9由来の胴体断面、低翼配置の主翼、T字型の尾翼を備える。1999年10月に初就航、総生産数は156機……

ドーリットル隊13番機が撮影した安浦地区の航空写真
横須賀空襲は、太平洋戦争の最中にアメリカ軍により行われた神奈川県横須賀市に対する空襲である。横須賀は横浜市のように市街地を焼き払う絨毯爆撃を受けることはなかったが、横須賀軍港などの日本海軍の施設が1942年にはドーリットル空襲を受け、1945年2月から8月にかけて艦載機による攻撃を受けた……

展示飛行中のT-4「ブルーインパルス」(2009年9月13日)
ブルーインパルスは、航空自衛隊に所属する曲技飛行隊(アクロバット飛行チーム)の愛称である。当初は部隊の中の1チームという位置づけで、1995年に正式に1部隊として独立した。正式部隊名は第4航空団飛行群第11飛行隊で、広報活動を主な任務とし、展示飛行を専門に行う部隊である。世界の曲技飛行隊の中でも、スモークを使用して空中に描画を行う、いわゆる「描きもの」が得意なチームである……

イラン航空のA300-600R
エアバスA300-600 (Airbus A300-600) は、エアバスが開発・製造した双発ジェット旅客機である。エアバスA300の発展型として開発され、アビオニクス等に開発当時の最新技術が導入された。構成品の一部はエアバスA310と共通化され、操縦資格もA310と共通となった。旅客型、貨物専用型、そして大型貨物輸送用のA300-600STが開発・生産された。A300-600シリーズ全体の生産数は317機……

事故機と同型機のDHC-5 バッファロー
ガボン航空惨事は、1993年4月27日サッカーザンビア代表の選手らを乗せたザンビア空軍英語版輸送機ガボンの首都リーブルヴィルの空港を離陸直後に大西洋上に墜落した航空事故である。この事故により乗客と乗員あわせて30人全員が死亡した。犠牲者中にはザンビアのサッカー協会会長やオリンピック代表サッカー選手ら20名以上が含まれる……

イエメニアのA310-300
エアバスA310 (Airbus A310) はエアバスが開発・製造した中型の双発ジェット機である。エアバスA300の胴体を短縮して座席数を200席強とした旅客機として開発され、ボーイング機と直接的に競合した初めてのエアバス機となった。システムのデジタル化や自動化を進めつつ、グラスコックピットを導入し、操縦士2人だけで運航可能なワイドボディ機の先駆けとなった。旅客型と貨物型のほか多目的輸送機・空中給油機エアバス A310 MRTT)がある……

墜落した機体と同型のB-52G
チューレ空軍基地米軍機墜落事故は、1968年1月21日に、アメリカ空軍B-52爆撃機が起こした事故である。4発の水爆を搭載してバフィン湾上空を飛行していたB-52で火災が発生し、クルーは緊急着陸する間もなく脱出を余儀なくされた。乗員のうち1名が脱出できずに死亡した。機体はグリーンランドチューレ空軍基地付近、ノーススター湾に墜落、核弾頭が破裂・飛散し、大規模な放射能汚染を引き起こした……

エールフランスのA318
エアバスA318Airbus A318)は、エアバス社が開発・販売した単通路(ナローボディ)の双発ジェット旅客機である。標準座席数は約100席で、エアバスA320ファミリーを構成する最小モデル。エアバス社が自社開発した旅客機では最も小さいサイズであり、ベビーバス (Baby Bus) やミニバス (Minibus) とも呼ばれる。ずんぐりとした外観を持つ。プライベートジェット仕様の「A318エリート」も開発された……

墜落現場に残された事故機(DC-10型機)の残骸 (2004年撮影)
ニュージーランド航空901便エレバス山墜落事故は、1979年11月28日に観光飛行中だったニュージーランド航空マクドネル・ダグラスDC-10南極大陸エレバス山に墜落した航空事故。南極で起きた最初の民間航空機事故であり、搭乗者257人全員が死亡した。事故原因を巡り、ニュージーランド運輸省の事故調査委員会のほか、王立調査委員会による調査が行われた……

スカンジナビア航空のA319
エアバスA319Airbus A319)はエアバス社が開発・製造している双発ジェット旅客機である。単通路機エアバスA320ファミリーの1つであり、A320の短胴型である。A319は2世代に分けられ、第一世代はA319ceo、エンジンを刷新した次世代型はA319neoと呼ばれる。標準座席数はA319ceoが110から140席、A319neoが120から150席。A319をベースとしたビジネスジェット機「AJC319」も開発された……

「振武寮」と呼ばれた福岡女学校の寄宿舎の全景
振武寮とは、現在の福岡県福岡市中央区にあった大日本帝国陸軍第6航空軍司令部内におかれ、生還した特攻隊員を次の出撃まで収容していたとされる施設。軍司令部のあった福岡高等女学校から道路を挟んだ、福岡女学校寄宿舎を接収して設置された。帝国陸軍の公式記録には振武寮に関する記述が一切ない。戦後、長らく知られてこなかったが、1993年以降にその存在が明らかにされた……

アメリカン航空のエアバスA321
エアバスA321Airbus A321)は、エアバス社が開発・製造しているナローボディ|単通路の双発ジェット旅客機である。エアバスA320の長胴型。A321の第一世代はA321ceo、エンジンを刷新した次世代型はA321neoと呼ばれる。A321neoの派生型として、単通路機として世界最長の航続距離性能を持つA321LRが開発され、さらに航続力を強化したA321XLRの開発も決定している……

大正末頃、運送艦(給油)時代の神威。後部の四角い枠状の構造物は燃料用石炭の揚搭設備
神威は、日本海軍の運送艦(給油艦)、のち水上機母艦。艦名は北海道後志国積丹半島の「神威岬」による。アメリカ合衆国で建造、太平洋戦争前における、日本海軍最後の海外発注艦となった。1922年に竣工し給油艦として任務に従事した。1932年から1933年にかけて水上機母艦に改装、1939年には飛行艇母艦へ改装され太平洋や東南アジアで航空隊移動や補給任務などに従事した……

ノースウェスト航空のボーイング757-200
ボーイング757Boeing 757)は、ボーイングが開発・製造した中型の双発ジェット旅客機である。ボーイング727の後継機として短・中距離路線向けに開発された。ボーイングが開発したナローボディ機の最大で、座席数は200から289席。2人乗務のグラスコックピットを備え、空力抵抗を抑制できるスーパークリティカル翼型が採用された。開発は双発ワイドボディ機ボーイング767と同時並行で行われ、両機でシステム及び操縦資格の共通化が図られた……

空襲を受ける日本の重巡洋艦筑摩(1943年11月5日)
ラバウル空襲は、第二次世界大戦中にラバウル日本軍連合国軍との戦闘で行われた空襲。1942年のラバウル攻略時に日本軍が実施した空襲をはじめ、1943年に連合国軍がブーゲンビル島の戦いの援護を目的として実施した大規模な空襲などがある。ラバウルはビスマルク諸島ニューブリテン島の北東に位置するオーストラリア軍が設営した大規模な飛行場と良好な泊地であった……

デルタ航空のMD-90
マクドネル・ダグラス MD-90 (McDonnell Douglas MD-90) は、マクドネル・ダグラスが開発・製造した、小型双発ジェット旅客機である。DC-9の発展型であるMD-80をベースに次世代化したナローボディ機で、新型エンジンの採用により低騒音・低排気ガスを実現した。低翼配置の後退翼にリア・マウントのエンジン、T字尾翼という特徴がDC-9から引き継がれている。1995年4月に初就航。総生産数は116機……

ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ
ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒReinhard Tristan Eugen Heydrich, 1904年3月7日 - 1942年6月4日)は、ドイツ政治家、軍人。最終階級は親衛隊大将および警察大将国家保安本部(RSHA)の事実上の初代長官。ドイツの政治警察権力を一手に掌握し、ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊の実力者となった。ユダヤ人問題の最終的解決計画の実質的な推進者。その冷酷さから「金髪の野獣」と渾名された……

航空ショーで展示飛行をするベルーガ(2014年)
エアバス ベルーガ (Airbus Beluga) は、エアバスが自社で生産する航空機のコンポーネントを空輸するために開発・製造した貨物機エアバスA300-600Rをベースに開発され、型式名はA300-600ST (Super Transporter) 。胴体上半分に巨大な貨物室を備え、コックピットが胴体下側に移設されている。シロイルカに似た独特な外見であることから、シロイルカの別名である「ベルーガ」の愛称を持つ……

アメリカ軍に撮影された空襲により炎上中の富山市
富山大空襲は、1945年8月1日から8月2日にかけてアメリカ軍富山県富山市に対して行った空襲である。軍需工場ではなく市街地に対して空襲が行われ、広島、長崎への原子爆弾投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかった。戦争末期、アメリカ軍は1940年に実施された第5回国勢調査の都市別人口調査結果を参考として基本的に人口が多い商工業都市を空襲目標として、空襲目標の180の中小都市を選定している……

ターキッシュ エアラインズのエアバスA330-300
エアバスA330 (Airbus A330) はエアバス社が開発・製造している、ワイドボディの双発ジェット旅客機である。中短距離路線向けの旅客機として開発されたが、後に航続力を強化した派生型も追加された。A330ではフライ・バイ・ワイヤシステムやグラスコックピットが導入され、操縦系統が共通化されたエアバス機との間で相互乗員資格が認められている。エンジンを刷新したエアバスA330neoも開発されている……

中島飛行機半田製作所全体計画図(滑走路・工場等を重ね合わせ)
中島飛行機半田製作所は、かつて愛知県半田市にあった航空機メーカーである。職住一体となった全体計画では、現在の半田市官庁街と旧亀崎町の大部分を占めるものであり、ひとつの地方自治体並みの規模を有するものであった。中島飛行機は、太平洋戦争直前の1941年には、太田小泉武蔵野・多摩の各製作所と太田飛行場を持つ我が国屈指の航空機メーカーとなっていた。戦時体制の中、特に海軍からは航空機の大増産が要請されることになった……

Fw 190A-7 (1944年撮影)
Fw 190 ヴュルガーFocke-Wulf Fw 190 Würger )は、第二次世界大戦時のドイツ空軍戦闘機である。この機体はメッサーシュミット社のBf 109とともにドイツ航空戦力の主力を担った。初期型が強力な空冷エンジンを搭載した主力戦闘機として優れた飛行性能を見せたほか、戦闘爆撃機型や対爆撃機型、高速偵察機型など派生型が生産された。後に液冷エンジンに換装したFw 190 D-9型や、Ta 152が開発された……

新東京国際空港計画案(当初)
成田空港問題の年表は、三里塚闘争をはじめとする、成田国際空港(旧・新東京国際空港)に係る諸問題に関連する出来事を時系列順に述べるものである。1971年、十余三地区で中沢彦吉と小野善助(小野組)の開墾会社による入植が始まる。1875年、宮内庁下総御料牧場の前身となる、下総牧羊場と取香種畜場を大久保利通内務卿が開場。1923年1月、東西定期航空会が陸上機による定期航空便を開設。1923年9月1日長岡外史が羽田飛行場の建設を提唱……

オーストリアン・アローズのCRJ200
ボンバルディア CRJ(Bombardier CRJ)は、カナダボンバルディア・エアロスペース社が製造・販売している双発ジェット旅客機の製品群であり、CRJファミリーあるいはCRJシリーズとも呼ばれる。CRJファミリーを構成する主要モデルは、胴体長が短い順に CRJ100/200CRJ700CRJ900CRJ1000 の4機種で、座席数は50から100席程度。小需要・短距離の地域航空路線向けに開発されたリージョナルジェットである……

田中舘愛橘
田中舘 愛橘1856年10月16日 - 1952年5月21日)は、日本の地球物理学者。東京帝国大学名誉教授帝国学士院会員、文化勲章受章者。日本で初となる風洞を作成したほか、臨時軍用気球研究会の委員を務め、東京帝国大学航空研究所の設置にも尽力した。安政3年、陸奥国二戸郡福岡(現在の岩手県二戸市)の南部藩士の父・稲蔵(とうぞう)と呑香稲荷神社の娘である母・喜勢(きせ・旧姓 小保内)の長男として生まれた……

飛行第5戦隊所属の五式戦一型(キ100-I)
五式戦闘機第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍戦闘機である。キ番号(試作名称)はキ100。略称・呼称は五式戦。他陸軍機に用いられた公式愛称、また本機固有の連合軍コードネームも存在しない。開発・製造は川崎航空機。エンジンの供給不足に陥り機体のみが余っていた三式戦闘機に急遽空冷エンジンハ112IIを搭載し戦力化した。

飛行中のZMC-2を左から見る
ZMC-2は、金属製の船体を有する全金属飛行船である。アメリカ海軍が運用した。アメリカのグロッセ・アイル海軍航空基地で1928年に建造が始まり、1929年に初飛行した。ZMC-2の船体は、流線型で前方が太く船尾側が細長いティアドロップ(涙滴)形で、外壁にはアルクラッド材が用いられた。全長約45.5メートル、総体積約5,726立方メートル。実験や実証用途で12年間運用され、1941年に解体された。世界唯一の実用的な全金属飛行船だった。