神威岬

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神威岬。先端は神威岬灯台と神威岩。

神威岬(かむいみさき)は、北海道積丹郡積丹町大字神威岬にある積丹半島北西部から日本海に突き出している。ニセコ積丹小樽海岸国定公園に属している。

概要[編集]

積丹半島にある岬。岬の付け根にある駐車場から先端部までは尾根沿いに整備された「チャレンカの道」と名付けられた遊歩道(770m 強風時は立入禁止)が整備され徒歩20分から30分ほど。遊歩道の高台からは左手の行く手方向に起伏に富みダイナミックな景観を造る神威岬の景観が、右手には「水無しの立岩」が望める[1]。先端部は岩山がそのまま海へ落ち込んでいく断崖絶壁になっており、沖には神威岩という岩礁がある。遊歩道最先端付近からは周囲300度が見渡せ、水平線が丸みを帯びて見える[2]。積丹半島は、北海道で唯一の海中公園に指定されているが、その海の青さは「シャコタンブルー」と表現されることもある[3]

アクセス[編集]

バスによるアクセスは、4月下旬から10月下旬のみ可能。以下「バス」参照。

周囲の状況[編集]

岬の付け根にある駐車場から先端部までは尾根沿いに整備された遊歩道(強風時は立入禁止)で徒歩20分から30分ほど。先端部は岩山がそのまま海へ落ち込んでいくような状態になっており、沖には神威岩という岩礁がある。貴重な動植物の宝庫ともなっており、夏にはエゾカンゾウが咲き乱れ、冬期にはオオワシオジロワシも見られる。

語源[編集]

神威(カムイ)とはアイヌ語で「」を意味する。古くは御冠岬オカムイ岬(ともに「おかむいみさき」と読む)とも呼ばれた。

歴史[編集]

この付近は古くから海上交通の難所として知られていた。日高地方の首長の娘チャレンカが源義経を慕ってこの岬まで義経一行の後を追ってきたが、既に海の彼方へ去ったことを知って身を投げ、神威岩になったという言い伝えがある。チャレンカの嫉妬心が女を乗せた船を転覆させたことから、岬一帯が女人禁制の地になったとされる。もっとも現実は、和人が岬から奥地へ定住することで、ニシン漁を始めとした権益を損なうことを恐れた松前藩による規制と考えられている[4]1855年安政2年)に蝦夷地一帯が幕府直轄下におかれると女人禁制は解かれ、奥地への定住が進んでいった。

また、日露戦争時にはロシア艦隊の来襲に備えて監視所が設けられていた。

地震[編集]

1940年8月2日、沖合で積丹半島沖地震または神威岬沖地震と呼ばれる M7.5 の地震が発生した。

関連施設[編集]

女人禁制の門
遊歩道の入り口にある。現在は女性でも通ることができる。
神威岬灯台
1888年(明治21年)8月25日、北海道で5番目の灯台として初点灯。2度の建て替えを経て、現在は無人化されている。
電磁台(電波探知塔)
1942年(昭和17年)、太平洋戦争中に設置されたレーダーの跡。
念仏トンネル
神威岬近くのワクシリ岬にある全長60メートルのトンネル。1918年(大正7年)11月8日開通。現在は立入禁止となっているが、以前は神威岬に行くにはこのトンネルを通る必要があった。
1912年(大正元年)、灯台守の家族がワクシリ岬付近で荒波にさらわれ死亡するという事故が起きたのを契機に、1914年(大正3年)に着工した。両側から手掘りで掘り進むうちに食い違いが生じ、工事が中断したが、村人たちが念仏を唱えて鐘を打ち鳴らしたところ、その音で掘り進む方向が分かり工事が再開できたと言われている。このため、途中で2度折れ曲がっており、内部は真っ暗である。念仏を唱えながら通ると安全であると言い伝えられている。

ギャラリー[編集]

アクセス[編集]

バスによるアクセスは、4月下旬から10月下旬のみ可能。以下「バス」参照。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Shakotan Guide
  2. ^ 神威岬周辺マップ(株式会社ペニンシュラ)
  3. ^ 積丹観光案内
  4. ^ 吟醸百選2007-2008(佐藤水産パンフレットp34)

外部リンク[編集]