「アグネスデジタル」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Dwhura (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
編集の要約なし
(同じ利用者による、間の2版が非表示)
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2015年6月}}
{{競走馬
{{競走馬
|名 = アグネスデジタル
|名 = アグネスデジタル
15行目: 14行目:
|母 = Chancey Squaw
|母 = Chancey Squaw
|母父 = [[チーフズクラウン|Chief's Crown]]
|母父 = [[チーフズクラウン|Chief's Crown]]
|産 = Catesby W. Clay & Peter J. Callahan
|産 = ケイツビー W.クレイ<br />&amp;ペーター J.キャラハン
|国 = {{USA}}
|国 = {{USA}}
|主 = [[渡辺孝男 (馬主)|渡辺孝男]]
|主 = [[渡辺孝男 (馬主)|渡辺孝男]]
21行目: 20行目:
|助 = 白坂宗治
|助 = 白坂宗治
|厩 = 井上多実男
|厩 = 井上多実男
|績 = 32戦12勝<br />内訳<br />&nbsp;&nbsp;[[中央競馬]]21戦7勝<br />&nbsp;&nbsp;[[地方競馬]]8戦4勝<br />&nbsp;&nbsp;日本国外3戦1勝<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;(香港2戦1勝)<br />&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;(ドバイ1戦0勝)
|績 = 32戦12勝<br />内訳<br />[[中央競馬]]21戦7勝<br />[[地方競馬]]8戦4勝<br />日本国外3戦1勝
|金 = 948892700円([[(通貨)|円]]換算額)
|金 =730925000<br />1320万香港ドル<br />12万米ドル
|WTRR = T/M 116(2003年)
|WTRR = T/M 116(2003年)
|レ = IC|レ値 = T/M 117(2002年)<br />T/I 120(2001年)<br />D/M 117(2002年)
|レ = IC|レ値 = T/M 117(2002年)<br />T/I 120(2001年)<br />D/M 117(2002年)
}}
}}
'''アグネスデジタル'''([[1997年]][[5月15日]] - )は[[日本]]の[[競走馬]]、種牡馬。
'''アグネスデジタル'''([[英語]]表記:''Agnes Digital''、[[香港]]表記:愛麗數碼)とは[[日本]]の元[[競走馬]]である。[[アメリカ合衆国]]で生まれ、日本で調教された[[外国産馬]]である。芝・ダート、良馬場・道悪、国内・海外を問わず活躍をした。現在は、[[北海道]][[新冠郡]][[新冠町]]の[[ビッグレッドファーム]]において[[種牡馬]]として過ごしている。

アメリカ合衆国で生産、日本で調教された[[外国産馬]]として、1999年に[[中央競馬]]でデビュー。中央・[[地方競馬|地方]]・日本国外を転戦して芝・[[ダート]]を問わず活躍し、2000年から2003年にかけて[[マイルチャンピオンシップ]]、[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]、[[天皇賞(秋)]]、[[香港カップ]]、[[フェブラリーステークス]]、[[安田記念]]と[[競馬の競走格付け|GI競走]]で6勝を挙げた。日本に[[グレード制]]が導入された1984年以降、芝・ダートの双方でGI勝利を挙げた最初の馬であり、2001年から2002年にかけては国内外のGIで4連勝という記録を打ち立てた。2001年度[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬]]。通算32戦12勝。2004年より種牡馬となり、2014年の[[ジャパンダートダービー]]に優勝した[[カゼノコ]]などを輩出している。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
[[1997年]]に[[アメリカ合衆国]][[ケンタッキー州]]にあるラニモードファームで生まれたアグネスデジタルは、生後2週間の時に日本の調教師白井寿昭に見いだされて購入され、翌[[1998年]]秋に日本へ輸入された。しかし同馬は「60頭くらい見たなかで1番気に入った馬」と白井により高評価を下されていた一方で、現地関係者からは「なぜこんな馬にするんだ?」と言われたほど目立たない馬であったという<ref name="nikkan20001120">2000年11月20日日刊スポーツ</ref>。
1997年、[[アメリカ合衆国]][[ケンタッキー州]]のラニモードファーム生産。父[[クラフティプロスペクター]]はアメリカで7勝、G1競走[[ガルフストリームパークハンデキャップ]]で2着の成績をもち、種牡馬としてアメリカで数々の重賞勝利馬を出していたほか、日本でも[[ストーンステッパー]]などの活躍馬がいた<ref name="yushun0011" />。母チャンシースクウォーは北米で1勝という成績ながら、近親に種牡馬として日本に輸入されたベイラーン、フランスでG1競走3勝を挙げ、種牡馬としてイギリス・アイルランドの[[リーディングサイアー]]となった[[ブラッシンググルーム]]をもつ<ref name="yushun0011" />。両馬は本馬からみて大伯父にあたる<ref name="yushun0011" />。


アメリカ産の日本調教馬はセリ市で買われるか、日本人が現地生産したものが多いが、本馬は後の管理調教師・[[白井寿昭]]がもつ独自の情報網でリストアップされた1頭であり、白井と現地生産者との直接取引で購買された<ref name="yushun0203">『優駿』2002年3月号、pp.36-37</ref>。白井は60頭ほどの候補馬から3頭まで絞り込み、当初は別の[[シアトルスルー]]産駒の購買を希望していたが、値引きを持ちかけたところで相手が気分を害して破談となり、2番手候補だった本馬が買われたものだった<ref name="yushun0203" />。価格は日本円で約2800万円<ref name="yushun01121">『優駿』2001年12月号、pp.134-135</ref>ほどだったが、候補馬の中で最も小柄かつ細身の馬であり、現地関係者からは「なぜこんな馬にするんだ?」と言われたほど目立たない馬であったという<ref name="nikkan20001120">2000年11月20日日刊スポーツ</ref>。
競走馬としてのデビューは[[1999年]][[9月12日]][[阪神競馬場]]の新馬戦([[ダート]]1400[[メートル|m]])。このレースではマチカネランの2着に敗れたが、折り返しの2戦目で勝利を挙げる。3戦目で初めて[[芝]]のレースに出走したが8着に敗れると再びダートのレースに出走するようになり、鞍上が若手の[[福永祐一]]からベテランの[[的場均]]にスイッチした5戦目の[[日本の競馬の競走体系#競走条件区分|500万下条件戦]]で2勝目を挙げ、続く交流GIIの[[全日本2歳優駿|全日本3歳優駿]]も優勝し重賞制覇を成し遂げた。


1998年11月、北海道の日高大洋牧場で育成調教に入る。当初は胴が前後に詰まった短距離向きを思わせる体つきであったが、競走年齢の2歳に達し本格的な運動が始まったころから、すらりとした姿に変わっていった<ref name="yushun0011">『優駿』2000年11月号、p.139</ref>。体質は丈夫、性格も素直で大人しく、当初の予定より1カ月早く[[栗東トレーニングセンター]]の白井のもとへ送られた<ref name="yushun0011" />。
翌[[2000年]]、陣営は目標を芝の[[NHKマイルカップ]]とした。芝の重賞レースでも健闘はしたものの勝ちきれないレースが続き、NHKマイルカップで7着に敗れた後はダートのレースに続けて出走。[[6月]]に[[東海ダービー|名古屋優駿]]をレコードタイムで優勝。[[9月]]には[[ユニコーンステークス]]を優勝し、[[武蔵野ステークス]]でも2着に入った。武蔵野ステークスの後、アグネスデジタルの次走の候補には[[マイルチャンピオンシップ]]と[[ジャパンカップダート]]が挙がった。


=== 戦績 ===
調教師の白井は「春に芝で出走した感じでは大丈夫<ref name="nikkan20001120" />」とアグネスデジタルの芝への適性に見切りをつけておらず、「ジャパンカップダートは距離が100m長い<ref name="nikkan20001120" />」(当時2100m)との判断によりマイルチャンピオンシップへの出走を決定した。
==== 2(3)歳時(1999年) ====
9月に[[阪神競馬場|阪神開催]]の新馬戦でデビュー。[[ミスタープロスペクター]]系の馬が良績を挙げる[[ダート]]の短距離(1400メートル)戦で、スタートから逃げを打つも最終コーナーで勝ったマチカネランにかわされて7馬身差の2着<ref name="yushun0802">『優駿』2008年2月号、pp.52-59</ref>。続く2戦目・ダート1200メートル戦で2着に3馬身差をつけての初勝利を挙げた<ref name="yushun0802" />。このとき、騎手を務めた[[福永祐一]]は「これなら上に行っても楽しみだし、芝でも大丈夫な走りをしている」と感想を述べ、3戦目には芝の競走が選ばれた。しかし10頭立ての8着と敗れ、ここからしばらくダート路線を進むことになる<ref name="yushun0802" />。


ダートに戻っての4戦目を2着としたのち、5戦目からベテランの[[的場均]]が手綱をとる。的場は競走直前にはじめて跨った際、その線の細さに「こんなに弱々しい体で大丈夫なのか」と不安の念を抱いたが<ref name="matoba">的場(2003)pp.240-244</ref>、レースでは2着に7馬身差を付けて勝利。競走後には「まだ本物じゃない。よくなればどんな感じになるのか楽しみだよ」と感想を述べた<ref name="yushun0802" />。以後的場が騎手として固定され、12月には[[地方競馬|公営]]・[[川崎競馬場]]で行われる交流重賞・[[全日本2歳優駿|全日本3歳優駿]]に出走。単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持されると、第3コーナー先頭からゴールまで押し切って重賞初勝利を挙げた<ref name="yushun0802" />。
レースではそれまで経験したことのない速い[[時計 (競馬)|ペース]]についていくことができず後方を追走する形となったが直線に入ると鋭い伸びを見せて1番[[人気]]の[[ダイタクリーヴァ]]を差しきり優勝。1分32秒6というレコードタイムでGI初制覇を達成した<ref>なお、この勝利が鞍上の[[的場均]]にとって最後のGⅠ競走の勝利となった。</ref>。


==== 3(4)歳時(2000年) ====
マイルチャンピオンシップを制した後、陣営は次の目標を翌[[2001年]][[2月]]に行われる[[フェブラリーステークス]]とした。しかし[[京都金杯]]に出走した後で左前脚の球節を痛めたため、目標は[[6月]]の[[安田記念]]に切り替えられた。この間に主戦騎手だった的場が引退したため新たに[[四位洋文]]を鞍上に迎えた。しかし前哨戦の[[京王杯スプリングカップ]]と安田記念ではそれぞれ9着、11着に敗れた。安田記念の後は夏期休養がとられ、9月に復帰。[[日本テレビ盃]]、交流GIの[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]を連勝した。当初陣営はマイルチャンピオンシップ南部杯の後マイルチャンピオンシップに出走させる予定を立てていたが、調教師の白井はアグネスデジタルの収得賞金額が[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]への出走要件を満たしていることから急遽同レースへの出走を決定した<ref>2001年10月29日日刊スポーツ</ref>。同レースはJRAの国際化計画によって前年から[[外国産馬]]に一部開放されたばかりで、当時外国産馬は2頭までしか出走できなかった。レースでは連覇がかかっていた[[テイエムオペラオー]]をゴール直前で差し切って優勝。45年ぶりの外国産馬による優勝を達成した。
4歳となった2000年は2月のヒヤシンスステークスから復帰したが、ノボジャックの3着と敗れる。的場によれば未だ線の細さが解消されておらず、この競走の直線では一瞬フォームのバランスを崩し「壊れたか」と思ったほどであったという<ref name="matoba" />。


その後は、当時外国産馬の春の最大目標となっていた[[NHKマイルカップ]]を目指し、芝の競走に復帰<ref name="yushun0802" />。[[クリスタルカップ]]3着、前哨戦の[[ニュージーランドトロフィー|ニュージーランドトロフィー4歳ステークス]]も3着となり、陣営は芝でも勝負できるという感触を得<ref name="yushun0802" />、5月7日、NHKマイルカップに臨んだ。当日は4番人気の支持を受けたが、道中7番手の位置から最後の直線で伸びず、そのまま流れこむ形での7着となった<ref name="yushun0802" />。
天皇賞(秋)優勝後、陣営は[[香港国際競走]]への遠征を決定。出走レースには[[香港カップ]]が選ばれた。レースでは[[脚質#先行|先行]]策から直線で先頭に立って優勝した<ref>香港カップが行われる段階で[[ステイゴールド]]が[[香港ヴァーズ]]を、[[エイシンプレストン]]が[[香港マイル]]を優勝しており、陣営は大きなプレッシャーを感じていたという。</ref>。この年は中央競馬、地方競馬、海外で1つずつGI・G1競走を勝つ活躍を見せ、[[2001年]]の[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬]]に選出された。


のち再びダートに戻り、交流重賞・[[名古屋優駿]]に出走しレコードタイムで勝利<ref name="yushun0802" />。7月には[[大井競馬場|大井]]で行われる交流GI競走・[[ジャパンダートダービー]]に出走し、1番人気に支持される<ref name="yushun0802" />。レースでは最終コーナーまで4番手の位置を進んだが、最後の直線で失速し、15頭立ての14着と大敗を喫した<ref name="yushun0802" />。当時の的場の印象ではアグネスデジタルに2000メートルという距離は長すぎ、さらに厚く敷かれた大井のダートも堪え、直線を向いたときにはすでに体力が尽きた状態であった<ref name="matoba" />。競走後、2カ月の休養をとり、9月にやはりダートの[[ユニコーンステークス]]で復帰。新馬戦で敗れたマチカネランに2馬身半差を付けて勝利した<ref name="yushun0802" />。10月、古馬(4〈5〉歳以上馬)との初対戦となった[[武蔵野ステークス]]では2着となる<ref name="yushun0802" />。休養を経て、このころには従来の線の細さが解消されつつあった<ref name="matoba" />。
翌[[2002年]]、アグネスデジタルは[[2月]]の[[フェブラリーステークス]]を1番人気に応えて優勝し、GIの連勝記録を4と伸ばした。その後[[ドバイワールドカップ]]へ遠征。しかし経由地の香港で飛行機の乗り換えがスムーズに進まず、9時間にわたって輸送用[[コンテナ]]に入ったまま待たされる誤算が生じた。ドバイに到着したアグネスデジタルは満足な調教が行えないほど落ち込んでおり、ドバイワールドカップでは[[ストリートクライ]]から2.6秒離された6着と敗れた。レース後は日本へ帰国せず香港の[[沙田競馬場]]で行われた[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]に出走し、エイシンプレストンの2着に敗れた。


秋の最大目標について、陣営はダートのGI競走・[[ジャパンカップダート]]と、芝のGI競走・[[マイルチャンピオンシップ]]の二つの選択肢を設けた。白井はジャパンカップダートを重視し、馬主の[[渡辺孝男]]はどちらか決めかねていた。そこで意見を求められた的場は、「芝は問題ないと思います。距離的に2100メートルのダートはちょっと長いのではないでしょうか。マイルの方がいい」と返答し、マイルチャンピオンシップへ向かうことになった<ref name="matoba" />。11月20日に迎えたマイルチャンピオンシップは突出した実績馬がおらず、混戦模様といわれる中にあって、芝での実績に乏しいアグネスデジタルは13番人気の評価であった<ref name="yushun0802" />。白井から好調を聞かされていた的場は、楽に好位につけられると踏んでいたが、スタートが切られると流れについていけず、後方からのレース運びとなった<ref name="matoba" />。しかし直線に向いたところから追い出すと鋭く伸び、残り200メートルで15番手という位置から先団を一気に差しきり<ref name="matoba" />、1番人気の[[ダイタクリーヴァ]]に半馬身差をつけての優勝を果たした<ref name="yushun0802" />。走破タイム1分32秒6はコースレコード<ref name="yushun0012">『優駿』2000年12月号、pp.34-35</ref>。また、13番人気での勝利、その配当5570円は、いずれもレースレコードだった<ref name="yushun0012" />。白井は「思い通りに調整できたので、ひょっとしたらとは思っていた」と語り、的場は「装鞍所で出来はいいと聞いていましたし、今年のメンバーなら面白いと思っていました。特にマークする馬は決めず、この馬のペースを守ることを心がけましたが、最後の脚はすごかったですね。芝・ダートを問わないし、今後が楽しみです」と語った<ref name="yushun0802" />。なお、当時すでに翌春での騎手引退を示唆していた的場は、これが13勝目にして最後のGI制覇となった。
クイーンエリザベス2世カップ出走後アグネスデジタルは体調不良に陥り、長期間の休養を余儀なくされた。白井は目標を翌[[2003年]]6月の安田記念に定め、[[5月]]の[[かきつばた記念]](結果は4着)を経て出走させた。レースではレコードタイムで[[アドマイヤマックス]]以下を差しきり優勝し、GI6勝目を挙げた。その後は5戦して未勝利で、[[有馬記念]]を最後に引退、[[ビッグレッドファーム]]にて種牡馬入りした。

==== 4歳時(2001年) ====
翌2001年1月、年初の重賞・[[京都金杯]]では直線で追い込むもダイタクリーヴァに雪辱を許し3着となる<ref>『優駿』2001年3月号、p.121</ref>。その後は翌月のダートGI競走・フェブラリーステークスへ向かう予定だったが、右前脚に球節炎を発症し休養を余儀なくされる<ref name="yushun0802" />。5月に[[京王杯スプリングカップ]]で復帰するも9着、GI・安田記念では11着と敗れ、競走後に再び休養に入った<ref name="yushun0802" />。なお、的場が2月で引退しており、この春より新たな鞍上に[[四位洋文]]を迎えている。

9月、復帰戦のダート交流重賞・[[日本テレビ盃]]で勝利を挙げると、10月には盛岡で行われる交流GI・マイルチャンピオンシップ南部杯に臨んだ。前年の[[JRA賞最優秀ダートホース|最優秀ダートホース]]である[[ウイングアロー]]、当年のフェブラリーステークスを制した[[ノボトゥルー]]を抑えて1番人気の支持を受けると、最後の直線では地元馬[[トーホウエンペラー]]との競り合いを制して優勝<ref name="yushun0111">『優駿』2001年11月号、p.119</ref>。1984年にグレード制が導入されて以来初となる芝・ダート双方でのGI制覇を果たした<ref name="yushun0111" />。

当初陣営は南部杯のあと前年度優勝したマイルチャンピオンシップへ出走させる予定を立てていたが、アグネスデジタルの収得賞金額が[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]への出走要件を満たしていることから、白井は急遽同競走への出走を決定した<ref>『日刊スポーツ』2001年10月29日</ref>。天皇賞は日本中央競馬会の国際化計画に基づき、前年より[[外国産馬]]にも2頭の出走枠が設けられたばかりだった<ref>『優駿』2000年1月号、p.46</ref>。競走1カ月前に天皇賞出走と目されていた外国産馬は、[[宝塚記念]]優勝の5歳馬[[メイショウドトウ]]と[[NHKマイルカップ]]優勝の3歳馬[[クロフネ]]であった<ref name="yushun01122">『優駿』2001年12月号、pp.12-15</ref>。2頭のうち、クロフネは特に注目されていた。前年春以来、芝の中・長距離戦線では[[テイエムオペラオー]]とメイショウドトウが6度にわたって1、2着を占めており、ファンの間にも倦怠感が漂いつつあるなかで、そうした状況を打破する新勢力として期待されていたのである<ref name="yushun01122" />。しかし獲得賞金で上回るアグネスデジタルの出走によりクロフネは天皇賞から除外され、一部ファンからはアグネスデジタル陣営に対して「どうせ勝てないくせに、クロフネの邪魔をするな」という旨の非難の声も上がった<ref name="meiba">『名馬物語2001~2010』pp.119-123</ref>。

当日、アグネスデジタルは4番人気に支持されたが、オッズは上位で一桁台のテイエムオペラオー、メイショウドトウ、ステイゴールドからは大きく離れた20倍であった<ref name="yushun01122" />。午前中の降雨により馬場状態は[[馬場状態|重馬場]]となり<ref name="yushun01122" />、前座の各競走では馬場の内側を通った馬が伸びあぐねる様子が続いていた<ref name="meiba" />。白井は四位に対して「馬場の良いところを走らせるように<ref name="yushun0802" />」、「4コーナーを回ったら、観客席に向かって走れ<ref name="meiba" />」という指示を与えた。スタートが切られると、[[脚質#逃げ|逃げ馬]]の[[サイレントハンター]]が出遅れ、レースを引っ張る馬がいなくなったことで前半1000メートル通過は62秒2と、重馬場を考慮しても遅いペースとなった<ref name="yushun01122" />。多くの馬がこのペースに焦れて騎手との呼吸を欠いていくなか、10番手前後を進んだアグネスデジタルは落ち着いた状態でレースを運んだ<ref name="yushun01122" />。最後の直線ではメイショウドトウをかわしたテイエムオペラオーが抜け出したが、大外を追い込んだアグネスデジタルがゴール前で一気に差し切り、同馬に1馬身差を付けて優勝を果たした<ref name="yushun01122" />。

外国産馬による天皇賞制覇は、出走可能であった1956年秋に優勝した[[ミッドファーム]]以来、45年ぶりの出来事であった<ref>『優駿』2001年12月号、p.147</ref>。馬主の渡辺はインタビューにおいて「周りから心ないことをいろいろ言われましたが、言った人たちは恥をかいたんじゃないでしょうか」と述べた<ref name="yushun01121" />。他方、このときは未だ「馬場状態や展開の利があった」と、その勝利をフロック視する見方もあった<ref name="yushun0802" />。

この後、陣営は連覇が懸かるマイルチャンピオンシップを飛ばし、12月に香港で行われる[[香港国際競走]]のメインレース・[[香港カップ]]への出走を選択。当年の香港国際競走には4つのG1競走へ6頭の日本馬が参戦し、[[香港ヴァーズ]]を[[ステイゴールド]]が、[[香港マイル]]を[[エイシンプレストン]]が制した<ref name="yushun0202">『優駿』2002年2月号、pp.27-33</ref>。そして迎えた香港カップにおいてアグネスデジタルはG1競走2勝のトブーグ([[アラブ首長国連邦|UAE]])に次ぐ2番人気に支持される<ref name="yushun0202" />。アグネスデジタルは14頭立て12番枠からの発走であったが、[[シャティン競馬場]]の2000メートルコースはスタート直後に第1コーナーがあり、四位は内の馬の圧力を受けて外へ振られることを嫌い、発走後すぐにアグネスデジタルを先頭に立たせた<ref name="yushun0202" />。そしてコーナーをスムーズに回ると、道中はトブーグがスローペースで馬群を先導する後方で5番手を進んだ。第3コーナーからペースが上がるのに任せてアグネスデジタルは最終コーナーで再び先頭に立ち、最後の直線では追いすがるトブーグをアタマ差しのいで勝利した<ref name="yushun0202" />。

四位は「最初のコーナーをスムーズに回ったところで、これはいけそうだと思った。勝利を確信したのは、直線で先頭に立ったとき。内から(トブーグ騎乗の)デットーリが差し返してきたことも、外から1頭きてたのもわかったけど、負ける気はしなかった。思ったようなレースができてうれしかった」と感想を述べた<ref name="yushun0202" />。日本馬が勝利を重ねるたびに重圧で顔を強張らせていた白井は「そりゃもうプレッシャーがかかったでぇ」と破顔し、「本当に勝てて良かった。世界のホースマンが見ている前で。世界の基準になる2000メートルのレースを勝ったんだから、これは価値があるでしょう」と述べた<ref name="yushun0202" />。

当年これが最後の出走となったアグネスデジタルは、年度表彰[[JRA賞]]において[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬|最優秀4歳以上牡馬]]に選出された<ref name="yushun02022">『優駿』2002年2月号、p.64</ref>。[[JRA賞|年度代表馬]]には[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]と[[ジャパンカップ]]を制した3歳馬[[ジャングルポケット]]が選出され、アグネスデジタルは24%の得票率で次点となっている<ref name="yushun02022" />。また、最優秀ダートホースには天皇賞除外によりダート路線を進みジャパンカップダートを制したクロフネが受賞したが、同馬は屈腱炎発症によりこの年限りで引退した<ref name="yushun02022" />。

==== 5歳時(2002年) ====
2002年は[[ドバイワールドカップ]]への出走を目標に、前年故障のため回避したフェブラリーステークスに出走。史上最多10頭のGI優勝馬が顔を揃えたなかでアグネスデジタルは1番人気の支持を受け、レースでは6番手追走から先行勢を差し切って優勝した<ref name="feb">『優駿』2002年3月号、pp.52-53</ref>。南部杯、天皇賞、香港カップ、フェブラリーステークスと4戦連続でのGI制覇は史上初の記録となった<ref name="feb" />。

のち香港経由で[[ドバイ]]に入り、3月23日ドバイワールドカップを迎えた。本命と目されていた前年の[[凱旋門賞]]優勝馬・[[サキー]]に騎乗する[[ランフランコ・デットーリ]]は警戒する相手としてアグネスデジタルを挙げたが、アグネスデジタルは航空機のトラブルにより香港で一時足止めされていたほか、ドバイ到着後も集中豪雨があったため調教不順で、その状態は芳しいものではなかった<ref name="yushun0205">『優駿』2002年5月号、pp.26-29</ref>。レースでは後方待機から最後の直線で追い込みを図ったが、勝った[[ストリートクライ]](UAE)から約16馬身差の6着と敗れた<ref name="yushun0205" />。白井は後に「コースは合っていたと思うんだけど、輸送で足止めくらって熱発したりして、絶好の状態で行ったのにその半分以下になった。立て直すのに日にちがなくて、ついて回るのが精一杯でね。言い訳ではなくて、ドバイは調整が難しいと思った」と回顧している<ref name="meiba" />。

その後は香港へ戻り、香港マイル優勝馬エイシンプレストンと共に[[クイーンエリザベス2世カップ]]に出走。当日はグランデラ(UAE)、エイシンプレストンに次ぐ3番人気となった<ref name="yushun0206">『優駿』2002年6月号、p.109</ref>。レースでは5番手追走から最後の直線で先頭に立ったが、ゴール前でエイシンプレストンに差され、半馬身差の2着となった<ref name="yushun0206" />。日本国外の競走における日本馬の1、2着独占は史上初の出来事であった<ref name="yushun0206" />。なお、今回のアグネスデジタルのような2カ国に跨った転戦の場合、従来は[[検疫]]上の理由から一度日本に帰国しなければならなかったが、白井がJRA理事長に訴えてドバイから香港への直接出走を可能とした<ref name="meiba" />。評論家の[[合田直弘]]は「これも海外遠征史におけるひとつの大きな成果だった」と評価している<ref>『優駿』2013年9月号、p.60</ref>。

==== 6歳時(2003年) ====
香港から帰国後、前年秋からの連戦疲労により右肩や後躯に不安が出たため休養に入る<ref name="yushun0802" />。そのまま約1年を休養に充て、2003年5月に交流重賞・[[かきつばた記念]](名古屋)で復帰したが、最終コーナーで先頭に並びかけるも4着と敗れる<ref name="yushun0802" />。この内容に「もう復調はない<ref name="yushun0802" />」「全盛期を過ぎた<ref name="meiba" />」との見方もあった。

6月8日、2年前に11着と敗れていた安田記念に出走。GI競走未勝利の[[ローエングリン (競走馬)|ローエングリン]]が1番人気と確固たる中心を欠くなかで4番人気の評価となった<ref name="yushun0802" />。レースでは中団を進み、最後の直線では外に持ちだして追い込むと、先に抜け出した[[アドマイヤマックス]]とローエングリンを差し切り、1年4カ月ぶりの勝利を挙げた<ref name="yushun0802" />。走破タイム1分32秒1は1990年に[[オグリキャップ]]が出した記録を13年ぶりに更新するコースレコードであった<ref>『優駿』2003年7月号、p.135</ref>。四位は「精神的にタフな馬。本当に力がある」と称え<ref name="yushun0802" />、白井は「信じられない。この馬の勝負根性には頭が下がる思いです」と労った<ref>『優駿』p.44</ref>。なお、これによりアグネスデジタルのGI勝利数は、いずれも最多7勝を挙げた[[シンボリルドルフ]]、テイエムオペラオーに次ぐ6勝となり、また史上4頭目の4年連続GI勝利という記録も達した<ref>『優駿』2003年8月号、p.145</ref>。

これがアグネスデジタルの最後の勝利となり、以後は日本テレビ盃の2着を最高成績として、年末の[[有馬記念]]9着を最後に引退<ref name="yushun0802" />。翌2004年1月18日に京都競馬場で引退式が行われ、マイルチャンピオンシップ優勝時のゼッケン「13」を着けて最後の走りを見せた<ref>『優駿』2004年3月号、p.79</ref>。なお、引退式に向けて軽い調教が続けられていたが、このなかでアグネスデジタルは全盛期の雰囲気を取り戻しつつあったといい、担当厩務員の井上多実男は「もう少し早く良くなってほしかったけど、年を取っているから良化がスローだったのかもしれない。うまくいかないものだね」と語った<ref>『優駿』2004年3月号、p.84</ref>。

=== 種牡馬時代 ===
引退後は種牡馬として北海道新冠町の[[ビッグレッドファーム]]で繋養<ref name="yushun0802" />。初年度産駒は2007年にデビューし、エイムアットビップ、[[ドリームシグナル]]、[[ヤマニンキングリー]]らの活躍により、新種牡馬ランキングで[[シンボリクリスエス]]に次ぐ2位となった<ref name="yushun0802" />。翌2008年1月、ドリームシグナルが[[シンザン記念]]を制し、産駒が重賞初勝利を挙げる<ref name="yushun0802" />。2014年には[[カゼノコ]]がジャパンダートダービーを制し、産駒のGI(JpnI)初制覇を果たした<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20140710021749/http://race.sanspo.com/nationalracing/news/20140709/nranws14070920460022-n1.html |title=【JDD】カゼノコがV!ハッピー3冠ならず |author= |publisher=SANSPO.com |accessdate=2015年7月4日 |date=2014-7-9}}</ref><ref group="注">出典資料では「GI」となっているが、ジャパンダートダービーは国際的にはGI格を得ていない国内独自格付けの「JpnI」競走である。</ref>。自身と同じく、芝とダートの両方をこなす産駒も送り出している<ref name="meiba" />。

== 競走馬としての評価 ==
国内外11の競馬場で走り、芝・ダートを問わず、中央、地方、香港でGI3連勝を遂げるといった競走生活から、「オールラウンダー」、「万能の名馬」と評される<ref name="yushun1503">『優駿』2015年3月号、p.60</ref>。ライターの阿部珠樹は「これほど多彩なカテゴリーで強さを見せた馬は日本の競馬史には見当たらない。わずかにダートや1200メートルから3200メートルの天皇賞まで勝ちまくった60年代の[[タケシバオー]]が思い浮かぶぐらいだろう」と評している<ref name="yushun0802" />。一方、[[山河拓也]]はタケシバオーについて「ポピュラーなスポーツといえば野球しかなかった時代に、身体能力の飛び抜けた少年が『野球じゃ4番、サッカーじゃエース・ストライカー』を任されていたようなものだ」としたうえで、当時とは異なり各路線にスペシャリストがいる時代に存在したアグネスデジタルを「真のスーパー万能型」、「異能のスーパーホース」と呼んだ<ref name="meiba" />。白井寿昭は「こんな馬はもうなかなか出ない」と評し、四位洋文は燃え尽きたと思われたあと安田記念を勝った際「常識を裏切るというか、本当にワンダーホースだと思った」と回顧している<ref name="meiba" />。このときは担当厩務員の井上多実男も「この馬はわからん」と舌を巻いていたという<ref name="meiba" />。各地を転戦して好成績を挙げた秘訣には精神面の強さが挙げられるが、その性格は非常に大人しく、四位によれば「寝ぼけてるみたい」「やる気あるのかな、みたいな」馬であったという<ref name="meiba" />。

日本中央競馬会の広報誌『[[優駿]]』が通巻800号記念として行った名馬選定企画「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち」(2010年)では、読者投票により第38位にランクインした<ref>『優駿』2010年8月号、p.48</ref>。2014年末にも行われた同様の企画では44位となっている<ref name="yushun1503" />。


== 競走成績 ==
== 競走成績 ==
83行目: 127行目:
|
|
|1.2(1人)
|1.2(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|ダ1200m(良)
|ダ1200m(良)
|1:13.0
|1:13.0
95行目: 139行目:
|[[京都競馬場|京都]]
|[[京都競馬場|京都]]
|もみじS
|もみじS
|OP
|
|9.1(7人)
|9.1(7人)
|8着
|8着
125行目: 169行目:
|
|
|1.8(1人)
|1.8(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|ダ1600m(良)
|ダ1600m(良)
|1:38.2
|1:38.2
137行目: 181行目:
|[[川崎競馬場|川崎]]
|[[川崎競馬場|川崎]]
|[[全日本2歳優駿|全日本3歳優駿]]
|[[全日本2歳優駿|全日本3歳優駿]]
|{{color|blue|GII}}
||GII
|1.7(1人)
|1.7(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|ダ1600m(良)
|ダ1600m(良)
|1:41.1
|1:41.1
151行目: 195行目:
|東京
|東京
|ヒヤシンスS
|ヒヤシンスS
|OP
|
|3.5(3人)
|3.5(3人)
|3着
|3着
165行目: 209行目:
|[[中山競馬場|中山]]
|[[中山競馬場|中山]]
|[[クリスタルカップ|クリスタルC]]
|[[クリスタルカップ|クリスタルC]]
|{{color|green|GIII}}
|GIII
|26.2(8人)
|26.2(8人)
|3着
|3着
179行目: 223行目:
|中山
|中山
|[[ニュージーランドトロフィー|NZT4歳S]]
|[[ニュージーランドトロフィー|NZT4歳S]]
|{{color|blue|GII}}
||GII
|23.4(7人)
|23.4(7人)
|3着
|3着
193行目: 237行目:
|東京
|東京
|[[NHKマイルカップ|NHKマイルC]]
|[[NHKマイルカップ|NHKマイルC]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|8.0(4人)
|8.0(4人)
|7着
|7着
207行目: 251行目:
|[[名古屋競馬場|名古屋]]
|[[名古屋競馬場|名古屋]]
|[[名古屋優駿]]
|[[名古屋優駿]]
|{{color|green|GIII}}
|GIII
|4.1(3人)
|4.1(3人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|ダ1900m(重)
|ダ1900m(重)
|{{color|red|R1:59.8}}
|{{color|darkred|R1:59.8}}
|
|
| -0.3
| -0.3
221行目: 265行目:
|[[大井競馬場|大井]]
|[[大井競馬場|大井]]
|[[ジャパンダートダービー|ジャパンDダービー]]
|[[ジャパンダートダービー|ジャパンDダービー]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|(1人)
|(1人)
|14着
|14着
235行目: 279行目:
|中山
|中山
|[[ユニコーンステークス|ユニコーンS]]
|[[ユニコーンステークス|ユニコーンS]]
|{{color|green|GIII}}
|GIII
|10.0(4人)
|10.0(4人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|ダ1800m(良)
|ダ1800m(良)
|1:50.7
|1:50.7
249行目: 293行目:
|東京
|東京
|[[武蔵野ステークス|武蔵野S]]
|[[武蔵野ステークス|武蔵野S]]
|{{color|green|GIII}}
|GIII
|8.3(4人)
|8.3(4人)
|2着
|2着
263行目: 307行目:
|京都
|京都
|[[マイルチャンピオンシップ|マイルCS]]
|[[マイルチャンピオンシップ|マイルCS]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|55.7(13人)
|55.7(13人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|芝1600m(良)
|芝1600m(良)
|{{color|red|R1:32.6}}
|{{color|darkred|R1:32.6}}
|(34.3)
|(34.3)
| -0.1
| -0.1
277行目: 321行目:
|京都
|京都
|[[京都金杯]]
|[[京都金杯]]
|{{color|green|GIII}}
|GIII
|4.8(3人)
|4.8(3人)
|3着
|3着
291行目: 335行目:
|東京
|東京
|[[京王杯スプリングカップ|京王杯SC]]
|[[京王杯スプリングカップ|京王杯SC]]
|{{color|blue|GII}}
||GII
|8.6(4人)
|8.6(4人)
|9着
|9着
305行目: 349行目:
|東京
|東京
|[[安田記念]]
|[[安田記念]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|17.7(6人)
|17.7(6人)
|11着
|11着
319行目: 363行目:
|[[船橋競馬場|船橋]]
|[[船橋競馬場|船橋]]
|[[日本テレビ盃]]
|[[日本テレビ盃]]
|{{color|green|GIII}}
||GIII
|4.3(3人)
|4.3(3人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|ダ1800m(良)
|ダ1800m(良)
|1:51.2
|1:51.2
333行目: 377行目:
|[[盛岡競馬場|盛岡]]
|[[盛岡競馬場|盛岡]]
|[[マイルチャンピオンシップ南部杯|マイルCS南部杯]]
|[[マイルチャンピオンシップ南部杯|マイルCS南部杯]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|2.1(1人)
|2.1(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|ダ1600m(良)
|ダ1600m(良)
|1:37.7
|1:37.7
347行目: 391行目:
|東京
|東京
|[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]
|[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|20.0(4人)
|20.0(4人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|芝2000m(重)
|芝2000m(重)
|2:02.2
|2:02.2
361行目: 405行目:
|[[沙田競馬場|香港]]
|[[沙田競馬場|香港]]
|[[香港カップ|香港C]]
|[[香港カップ|香港C]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|(1人)
|(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|芝2000m(良)
|芝2000m(良)
|2:02.8
|2:02.8
375行目: 419行目:
|東京
|東京
|[[フェブラリーステークス|フェブラリーS]]
|[[フェブラリーステークス|フェブラリーS]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|3.5(1人)
|3.5(1人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|ダ1600m(良)
|ダ1600m(良)
|1:35.1
|1:35.1
389行目: 433行目:
|[[ナド・アルシバ競馬場|UAE]]
|[[ナド・アルシバ競馬場|UAE]]
|[[ドバイワールドカップ|ドバイワールドC]]
|[[ドバイワールドカップ|ドバイワールドC]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|発売なし
|発売なし
|6着
|6着
403行目: 447行目:
|香港
|香港
|[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|QE2世C]]
|[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|QE2世C]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|
|
|2着
|2着
417行目: 461行目:
|名古屋
|名古屋
|[[かきつばた記念]]
|[[かきつばた記念]]
|{{color|green|GIII}}
|GIII
|(4人)
|(4人)
|4着
|4着
431行目: 475行目:
|東京
|東京
|安田記念
|安田記念
||{{color|red|GI}}
||GI
|9.4(4人)
|9.4(4人)
|{{color|red|1着}}
|{{color|darkred|1着}}
|芝1600m(良)
|芝1600m(良)
|{{color|red|R1:32.1}}
|{{color|darkred|R1:32.1}}
|(33.7)
|(33.7)
|クビ
|クビ
445行目: 489行目:
|阪神
|阪神
|[[宝塚記念]]
|[[宝塚記念]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|6.8(3人)
|6.8(3人)
|13着
|13着
459行目: 503行目:
|船橋
|船橋
|日本テレビ盃
|日本テレビ盃
|{{color|blue|GII}}
||GII
|(1人)
|(1人)
|2着
|2着
473行目: 517行目:
|盛岡
|盛岡
|マイルCS南部杯
|マイルCS南部杯
||{{color|red|GI}}
||GI
|(2人)
|(2人)
|5着
|5着
487行目: 531行目:
|東京
|東京
|天皇賞(秋)
|天皇賞(秋)
||{{color|red|GI}}
||GI
|7.9(4人)
|7.9(4人)
|17着
|17着
501行目: 545行目:
|中山
|中山
|[[有馬記念]]
|[[有馬記念]]
||{{color|red|GI}}
||GI
|17.4(7人)
|17.4(7人)
|9着
|9着
519行目: 563行目:


=== 表彰 ===
=== 表彰 ===
* 2001年 [[JRA]]最優秀4歳以上牡馬
*2001年(7戦4勝)JRA賞最優秀4歳以上牡馬(200/283票)

== 種牡馬時代 ==
[[2004年]]春より種牡馬となり163頭に種付けを行った。[[2005年]]、ファーストクロップとなる産駒が誕生し117頭が血統登録された。[[2007年]]、[[7月]]にコスモビットが2歳未勝利を制し、この勝利が中央・地方を通じた産駒の初勝利となった。翌[[2008年]]に[[ドリームシグナル]]が[[シンザン記念]]を制し、初年度産駒から中央競馬の重賞勝ち馬を輩出した。[[2014年]]には[[カゼノコ]]が[[ジャパンダートダービー]]を制し、産駒が統一GI初勝利を果たした。以後も芝、ダート双方でコンスタントに重賞勝ち馬を輩出する活躍を見せている。


== 種牡馬成績 ==
=== グレード級重賞勝利馬 ===
=== グレード級重賞勝利馬 ===
'''太字'''はJpnI競走
'''太字'''はGIまたはJpnI競走
*2005年産
*2005年産
**[[ドリームシグナル]](2008年[[シンザン記念]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000886877/ |title=ドリームシグナル |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
**[[ヤマニンキングリー]]([[札幌記念]]、[[中日新聞杯]]、[[シリウスステークス]])
**[[ユビキタス (競走馬)|ユビキタス]](2008年[[ユニコーンステークス]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000885167/ |title=ユビキタス |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
**[[ダイシンオレンジ]]([[アンタレスステークス]]、[[平安ステークス]])
**[[ヤマニンキングリー]](2008年[[中日新聞杯]] 2009年[[札幌記念]] 2011年[[シリウスステークス]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000883579/ |title=ヤマニンキングリー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
**[[ドリームシグナル]]([[シンザン記念]])
**[[ダイシンオレンジ]](2010年[[アンタレスステークス]] 2011年[[平安ステークス]]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000885609/ |title=ダイシンオレンジ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
**[[ユビキタス (競走馬)|ユビキタス]]([[ユニコーンステークス]])

*2006年産
*2006年産
**[[グランプリエンゼル]][[函館スプリントステークス]])
**[[グランプリエンゼル]](2009年[[函館スプリントステークス]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000989837/ |title=グランプリエンゼル |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
*2007年産
*2007年産
**[[サウンドバリアー]][[フィリーズレビュー]])
**[[サウンドバリアー]](2010年[[フィリーズレビュー]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001046374/ |title=サウンドバリアー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
*2011年産
*2011年産
**[[カゼノコ]]'''[[ジャパンダートダービー]]''')
**[[カゼノコ]](2014年'''[[ジャパンダートダービー]]'''<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001134767/ |title=カゼノコ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>

=== 地方重賞勝利馬 ===
=== 地方重賞勝利馬 ===
*2005年産
*2005年産
**シスターエレキング[[ロジータ記念]])
**シスターエレキング(2008年[[ロジータ記念]]・川崎<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001134767/ |title=シスターエレキング |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
**マイネベリンダ[[ビューチフル・ドリーマーカップ]]、[[青藍賞]])
**マイネベリンダ(2010年[[ビューチフル・ドリーマーカップ]]・水沢、[[青藍賞]]・水沢<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000890352/ |title=マイネベリンダ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
**マイネルポンピオン([[佐賀弥生賞]][[佐賀桜花賞]]
**マイネルポンピオン(2013年佐賀弥生賞・佐賀、佐賀桜花賞・佐賀<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000888939/ |title=マイネルポンピオン |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
*2006年産
*2006年産
**セイリュウザクラ[[サラブレッド大賞典]])
**セイリュウザクラ(2009年[[サラブレッド大賞典]]・金沢<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000993309/ |title=セイリュウザクラ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
**ドリームクラフト[[岩鷲賞]]、[[栗駒賞]]、白嶺賞[[トウケイニセイ記念]])
**ドリームクラフト(2013年[[岩鷲賞]]・水沢、[[栗駒賞]]・水沢、白嶺賞・水沢 2014年[[トウケイニセイ記念]]・水沢<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000995081/ |title=ドリームクラフト |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
*2007年産
*2007年産
**アートオブビーン(2009年[[園田プリンセスカップ]]・園田<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001046313/ |title=アートオブビーン |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
**バックアタック([[ユングフラウ賞]])
**バックアタック(2010年[[ユングフラウ賞]]・浦和<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001048798/ |title=バックアタック |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
**デジタルゴールド([[尾張名古屋杯]]、[[名港盃]])
**デジタルゴールド(2012年[[尾張名古屋杯]] 2013年[[名港盃]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001050092/ |title=デジタルゴールド |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
**ドリームゴスペル([[唐津湾賞]]、[[鏡山賞]])
**ドリームゴスペル(2014年唐津湾賞・佐賀、鏡山賞・佐賀<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001042565/ |title=ドリームゴスペル |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
*2008年産
*2008年産
**サカジロタイヨー[[新春ペガサスカップ]])
**サカジロタイヨー(2011年[[新春ペガサスカップ]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001092064/ |title=サカジロタイヨー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
*2009年産
*2009年産
**マイネルセグメント[[ライデンリーダー記念]][[新緑賞]][[東海ダービー]])
**マイネルセグメント(2011年[[ライデンリーダー記念]]・笠松 2012年[[新緑賞]]・笠松 2013年[[東海ダービー]]・名古屋<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001102554/ |title=マイネルセグメント |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
**コスモエスプレッソ(2013年[[新春盃]]・名古屋<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001105594/ |title=コスモエスプレッソ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
**コスモエスプレッソ([[新春盃]])
**マイネルバルビゾン(2014年岩鷲賞・水沢<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001108679/ |title=マイネルバルビゾン |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>)
**マイネルバルビゾン(岩鷲賞)
*2010年産
*2010年産
**コウギョウデジタル([[不来方賞]]、[[ウイナーカップ]]、[[ひまわり賞 (岩手競馬)|ひまわり賞]]、[[あすなろ賞]]、フェアリーカップ)
**コウギョウデジタル(2013年ウイナーカップ・水沢、[[ひまわり賞 (岩手競馬)|ひまわり賞]]・盛岡[[不来方賞]]・盛岡 2014年[[あすなろ賞]]・盛岡、フェアリーカップ・盛岡、OROカップディスタフ・盛岡<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001125866/ |title=コウギョウデジタル |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>
*2011年産
*2011年産
**シグラップロード([[スプリングカップ (水沢競馬)|スプリンップ]]
**シグラップロード(2014年スプリングカップ水沢<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001142638/ |title=シップロード |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年7月4日 |date=}}</ref>


=== 母の父としての主な産駒 ===
=== 母の父としての主な産駒 ===
* ディアドムス('''[[全日本2歳優駿]]'''、[[北海道2歳優駿]]) - 父[[ジャングルポケット]]
* ディアドムス('''[[全日本2歳優駿]]'''、[[北海道2歳優駿]]) - 父[[ジャングルポケット]]

== オールラウンダー ==
芝・ダート、距離、中央・地方・海外を問わず活躍した<ref>中央、地方、海外でGI・G1競走を優勝。中央競馬では史上初めて芝・ダートのGI競走をともに優勝した。アグネスデジタルが勝利を挙げた競馬場は9場にのぼる。</ref>。調教師の[[白井寿昭]]はこの活躍ぶりについてアグネスデジタルを「異端児」と呼んでいる。また、3歳-6歳まで4年連続でGIを制覇するなど息の長い活躍を見せた<ref>4年連続GI優勝は他には[[メジロマックイーン]]、[[メジロドーベル]]、[[アドマイヤドン]]、[[ユートピア (競走馬)|ユートピア]]、[[ウオッカ]]がいる。</ref>。さらに安田記念、マイルチャンピオンシップをレコードタイムで制するなどのスピードも見せた。また、当時に国内で行われていた芝・ダート1600mの古馬のGI・統一GIを全て制覇していることになる<ref>現在では[[かしわ記念]]がこれに加わっている。</ref>。


== 血統表 ==
== 血統表 ==
{{競走馬血統表
{{競走馬血統表
|name = アグネスデジタル
|name = アグネスデジタル
|inf = ([[ミスタープロスペクター系]]/[[アウトブリード]](アウトクロス))
|f = [[クラフティプロスペクター|Crafty Prospector]]<br />1979 栗毛
|f = [[クラフティプロスペクター|Crafty Prospector]]<br />1979 栗毛
|ff = [[ミスタープロスペクター|Mr.Prospector]]<br />1970 鹿毛
|ff = [[ミスタープロスペクター|Mr.Prospector]]<br />1970 鹿毛
599行目: 640行目:
|mmm = Runaway Bride
|mmm = Runaway Bride
|mmmf = [[ワイルドリスク|Wild Risk]]
|mmmf = [[ワイルドリスク|Wild Risk]]
|mmmm = Aimee
|mmmm = Aimee [[ファミリーナンバー|F-No.]][[22号族|22-d]]
|ref1 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000321138/pedigree/ JBISサーチ アグネスデジタル 5代血統表]2015年6月30日閲覧。
}}
|mlin = [[ミスタープロスペクター系]]
|ref2 = [http://db.netkeiba.com/horse/ped/1997110025/ netkeiba.com アグネスデジタル 5代血統表]2015年6月30日閲覧。
|flin = [[22号族]]
|FN = 22-d
|ref3 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000321138/pedigree/ JBISサーチ アグネスデジタル 5代血統表]2015年6月30日閲覧。
|inbr = なし
|ref4 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000321138/pedigree/ JBISサーチ アグネスデジタル 5代血統表]2015年6月30日閲覧。
|}}
4代母Aimee(エメ)から連なるファミリーは世界的に発展している<ref name="hiraide">平出(2014)pp.130-131</ref>。本馬が属するラナウェイブライドからの分枝(下記)以外では、その妹Khazaeenの子孫に[[キングカメハメハ]]などがいる<ref name="hiraide" />。


=== 主な兄弟および近親 ===
=== 主な近親 ===
※平出(2014)に記載されているうち、Runaway Brideの子孫でブラックタイプの馬のみ記載する。
*[[競走馬の血統#兄弟姉妹の関係|半弟]] - [[シェルゲーム]]([[牡馬|牡]]・[[2001年]]産、[[父親|父]][[スウェイン|Swain]])
*半弟 - [[ジャリスコライト]](牡・2003年産、父[[ファンタスティックライト]]):2006年[[京成杯]]
:[[日本中央競馬会|JRA]]3勝、主な成績:[[2004年]][[毎日杯]]2着、[[青葉賞]]3着、巴賞([[日本の競馬の競走体系|オープン]])現・種牡馬<br />
*弟 - [[ジャリスコライト]](牡・[[2003]]産、父[[ファンタスティックラ]]
*又従兄弟 - [[ンシンボリ]](牡・1989年産、父シンボリルドルフ):1992年・1993年[[ステイヤーズステークス]]
*大伯父 - [[ブラッシンググルーム]](牡・1974年産、父レッドゴッド):1976年[[ロベールパパン賞]]、[[モルニ賞]]、[[サラマンドル賞]]、[[ジャン・リュック・ラガルデール賞|グラン・クリテリウム]]、1977年[[プール・デッセ・デ・プーラン]]
:JRA3勝、主な勝ち鞍:[[2006年]][[京成杯]]([[競馬の競走格付け|GIII]])、[[2005年]][[いちょうステークス]](当時オープン)<br />
*半弟 - フェニックスハート(牡・[[2004年]]産、父[[プルピット|Pulpit]])
:地方1勝
*またいとこに[[アイルトンシンボリ]]([[1992年]]・[[1993年]][[ステイヤーズステークス]]GIII)。
*祖母の半兄に[[ブラッシンググルーム]]([[1976年]][[ロベールパパン賞]]、[[モルニ賞]]、[[サラマンドル賞]]、[[ジャン・リュック・ラガルデール賞|仏グランクリテリウム]]、[[1977年]][[プール・デッセ・デ・プーラン]](以上仏GI))、[[ベイラーン]](本邦輸入種牡馬)。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist}}
{{Reflist|group="注"}}

=== 出典 ===
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
*的場均『夢無限』(流星社、2001年)ISBN 978-4947770035
* 田中直成「記憶の中の名馬 アグネスデジタル」『週刊Gallop』[[2008年]]3月23日号 - 4月13日号、[[産業経済新聞社]]
*『名馬物語 2001-2010 - 21世紀の名馬たち』(エンターブレイン、2010年)ISBN 978-4047268562
**山河拓也「アグネスデジタル」
*平出貴昭『覚えておきたい日本の牝系100』(スタンダードマガジン、2014年)ISBN 978-4938280642
*『優駿』2008年2月号(日本中央競馬会)
**阿部珠樹「サラブレッド・ヒーロー列伝 - アグネスデジタル 驚異のオールラウンダー」
*『優駿』(日本中央競馬会)各号


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2015年7月9日 (木) 13:36時点における版

アグネスデジタル
2001年6月3日 東京競馬場
現役期間 1999年 - 2003年
欧字表記 Agnes Digital
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1997年5月15日(27歳)
登録日 1999年7月8日
抹消日 2004年1月18日
Crafty Prospector
Chancey Squaw
母の父 Chief's Crown
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Catesby W. Clay & Peter J. Callahan
馬主 渡辺孝男
調教師 白井寿昭栗東
調教助手 白坂宗治
厩務員 井上多実男
競走成績
生涯成績 32戦12勝
内訳
中央競馬21戦7勝
地方競馬8戦4勝
日本国外3戦1勝
獲得賞金 7億3092万5000円
1320万香港ドル
12万米ドル
WTRR T/M 116(2003年)
IC T/M 117(2002年)
T/I 120(2001年)
D/M 117(2002年)
テンプレートを表示

アグネスデジタル1997年5月15日 - )は日本競走馬、種牡馬。

アメリカ合衆国で生産、日本で調教された外国産馬として、1999年に中央競馬でデビュー。中央・地方・日本国外を転戦して芝・ダートを問わず活躍し、2000年から2003年にかけてマイルチャンピオンシップマイルチャンピオンシップ南部杯天皇賞(秋)香港カップフェブラリーステークス安田記念GI競走で6勝を挙げた。日本にグレード制が導入された1984年以降、芝・ダートの双方でGI勝利を挙げた最初の馬であり、2001年から2002年にかけては国内外のGIで4連勝という記録を打ち立てた。2001年度JRA賞最優秀4歳以上牡馬。通算32戦12勝。2004年より種牡馬となり、2014年のジャパンダートダービーに優勝したカゼノコなどを輩出している。

経歴

生い立ち

1997年、アメリカ合衆国ケンタッキー州のラニモードファーム生産。父クラフティプロスペクターはアメリカで7勝、G1競走ガルフストリームパークハンデキャップで2着の成績をもち、種牡馬としてアメリカで数々の重賞勝利馬を出していたほか、日本でもストーンステッパーなどの活躍馬がいた[1]。母チャンシースクウォーは北米で1勝という成績ながら、近親に種牡馬として日本に輸入されたベイラーン、フランスでG1競走3勝を挙げ、種牡馬としてイギリス・アイルランドのリーディングサイアーとなったブラッシンググルームをもつ[1]。両馬は本馬からみて大伯父にあたる[1]

アメリカ産の日本調教馬はセリ市で買われるか、日本人が現地生産したものが多いが、本馬は後の管理調教師・白井寿昭がもつ独自の情報網でリストアップされた1頭であり、白井と現地生産者との直接取引で購買された[2]。白井は60頭ほどの候補馬から3頭まで絞り込み、当初は別のシアトルスルー産駒の購買を希望していたが、値引きを持ちかけたところで相手が気分を害して破談となり、2番手候補だった本馬が買われたものだった[2]。価格は日本円で約2800万円[3]ほどだったが、候補馬の中で最も小柄かつ細身の馬であり、現地関係者からは「なぜこんな馬にするんだ?」と言われたほど目立たない馬であったという[4]

1998年11月、北海道の日高大洋牧場で育成調教に入る。当初は胴が前後に詰まった短距離向きを思わせる体つきであったが、競走年齢の2歳に達し本格的な運動が始まったころから、すらりとした姿に変わっていった[1]。体質は丈夫、性格も素直で大人しく、当初の予定より1カ月早く栗東トレーニングセンターの白井のもとへ送られた[1]

戦績

2(3)歳時(1999年)

9月に阪神開催の新馬戦でデビュー。ミスタープロスペクター系の馬が良績を挙げるダートの短距離(1400メートル)戦で、スタートから逃げを打つも最終コーナーで勝ったマチカネランにかわされて7馬身差の2着[5]。続く2戦目・ダート1200メートル戦で2着に3馬身差をつけての初勝利を挙げた[5]。このとき、騎手を務めた福永祐一は「これなら上に行っても楽しみだし、芝でも大丈夫な走りをしている」と感想を述べ、3戦目には芝の競走が選ばれた。しかし10頭立ての8着と敗れ、ここからしばらくダート路線を進むことになる[5]

ダートに戻っての4戦目を2着としたのち、5戦目からベテランの的場均が手綱をとる。的場は競走直前にはじめて跨った際、その線の細さに「こんなに弱々しい体で大丈夫なのか」と不安の念を抱いたが[6]、レースでは2着に7馬身差を付けて勝利。競走後には「まだ本物じゃない。よくなればどんな感じになるのか楽しみだよ」と感想を述べた[5]。以後的場が騎手として固定され、12月には公営川崎競馬場で行われる交流重賞・全日本3歳優駿に出走。単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持されると、第3コーナー先頭からゴールまで押し切って重賞初勝利を挙げた[5]

3(4)歳時(2000年)

4歳となった2000年は2月のヒヤシンスステークスから復帰したが、ノボジャックの3着と敗れる。的場によれば未だ線の細さが解消されておらず、この競走の直線では一瞬フォームのバランスを崩し「壊れたか」と思ったほどであったという[6]

その後は、当時外国産馬の春の最大目標となっていたNHKマイルカップを目指し、芝の競走に復帰[5]クリスタルカップ3着、前哨戦のニュージーランドトロフィー4歳ステークスも3着となり、陣営は芝でも勝負できるという感触を得[5]、5月7日、NHKマイルカップに臨んだ。当日は4番人気の支持を受けたが、道中7番手の位置から最後の直線で伸びず、そのまま流れこむ形での7着となった[5]

のち再びダートに戻り、交流重賞・名古屋優駿に出走しレコードタイムで勝利[5]。7月には大井で行われる交流GI競走・ジャパンダートダービーに出走し、1番人気に支持される[5]。レースでは最終コーナーまで4番手の位置を進んだが、最後の直線で失速し、15頭立ての14着と大敗を喫した[5]。当時の的場の印象ではアグネスデジタルに2000メートルという距離は長すぎ、さらに厚く敷かれた大井のダートも堪え、直線を向いたときにはすでに体力が尽きた状態であった[6]。競走後、2カ月の休養をとり、9月にやはりダートのユニコーンステークスで復帰。新馬戦で敗れたマチカネランに2馬身半差を付けて勝利した[5]。10月、古馬(4〈5〉歳以上馬)との初対戦となった武蔵野ステークスでは2着となる[5]。休養を経て、このころには従来の線の細さが解消されつつあった[6]

秋の最大目標について、陣営はダートのGI競走・ジャパンカップダートと、芝のGI競走・マイルチャンピオンシップの二つの選択肢を設けた。白井はジャパンカップダートを重視し、馬主の渡辺孝男はどちらか決めかねていた。そこで意見を求められた的場は、「芝は問題ないと思います。距離的に2100メートルのダートはちょっと長いのではないでしょうか。マイルの方がいい」と返答し、マイルチャンピオンシップへ向かうことになった[6]。11月20日に迎えたマイルチャンピオンシップは突出した実績馬がおらず、混戦模様といわれる中にあって、芝での実績に乏しいアグネスデジタルは13番人気の評価であった[5]。白井から好調を聞かされていた的場は、楽に好位につけられると踏んでいたが、スタートが切られると流れについていけず、後方からのレース運びとなった[6]。しかし直線に向いたところから追い出すと鋭く伸び、残り200メートルで15番手という位置から先団を一気に差しきり[6]、1番人気のダイタクリーヴァに半馬身差をつけての優勝を果たした[5]。走破タイム1分32秒6はコースレコード[7]。また、13番人気での勝利、その配当5570円は、いずれもレースレコードだった[7]。白井は「思い通りに調整できたので、ひょっとしたらとは思っていた」と語り、的場は「装鞍所で出来はいいと聞いていましたし、今年のメンバーなら面白いと思っていました。特にマークする馬は決めず、この馬のペースを守ることを心がけましたが、最後の脚はすごかったですね。芝・ダートを問わないし、今後が楽しみです」と語った[5]。なお、当時すでに翌春での騎手引退を示唆していた的場は、これが13勝目にして最後のGI制覇となった。

4歳時(2001年)

翌2001年1月、年初の重賞・京都金杯では直線で追い込むもダイタクリーヴァに雪辱を許し3着となる[8]。その後は翌月のダートGI競走・フェブラリーステークスへ向かう予定だったが、右前脚に球節炎を発症し休養を余儀なくされる[5]。5月に京王杯スプリングカップで復帰するも9着、GI・安田記念では11着と敗れ、競走後に再び休養に入った[5]。なお、的場が2月で引退しており、この春より新たな鞍上に四位洋文を迎えている。

9月、復帰戦のダート交流重賞・日本テレビ盃で勝利を挙げると、10月には盛岡で行われる交流GI・マイルチャンピオンシップ南部杯に臨んだ。前年の最優秀ダートホースであるウイングアロー、当年のフェブラリーステークスを制したノボトゥルーを抑えて1番人気の支持を受けると、最後の直線では地元馬トーホウエンペラーとの競り合いを制して優勝[9]。1984年にグレード制が導入されて以来初となる芝・ダート双方でのGI制覇を果たした[9]

当初陣営は南部杯のあと前年度優勝したマイルチャンピオンシップへ出走させる予定を立てていたが、アグネスデジタルの収得賞金額が天皇賞(秋)への出走要件を満たしていることから、白井は急遽同競走への出走を決定した[10]。天皇賞は日本中央競馬会の国際化計画に基づき、前年より外国産馬にも2頭の出走枠が設けられたばかりだった[11]。競走1カ月前に天皇賞出走と目されていた外国産馬は、宝塚記念優勝の5歳馬メイショウドトウNHKマイルカップ優勝の3歳馬クロフネであった[12]。2頭のうち、クロフネは特に注目されていた。前年春以来、芝の中・長距離戦線ではテイエムオペラオーとメイショウドトウが6度にわたって1、2着を占めており、ファンの間にも倦怠感が漂いつつあるなかで、そうした状況を打破する新勢力として期待されていたのである[12]。しかし獲得賞金で上回るアグネスデジタルの出走によりクロフネは天皇賞から除外され、一部ファンからはアグネスデジタル陣営に対して「どうせ勝てないくせに、クロフネの邪魔をするな」という旨の非難の声も上がった[13]

当日、アグネスデジタルは4番人気に支持されたが、オッズは上位で一桁台のテイエムオペラオー、メイショウドトウ、ステイゴールドからは大きく離れた20倍であった[12]。午前中の降雨により馬場状態は重馬場となり[12]、前座の各競走では馬場の内側を通った馬が伸びあぐねる様子が続いていた[13]。白井は四位に対して「馬場の良いところを走らせるように[5]」、「4コーナーを回ったら、観客席に向かって走れ[13]」という指示を与えた。スタートが切られると、逃げ馬サイレントハンターが出遅れ、レースを引っ張る馬がいなくなったことで前半1000メートル通過は62秒2と、重馬場を考慮しても遅いペースとなった[12]。多くの馬がこのペースに焦れて騎手との呼吸を欠いていくなか、10番手前後を進んだアグネスデジタルは落ち着いた状態でレースを運んだ[12]。最後の直線ではメイショウドトウをかわしたテイエムオペラオーが抜け出したが、大外を追い込んだアグネスデジタルがゴール前で一気に差し切り、同馬に1馬身差を付けて優勝を果たした[12]

外国産馬による天皇賞制覇は、出走可能であった1956年秋に優勝したミッドファーム以来、45年ぶりの出来事であった[14]。馬主の渡辺はインタビューにおいて「周りから心ないことをいろいろ言われましたが、言った人たちは恥をかいたんじゃないでしょうか」と述べた[3]。他方、このときは未だ「馬場状態や展開の利があった」と、その勝利をフロック視する見方もあった[5]

この後、陣営は連覇が懸かるマイルチャンピオンシップを飛ばし、12月に香港で行われる香港国際競走のメインレース・香港カップへの出走を選択。当年の香港国際競走には4つのG1競走へ6頭の日本馬が参戦し、香港ヴァーズステイゴールドが、香港マイルエイシンプレストンが制した[15]。そして迎えた香港カップにおいてアグネスデジタルはG1競走2勝のトブーグ(UAE)に次ぐ2番人気に支持される[15]。アグネスデジタルは14頭立て12番枠からの発走であったが、シャティン競馬場の2000メートルコースはスタート直後に第1コーナーがあり、四位は内の馬の圧力を受けて外へ振られることを嫌い、発走後すぐにアグネスデジタルを先頭に立たせた[15]。そしてコーナーをスムーズに回ると、道中はトブーグがスローペースで馬群を先導する後方で5番手を進んだ。第3コーナーからペースが上がるのに任せてアグネスデジタルは最終コーナーで再び先頭に立ち、最後の直線では追いすがるトブーグをアタマ差しのいで勝利した[15]

四位は「最初のコーナーをスムーズに回ったところで、これはいけそうだと思った。勝利を確信したのは、直線で先頭に立ったとき。内から(トブーグ騎乗の)デットーリが差し返してきたことも、外から1頭きてたのもわかったけど、負ける気はしなかった。思ったようなレースができてうれしかった」と感想を述べた[15]。日本馬が勝利を重ねるたびに重圧で顔を強張らせていた白井は「そりゃもうプレッシャーがかかったでぇ」と破顔し、「本当に勝てて良かった。世界のホースマンが見ている前で。世界の基準になる2000メートルのレースを勝ったんだから、これは価値があるでしょう」と述べた[15]

当年これが最後の出走となったアグネスデジタルは、年度表彰JRA賞において最優秀4歳以上牡馬に選出された[16]年度代表馬には東京優駿(日本ダービー)ジャパンカップを制した3歳馬ジャングルポケットが選出され、アグネスデジタルは24%の得票率で次点となっている[16]。また、最優秀ダートホースには天皇賞除外によりダート路線を進みジャパンカップダートを制したクロフネが受賞したが、同馬は屈腱炎発症によりこの年限りで引退した[16]

5歳時(2002年)

2002年はドバイワールドカップへの出走を目標に、前年故障のため回避したフェブラリーステークスに出走。史上最多10頭のGI優勝馬が顔を揃えたなかでアグネスデジタルは1番人気の支持を受け、レースでは6番手追走から先行勢を差し切って優勝した[17]。南部杯、天皇賞、香港カップ、フェブラリーステークスと4戦連続でのGI制覇は史上初の記録となった[17]

のち香港経由でドバイに入り、3月23日ドバイワールドカップを迎えた。本命と目されていた前年の凱旋門賞優勝馬・サキーに騎乗するランフランコ・デットーリは警戒する相手としてアグネスデジタルを挙げたが、アグネスデジタルは航空機のトラブルにより香港で一時足止めされていたほか、ドバイ到着後も集中豪雨があったため調教不順で、その状態は芳しいものではなかった[18]。レースでは後方待機から最後の直線で追い込みを図ったが、勝ったストリートクライ(UAE)から約16馬身差の6着と敗れた[18]。白井は後に「コースは合っていたと思うんだけど、輸送で足止めくらって熱発したりして、絶好の状態で行ったのにその半分以下になった。立て直すのに日にちがなくて、ついて回るのが精一杯でね。言い訳ではなくて、ドバイは調整が難しいと思った」と回顧している[13]

その後は香港へ戻り、香港マイル優勝馬エイシンプレストンと共にクイーンエリザベス2世カップに出走。当日はグランデラ(UAE)、エイシンプレストンに次ぐ3番人気となった[19]。レースでは5番手追走から最後の直線で先頭に立ったが、ゴール前でエイシンプレストンに差され、半馬身差の2着となった[19]。日本国外の競走における日本馬の1、2着独占は史上初の出来事であった[19]。なお、今回のアグネスデジタルのような2カ国に跨った転戦の場合、従来は検疫上の理由から一度日本に帰国しなければならなかったが、白井がJRA理事長に訴えてドバイから香港への直接出走を可能とした[13]。評論家の合田直弘は「これも海外遠征史におけるひとつの大きな成果だった」と評価している[20]

6歳時(2003年)

香港から帰国後、前年秋からの連戦疲労により右肩や後躯に不安が出たため休養に入る[5]。そのまま約1年を休養に充て、2003年5月に交流重賞・かきつばた記念(名古屋)で復帰したが、最終コーナーで先頭に並びかけるも4着と敗れる[5]。この内容に「もう復調はない[5]」「全盛期を過ぎた[13]」との見方もあった。

6月8日、2年前に11着と敗れていた安田記念に出走。GI競走未勝利のローエングリンが1番人気と確固たる中心を欠くなかで4番人気の評価となった[5]。レースでは中団を進み、最後の直線では外に持ちだして追い込むと、先に抜け出したアドマイヤマックスとローエングリンを差し切り、1年4カ月ぶりの勝利を挙げた[5]。走破タイム1分32秒1は1990年にオグリキャップが出した記録を13年ぶりに更新するコースレコードであった[21]。四位は「精神的にタフな馬。本当に力がある」と称え[5]、白井は「信じられない。この馬の勝負根性には頭が下がる思いです」と労った[22]。なお、これによりアグネスデジタルのGI勝利数は、いずれも最多7勝を挙げたシンボリルドルフ、テイエムオペラオーに次ぐ6勝となり、また史上4頭目の4年連続GI勝利という記録も達した[23]

これがアグネスデジタルの最後の勝利となり、以後は日本テレビ盃の2着を最高成績として、年末の有馬記念9着を最後に引退[5]。翌2004年1月18日に京都競馬場で引退式が行われ、マイルチャンピオンシップ優勝時のゼッケン「13」を着けて最後の走りを見せた[24]。なお、引退式に向けて軽い調教が続けられていたが、このなかでアグネスデジタルは全盛期の雰囲気を取り戻しつつあったといい、担当厩務員の井上多実男は「もう少し早く良くなってほしかったけど、年を取っているから良化がスローだったのかもしれない。うまくいかないものだね」と語った[25]

種牡馬時代

引退後は種牡馬として北海道新冠町のビッグレッドファームで繋養[5]。初年度産駒は2007年にデビューし、エイムアットビップ、ドリームシグナルヤマニンキングリーらの活躍により、新種牡馬ランキングでシンボリクリスエスに次ぐ2位となった[5]。翌2008年1月、ドリームシグナルがシンザン記念を制し、産駒が重賞初勝利を挙げる[5]。2014年にはカゼノコがジャパンダートダービーを制し、産駒のGI(JpnI)初制覇を果たした[26][注 1]。自身と同じく、芝とダートの両方をこなす産駒も送り出している[13]

競走馬としての評価

国内外11の競馬場で走り、芝・ダートを問わず、中央、地方、香港でGI3連勝を遂げるといった競走生活から、「オールラウンダー」、「万能の名馬」と評される[27]。ライターの阿部珠樹は「これほど多彩なカテゴリーで強さを見せた馬は日本の競馬史には見当たらない。わずかにダートや1200メートルから3200メートルの天皇賞まで勝ちまくった60年代のタケシバオーが思い浮かぶぐらいだろう」と評している[5]。一方、山河拓也はタケシバオーについて「ポピュラーなスポーツといえば野球しかなかった時代に、身体能力の飛び抜けた少年が『野球じゃ4番、サッカーじゃエース・ストライカー』を任されていたようなものだ」としたうえで、当時とは異なり各路線にスペシャリストがいる時代に存在したアグネスデジタルを「真のスーパー万能型」、「異能のスーパーホース」と呼んだ[13]。白井寿昭は「こんな馬はもうなかなか出ない」と評し、四位洋文は燃え尽きたと思われたあと安田記念を勝った際「常識を裏切るというか、本当にワンダーホースだと思った」と回顧している[13]。このときは担当厩務員の井上多実男も「この馬はわからん」と舌を巻いていたという[13]。各地を転戦して好成績を挙げた秘訣には精神面の強さが挙げられるが、その性格は非常に大人しく、四位によれば「寝ぼけてるみたい」「やる気あるのかな、みたいな」馬であったという[13]

日本中央競馬会の広報誌『優駿』が通巻800号記念として行った名馬選定企画「未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち」(2010年)では、読者投票により第38位にランクインした[28]。2014年末にも行われた同様の企画では44位となっている[27]

競走成績

年月日 競馬場 レース名 オッズ 着順 距離 タイム 3F タイム
騎手 斤量
[kg]
勝ち馬/(2着馬)
1999.09.12 阪神 3歳新馬 2.2(2人) 2着 ダ1400m(良) 1:26.1 (37.9) 1.1 福永祐一 53 マチカネラン
0000.10.02 阪神 3歳新馬 1.2(1人) 1着 ダ1200m(良) 1:13.0 (36.5) -0.5 福永祐一 53 (ツルマルアラシ)
0000.10.09 京都 もみじS 9.1(7人) 8着 芝1200m(良) 1:09.7 (35.8) 1.2 福永祐一 53 エンドアピール
0000.11.07 京都 もちの木賞 4.7(1人) 2着 ダ1400m(良) 1:25.1 (37.4) 0.0 福永祐一 54 スリーフォーナイナ
0000.11.27 東京 3歳500万下 1.8(1人) 1着 ダ1600m(良) 1:38.2 (36.6) -1.2 的場均 54 (ファインイレブン)
0000.12.23 川崎 全日本3歳優駿 GII 1.7(1人) 1着 ダ1600m(良) 1:41.1 (38.7) -0.5 的場均 54 (ツルミカイウン)
2000.02.20 東京 ヒヤシンスS 3.5(3人) 3着 ダ1600m(良) 1:37.8 (38.7) 1.4 的場均 57 ノボジャック
0000.03.12 中山 クリスタルC GIII 26.2(8人) 3着 芝1200m(良) 1:10.3 (36.5) 0.5 的場均 56 スイートオーキッド
0000.04.08 中山 NZT4歳S GII 23.4(7人) 3着 芝1600m(良) 1:34.5 (35.6) 0.1 的場均 56 エイシンプレストン
0000.05.07 東京 NHKマイルC GI 8.0(4人) 7着 芝1600m(良) 1:34.3 (36.1) 0.8 的場均 57 イーグルカフェ
0000.06.14 名古屋 名古屋優駿 GIII 4.1(3人) 1着 ダ1900m(重) R1:59.8 -0.3 的場均 55 (マイネルコンバット)
0000.07.12 大井 ジャパンDダービー GI (1人) 14着 ダ2000m(良) 2:09.3 (41.5) 2.9 的場均 56 マイネルコンバット
0000.09.30 中山 ユニコーンS GIII 10.0(4人) 1着 ダ1800m(良) 1:50.7 (37.2) -0.4 的場均 56 (マチカネラン)
0000.10.28 東京 武蔵野S GIII 8.3(4人) 2着 ダ1600m(良) 1:35.2 (36.6) 0.2 的場均 55 サンフォードシチー
0000.11.19 京都 マイルCS GI 55.7(13人) 1着 芝1600m(良) R1:32.6 (34.3) -0.1 的場均 55 ダイタクリーヴァ
2001.01.05 京都 京都金杯 GIII 4.8(3人) 3着 芝1600m(良) 1:33.8 (34.3) 0.4 的場均 58 ダイタクリーヴァ
0000.05.13 東京 京王杯SC GII 8.6(4人) 9着 芝1400m(良) 1:20.7 (34.4) 0.6 四位洋文 59 スティンガー
0000.06.03 東京 安田記念 GI 17.7(6人) 11着 芝1600m(良) 1:34.1 (35.9) 1.1 四位洋文 58 ブラックホーク
0000.09.19 船橋 日本テレビ盃 GIII 4.3(3人) 1着 ダ1800m(良) 1:51.2 (37.9) -0.7 四位洋文 58 タマモストロング
0000.10.08 盛岡 マイルCS南部杯 GI 2.1(1人) 1着 ダ1600m(良) 1:37.7 -0.1 四位洋文 56 トーホウエンペラー
0000.10.28 東京 天皇賞(秋) GI 20.0(4人) 1着 芝2000m(重) 2:02.2 (35.4) -0.2 四位洋文 58 テイエムオペラオー
0000.12.16 香港 香港C GI (1人) 1着 芝2000m(良) 2:02.8 アタマ 四位洋文 57.2 (Tobougg)
2002.02.17 東京 フェブラリーS GI 3.5(1人) 1着 ダ1600m(良) 1:35.1 (35.6) -0.2 四位洋文 57 トーシンブリザード
0000.03.23 UAE ドバイワールドC GI 発売なし 6着 ダ2000m(良) 四位洋文 57 Street Cry
0000.04.21 香港 QE2世C GI 2着 芝2000m(良) 2:02.6 0.1 四位洋文 57.2 Eishin Preston
2003.05.01 名古屋 かきつばた記念 GIII (4人) 4着 ダ1400m(良) 1:25.9 0.4 四位洋文 59 ビワシンセイキ
0000.06.08 東京 安田記念 GI 9.4(4人) 1着 芝1600m(良) R1:32.1 (33.7) クビ 四位洋文 58 アドマイヤマックス
0000.06.29 阪神 宝塚記念 GI 6.8(3人) 13着 芝2200m(良) 2:13.7 (37.9) 1.7 四位洋文 58 ヒシミラクル
0000.09.15 船橋 日本テレビ盃 GII (1人) 2着 ダ1800m(良) 1:52.2 (38.3) 0.8 四位洋文 58 スターキングマン
0000.10.13 盛岡 マイルCS南部杯 GI (2人) 5着 ダ1600m(不) 1:37.0 1.6 四位洋文 57 アドマイヤドン
0000.11.02 東京 天皇賞(秋) GI 7.9(4人) 17着 芝2000m(良) 2:00.4 (35.8) 2.4 四位洋文 58 シンボリクリスエス
0000.12.28 中山 有馬記念 GI 17.4(7人) 9着 芝2500m(良) 2:32.8 (36.6) 2.3 四位洋文 57 シンボリクリスエス
  • 1 タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
  • 2 勝利してタイム差がない(0.0秒)場合は着差を表記。
  • 3 香港での正式な負担重量は126ポンド。1ポンドは約453グラム
  • 4 2002年クイーンエリザベス2世カップの勝ち馬エイシンプレストンの表記は、海外国際競走の慣例に従い英語表記とした。

表彰

  • 2001年(7戦4勝)JRA賞最優秀4歳以上牡馬(200/283票)

種牡馬成績

グレード級重賞勝利馬

太字はGIまたはJpnI競走。

地方重賞勝利馬

母の父としての主な産駒

血統表

アグネスデジタル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミスタープロスペクター系
[§ 2]

Crafty Prospector
1979 栗毛
父の父
Mr.Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
父の母
Real Crafty Lady
1975 栗毛
In Reality Intentionally
My Dear Girl
Princess Roycraft Royal Note
Crafty Princess

Chancey Squaw
1991 鹿毛
Chief's Crown
1982 鹿毛
Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Six Crowns Secretariat
Chris Evert
母の母
Allicance
1980 鹿毛
Alleged Hoist the Flag
Princess Pout
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
母系(F-No.) 22号族(FN:22-d) [§ 3]
5代内の近親交配 なし [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ アグネスデジタル 5代血統表2015年6月30日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com アグネスデジタル 5代血統表2015年6月30日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ アグネスデジタル 5代血統表2015年6月30日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ アグネスデジタル 5代血統表2015年6月30日閲覧。

4代母Aimee(エメ)から連なるファミリーは世界的に発展している[51]。本馬が属するラナウェイブライドからの分枝(下記)以外では、その妹Khazaeenの子孫にキングカメハメハなどがいる[51]

主な近親

※平出(2014)に記載されているうち、Runaway Brideの子孫でブラックタイプの馬のみ記載する。

脚注

注釈

  1. ^ 出典資料では「GI」となっているが、ジャパンダートダービーは国際的にはGI格を得ていない国内独自格付けの「JpnI」競走である。

出典

  1. ^ a b c d e 『優駿』2000年11月号、p.139
  2. ^ a b 『優駿』2002年3月号、pp.36-37
  3. ^ a b 『優駿』2001年12月号、pp.134-135
  4. ^ 2000年11月20日日刊スポーツ
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 『優駿』2008年2月号、pp.52-59
  6. ^ a b c d e f g 的場(2003)pp.240-244
  7. ^ a b 『優駿』2000年12月号、pp.34-35
  8. ^ 『優駿』2001年3月号、p.121
  9. ^ a b 『優駿』2001年11月号、p.119
  10. ^ 『日刊スポーツ』2001年10月29日
  11. ^ 『優駿』2000年1月号、p.46
  12. ^ a b c d e f g 『優駿』2001年12月号、pp.12-15
  13. ^ a b c d e f g h i j k 『名馬物語2001~2010』pp.119-123
  14. ^ 『優駿』2001年12月号、p.147
  15. ^ a b c d e f 『優駿』2002年2月号、pp.27-33
  16. ^ a b c 『優駿』2002年2月号、p.64
  17. ^ a b 『優駿』2002年3月号、pp.52-53
  18. ^ a b 『優駿』2002年5月号、pp.26-29
  19. ^ a b c 『優駿』2002年6月号、p.109
  20. ^ 『優駿』2013年9月号、p.60
  21. ^ 『優駿』2003年7月号、p.135
  22. ^ 『優駿』p.44
  23. ^ 『優駿』2003年8月号、p.145
  24. ^ 『優駿』2004年3月号、p.79
  25. ^ 『優駿』2004年3月号、p.84
  26. ^ 【JDD】カゼノコがV!ハッピー3冠ならず”. SANSPO.com (2014年7月9日). 2015年7月4日閲覧。
  27. ^ a b 『優駿』2015年3月号、p.60
  28. ^ 『優駿』2010年8月号、p.48
  29. ^ ドリームシグナル”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  30. ^ ユビキタス”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  31. ^ ヤマニンキングリー”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  32. ^ ダイシンオレンジ”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  33. ^ グランプリエンゼル”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  34. ^ サウンドバリアー”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  35. ^ カゼノコ”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  36. ^ シスターエレキング”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  37. ^ マイネベリンダ”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  38. ^ マイネルポンピオン”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  39. ^ セイリュウザクラ”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  40. ^ ドリームクラフト”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  41. ^ アートオブビーン”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  42. ^ バックアタック”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  43. ^ デジタルゴールド”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  44. ^ ドリームゴスペル”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  45. ^ サカジロタイヨー”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  46. ^ マイネルセグメント”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  47. ^ コスモエスプレッソ”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  48. ^ マイネルバルビゾン”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  49. ^ コウギョウデジタル”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  50. ^ シグラップロード”. JBISサーチ. 2015年7月4日閲覧。
  51. ^ a b 平出(2014)pp.130-131

参考文献

  • 的場均『夢無限』(流星社、2001年)ISBN 978-4947770035
  • 『名馬物語 2001-2010 - 21世紀の名馬たち』(エンターブレイン、2010年)ISBN 978-4047268562
    • 山河拓也「アグネスデジタル」
  • 平出貴昭『覚えておきたい日本の牝系100』(スタンダードマガジン、2014年)ISBN 978-4938280642
  • 『優駿』2008年2月号(日本中央競馬会)
    • 阿部珠樹「サラブレッド・ヒーロー列伝 - アグネスデジタル 驚異のオールラウンダー」
  • 『優駿』(日本中央競馬会)各号

外部リンク